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夜明け


 レオンは父の名を知らない。
 父がいたという記憶もないから、彼が生まれた時にはすでに、父と母――レイラは別れていたのかもしれない。
 物心ついた頃はすでに、レオンは王都の片隅で、母と二人で細々と暮らしていた。
 家は豊かではなかったが、幸いなことに、飢えるほど貧しくもなかった。母――レイラは手先の器用な人で、針子などをして、生計を立てていた。稼ぎは少なかったが、親子二人でつつましく暮らすぐらいならば、それで十分だった。
 幼い頃に一度だけ、母に父のことを尋ねたことがあったが、母は悲しい顔をして遠くを見つめるだけだった。……今、思い出すと、母の薄青の瞳は王城の方角を見つめてはいなかったか?
 その時は、子供心に父のことを聞いてはいけないのだと思ったレオンは、二度と父のことを口にしなかった。
 もちろん、父親がどんな男なのか、彼が気にならなかったと言ったら嘘になる。
 なにせ名前はおろか、今、生きているかどうかすらわからないのだから。
 ただ、父のことを尋ねた時の母の表情が、それまで一度も目にしたことないほどに悲しげなものであったので、それ以上、レオンは何も言うことが出来なかったのだ。――結局、母はレオンが十八歳の時に亡くなるまで、ただの一度も父について語らなかった。母が亡き今、真実は闇の中だ。
 子供の頃、母に尋ねることを諦めたレオンは、自分の容姿に父の面影を見出そうとした。
 母は蜂蜜色の髪に薄青の瞳をしていたが、息子である彼は、髪も瞳も母よりも濃い色をしていた。
 黄金と評されるような見事な金髪と、海よりも深く、空よりも澄んだ碧玉の瞳……。
 それらが父から受け継いだものかどうか、レオンが知るすべはなかったが、幼い頃の彼はそう信じていた。

 
 そんな風に、母と二人でつつましやかに暮らしていたレオンが、革命軍に身を投じるきっかけになったのは、近所で生まれ育ち、実の兄弟のように育ってきた四つ年上のゲイルだった。
 貧乏学者の息子だったゲイルは、貧しい平民のわりには学のある男だった。
 赤毛の、ひょろりと痩せて背の高い、見かけはお世辞にも頼りがいのあるとは言えない若者なのだが、恐ろしいほどに頭の回転が速く、人を見る目があり、おまけに弁もたった。何よりも、ゲイルは時代の変化を見抜く目があった。
「……革命?冗談じゃないのか?ゲイル」
 ――もうすぐ革命が起きるぞ。
 今から二年前、ゲイルが最初に、それを口にした時には、レオンは冗談ではないかと思ったものだ。
 革命なんぞ、そう簡単に起こせるものではない。
 ましてや、このローズティアの王政は、六百年以上も続いているのだ。いくら王や大臣たちが悪政をしいて、国民の怒りをかっているとはいっても、今の王国の仕組みが崩れ去る日が来るなんて、若いレオンには想像すら出来なかった。
 しかし、レオンを見つめるゲイルの琥珀色の瞳は、いたって真剣だった。
「いいや、冗談じゃないさ。レオン。俺は真剣だ……この国では、近いうちに革命が起きる。必ずな……お前だって、この国の現状に心が痛まないわけじゃないだろう?」
「それは……」
 レオンが言いよどむと、ゲイルはわかっているという風に、小さくうなずいた。
 赤毛の青年は、琥珀色の瞳に鋭い光を宿すと、熱っぽく語った。
「お前も知っているはずだ。レオン……もっとも栄えているはずの王都で、浮浪者や親を失った孤児があふれてる。この頃は、餓死者も後を絶たないそうだ……そんな状況なのに、国王も大臣たちも、何もしようとしないっ!救いの手を差し伸べる力があるはずなのに、指一本、国民のために動かそうとしないっ!ひどいもんさ……むしろ、俺は未だ革命が起きてないのが信じられないよ」
「ゲイル……」
 うつむいて、拳を振るわせるゲイルの肩に、レオンはそっと手を置いた。
 ゲイルの言いたいことは、彼にも痛いほどに伝わった。たしかに、今のこの国の――ローズティアの在りようは、ひどいものだ。
 革命の二文字が、現実味を帯びて聞こえるほどに。
 ここ数年、民の生活はひどくなる一方だ。レオンやゲイルは運よく生き延びているが、明日のパンにも困る者や、簡単な病ですら医者にかかる金もない者も大勢いる。もし、国がきちんと治められていれば、死ななくてすんだ者が、命を失っている。
 それなのに、国王はなんら手を打つ様子を見せないのだから、国民の不満が高まるも当然のことだ。いや、不満が王への憎しみに変わる日も、そう遠くはないだろう。
 ――革命。
 ゲイルが、そう口にする気持ちは、レオンにもよくわかった。
 この国の現状を、心から憂いているのは、彼だって同じなのだから。
 特にゲイルのように、賢い男が不満を抱えるのは、当然のことだろうと思った。民が飢えているのに、何もしない愚かな王よりは、自分たちのような民衆が国を治めた方がマシだと、そう思っているに違いない。
 しばらくして、ようやく顔を上げたゲイルに、レオンは静かな声で尋ねた。
「……だから、革命か?」
「そうだ」
 レオンの問いに、ゲイルは何の迷いもなく、首を縦に振った。
「それで、その革命とやらは何時、起きるんだ?ゲイル」
「いや、そうじゃない……」
 レオンの言葉に、ゲイルは「そうじゃない……」と首を横に振ると、琥珀色の瞳に強い意志を宿して、幼馴染の――レオンの顔を、真っ直ぐに見つめた。
 深い蒼の瞳を見つめて、ゲイルは告げる。
 それが、運命だったのかもしれない。
「――革命は起きる……ただ、待ってるだけじゃない。俺が、いや、俺たちが革命を起こすんだ。レオン」
 ゲイルの言葉に、レオンは沈黙した。なぜか、胸が熱くなるのを感じながら。
「俺の仲間にならないか?レオン……辛い道のりになるだろうから、無理は言わない。でも、お前が仲間になってくれたら、心強い。昔から、お前には、人をまとめる力があった。お前が動けば、きっと皆、ついてくる」
「……」
「新しい時代を開くんだ。この国の腐敗した歴史を、俺たちが終わらせてやる」
 長い、長い、永遠にも似た沈黙の末、レオンはうなずいた。
「……わかった」
 ――革命を起こそう。
 レオンがそう言うと、ゲイルは震える手で、レオンの手を握り締めた。強く、強く……。
 そうして、小さな声で「ありがとう」と言った。
「――王の時代を、終わらせよう」
 気負うでもなく、静かな声でレオンは言う。
 ――王国の、王の時代を、終わらせる。
 それが、己の役目なのかもしれないと、レオンは思った。
 どれほど長く続いた王朝だとしても、永遠は存在しない。いや、存在してはならないのだ。時代は、人は、変わっていくものなのだから。たとえ痛みをともなう終わりだとしても、終わらせなければならないのだ。……自分たちの手で。
 新たな時代を、笑って迎えるために。
「――終わらせるんだ。必ず」
 それが、運命であるならば。


「……レオン。緊張しているのか?」
「いや……」
 ゲイルの問いかけに、レオンは「いや……」首を横に振る。
 ――革命を起こすことを決意した日から、二年の月日が流れた。
 あれから様々なことがあったが、信頼できる同志も増えて、革命の準備は比較的、順調に進んだ。
 彼らと同じように、現在の王政に不満を持っていた者は大勢いたらしく、時には激しい意見の衝突を挟みながらも、革命軍は徐々にその数を増やしていったのだ。こうなったのも全て、民衆の不満が限界に達していたからだろう。
 革命軍の一部の者たちが、貴族の惨殺など過激な行動に出たり、革命軍の仲間たちが国王軍に殺されたり……残酷なことも、辛いことも数え切れないほどあった。
 しかし、そんな日々も、明日で終わる。
 ゲイルとレオンの二人を中心に、革命軍はまとまり、国王軍との戦いにも勝利した。
 残るは、王城に突入し、国王を捕らえるだけだ。それで、全てが終わる。――この国は、新たな時代を迎えるはずだ。
「もうすぐ夜が明けるな……そうしたら、計画通り、王城へ攻め込むぞ」
 ――夜明けと共に、王城へ。
 そう口にするゲイルの口調は緊張していながらも、どこか未来への希望を感じさせて、明るかった。新しい時代の訪れを信じているのだろう。
 革命を成功させたら、民衆の手でローズティアを豊かな国にするのだというゲイルの声が、レオンの耳に響く。
 この幼馴染みは、その新しい時代の中心になるのだろうと、レオンは思った。楽な道ではないだろうが、この国を豊かな国にするために、ゲイルは決して努力を惜しまないだろうと。
 革命が成功したら……レオンの方は、その先を決めていない。
 まずは、全てを終わらせてからだと、彼は思っていた。
 終わった先に何を見るのか、それはレオン自身にすら、まだわからないことであった。
 (夜が明けたら……)
 レオンは亡き母の形見の、鞘に蒼い宝石のはめこまれた短剣を握って、夜明けの訪れを待つ。
「――夜明けだ!」
 明るく染まり始めた空を見て、誰かが叫ぶ。
 レオンは蒼い瞳で王城を見つめて、王の時代を終わらせるために一歩、前へと踏み出した

 
 そうして、運命に導かれるように、彼は“王冠の魔女”と出会う――


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