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帰郷 3


 翌日、出立の朝は、家族総出でハロルドを見送ってくれた。
 よく晴れた空、馬に乗ったハロルドの、光を受けて強い輝く赤髪を、風がさやさやとなびかせる。眩しい日差しに、濃緑の瞳がすがめられた。
 えー、もう帰っちゃうの、とぶつぶつ文句を言う、レイとオリバーを、まあまあと長兄がなだめてくれた。
 母は、ほんわかと微笑って、馬上の次男を見上げると、「秋、寒くなってきたら、使いなさい」と手製のひざ掛けを渡してくれた。笑って送り出してくれてはいるものの、その横顔は少しだけ寂しげで、ハロルドは「またなるだけ近いうちに、顔を見せるよ」と、約束する。
 一時たりとも、じっとしていない双子に手を焼きながらも、アーヴィンはそうしろ、とうなずいた。
「お前の家は、ここだ。いつでも戻ってくるといい」
 そう言ったアーヴィンは、「……ユーリアン」と家族の後ろに、ひっそりと隠れた三男の名を呼ぶ。
 名を呼ばれ、むっつりと顔をしかめた少年が、ゆるゆると面を上げた。
 何か言いたいことはないのか、と促されて、ユーリアンは不機嫌そうに、ぼそぼそと答えた。
「ないよ、言いたいことなんて……出ていくなら、さっさと行けよ」
「ユーリアン、お前はまた、そういうことを……」
 本気ではないとわかっていても、眉をひそめる長兄に、ハロルドは手綱を握ったまま「いいんだよ、兄さん」と鷹揚に笑う。
 ユーリアンはなおも、ぶすっと押し黙ったままで、けども、やがて唇をひらくと、小声で、
「……けど、また帰って来てもいい」
と、続ける。
 ある意味、ひどくわかりやすい弟の照れ隠しに、上のふたりの兄たちは顔を見合わせて、声も立てずに笑う。
「じゃあ、兄さん、母さん、もう行くよ。レイもオリバーも、二人の言うことをよくきいて、良い子にしていろ……ユーリアンは、あんまり根を詰めすぎるなよ」
 栗色の少年の頭が、ちょっとだけ動いたのを見届けて、ハロルドは馬首を左にめぐらすと、腹に拍車をあて、走り出す。
 その背中が遠ざかろうとした時、それまで俯いていたユーリアンが、数歩、前に出ると、「ハロルド兄さん……!」と声を張り上げた。
「身体には気をつけて、危ない任務もあるだろうけど、なるだけ怪我をしないように……っ。とにかく元気で……っ!!」
 ――ハロルド兄さん、元気でね。立派な騎士様になれますように。
 別れ際、しっかと手を繋いだ、幼い日。あの日から、何年もの月日は流れど、想いは変わらず。
 喉がかれる程、感極まったように叫んで、はあはあ、と荒い息を吐く。
 ハロルドは、振り返らなかった。馬で駆け行く背は遠くて、声は風にかきけされたかもしれない、でも、きっと、あの兄は笑っているのだろうと、ユーリアンは思った。
「戻るぞ、ユーリアン」
「……うん」
 顔を上げると、長兄が優しい目で、此方を見ていた。
 うなずいたユーリアンは、ハロルドが走り去った方を、もう一度だけ見つめて、踵を返す。
 風が吹く、空の青さが、きらめく木々の緑が、目に優しく。
 次に、あの次兄が帰ってきた時、自分はもう少し、素直に接せられるだろうか。いつの日か、兄の隣に並べる男になれるだろうか。いつか――。




 帰郷を終えたハロルドが、久方ぶりにエドウィン公爵家を訪ねると、相も変わらず、ピシッと背筋を伸ばした初老の執事に、書斎へと案内された。
 扉を叩いて、室内に足を踏み入れると、ルーファスが書類にサインをしているところだった。さらさらとペンを走らせ、流麗な文字を記す様は、丁寧かつ、よどみがない。時折、蒼い瞳がすがめられ、思考するように、眉間に皺が寄せられる。
 読む、書く、訂正する。その繰り返し。
 見かけによらず、勤勉で、職務熱心らしいこの男のこんな姿は、ハロルドにとって見慣れたものだ。
 その衆目を集める美貌や、冷ややかな舌鋒で、人の口に上る青年ではあるが、日常の責務は寧ろ、常人ならば投げ出したくなる程、地味で、淡々としたものである。されど、その双肩にかかる責任は重く、嫌気が差さないのかとも思うが、騎士が知る限り、この男が愚痴をこぼしたことはなかった。
 邪魔をしないように、静かに佇んでいたハロルドだったが、その騎士の気配を察して、ルーファスの手が止まる。黒髪が流れて、その奥から、蒼い双眸がのぞいだ。
「……帰ってきたのか?」
「あぁ、ついさっきな。のんびり……いや、騒がしかったけど、良い休暇だった」
「ふん……」
 興味がなさそうに相槌を打つ青年に微苦笑し、ハロルドは「そういえば……」と、ユーリアンに贈った本の事を口にする。
「弟に本を渡したら、喜んでいた。気を遣わせてしまって、悪かったな。感謝してるよ」
 貴重な本だったんだろうに……と、やや申し訳なさそうに続けたハロルドに、ルーファスは「どうせ、必要のないものだ」と、心なしか明後日の方を向く。
「一度、読んだ本の内容は、大概、記憶している。一冊や二冊、何の不自由もない」
「ああ、そう……相変わらず、優秀なことで」
 売り言葉に買い言葉、自然、言い回しも皮肉めいたものになる。けれども、囁くような声音で、「……息災か?」と尋ねられたハロルドは、目を瞬かせた。
「家族は?息災だったか」
「……おかげさまで、変わりない」
 興味なさそうだった癖に、どういう風の吹き回しだと、まじまじと己を見つめてくるハロルドの顔を、うっとおしげな半眼で睨みつつも、ルーファスは眦を緩めると、微かに口元をやわらげた。
「……良いことだ」
 それは、日頃、皮肉めいた言動を取る男にしてはめずらしく、ひどく素直なものであったので、ハロルドは咄嗟に返すべき言葉を見失った。
 彼をそうさせた黒髪の青年は、そのまま何事もなかったように、目を伏せる。
 ――ルーファスが、妻であるセラをのぞいて、家族のことを語りたがらないのを知っている。父を無理矢理に追い出し、当主の座を奪い取ったという、芳しくない噂をも、耳にしている。ハロルドにとっては当たり前な家族の絆や、騒がしくもあたたかい思い出とは、縁遠い男だろう。それでも。
「いつか、俺の弟を紹介するよ。ユーリアンというんだ」
 自分の言葉に、ルーファスが表情ひとつ変えずに、うなずいたのを見て、ハロルドは笑いを堪えるのに、腹に力を入れねばならなかった。
 何とも対照的な顔をした、二人の男の背を、樹木を透けたる陽光が照らしていた。

 
 ――その後、書物を通じて始まりそうになった、ルーファスと弟の交流に、ハロルドがハラハラしつつ、頭を悩ますのは、また別の話である。


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