女王の商人

ススム | モクジ

  女王と商人1−1  

 ――甘い言葉をくれる恋人よりも、美しい宝石よりも、あたしが欲しいのは金貨だった。

 ジャラ、ジャラ、ジャラ。
 銅貨のこすれる音がする。
「10レアン、12レアン、14レアン……えーっと、全部で18レアンか」
 一枚、二枚と三枚と、大事そうにレアン銅貨を数えているのは、一人の少女だ。彼女は皮袋の中から、銅貨を取り出して数えると、机の上の帳簿に何やら書きこんでいる。サラサラ、とペンを走らせる少女の瞳は、限りなく真剣だ。
「むうっ、今月は利益がイマイチだなあ。もうちょっと仕入れても、さばけたのに失敗したかも」
 そう呟くと、少女はちょっと悔しげに、唇をとがらせる。
 彼女はそんな不満そうな顔さえ、絵になる容姿をしていた。
 白銀の絹糸のようなサラサラの髪に、透き通るような色白の肌。その瞳は曇りない青で、ほんのりと薔薇色に染まった頬と、愛らしい唇。手足は折れそうなほどに細く、深窓の姫君だと名乗ったとしても、十分に通用するに違いない。
 柳眉を寄せて、長いまつげを伏せた表情は、さながら恋に悩む美少女といった風である。
 だが、実際の彼女の頭にあるのは、恋などではなく銅貨と数字だけだった。
 はっきり言って、宝の持ち腐れというやつである。
「うーん。どうしようかな?ちょっと値が張るけど、銀狐の毛皮も仕入れたいし……800レアンあれば足りるか。出来れば、780レアンくらいが良いんだけどなあ」
 むむむ、と唸る少女の名は、シア=リーブル。商人である。
 しかも、ただの商人ではない。
 この王都ベルカルンで一、二を争う言われる大商会――リーブル商会の一員なのである。
 リーブルという名前の通り、この商会はシアの父の経営ではあるのだが、親の七光りというわけではない。シアはそれこそ、生まれた時から商人たちを見て育ち、十歳からは父について商売を学んできた。六年の月日が経ち十六歳になった今では、そう腕の悪い商人ではないという、自負もある。
 それも当然といえば、当然のことだ。
 シアは同世代の女友達が、美しいドレスやアクセサリーを見ている時には、帳簿を睨みつける日々を過ごしていた。女友達が集まって、やれ靴屋の息子がカッコいいだ、玉の輿を目指すためには何をするか、などと話し合っている間に、シアは銀貨を数えていたのだから。
 これで一人前になれなければ、そっちの方が悲劇である。
「うーん」
「「「シアお嬢さん」」」
「うーん。ここを削った方が、利益が出ると思うんだけど……」
「「「お嬢さん」」」
「悩むなあ。どっちにするか……」
「「「お嬢さんってば!」」」
 耳元で怒鳴られて、シアは不機嫌そうに顔を上げた。
「人の耳元で何すんじゃあああ―――っ!……って、エルト、アルト、カルトか」
 シアの青い瞳に映ったのは、同じ顔をした三人の青年だった。
 いや、よく見ればビミョーに違う気もするが、パッと見では区別ができない。
 それもそのはず、エルト、アルト、カルトは三つ子だった。
 三人とも、このリーブル商会で修行中の、商人見習いである。
 リーブル商会には、商人の卵を育てる、見習い制度と呼ばれるものがある。商人を目指す若者たちに、衣食住の手助けをするかわりに、一人前になったあかつきにはリーブル商会の一員として働いてもらうことになるのだ。
 十人いる見習いの中では、この三つ子がシアと最も年が近くて、仲が良かった。……ただし、見分けがつかないのが、いささか難点だが。
「それで、どうしたの?三人とも、爺さんについて外に出てたんじゃなかったっけ?」
 シアの問いに、三つ子は顔を見合わせた。
「「「それが――」」」
「……別に、ハモんなくて良いから」
「それが、大旦那さまと商談が終わって帰る途中に――」
「美しい女性が大旦那さまに近づいて、何事か囁きまして――」
「――二人は手を繋いで、色町の方に消えていきました。チャンチャン」
「「「チャン、チャン」
 めでたし、めでたし、と声を揃える三つ子とは裏腹に、シアは握り拳を震わせた。
「あの……」
 女性と手を繋ぐ祖父の姿を想像し、シアは怒るやら恥ずかしいやら、顔を赤くする。
「色ボケじじいがあああああ―――っ!」
 拳を震わせて、ぐわんぐわんと周囲に反響するほど絶叫すると、シアは荒い息を吐く。
「シアお嬢さんは、相変わらずだなあ」
「美人なのに、もったいないよねえ」
「いわゆる、宝の持ち腐れってやつか」
 ひそひそと話す三つ子を、シアは半眼で睨んだ。
「聞こえてるわっ!それで、エルトたちは、わざわざ爺さんの色ボケ話を聞かせに来てくれたわけ?」
 据わった目をしたシアに、三つ子は揃って、ぶんぶんと首を横に振った。
「いえいえ――」
「僕たちは、そんなヒマ人じゃありません――」
「旦那さまが、お嬢さんをお呼びです。ラララ――」
「「「ラララ――」」」
 見事に声をハモらせる三つ子に、シアは胡乱な眼差しを向けた。
「……そういう喋り方をしてる時点で、かなりヒマ人だと思うんだけど」
 シアの言葉に、三つ子は顔を見合わせた。
「それは――」
「言わない――」
「「「お約束!」」」
 ニヤニヤと笑う三つ子を、シアは帳簿を振り上げて、ゴンゴンゴンと順番に叩いた。
「もういいわっ!」
 いたた、と頭を抱える三つ子に、シアはフンッと鼻を鳴らす。
 リーブル商会の一人娘――シア=リーブル。
 その天使のような美貌とは裏腹に、心から好きなものは、商売とお金。座右の銘は、1レアンを笑う者は1レアンに泣く。モットーは、働かざる者、食うべからず。当然の如く甘い恋には縁がなく、いわゆる鋼の現実主義者。
 そんな彼女の日常が、大きく変化しようとしていることを、シアはまだ知らない。
 
 シアは重厚な木の扉の前に立つと、トントンとノックしながら、中に呼びかけた。
「父さん。入っていい?」
「……シアか。入っておいで」
 部屋の中から、落ち着いた声がしたのを確認して、シアは扉を開ける。
「あたしに何か用事?父さん」
 父さん――シアがそう呼びかけたのは、温厚そうな中年の紳士だった。
 落ち着いた亜麻色の髪と、同色の瞳。整った顔立ちは誠実そうで、くるんとカールした髭がダンディな雰囲気をかもし出している。まるで貴族のような優雅さと、いかにも大商人らしい風格を併せ持つ男だった。
 クラフト=リーブル。
 リーブル商会の長にして、シアの実父。
 見た目こそ、温厚そうな優男に見えるクラフトだが、こう見えても王都一の大商人である。周辺の国々にまで、その名が知れ渡るリーブル商会を束ねる長であり、女王陛下の信頼も厚い商人の中の商人。王都ベルカルンにおいて、彼の名を知らぬ者はいない。
 シアの問いかけに、クラフトはニッコリと優雅な微笑みを浮かべる。
「ふふ」
 十分に色男と言っていい顔立ちと、計算されたような微笑みは、女ならば思わずクラッときてしまいそうなほどに魅力的だ。しかし、シアは父・クラフトの微笑みに、明らかな渋面になる。こういう笑顔をする時は、大概ロクなことがない。
 商人たる者、決して無駄な行為はするなかれ。リーブル家の家訓である。
 そして、シアに商会の跡継ぎとしての教育と、商人としての心得を教え込んだのはクラフトだった。だとすれば、この笑顔ひとつにしても、何らかの意味があると思った方がいい。愚か者は商人になれないが、臆病者は良い商人になり得ると言ったのは、他ならぬ父なのだから。
「……何を企んでいるの?父さん」
 シアの疑いの眼差しに、クラフトは心外だという風に眉を寄せる。
「何を言っているんだい?我が娘。僕がかわいい愛娘を、自分の商売に利用するような、そんな卑劣な男に見えるのかい?腹を痛めた我が子に、そんな風に疑われるなんて……パパは悲しいよ」
「自分でパパとか言うなっ!というか、腹は痛めてないでしょっ!」
「よよよ。反抗期の娘の相手は辛いなあ。天国の母さんが生きててくれれば、こんなことにはなら……」
「失礼なこと言わないでよ!万年腹黒な父さんに言われたくないっ!」
「ふっふっ。なかなか言うようになったね。ああ、娘の成長が嬉しいような寂しいような……」
「あんたはアホかっ!」
 ひとしきり馬鹿げた舌戦を繰り広げた後、さて、とクラフトは言葉を切り出した。
「――さて、雑談はこれくらいにして、本題に入ろうか?」
 先ほどとは打って変わり、真剣な表情で言うクラフトに、シアも顔をひきしめた。
 娘であるシアの目から見ても、ひじょーに腹黒いうえに、落とした女は数知れずという女の敵のようなクラフトであるが、商人としての腕は一流である。三十八歳という若さで、周辺諸国にも名を知られるリーブル商会を率いているのは、贔屓目なしに凄いと言わざる得ない。
 どのような商談の場にあっても、必ず有利に立つ男――クラフト=リーブル。
 それは噂ではなく、真実だ。
 父親として言いたいことは山とあるが、リーブル商会の長としてのクラフトには、文句のつけようがない。その跡継ぎであるシアにしても、自分が父のような一流の商人になれるかどうか、ときどき不安を抱かずにいられないほどに。
 だから、シアは顔を引き締めて、父の話を聞こうとした。
「うん。父さん用事って、南方との貿易の話?」
「いや、違うね」
 クラフトはニヤリと笑って、首を横に振る。
「じゃあ、リトラ皇国の香辛料の値上がりについて?」
「いや、違うね」
「それとも、黄金虎の毛皮の質が悪いっていう噂?」
「いや、違うね」
「……じゃあ、月末の集金について?」
「おかしな方向に進んできたね。シア」
「誰のせいじゃあああああああっ!父さあああああああんっ!」
 思わずキレかけたシアに、クラフトはふふふ、と軽やかな笑い声と共に言った。
「冗談だよ、シア。本当の用件はね……」
 明日は買い物にでも行こうか、そんな軽い文句と同じ口調で、クラフトは続けた。
「――明日、王城に行こう!」
 シアはくらり、と目の前が暗転したような気がした。

 ああ、天国のお母様。シアは今日ひとつ大事なことを学びました。人生は悪夢です、と。
ススム | モクジ
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