白銀の王都と、倭よりの使者たち



『ルーファスさんとセラさんへ

 二人ともお元気ですか?
 やっと(堅物の)おばあちゃんから許可がおりたので、今度エスティアへご挨拶に行きます。烔馬さんと英さんも一緒です。
 すっかり遅くなってしまいましたが、前回のお礼にうちの竜田山のお土産をいっぱい持って行きます。それと、おばあちゃんを始め、上司の神祇長官や倭の太政大臣からもお礼の品を預かっているので、それも持って行きますね。
 半年ぶりに皆さんに会えるのを、とっても楽しみにしています。
 それでは、後日。

 葉月』


 こんな拙い文体の手紙が届いたのは、十二月の上旬だった。
 セラは楽しそうに浮き浮きして、何度も手紙を読み返しては、指折り数えてその日が来るのを待っていた。
「楽しそうだな、セラ」
 部屋に入って来てそう声をかけたのは、漆黒の髪に深い蒼の瞳の青年――この屋敷の当主、ルーファスであった。
 彼女は亜麻色の髪を揺らして夫を振り仰ぎ、翠の瞳を細めてにっこりした。
「だって、今日がその日だもの。久しぶりに葉月ちゃんに会えるのが嬉しくて」
「俺は、何もこんな寒い時に来ることもなかろうと思うがな」
 しかも年末の忙しい時期に、とルーファスは綺麗に整った顔をしかめる。窓の外ではちらちらと粉雪が降っていた。
 セラが口元を押さえ、くすくす笑い出した。
「何だ?」
「ルーファスだって、会いたいくせに」
 彼が微かに眉根を寄せ、反論しようと口を開きかけた時、コツコツと部屋のドアを控え目に叩く音がした。
「失礼致します。旦那様、お客様がお見えです」
 ドアの間から顔を覗かせて礼儀正しくそう告げたのは、ルーファスが懐剣と称する金髪の少年、ミカエルだった。
 セラがぱぁっ、と太陽のように顔を輝かせて、ルーファスを見た。
「やっと来たか」と彼は息をつき、小走りで部屋を出た妻の後に続く。
 玄関ホールには執事のスティーブに出迎えられ、三人の男女が立っていた。黒に近い深緑の長い髪を背に垂らし、よそ行きの洋服とコートに身を包んだ葉月は、豪邸にびっくりして「ふわ〜」と口を開けて見回している。何のへんてつもないどこにでもいそうな少女であるが、これでも倭皇国の神祇次官竜田姫の冠名を持つ神官である。その両脇には、彼女を護衛するかのように軍服とも和服とも取れる制服を着た男。チョコレート色の髪の青年の方は千坂烔馬、薄紫色の髪のもう一人は彼の上司の英嵩春だ。英は大人の余裕をかまして直立不動のままだが、若い烔馬は葉月と同じように室内を物珍しそうにきょろきょろしている。
「執事、本物の執事ですよ?烔馬さん」
「うん……執事って本当にいるんだね」
 葉月と烔馬は陰で囁き合い、ちょっと感激する。
 流石のスティーブも、厳しい表情を崩さないながらも二人にちらちら見られて困惑し、「私の顔に何か?」と問いかけた。
「いっ、いえ別にそういう訳では……」
「竜田姫、千坂君。失礼のないようにお願いしますよ」英がにこやかに二人をたしなめた。
 そこに、ぱたぱたと軽い足音を立てて、セラが息を弾ませて現れた。
「いらっしゃい、葉月ちゃん。烔馬さんと英さんも」
「セラさん!」
 長いドレスの裾をひるがえしてセラが葉月に駆け寄り、少女達はひしと抱き合って感動の再会を果たした。
 烔馬と英も挨拶する。
「お久しぶりです、奥方様。ルーファス殿も」
 セラに会釈した英は、廊下の奥からゆったり現れたルーファスにも声をかけた。
 ルーファスは彼を見て、口の端を吊り上げた。
「相変わらずのようだな、英」
「貴方も」と英は眼鏡の奥の銀色の瞳を細める。
 何やら意味深長に目配せを交わす二人に、周囲は首を傾げた。
 ルーファスはすぐに視線を他の来客に移し、室内へ顎をしゃくった。
「立ち話も何だ、入れ」
「ゆっくりしていって下さいね」とセラも柔らかに微笑む。
「ミカエル、お茶の用意を」
「はい、旦那様」
 ミカエルは一礼して、主人の命を知らせに急いで厨房へ向かった。
 ルーファスとセラは早速、葉月達を客間に案内した。
「どうぞ」
「わぁっ!素敵〜」
 セラの後に続いて足を踏み入れた葉月が、溜め息をもらした。いかにも高級そうな応接セット。精緻な模様の織り込まれた藍の絨毯。白地に金の蔓草模様の壁には、何代目かの公爵夫人の肖像画が飾ってある。東国出身の彼女にとっては何もかもが珍しく、まるで、ドールハウスの中に迷い込んだような錯覚に陥る。
 灰色の瞳をキラキラさせて部屋をぐるりと見回した彼女はふと下に目をやり、絨毯の上に敷かれたガベール虎の毛皮を見て仰天した。
「とっ、虎〜っ?!」
「は?」
「ええっと、その……ちょっとびっくりして……」
 怪訝そうに片眉を上げたルーファスに、葉月はしどろもどろ言い訳をする。彼女の家系において、虎とは切っても切れない縁があり、毛皮にするなどとんでもないことだったのである。
 やかましい客が来たものだと彼が静かに嘆息していると、「よいせ、よいせ」と烔馬が大荷物を抱えて入って来た。その後には、英、ミカエル、更にはスティーブまでもが老骨に鞭を打って重そうな荷物を運んで来る。
「すごい荷物だね……」
「世界一周旅行にでも行く気なのか?」
 セラは呆気に取られて口に手を当て、ルーファスは表情を変えずに呆れ返った声を出す。
 荷物を全て運び入れた所で、葉月が咳払いして二人にぺこりとお辞儀をした。
「その節は、ありがとうございました」
「本日は、お礼の品をお届けに上がりました」と烔馬も愛想良く微笑んで言った。
「何も今頃」
「ルーファス……!」
 ぽつりとそう洩らした夫を、セラが慌てて小突く。
 葉月と烔馬は「ううっ、大変遅くなりました」とばつが悪そうに項垂れたが、英はにこやかな顔付きを崩さずにけろりと答えた。
「すみません。何せ、多忙なもので、なかなか休みが取れなくて」
「衛門府少尉というのも、大儀なことだな」
「いえいえ、アレン王太子の右腕である貴方程では」
 端正な顔立ちにうっすら笑みを浮かべたルーファスと、眼鏡をいじりながらやんわりと微笑む英の姿は、社交辞令を言いながらも互いの腹の底を探り合っているようにも見え、しかもそれを楽しんでいる風にさえ見えるのであった。やや黒いオーラを放ち気味の二人に、周囲はそろそろと身を引いて顔を見合わせたが、烔馬だけはにこにこと明るい笑みのまま、「英殿はルーファスさんと気が合うんだなぁ」などと暢気なことを言う。
 三人は旧家の洋館に不釣り合いな現代的なキャリーバッグから、倭の名産品や竜田山の名物を次々と取り出しては、説明しながらルーファスとセラに渡す。
「え〜っと……これは、セラさんに」
 葉月が手渡した箱には、紅葉の形の香立てと色とりどりの香、そして四季の花を手描きした和蝋燭が入っていた。
 珍しい東洋のお土産に、セラは目を輝かせた。「可愛い!ありがとう、葉月ちゃん」
「紫雲堂っていう、竜田山のお香屋さんの物なんです」
 葉月が使い方を教え、二人できゃいきゃい騒ぎながら橙色の香を試しに一つ焚いてみる。
 一方、英がルーファスのために選んだのは、辛口の倭酒と肴物だった。どちらも上等品であるが、特に酒は倭の名水百選に入る竜田山の湧水で作られた“紅葉の錦”というなかなか手に入らない代物である。
「ほぅ、倭の酒とは。初めてだな」とルーファスは酒瓶を回してラベルを眺めた。
 英は「お口に合うかどうかわかりませんが」と言いつつも、自信ありげな表情をしていた。
「そして、これはミカエル君にね」
 烔馬が包みを差し出すと、ミカエルは淡い水色の目を丸くした。「ええっ?!僕にもですか?!」
「勿論。君にもお世話になったからね」
 自分まで受け取って良いものかと遠慮し、彼は英と酒の話で盛り上がっている主人をちらっと仰ぎ見た。
 視線に気付いたルーファスは「折角、お前のために用意して下さったんだ。受け取らない方が失礼だぞ」と背中を押す。セラも微笑んで頷いた。
 ミカエルはまだ戸惑っていたが、烔馬に礼を言って受け取った。箱を開けると、出て来たのは精巧な作りの倭刀――を模したペーパーナイフだった。
「流石に本物の刀は無理だったんだけど、これも良く出来てるでしょ?実用的だし」と烔馬は彼に笑いかけた。
 ミカエルは小さな倭刀を掌に載せ、そうっと鞘から出してみた。ペーパーナイフなので刃は付いていないが、鍔などの細かい部分まで再現されていて、烔馬の腰にある本物の刀とそっくりだと思った。鞘に戻して胸の前でぎゅっと握り締め、彼は天使のように愛らしい顔に喜色を浮かべた。
「ありがとうございます!大切にします」
「どういたしまして。喜んでもらえて良かったよ」烔馬は少年の金髪をくしゃりと撫でた。
 お土産は他にも沢山あり、和菓子やら高級茶葉やら倭の伝統工芸品やらが次々と二人に贈られた。
 一通り包みを開け終えた所で、メリッサがお茶の支度をした盆を持って客間に入って来た。
「お待たせしました。すぐにお茶をお出ししますね」
 そう言って碧の瞳をほころばせ、顔に落ちかかった金髪の一房をさりげなく耳にかけて、慣れた手つきでティーカップに紅茶を淹れ始めたメイドを、葉月と烔馬が衝撃を受けて凝視した。
(金髪碧眼の生メイドさんだ……!)
「そんな所に立ってないで、座ったらどうだ?」
 感激のあまりに突っ立ったままぼんやりしていた二人に、ルーファスが言った。見ると、英は既に彼の向かい側に腰を下ろしている。勧められるまま、葉月と烔馬は緊張気味に立派な長椅子に座り、お茶の時間となった。
 全員分の紅茶と、コックのベンが腕によりをかけて作った菓子をてきぱきと用意したメリッサは、葉月達が持参した茜屋の高級干菓子も「お持たせですけれど」と出してくれた。箱の中の仕切り一つ一つには、梅や椿の花や雪の結晶の形をした淡い色合いの菓子が並んでいる。
「倭のお菓子って、とっても可愛らしいわ。食べるのがもったいないくらい」
「その割には、何の躊躇いもなく食べているように見えるが?」
 夫の指摘は、幸せそうに甘い菓子を頬張っているセラの耳には届かなかった。
「ルーファスも食べたら?」
「俺は甘い物は食わん」
 若い夫婦のやり取りを、葉月がふわりと微笑んで羨ましそうに眺めた。「お二人は本当に仲がいいんですね」
 それが、彼女の妄想癖に火を着けた。
(葉月も烔馬さんと結婚したら、セラさんとルーファスさんみたいに毎日ラブラブで、ご近所で万年新婚夫婦とか噂されちゃったりして……それで、それで、うふふふふ〜)
「葉月!紅茶溢れる紅茶溢れる!」
 高級ティーカップを傾け気味に妄想モードに突入した彼女に、烔馬が叫んだ。
「ひゃあっ!どうしよう、絨毯に染みが!」
「ああっ、カップ落とさないで!割ったら大変だよ!!」
「大丈夫?!葉月ちゃん!」
「メリッサ、何か拭く物を」
「は、はいっ!」
 ちょっとした騒動が巻き起こっているその間、英は一人平然と紅茶を啜り、ゆったりと上質な香りを楽しんでいたのであった。


 エドウィン邸で一服してから、三人は他の人達にもお土産を届けるべく、ルーファスとセラそれぞれの案内で二手に分かれて行動することになった。
 屋敷を出る時、見送りに出たスティーブが新たに玄関に飾られた招き猫に気が付いた。
「旦那様、これは………?」
「倭皇国の縁起物らしい。玄関に置くと幸福を呼ぶと聞いた。どこまで本当かは知らんがな」
「可愛いでしょう?」
「はぁ……ええ、まぁ……」
 どう見てもインテリアに合わないのだが、無愛想な顔付きの招き猫の頭を撫でてそう言ったセラに、スティーブは何も言えなかった。
 ルーファスと英は屋敷の前でセラ、葉月、烔馬と分かれ、まずはアレン王太子に会うべく馬車に乗り込んで王宮へ向かった。
「良いのでしょうか?呼ばれてもいないのに、いきなり王太子殿下の部屋に参上するなど……」
 豪華絢爛な王宮内の大理石の長い回廊を歩きながら、英が言った。ルーファスが直で王太子の自室に向かおうとしているので、英の微笑には少し苦笑が混じっている。
「構わん。殿下もお喜びになるだろう」とルーファスは前を見据えて歩き続けながら、何でもないことのように言った。
 交差する剣と双頭の獅子の紋章が描かれた扉、アレン王太子の部屋の前に辿り着くと、ルーファスは控え目に扉を叩いた。
「失礼致します、アレン殿下」
「ルーファスか?入れ」部屋の中から返事があった。
 扉を開けると、雪がちらつく窓辺に佇む王太子と目が合う。黄金の髪に蒼灰色の瞳という優しげな風貌だが、その眼差しには確かに王家の威厳が備わっている。
 彼は「よく来たな」とルーファスに親しみの籠った声をかけると、その後から入って来た英に気付いて目を見開いた。「英少尉!しばらくぶりだな」
「お久しぶりでございます、アレン殿下。お元気そうで何よりです」
 堅苦しい挨拶を続けようとしたのを遮って、アレンは嬉しそうに彼に歩み寄った。すると、その陰から小さな少年の姿が現れた。盾となる兄が離れていくので、慌ててその後に付いていき、背中にしがみ付く。
「セシル殿下。こちらにいらしたのですね」
「……こ、こんにちは。エドウィン公爵、と……?」セシルは薄茶の頭だけを兄の背中から出し、砂色の瞳で恐々と英の方を見た。
「こちらは、倭皇国の衛門府少尉、英嵩春殿です」
 ルーファスがセシルに紹介し、英にも紹介する。「あちらは、セシル殿下。アレン殿下の弟君だ」
 英は床に片膝をつき、小さな王子と目線を合わせて微笑んだ。
「初めまして、セシル殿下。私のことは英とお呼び下さい」
「は……初めまして、英……少尉」
 セシルは消え入りそうな声で言った。人の良さそうな笑みを浮かべているが、何となく胡散臭いというか、信用できない人のような気がした。まるで……。
(まるで……お祖父様のような……)
 笑顔とは裏腹に、目だけが笑っていない。それに、どこか逆らいがたい気迫も纏っている。恐怖に似たものさえ覚え、彼は兄の背に頭を引っ込めた。
 英は眉一つしかめず、にこやかな顔付きのまま言った。「すみません。ご機嫌を損ねてしまったようですね」
「気にするな。弟はちょっと人見知りでな」とアレンが明るく笑って、セシルの頭を撫でる。
 挨拶が済むと、英は倭から持参したお土産を王太子に献上した。刀架に掛けられた倭刀、金の蒔絵を施した漆工芸品、緻密な絵付けをした壷などの焼物。人間国宝の職人に作らせた一級品ばかりだった。
 アレンはこの東洋の品々に、子供のように目を輝かせて釘付けになった。「おおっ!何と美しい……倭の技術は素晴らしいな」
「我が国の太政大臣が、くれぐれも殿下に宜しくとのことです」と英は付け加えるのを忘れない。
 ルーファスの目には、彼が饅頭の下に小判を隠して渡す悪代官のように映った。
「なるほど。エスティアと倭の国交のためか。そうでなければ、少尉の貴方自ら来ないだろうな」
「さて、何のことでしょう?」
 声を落として耳打ちしたルーファスに、英はにこにこ笑って空とぼけた。
「これが倭の刀というものか!見事な作りだ。普段使い慣れている剣とは、少し違うな」
 刀を手に取って眺め回したアレンは、英の腰にある刀に目をやった。「英少尉は刀を使えるな?」
「ええ、多少は」
「是非とも、これで手合わせしてみたいものだ。扱い方を教えてくれ」
 彼は英を剣術の訓練場に連れて行こうと引っ張り、「セシルもどうだ?」と弟にも声をかける。
「僕は………」とセシルは尻込みした。
「心配せずとも、今日は宰相は留守だぞ」
「見学だけでも致しませんか?」ルーファスもさりげなく助け船を出す。
 セシルはしばし砂色の瞳を泳がせていたが、兄を見上げて嬉しそうに笑い、頷いた。
 そして、一時間の剣術鍛錬の後。二人はアレン王太子とセシルに暇を乞い、次にハロルド隊長がいる黒翼騎士団の本部へと馬車を走らせた。第十三部隊の部屋では、ハロルドが部下のヘクターと書類片手に真剣な表情で話し込んでいる所だった。
「邪魔するぞ」
 ルーファスが部屋に入って来たのを見て取ると、ヘクターが真顔を引っ込めてへにゃりと笑い、挨拶してきた。ハロルドの方は眉間のしわを深くし、深緑の瞳を細める。髪と同じ赤い色の立派な髭は、相変わらず似合っていない。
「ルーファスか。今度はどんな厄介事を持って来て……」
 そこまで言って、彼はもう一人の客に気が付いた。「英少尉じゃないか!」
 ハロルドが立ち上がり、英は長身を折り曲げて会釈した。「お久しぶりです、ハロルド隊長。仕事中に失礼します」
「遠慮するな。アレン殿下から許可は戴いている」
「お前は少し遠慮したらどうなんだ?ルーファス」
 いけしゃあしゃあと言うルーファスをハロルドが横目で睨んだが、彼はどこ吹く風だ。
 握手を交わして挨拶が済むと、「それにしても」とハロルドは改めて二人を見た。「何と言うか、こうして二人で並んでいるのを見ると……いや、気にするな。何でもない」
 彼はぽりぽりと赤髪をかいて誤魔化した。暗躍コンビと言われるに相応しい食えなさそうな黒いオーラを放つ者同士……とは流石に言えなかった。
「今日はどうしたんだ?いきなり訪ねて来るなんて」
「いつぞやのお礼を、と思いましてね」
 英がルーファスに贈った物と同じ倭の酒をハロルドに渡すと、横からヘクターが我先にと飛び付いた。「これはこれは、いやぁー、すいませんね。隊長なんて一つしか台詞なかったっていうのに、こーんな高そうなお酒をわざわざ。もう本当、かなりのチョイ役だった上に、髭が倭の衣装に合ってないの何のって」
「余計な世話だ!髭のことはもう言うな!って、お前、それは俺が戴いた物なんだから盗るなよ?!」
「ええー?隊長一人で飲む気なんですか?一人酒なんて、寂しいですねー」
「うるさいっ!お前にはやらん!」
 猫ババしそうな勢いのヘクターからハロルドが酒を遠ざけ、それをヘクターが取り返そうと手を伸ばす。
「賑やかですね」
「毎度のことだ」
 英はにこにこと言い、ルーファスはもはや呆れるのも面倒になって無表情で答えた。
 争奪戦に関わり合う気は更々ない二人は、キリの良い所で退散した。ぎゃあぎゃあと大騒ぎしている声が、ドアを閉めても尚、廊下まで追いかけて来た。


 一方、葉月と烔馬はセラの案内で、ラーグの家へ来ていた。
 大きな樫のテーブルにセラと並んで座り、二人は口を開けて部屋中を眺めた。エドウィン公爵家の豪華で品が良い屋敷も物珍しくて興味深かったが、この家にはまた別の意味で好奇心をそそられる。天井まで魔術書が詰め込まれた本棚。別の棚には何十種類もの薬草が並ぶ。ちょっと不気味な獣の剥製に、空の酒瓶。空中にふわふわと浮かぶ蝋燭が、目にも温かな橙色の灯りでそれらを淡く照らし出している。
(ハ○ー・ポ○ターみたい……)
 葉月はそんな感想を心の中でもらした。
 台所では、ラーグがお茶の支度をしている最中だった。小さな身体で長めの白いローブを引きずって駆け回り、湯気の立つカップを三つ盆に載せて戻って来る。きらきら輝く金髪に琥珀の瞳。セラが“ひよこ”と称したこともあるこの金色の子供が、実は三百歳を超えている優れた魔術師と知る者は数少ない。
 彼は三人の前に花蜜茶のカップを置いた。「三人共、外は寒かったでしょう?はい、どうぞ」
「ありがとう、ラーグ」
「ありがとうございます」
「いただきます」
 三人は温かい花蜜茶を一口飲んで、ほっと一息ついた。頬がゆるりと和む。
 一拍遅れて、葉月がはっとした。「そうだ!ラーグさんにお土産を!」
「ああ!そうだったね」
 すっかりくつろいでしまっていた葉月と烔馬は、いそいそとキャリーバッグからラーグへのお土産を取り出す。此方も、倭の名水百選に入る佐保山の湧水で作られた甘口の倭酒で“花散る里”という銘柄。苺のようなフルーティーな香りで飲みやすいと評判の名酒である。
 ラーグは琥珀の瞳を細めて破顔した。もし兎の耳と尻尾が付いていたら、ピクピク動かして喜びを表現していただろう。
「良かったよ。丁度、お酒を切らした所だったんだ」
「それと、お菓子も持ってきました」
 次に葉月が差し出したのは、落雁の箱と『元祖月見団子』と書かれた箱だった。
「これこれ!美味しかったよね」と彼は目の色を変えて団子の箱に飛び付く。
「あたしが作ったという設定で、皆で食べた月見団子ね」とセラも懐かしそうに言った。
 白兎の形の落雁と月見団子をお茶請けに、楽しいお茶会が始まった。半年ぶりだというのもあって、話は尽きない。
 時間を忘れてお喋りに花を咲かせ、数時間が経過した頃だった。不意に、コツコツ、と扉を叩く音がした。
 ラーグがよいしょ、と立ち上がって扉に歩み寄り、合言葉を尋ねる。
「“聖剣”と対になるものは?」
「“鎖”」低い声が答える。
「んー?よく聞こえなかったなぁ」とラーグは耳に手を当てた。
「……“鎖”だ」
「えぇ?何だってー?」
「……魔術師、そんなにこの扉ごと叩き斬られたいのか?ならば、望み通りにしてやるぞ」
 外では、表面上は平然としながらもふつふつと込み上げる怒りに堪えているルーファスと、そんな彼を面白そうに横目で眺めている英がいた。
「犬猿の仲は相変わらずですか?」
「あの魔術師が礼儀を学ばぬ限り、未来永劫な」ルーファスが吐き捨てた。
 セラが慌てて立ち上がり、困った声を出した。「ちょっと、ラーグ!ルーファスでしょう?開けてあげて。英さんもいるんだよ」
「おや、そうなのかい?」
 可愛い弟子の言葉に、彼はころりと態度を変えて扉を開けた。
「いらっしゃい、英少尉。しばらくぶりだね。まぁ、どうぞ入ってくつろいでよ。おっと、君に言ったんじゃないよ、公爵」と一緒に入って来ようとしたルーファスの前に立ち塞がる。
 ルーファスは“氷の公爵”と囁かれるのも頷ける冷ややかな微笑を、その素晴らしく整った顔に広げた。「魔術師。俺だって、こんな訳のわからん物だらけの貴様の住処に足を踏み入れたくはない。だが、入るなと言われてはいそうですかと従う程、俺は愚かではないんでね」
 もはやお約束の、二人の嫌味の応酬が始まろうとしていた。にも関わらず、烔馬が「仲が良いんだなぁ」と場違いな一言を言い、セラも「いつもこうなんですよ」とにこにこ笑う。
 二人は毒気を抜かれた。
「烔馬……セラだけでなく貴方の目も結構な節穴だな」
「いや……えっと、俺、何かマズいこと言いました……?」
 絶対零度の微笑みで見下ろされ、烔馬の背筋がぞぞーっと凍り付く。
 その時、英がコートを脱ぎながら、「ラーグさん、月見団子はもう召し上がっていただけましたか?」と話題を変える。
 ラーグは満足そうに頷いた。「うん、美味くいただいたよ。まだそこにあるから、英少尉もどうぞ食べていってよ。今、お茶淹れるから」
 彼はぱたぱたと台所に駆けていく。二人分のお茶を淹れ、片方のカップにだけゴキブリの死骸を入れようとしている所を、様子を見に来たルーファスに止められた。
「あまり聞きたくはないが、何をしている……?」
「いやぁ、君の紅茶にゴキブリが勝手に入ろうとしたものだから。わざわざ除いてやった所だよ」
「ほぅ、貴様の家では死んだゴキブリも自力で動くというのか。それは大層な魔術だな」
「お褒めいただき、光栄だよ」大の男も震え上がるような黒い笑顔と殺気を向けられても、ラーグは一向に怯まず、くつくつと喉を鳴らした。


 オレンジ色の西日が窓から差し込み始めた頃、英がおもむろにカップを置いた。
「さて、そろそろおいとましましょうか」
「そうですね。飛行機の時間が……」と烔馬も腕時計を見やる。
「えっ、もう?」セラと葉月が同時に声を上げた。
「うちに泊まって行ったら?」
 ねぇルーファス、と彼女は夫の腕に触れて言う。
「まぁ、構わないが」
 葉月が名残惜しそうに、二人に微笑む。「ありがとうございます。でも、日帰りを条件に、おばあちゃんに休みもらったので……」
「そうなの……」とセラも残念そうに目を伏せた。
 ルーファスは「ならば、帰りの馬車くらいは用意するぞ」と腰を上げた。
 すると、英の眼鏡がキラリと光った。「心配には及びません」
 全員が首を傾げて見つめる中、彼はスケッチブックを出すと、さらさらと馬車の絵を描き始めた。十分程でだいたいの形を仕上げると、それを持って外に出た。驚いたことに、紙の中から二頭立ての馬車が飛び出し、本物と同じサイズになって現実化した。短時間で描いたため、ややアニメチックであるが、ちゃんと乗り物として機能するものだった。
 セラは翠の目を真ん丸にし、喜んで手を叩いた。「すごーい!」
「それが、貴方の“妖力”というものか」
 魔術師のラーグと、既に不思議現象に慣れてしまっているルーファスは平然と眺めた。
 英はにっこりと馬車を掌で指し示し、連れの二人に言った。「エスティアで自動車を走らせると景観を損ないますから、これで帰りましょう」
(この人、そのうちタイムマシンとかど○でもドアとか出す気じゃないだろうな……?)
 葉月と烔馬は唖然とし、そんなことを思った。
「けど、馬車よりも飛行機出した方が早いのでは?」
 烔馬のもっともな意見に、彼は首を振った。「所詮は幻ですから、一定時間経つと消えてしまいます。ここから空港までなら持ちますが、倭までとなると恐らく飛行中に――」
「わかりました。それ以上はおっしゃらなくて結構です」烔馬は青ざめ、話を途中で遮った。
 三人は帰り支度を始め、馬車に荷物を積み込む。
「ちょっと待って」とセラが両手いっぱいに包みを抱えて、葉月に駆け寄った。「これ、お土産に持って行ってね」
 セラが渡したのは、エスティア名産の百合香水と薔薇の苗だった。何がいいかメリッサと相談しながら考え、用意していた物だった。
 葉月は嬉しい悲鳴を上げ、大感激して受け取った。「いいんですか?!ありがとうございますっ!帰ったら、竜田山に植えます!」
「お礼をしに来たのはこっちの方なのに、かえってすみません」と烔馬も礼を言う。
 そういえば、と英が平然とある事実を葉月に伝えた。「アレン王太子からもお土産を戴きましたよ」
「ええっ?!そうなんですか?!しかも、こんなに?!」
 中身はわからぬが、もう空になっているはずのキャリーバッグがどれもパンパンになっていると知り、彼女は驚くと同時に、今回会えなかった王太子に申し訳なく思った。
「国家同士の思惑が絡んでいるからな」とルーファスがぼそっと独り言ちた。
「何のこと?」隣でセラがきょとんとする。
「いいや、何でもない」
 馬車に荷物を積み終え、葉月達三人がルーファスとセラ、そしてラーグに向き直った。
「本当にありがとうございました。お茶とお菓子、ごちそうさまでした」
「こちらこそ、たくさんお土産ありがとう。また遊びにきてね」
「はい!今度、竜田山にも遊びにきてください。美味しい甘味屋さんにご案内しますよ」
「うん。是非、行ってみたいわ」
 セラと葉月はにっこり微笑み合った。
「道中、気をつけろ」
「またおいで」
 ルーファスとラーグが三人に言った。
 互いに口々に別れの挨拶をして、三人は幻術で作り出した馬車に乗り、舞踏会帰りのシンデレラ宜しく慌ただしく帰っていった。
 ルーファスが長々と溜め息をついた。「日帰り旅行がたやすくできるような距離ではないと言うのに、弾丸ツアーとは忙しい人達だな」
「短い時間だったけど、楽しかったわ」馬車に手を振り続けながら、セラが声を弾ませる。
 ラーグが琥珀の瞳を優しげに細め、彼女の嬉しそうな横顔を見つめた。「また会えるといいね」
「うん」
 三人で小さくなっていく馬車を見送った。夕日がエスティアの街並みを照らし、家々の屋根に積もった白銀の雪がキラキラと瞬いた。


The Rabbit in Redの水月様より、拙宅の四周年のお祝いに、風の神楽歌(水月さま作)×公爵の花嫁のコラボを頂きました。
以前、The Rabbit in Red様への捧げもので、風の神楽歌×公爵の花嫁でかぐや姫のパロディを書かせて頂き、その関連作でもあります。
洋と和の異文化交流、キャラたちの反応が凄く新鮮でした。英とルーファスの暗躍コンビ…笑
水月鏡花様、本当にありがとうございます!
風の神楽歌、和の世界観で紡がれる、魅力的な恋愛ファンタジーですので、お勧めですv
ヒロインの葉月が、たいへん可愛らしいです。是非。

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