モクジ

  龍神、恋い、乞う  

 さみだれの里の頭領は、龍神を慰める祭祀でもある。
 異国の龍神を招き、かの者に嫁ぐことで、里に慈雨をもたらし、民を救った初代・白露に習い、継承の儀に挑むものは、花嫁を模した白無垢を纏う。
 さみだれの里の、いっとうの織女が、十月十日籠もりて織る代物だ。

「どうだ?美しかろう」
 今日も今日とて、ツユの前に姿をみせた霧雨は、織り上げられたばかりの、白無垢を自慢した。
 さみだれの里のいっとうの織り女、霞の母が丹精こめて仕上げた品とあって、清廉な白無垢は、襲名の儀に相応しい品に仕上がっていた。
 美しい霧雨が纏えば、その姿に人のみならず、龍神さえも恋い、乞うであろう。
「へっ、馬子にも衣装だな」
 素直に褒めるのが憚られて、ツユは雨呼琴の音を合わせながら、憎まれ口を叩く。
 おや、と霧雨は彼の手元を覗き込んだ。
「何をしているんだ」
「練習だよ。俺がへまを打ったら、一座の恥になるからな」
 それは半分、本音で半分、嘘だった。
 捨て子だった己を拾い上げてくれた一座に、彼が深い恩義を感じているのは事実だが、それだけではない。
「当日が楽しみだ。しっかり励めよ」
 白無垢の長い裾を、霞に持たせながら、上機嫌で去っていった霧雨の背に、物言いたげな眼差しを向けて、ツユは懐にいれた榊の箸を握り締めた。
 市に足を運んだ際、行商人の滑らかな口上に流されるまま、買ってしまった代物だ。
 いち楽士に過ぎぬツユには、高価な品だった。
「クソっ、こんなもの……」
 いっそ、どこかに捨ててしまおうかと、彼は思う。渡せぬ、女物の箸など、己が持っていても意味がない。
 しかし、その寸でのところで、ツユは思いとどまった。
 認めるしかない。あの女に心惹かれていることは。
 姉との確執を抱えながら、華奢な背に多くのものを背負うて、凛と立つ、霧雨の為にいっとうの音色を捧げてやろうと、そう思う位には。

 
 何故、あの娘、霧雨だったのだろう。同じ父母の元に生まれながら、どうして妾では駄目だったのか。
 火乃はずっと、そう思っていた。
 貧弱な身体、ままならぬ手足や、里医者から、長くは持たぬと言われた脆弱な我が身を、恨めしく思うことは多々あった。けれども。それよりも、ずっと耐え難かったのは、周りの者たちの無遠慮な目線だ。
 頭領の長女でありながら、雨の字を持たぬ火乃に向けられるのは、いつだって憐れみの目だった。
 誇り高い彼女にとり、それは頭領になれぬこと以上に、より屈辱的なことだったのである。
「火乃、お前は何もしなくても良いのだよ。唯、生きていてくれればそれだけでよい。母と霧雨が、さみだれの里と、お前を守ってあげるから」
 幼い頃、寒さも厭わず、木枯らしの吹く中、元気に庭を駆け回る霧雨を、火乃は、ぼお、と褥の中から見つめていた。
この冬、何度目かの風邪は、確実に彼女の身体を苛めている。もろく弱い身体はすぐに熱を出し、治るとまたすぐ寝込んでしまう。その繰り返し。
 屋敷の内と外、ほんのわずかだが、絶対に越えられない壁が、彼女たち姉妹にはあった。
「安心おし。おぬしに重い荷を、背負わせることはないぞ」
 寝込んだ娘に寄り添い、頭領の身でありながら、火乃に手ずから粥を食べさせ、その身を案じる驟雨は、どこにでもいる母の姿であっただろう。
 いつ儚くなるとも知れぬ、病弱な娘に余計な負担をかけまいとする、親心であったはずだ。だが、その言葉こそが、火乃を余計に屈折させた。
 ―霧雨だけ。妾はこんなに母上さまのことを愛し、必要としているのに、母上さまのお役に立てるのは、霧雨だけなのだ。己は居なくても良いのだ、と。
 幼い嫉妬は憎しみへと変じ、やがて、はっきりとした増悪となる。
「姉さま、火乃姉さま……っ!」
 大きな瞳をきらきらと輝かせ、女の童の人形を抱えた少女が、息を弾ませながら、火乃へと駆け寄ってくる。
「……霧雨」
「探したの。いっしょに、お人形で遊びましょう」
 火乃はふい、と顔を横に背けた。
「妾は、人形遊びは好かぬ。遊びたければ、独りで遊べ」
「でも……」
「五月蝿いっ!」
 火乃は癇癪を起こすと、伸ばされた妹の、ちいさな手を振り払った。
「……っ」
 砂利の上に尻餅をつく、霧雨。
 その拍子に、地面に転がった人形に、霧雨は泣きそうに顔を歪める。
 母上さまから頂いた大切なそれを、彼女が拾い上げようとする前に、一瞬早く、火乃の手が伸ばされた。
 一度、拾い上げられたはずの人形は、その手によって、再度、地面に強く叩きつけられる。何度も何度も。
 人形の首が壊れて、女童の頭が転がった。
「火乃、ねえさま……止めて、止めて!」
 涙ぐむ霧雨に、火乃は、ほの暗い満足感を覚えながら、火乃は「あはははっ」と気が触れたように笑った。
「あっははは、良いか?霧雨。この人形を壊したのは、おぬしだ。雨の字も母上さまも、いろんなものを妾から奪ったのだもの。妾のお願いは、何でも聞いてくれるであろう」
 のう、かわいい、妹よ。
 ひゅう、と霧雨の喉から、かすれた声がもれた。
 火乃姉さま。
 その時から、火乃は決めていたのだ。
 己から何もかも奪った霧雨が、それを手に入れようとした時、最も残酷な方法で邪魔してやろうと。
 今が、その時だ。
「何を……あんた一体、何をしているんだ?」
 誰もいなかったはずの支度部屋に、鋭い少年の声が響いた。
 薄紅の瞳が、怒りで燃えている。
 ああ、邪魔者が来た、と火乃は後ろを振り向く。
 その手には、今宵、霧雨が継承の儀に纏うはずであった、白無垢が握り締められていた。
 しかし、さみだれの里いっとうの織女が、十月十日、籠りて織った、花嫁衣装は突き立てられた刃によって、無残に引き裂かれている。
 遠目にも、それが修復出来ぬようであるとわかり、ツユは辛そうに眉を顰めた。
「あんた、霧雨の姉さんだろう?何で、こんな酷い真似をするんだ!」
 身にのしかかる責の重みに耐えながら、霧雨はそれでも、必死に前を向いているというのに、その神聖なる襲名の儀を汚そうという、火乃の行為がツユは許せなかった。
 そんな少年の糾弾に、火乃は馬鹿馬鹿しいという風に哄笑した。
「何故、だと、愚問よの。憎いからよ、あの娘、霧雨が憎いからよ」
「だからって……こんな真似して、ただで済むわけないだろ」
 痩せた顔の中で、ぎらぎらと光る黒檀の瞳に、ゾッとするものを感じながら、ツユは何とか火乃に短剣を捨てさせようと、言葉を重ねる。
「それでも構わぬ!あの娘が、霧雨が地獄に落ちるなら、妾はどうなっても構わぬのだ。どうせ、妾は飼い殺しの身なのだからな!」
 叫ぶ火乃に、ツユは狂っていると烙印を押し、とにかく家人を呼ぼうと、声を張り上げかけた。だが、長年、狂気を飼い慣らしてきた火乃の方が、より狡猾であった。
「いやあああああっ!誰ぞ、誰ぞ、曲者が!」
 細く鋭い悲鳴を上げると、唖然とするツユに向かって、短剣を投げつける。板張りを転がった刃は、少年の足元に転がる。
「どうなさいましたか!火乃さま」
「曲者は何処に!」
 悲鳴を聞きつけた家人たちが、次々と集まってきて、ツユはまずいと舌打ちした。
 駆けつけた侍女たちの中に、霞もおり、昨晩まで衣紋掛けにあったはずの白無垢が、無残な有様で床に広がっているのを見て、みるみる蒼白な顔色になる。
 母の織ったそれは、彼女にとっても特別な、何より、大切な女主人である霧雨が纏うべき、龍神へと嫁ぐための、花嫁衣装だ。
 それでも、気持ちを振り立たせた霞は、気丈にも、部屋の隅で震える火乃へと歩み寄り、庇うようにその背を抱く。
「火乃さま、ご無事でございますか?どうか、お気を確かに」
「あ……」
 火乃は震えながら、ツユを指差す。
「その者が、花嫁衣装を引き裂いたのじゃ!おまけに、止める妾を手篭めにしようと……」
 震える火乃の訴えは、真に迫っており、到底、嘘を吐いているようには見えなかった。
「この嘘つきが……」
 ツユの呻きは、家人たちに無視された。
 旅芸人の一座というのは、一段、低い存在とみなされていた。そんな少年と、頭領の娘である火乃の言葉を比べるなど、言語道断である。
 にや、と火乃が紅い唇を緩める。
「騒がしや、一体、何があったのじゃ?今日は大切な、頭領襲名の儀が控えておるというのに」
 屋敷の他の部屋まで響く、諍いの声を耳にしてか、驟雨が彼らの前に姿を見せた。
「御屋形さま……如何、いたしましょう?」
 霞が困惑した声音で、事情を説明すると、驟雨は「あいわかった」とうなずいた。
 そうして、凛としたそれで、家人たちに命じる。
「皆の者、そこな下手人を捕らえ、座敷牢に閉じ込めておけ。処分はおって下す」
 だらりと肩を落としたツユは、ろくな抵抗もできぬまま、家人たちの手によって、縄をかけられ、立て、と乱暴に尻を蹴りつけられた。
 言い訳はしても無駄だとわかっていた。
 悲鳴を喉の奥で押し殺しながら、座敷牢に引っ立てられる前に、ツユは驟雨に尋ねる。
「継承の儀は?白無垢も切り裂かれて、楽による祝(ことほぎ)もない。あいつは、霧雨はどうなるんだ?」
 白無垢が着られないなんて事は、切り裂かれたそれを見れば、赤子でもわかる。雨呼琴の音色による祝(ことほぎ)がなければ、龍神の神妻にはなれない。
「知らぬ」
 驟雨は苦々しい口調で答え、すすり泣く霞の肩を抱いてやった。
「すべてを選ぶのは、霧雨ぞ」

 母は、娘を案じるような顔をしていた。
 霞は愛らしい顔をくしゃくしゃにして、すすり泣いていた。
 ハレの日に纏うべき花嫁衣装はないと、聞かされた。雨呼琴を弾くべき少年もまた、白無垢を切り裂いた下手人として、座敷牢へと閉じ込められているのだと。
 ここ数代で、こんなに酷い代替わりの儀はなかったであろう。
 異例づくしの襲名の儀を、果たして、龍神が受け入れてくれるのだろうかと、さしもの霧雨も不安であった。それでも。
「良いのか?霧雨、今ならばまだ継承の儀を、遅らせることも出来るぞ」
「いいえ、母上さま。継承の儀は、予定通りに」
 驟雨の申し出に、霧雨は何処か晴れやかな顔で、首を横に振る。
 花嫁衣装がなくとも、楽の音色による祝がなくとも、霧雨はさみだれの里の頭領の地位を継いでみせる。
 心配ない。
 霧雨は初代、白露の血筋に連なる者、かの龍神が恋い、乞うた娘の子孫である。
 龍神に拒まれるはずがない。
 なあ、そうだろう?ツユ―。

 
 目が覚めると、ツユの周りには誰も居なかった。
 頭領襲名の儀を前にして、屋敷全体がざわついているせいか、人手が足りないらしい。
 座敷牢の見張り番も、今は持ち場を離れているようだった。
「ってえ……」
 頬が、顔全体が腫れ上がっている。
 ギシギシと軋む骨の音、もしかすると、肋骨の一本や、二本、折れているかもしれない。
 ぺっ、と血の混じったツバを飛ばす。
 後ろ手に容赦なく縛られているせいで、容易に身動きがとれず、わずかにでも身を動かせば、肌に容赦なく縄が食い込んで痛かった。
 神聖な白無垢を汚し、また頭領の息女に手を上げようとした下手人に、屋敷の家人たちは容赦なく、縄で縛って、殴る蹴るの暴行を加えたあと、意識を失ったツユを、座敷牢の独房へと放り込んだのだった。
「畜生!こんなところで……」
 牢の床に拳を叩きつけ、ツユは悔しげに歯噛みした。
 あれから、どれほどの時間が流れたのだろうか。
 頭領襲名の儀はどうなった。
 ツユには楽士としての矜持がある。こんな半端な所で舞台を下ろされるなど、一座の名折れだ。
 それに、霧雨は、霧雨はどうなった―

「おいっ、ツユ。生きているか?」
 どうにもならないモヤモヤの中、ツユに声をかける者がいた。彼は弾かれたように顔を上げると、座敷牢のつっかえ棒を外す男に、「座長!」と声を上げる。
 座長と呼ばれた中年男は、ニヤリと笑った。
「待たせたな。早く出ろ」
 気がつけば、座長の背後に、仲間の楽士たちが控えていることに、ツユは気づき、出れない、と首を横に振る。
「止めてくれ、座長。下手人の疑いをかけられている、俺が逃げ出したら、一座の皆に迷惑がかかる」
 危険を犯して、座敷牢まで助けに来てくれた、仲間たちの厚意は、涙が出るほど有難かったが、一座の皆に迷惑がかかると思うと、ツユはあと一歩、踏み出せなかった。
 そんなツユを、座長は豪快に笑い飛ばす。
「なに言ってんだ、お前らしくねぇな。ツユ。そんなんで怯えているようじゃ、旅の一座はつとまらねぇよ」
 それに、と目を細めて、座長は続ける。
「死んだ先代の爺さんに、俺は約束したのさ。おめえを、国一番の雨呼琴弾きにしてやるってさ」
 ほらよ、と牢の鍵を外した座長は、早く行け、とツユを促す。
「ツユ。おめえの演奏を待っている相手が、いるんだろう?」
 励ますようなそれに、ツユは刹那、瞼を閉じて、その後、薄紅の瞳に強い光をたたえて、しっかりと前を見据えた。
「座長。捨て子の俺を拾って、一人前の楽士に育ててくれたこと、先代にもあんたにも感謝してる」
「何言ってやがんでぇ、いつも毒舌なお前さんが、気持ちわりい。それより、早くお嬢さんの元へ行ってやれ。儀式まで時がねえんだろ」
 頷くと、一目散に駆け出そうとしたツユの手に、一座の仲間が愛用の雨呼琴を押し付けた。それは、いつもよりも、ずっしりとした重みを持ち、弾き手が奏でる音色を、心待ちにしているようである。
「行ってくる。決めたんだ。あいつの襲名を祝ぐのは、俺の調べだって」
 そう、ツユは誓ったのだ。ただの楽士として、否、なんの力が持たぬ楽士であればこそ、その澄んだ音色をもって、霧雨の力となることを。ツユはただの餓鬼だ。けれど、楽士としての譲れぬ意地がある。
 宣言し、ツユは襲名の儀式が行われているであろう、屋敷の中庭へと疾駆した。
 走る、走る、走る。
 風を切り、息を切らせながら。
 数年前、星月夜のこと、白い雨降り花が揺れる、緑ケ原でツユは黒髪が美しい少女と出逢った。
 霧雨と名乗った彼女は、ツユに何の警戒心もわかぬ、飾り気のない笑みをみせて、彼の名を尋ねた。
 本当は、すでにその時から、ツユは霧雨に心惹かれていたのかもしれない。最も、それを理解するには幼すぎて、つまらぬ意地を張ってしまったけれど。
 実際は、それほど綺麗なものではなかったのだ。厳しい先代のしごきに耐え兼ねたツユは、いっそ逃げ出してやろうかと、さみだれの里に着いた時から、機会を伺っていた。でも。
 見上げた一面の星空が、月下、揺れる白い花々が、儚げに微笑う霧雨があまりにも眩しくて、何もかも捨てようとしている自分が、急に恥ずかしくなった。ただ、それだけだったのだ。
 初恋。
 そう呼ぶには、淡く、されど激しい、その想い。
「ちきしょう……!頼むよ、龍神さま。間に合ってくれ!」
 この祈り、かの龍神がおわす天まで届けと、ツユは吠えた。


「は、はっあ……」
 胸の痛みを感じながら、ツユが中庭にたどり着いた時、すでに日は落ち、辺りを深い闇が包み込んでいた。
 その場に座した驟雨や里衆の様子から、すでに儀式は始まっているようだ。
 座敷牢に閉じ込めたはずの少年の姿に、平然とした顔で、驟雨の隣に居た火乃が目を見開いた。だが、彼は今、そんなことを気にかけている暇はない。
「俺は、俺は、新たな頭領となる者の門出に、楽を捧げに来た」
 ツユが高らかにそう宣言すると、静かな声が返る。
「此処に」
 現れた霧雨のあられもない姿に、誰もが息を呑む。
 花嫁衣装よりもなお、神々しい白い膚。
 霧雨は一糸まとわぬ、裸であった。うつくしい肢体に、誰ともなくため息が零れる。
 月はなく、泥寧とした暗闇にあって、霧雨の膚だけがこうこうと輝いている。
「この……」
 言葉もない一同の中、火乃だけが憤怒の表情をあらわにし、立ち上がった。
「このような、不埒ものっ!恥を知るがいい、霧雨」
 騒ぎ立てる火乃とは対照的に、その場に居た誰もが、魅入られたように動けなかった。
 闇夜にあって、白く輝く霧雨は、人よりも神の領域に近いようにも映る。
 静まりかえり、微動だに出来ない一同の中、ツユはひとり、雨呼琴を手に取った。
 ―龍神よ、どうか聴け、俺がこの女を頭領にしてやる。あんたが愛したという、この雨呼琴の音色で、必ず。
 雨呼琴を爪弾いたツユは、凛と澄んだ、されど、嵐の奔流のような激しい音色を奏でる。
 かき鳴らされる、激しいそれに応えるように、天から雨が降った。
それはまるで、愛しい女を想い、龍神が流した涙ようだ。
 泥闇に降る激しい雨は、光にも似ていた。
 雷鳴が轟く。
 激しい雨に打たれながら、ツユは一心に雨呼琴をかき鳴らす。
 暗い闇を引き裂くように、雨が呼び寄せた雷光は、霧雨を照らし出した。
 黒から白へ、闇から光へ。移ろう色彩、響き渡る雨呼琴の奏で、龍神に愛された娘は、
「驟雨の娘、霧雨がこれよりさみだれの名を継ぐ」
と、告げた。
 後日談としては―

「なあ、頭領さんよ」
「何だ?ツユ」
 ふがふがと口いっぱい団子を頬張る霧雨に、ツユはひくひくと目もとを引きつらせた。
「あんた確か、頭領を継いだら、里で自由に振舞えなくなる、って言っていたよな」
「頭領の立場ではな、確かに言った。だが、ただの霧雨ならば問題あるまいて」
 三色団子を食いながら、つい数日前、さみだれの里のあらたな頭領となった娘は、しれっと涼しい顔で屁理屈をこねる。これで見た目だけは、深窓の姫君のようなのだから、世の中というのは不公平だ。
「あんた、その団子、何串めだ?」
「十五串めだ。お前も食うか?ツユ」
「……いい。見ているだけで、胸焼けしそうだ」
 里の唯一の甘味処に、ツユと共に訪れた霧雨は、食うは食う。団子にお汁粉、ところてんにあんみつ、その華奢な身体がどうなっているのか、本気で謎である。
「美味い団子だ。火乃姉さまへの土産にしよう」
 上機嫌で笑う霧雨に、ツユは物好きだな、とため息を吐く。
自分をあんな目に合わせた姉を慕うなど、酔狂にも程がある。
 あの全体未聞の襲名の儀のあと、火乃は烈火のごとく怒りながら、新たな当主となったばかりの妹と、祝をもってそれを後押ししたツユを、激しく罵った。
「霧雨、このアバズレがっ!子供のくせに、さっそく男をくわえ込んだか!」
「お止め、火乃」
 聞くに堪えない暴言を遮ったのは、それまで黙して、儀式の進行を見守っていた驟雨であった。頭領の座を退いたからか、その表情には威厳よりも、母性が滲んでいた。
「母にはわかっておるよ。正直にお言い、白無垢を切り裂いたのも、お前の仕業であろう」
 驟雨の指摘に、霧雨やツユにはどんな態度を取られても平気だったはずの火乃は、びくっと身を振るわせて、平時でも青白い顔から、更に血の気が引いていく。母に似た、黒檀の瞳が潤んだ。
「どうして?母上は、火乃のことを愛していないの?」
 すがるような声音に、馬鹿なことを言う娘じゃ、と驟雨は苦笑した。
「愛しておるから、正そうとするのよ。愛しておらねば、何も言わぬ」
 すすり泣く火乃を、痩せ老いた驟雨は抱きしめる。
 愛を乞う、愚かで、いとしい娘を抱きしめた。

 火乃は新頭領である霧雨の取りなしにより、重罪には問われず、屋敷の離れによる謹慎を命じられた。
 ツユは知っている。
 離れから一歩も出ようとしない姉の元へ、頭領の座を継いだばかりで、忙しい合間を縫ってでも、足繁く見舞いに通っていることを。
 土産に菓子を持参するのは、昔から変わらぬ風習だ。一向に手をつけてもらえる気配はないが、霧雨がそれを気に病む素振りも見せないことに、ツユは感心すらしていた。よくもまあ、続くものだ。
「なあ、霧雨」
「んむ」
「あんた、何で姉さんにそこまでするんだ?あんな酷い真似されたのに」
 ツユの問い掛けに、霧雨はしばし、きょとんと大きな瞳を瞬かせ、ついで「決まっておろう」と、破顔した。
「火乃姉さまのことが、好きだからよ。それ以外、理由などあるまい」
「ほんとうに……変な女だな。わかっていたけど」
 ツユも苦笑するしかない。
 結局のところ、この女は龍神に愛されているのだ。故に、どのような苦難であっても、きっと乗り越えていくのだろう。
 常に曇天の雲に包まれた、さみだれの里には珍しく、白い雲の隙間からはあたたかな光が差しており、青空が見える。戻るぞ、と童のように駆け出した霧雨を、ツユはやれやれと追いかけた。

 
 旅支度を終えたツユたち一行が立ち去る時、霧雨は少年に、「たまには立ち寄れ、ツユ」と見送りの言葉を送った。
「あんたに、これをやる」
 ツユは懐から、ずっと渡しそびれでいた榊の箸を取り出すと、さらりと手に馴染む霧雨の 黒髪に挿した。驚いた顔の霧雨の耳元に、ツユはいとしげに囁いてやった。いつぞやの仕返しのつもりで。
「だから、これを見る度に、俺のことを思い出して」
 旅の一座の若者が、榊を削った箸を女に贈る時、それは求婚を意味するという。
 いとしい、いとしい、ツユの女。
 喩え、龍神が恋敵であっても、遠慮はしない。
「じゃあな、頭領さん」
 再会を誓えばこそ、さよならは言わない。
 霧雨が見送り、雨降り花が風で揺れる中、ツユたちは次の村へと旅立っていった。
モクジ
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