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この手で、誰かを守れるならば


 ――幼い頃のレオハルトはいつも、心の奥底に孤独を抱えていた。

 ローズティアの第二王子という恵まれた立場にいながら、レオハルトはいつも心の何処かに、ぽっかりと空洞があるのを感じていた。
 それは多分、さびしさや孤独と言うべきものであった。だが、そうは言っても、城に仕える者たちは誰一人として、そのことを認めようとはしないだろう。なぜなら、レオハルトは誰もが認める――幸福な王子だったからだ。
 黄金の髪に、海よりも深く、空よりも透きとおった碧玉の瞳。
 凛々しく利発そうで、しかも愛らしい少年。
 そんな容姿を裏切らず、レオハルトは城の気難しい教師たちも認めるほどに聡明であったし、多少やんちゃではあったものの、その快活で明るい性格は、身分を問わず城の誰からも慕われていた。
 聡明で健康にも恵まれて、誰からも慕われる第二王子レオハルト。
 そんな彼を見る度に、城の者たちは目を細めて、どんなに素晴らしい若者になるかと噂した。同時に、なぜ彼が世継ぎの王子でないのか、と。きっと素晴らしい王になるだろうに、と――
 そんな城の者たちの声は病弱な兄王子ステファンにとって、出来の良い弟・レオハルトに対する憎しみを抱く原因になった。
 病弱で、部屋にこもりがちな王妃が生んだ兄王子。
 健康で快活で、誰からも好かれる側室が生んだ弟王子。
 誰が見ても、どちらの王子が国王に向いているのか明らかなのに、それでも王冠は兄王子のモノなのだ。それが城の者たちに、不満とも言えないような不満を抱かせて、レオハルトに対する同情へと繋がった。
 それらの声はレオハルトを賞賛するものであっても、兄王子ステファンを中傷するものではなかったのだが、繊細で神経質な性格の兄王子にとっては、どちらでも大差がなかった。
 弟がレオハルトがいる限り、誰もステファンを認めない。
 自分が王になることを、城の誰もが望んでいないのだ。
 レオハルト殿下が、王になれば良いのに――
 そんな無言の圧力は、繊細な兄王子をステファンを苦しめて、打ちのめした。
 ただの嫉妬だとしても、世継ぎの王子である身では、己の全てを否定されたのと同じだ。レオハルトがいる限り、誰もステファンを認めない。見ようとすらしない。
 そうして、子供の時から崩御する日まで、彼は生涯に渡りたった一人の弟を、レオハルトを憎み続けた……。
 そんな兄との確執は、幼いレオハルトにわずかな影を落としたものの、その快活さを損ないはしなかった。
 普段は、兄に憎まれていることなどみじんも感じさせず、いつも明るく振る舞っていた――だから、レオハルトの乳母も侍女も、城の誰も気づかなかったのだ。
 幼い王子が心の奥に抱える、その孤独に。
「……」
 幼くして、生みの母を亡くしたが、レオハルトの周りには常に大勢の人がいた。だから、彼がさびしいなどとは、誰も考えなかったのである。
 容姿にも才能にも恵まれた幸福な弟王子――彼に足りないのは王冠だけだと、誰もが思っていた。
 そもそもレオハルト自身も、さびしいなどと口にしたことは一度もなかった。
 兄王子のステファンが、母である王妃に甘えているのを見るたびにいつも、ほんの少し胸が痛くなったが、それさえ気のせいだと切り捨てた。
 ましてや泣くなんて、もっての他だ。
 父や教師たちはいつだって、王子は人前で泣いてはならぬと言っていた。王族はいかなる時も、毅然としていなければならないのだと。
 だから、レオハルトは泣かなかった。否、泣けなかった。
 それでも時折、亡き母を思い出したい時は、母の形見の蒼華石の首飾りを握りしめた。
 そうしていると、亡き母が近くで見守っていてくれるような気持ちになれたから……。
 そんな亡き母とは対照的に、ローズティアの国王である父は、近くにありながら遠い存在だった。
 国王である父はいつも忙しそうにしており、二人だけで共に過ごした記憶など、レオハルトは数えるほどしかない。側室の息子だからといって、差別するような人ではなかったが、父である前に国王である人だった。
 父は愛情は注いでくれたが、共に居られる人ではなかった。
 幼いながらも、レオハルトはそれを理解していた。
 父上は王なのだ。
 民を守り、民を導き、民を支えるべき者。
 それこそが王なのだ。
 ――父上の剣を握る手は、いつも民を守り、導くためにこそある。
 だから、そばにいて欲しいなどと、わがままを言えるはずもない。「父上」と、呼びかける声は、いつも喉の奥で止まった。
 良い子だと、頭を撫でてほしい。
 抱きしめてほしい。
 レオハルトが王子であっても、王子であるからこそ、そんなことは言えない。
 王の手は、民を守るためのものなのだから。
 そんな日々を過ごしていた時だった。レオハルトが、フィアナに出会ったのは――
「――王国の魔女フィアナ=ローズは誓いましょう。この命がある限り、ローズティア王国を守ることを。そうして、王家と貴方に忠誠を。レオハルト殿下」
 城にやって来たフィアナを悪い魔女だと思いこんで、父王や皆を守ろうと、玩具の剣で切りかかった幼いレオハルトに、フィアナはそう誓ってくれた。
 ――そうして、王家と貴方に忠誠を。レオハルト殿下。
 それは、子供をなだめるための他愛ない口約束だったかもしれない。だが、レオハルトにとってはその瞬間から、何よりも神聖な誓いになった。
 きっと、その時からすでに惹かれていたのだろう。
 その真紅の瞳の魔女に、レオハルトの心は奪われていた。
 愛というには淡すぎて、憧れというには強すぎる想い。それが恋なのだと自覚するのは、もう少し先の話だが、出会った時からレオハルトの心はすでに決まっていた。
 運命というものが存在するなら、きっとこれがそうだと。
「――レオハルト殿下」
 そう名前を呼んでくれる、優しい声が好きだった。
「……レオハルト殿下。また遊びに来られたのですか」
 レオハルトが部屋に会いに行くと、ちょっと困った顔をしながらも、紅茶をいれてくれる手が好きだった。
 時折、どこか慣れない手つきで、頭を撫でてくれるのが好きだった。
  その手はいつだって、彼を幸福にしてくれた。
 フィアナといる時、レオハルトはさびしさを感じなかった。母が居なくても、父が遠くても、たった一人の兄に疎まれていても、フィアナが共に居てくれるなら大丈夫だと――そう信じた。
 母を亡くしたレオハルトにとって、フィアナは初めて得た味方だったのかもしれない。
 王である父は遠い存在で、兄は自分のことを憎んでおり、城の者たちは彼に良くしてくれるが、王に仕えているわけでレオハルト仕えているわけではないからだ。今までの自分は孤独だったのだ。
 フィアナと出会って初めて、レオハルトはそれを自覚した。あぁ、さびしかったのだと、ようやく素直に認められた。
 そう思えたのはきっと、フィアナも彼と同じように、さびしい目をしていたからだろう。
 魔女の真紅の瞳の奥には、彼と同じ孤独があった。
「今更ですが、私と話しても得るものはないと思いますが……私は魔女です。人間ではないのですよ」
「それは、レオハルト殿下がまだ子供だからですよ。きっと、あと五年もすれば、どこかの姫君に恋をして、魔女のことなんか綺麗に忘れてしまうことでしょう。それで良いのです」
「……私は魔女です。レオハルト殿下」
 自分は魔女だから、人のように幸せにはなれない。
 人と同じ時を生きることは、望んでも叶わない。
 そう言うフィアナは、いつだって深い孤独を抱えているように見えた。それでも、フィアナは決して涙を流そうとはしなかった。まるで、泣き方を忘れてしまったように。
 自分と同じだと、レオハルトは思った。
 孤独な時や本当にさびしい時に、人は……魔女は泣けない。
 誰も助けてくれない。守ってもくれないと思っている時に、涙を流す者はいない。誰かが、共に居てくれる。誰かが、救いの手を差し伸べてくれる。そう信じるからこそ、人は涙を流して、大切な者の名を呼べるのだ。
 それは魔女であっても、きっと変わらないはずだ。
 それを理解した時に、レオハルトは思った。
 もし、この手で大切な者を守れるなら、自分は――この孤独で、優しい魔女を守りたいと。
 父王の手がローズティアの民を守るためにあり、兄王子の手が王冠を継ぐためにあるならば、自分の手は大切な人を守るためのものでありたい。
 国王になれなくても良い。
 歴史に名を残さなくても良い。
 ただフィアナがそばにいてくれて、自分の名を呼んでくれるならば、それだけでレオハルトは幸せだ。
 この手は、ただ君のために。
「――フィアナ。私が愛したのも必要とするのも、共に生きたいと願うのも、全てお前だけだ」
 レオハルトがフィアナを抱きしめた時、ようやく魔女は泣いてくれた。
 その真紅の瞳からこぼれ落ちる涙は、悲しみじゃなくて、泣ける人を見つけたからの涙だった。
 我慢せずに泣いて……そして、笑って。
 ――フィアナは、もう孤独じゃない。うれしい時も、悲しい時も泣きたい時も、私がそばにいる。ずっと、そばにいる。約束だ。
 そう言って、レオハルトが抱きしめたフィアナの背中は、小さく震えていた。
 泣くのを忘れた王子と、長い孤独を抱えた魔女が出会った時、きっと彼らは片割れを見つけて、孤独ではなくなったのだ。
「約束する。ずっと、フィアナのそばにいる。百年でも二百年でも、たとえ死んで魂となったとしても、そばにいる。絶対にフィアナを一人ぼっちにしない」
 そう、それは約束だ。魔女と王子の。
 たとえ何百年の月日が流れようとも、この身が土に還る日が来ようとも、色あせることのない誓い。
 もしも、この手で大切な人を守れるならば、長い孤独の時を生きる魔女のことを、誰よりも守りたい。約束するよ。フィアナ――


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