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終章 魔女の祈り


 ルーファスは丘の上の芝生に寝転がり、頬を撫でる爽やかな風に身を任せていた。
 その傍らで、セラもまた穏やかな表情で、彼の横顔を見つめている。
「ねえ、ルーファス」
「何だ?」
「いま、幸せ?」
 単純といえば単純で、難解といえばこの上なく難解な問い掛けに、ルーファスは「さぁ……幸せなど、刹那のものだろう」と、唇を緩める。だが。
「貴女と共にある時、この胸に芽生える気持ちを、きっと他人は幸福と呼ぶのだろうな」
「っ。それって……」
「ああ、幸せだ」
 何の憂いもなく、ルーファスは笑った。幸福を感じることに、理由などいらない。ただ愛する者と在ることに、十分すぎるほど満たされた幸せを、味わえばいいのだ。


 半年後、エドウィン公爵家は、遠くメイディル地方より、花嫁を迎えることとなる。
 慎ましやかな挙式は、家格が釣り合わぬからだと揶揄されたが、公爵家の当主・ルーファス=ヴァン=エドウィンは、そのような嫌味を言う輩を、可哀想にと憐れんだだけだった。
「ああ、忙しい、忙しい。ミカエル!奥方様を迎える準備を手伝ってよ」
 春。白い花の蕾がほころび始めた頃、公爵家は新しい当主の妻を迎える準備に、大忙しであった。
 思わず、猫の手も借りたい位の忙しさに、そう叫んだメリッサに、ミカエルは「もう十分、手伝っているじゃないか」と、不満げに言い返す。
 大体、屋敷の清掃は、旦那様の従者である僕の仕事じゃないと、ミカエルとしては言いたいのだろう。
 しかし、すんなり諦められないメリッサが「何よ」と更に言い返そうとした時、「あの……」と、控えめな声がする。
「メリッサ……よね?初めまして」
 可憐な声でそう言ったのは、亜麻色の髪に、翠の瞳の乙女であった。
 清楚な白のドレスに、結い上げた髪には、小花を散らしている。
 初々しく、まだあどけない彼女は、エドウィン公爵の新妻に他ならない。
「お、奥方さま、ようこそ……」
 醜態をさらしたメリッサは、あからさまに動揺しながら、公爵家へようこそ、と挨拶をしかけたものの、唇から紡がれたのは、別の言葉だった。
「おかえりなさいませ、セラさま」
 初対面のはずなのに、そんな言葉を口にしてしまったことに、メリッサ自身が驚愕する。何故なら、昔からよく知っていた気がするのだ。
 しかし、更に信じ難いのが、一瞬、瞠目した新しい奥方様が、嬉しそうに微笑んだことだった。
「ありがとう、ただいま」
と。


 ルーファス=ヴァン=エドウィンは、後に宰相にまでのぼりつめ、その生涯は、賢王と称えられたアレンと、国のために捧げられた。
 その優れた手腕は、歴代の宰相の中でも屈指であったと伝わる。王と共に彼が成し遂げた改革の数々は、後のエスティアの礎となった。
 私生活においては、妻との間に一男一女をもうけ、長男は数十年の後、父と同じく宰相となった。親子二代の宰相は、国の歴史でも類をみない。
 彼も又、名宰相として国内外に名を馳せた。
 歴史書に、エドウィン公爵の記述は多いが、その細君は私人とあってか、その資料は殆ど残されていない。孤児院、薬草院の設立に力を尽くし、平民が学べる学問所の基礎を作った等の功績はあるものの、夫であるエドウィン公爵の影に隠れたのか、控えめで温和な女性であった、と一、二行、記されるのみである。
 ただ、その結婚生活は満ち足りて、幸せなものであったという。
 のちに息子が語ったところによれば――
 宰相として辣腕を奮った父は、母と共に居る時が最も穏やかで、幸せそうであったと。そして、それは生涯、決して、変わることがなかったと。


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