女王の商人

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  女王と商人1−2  

 ――かつて、貴族はこの国の支配者だった。

 王都ベルカルン。
 アルゼンタール王国の要にして、麗しき女王の都である。
 温暖な気候に、肥沃な大地。かつて、栄華を誇った神聖エストリア帝国の末裔であり、文化や芸術に長けた国としても知られる。特に、王都ベルカルンの美しさは有名であり、吟遊詩人たちから≪アルゼンタールの華≫と謡われるほどであった。
 そして、その繁栄を支えるのが優れた軍隊であり、貴族であった。
 麗しき西の覇者。かつて、そう称されたというアルゼンタール王国を造り上げたのは、まぎれもなく歴代の王と貴族だ。彼らの力がなければ、今日の王国の繁栄はありえなかったはずである。帝国は繁栄し、繁栄し続けて、最後には腐敗した。
 それは、栄光を手にした者の運命であったのか。
 熟しすぎた果実が腐るが如く、貴族階級の腐敗と専横により、アルゼンタールは少しづつ力を失っていった。そして、驕った者たちの常として、彼らはそれの行き着く先を見ようとはしなかった。いや、頑なに見ることを拒んだのかもしれない。
 時代は動く。彼らが思うよりも、ずっと早く。
 五十年も前に、このアルゼンタール王国の政治は、貴族から国民の手に移った。
 この国の民は、女王陛下に対しては敬意を払うものの、かつてのように貴族を恐れ敬うことはしない。民は、日々を必死に生きる者たちは、権力の移り変わりに敏感だ。かつて、貴族に向けられていた羨望の視線。
 今それを受けるのは、金の流れを支配する商人たちだった。

「……ほんとに来ちゃったよ」
 石造りの王城を見上げて、シアは呆然と呟いた。
「はっはっ。なにを言ってるんだい?シア。王都を歩けば、ここに着くのは当たり前だろう」
 楽しそうに笑うクラフトを、シアは射抜くような視線で睨んだ。
 女王陛下のいらっしゃる王城は、王都ベルカルンのほぼ中央に位置する。王都をうろうろしていれば、いつか王城にたどり着くのは明白で、幼い子供すらわかることだ。当然ながら、シアはそんなことを父に問いたいわけではない。
「……この狸親父が。本気で首を絞めたい」
「え?なに?王城に連れて来てくれるなんて、シア感激!だって?お父様、大好き?いや、はっはっはっ。照れるなあ」
「ふふふ。撲殺と毒殺と絞殺……父さんの好みの死に様はどれだあ?」
 シアが天使のような微笑みで、死刑宣告をした瞬間だった。
「……お待ちしておりました。クラフト=リーブル様とシア様」
 そう声をかけてきたのは、濃紺の女官の制服をまとった女性だった。
 少し白髪の混じりはじめた金髪に、厳格そうな灰色の瞳。年齢は、五十を少し過ぎたあたりだろう。いかにも真面目そうな、ベテラン女官といった雰囲気の彼女は、凛とした足取りでシアたちの方へと歩み寄った。
「陛下付きの女官ルノア=オルゼットと申します。陛下から、お客様をご案内するように申しつけられておりますので、こちらへ」
「はい」
 淡々と会話を交わす女官や父と対照的に、シアは彫像の如く固まっていた。そりゃもう、カチンコチンに。彼女は愛らしい唇を震わせて、女官に尋ねる。
「へ、へ、へ、へーカ?陛下って、どなたさまのことですか?」
 優秀な女官は、テンパっている客人相手にも、眉ひとつ動かさなかった。
 冷静と傍観。それこそが、王宮で女官が生き抜くコツだ。その信念に従って五十年、おかげでルノアの女官歴には、一点の曇りもない。そして、彼女は今更、その信念を崩す気は微塵もなかった。
 だから、ルノアは答えた。正直に。
「アルゼンタール王国の主であられる、女王陛下のことでございます」
 シアは、女官の言葉に気絶しなかった自分を、心から褒めてあげたいと思った。
「と、父さん?」
「ん?何だい?シア」
「へ、陛下のお客様って?」
「うん。僕らのことだね」
「あああ、あたしも?」
「うん。シアと僕と二人だね」
「ふーん。そうなんだ……なーんて、納得できるかあああああっ!」
 シアはふふふふ、と狂ったように笑うと、脱兎の如く逃げ出そうとする。
「おおっと、そっちは逆方向だよ。シア。女王陛下に一刻もお会いしたい気持ちは、父親の僕にはよーくわかるけど、ちょっとハシャギすぎだぞ!めっ!おや?だから、そっちは逆方向だって。相変わらず、シアはウッカリさんだなあ」
「うるさいっ!あたしは、もう帰るっ!」
「え?何でだい?」
 そう叫んで暴れるシアの襟首を、まるで獣の子にするように、クラフトはガシッとつかんで離さない。いやいや、と首を振るシアの態度にも、彼は笑みを浮かべたままだ。そんなクラフトの顔を、シアの青い瞳が睨んだ。
「この状況で、ハイそうですか、という人間がいたら見てみたいわっ!大体、王城に行くとは言われたけど、女王陛下にお会いするなんて一言も聞いてないしっ!心の準備なんぞ、全く出来てないっ!髪はグチャグチャだし、このドレスなんてビミョーにシワが……」
 ほらほら、とドレスのシワを指差す少女に、父は爽やかに微笑んだ。
「なるほど。シアの言いたいことはわかったよ」
「父さん。じゃあ……」
「ああ!僕はそんなの気にしないから!」
 クラフトは安心しろ、とグッと親指を立てる。
 そして、女官ルノアの後ろについて、嫌がるシアをずるずると引きずっていった。
「あたしが気にするわあああああああっ!」
 シアの魂の叫びは、広い回廊にわんわんと木霊し、消えた。
「――謁見の間は、こちらでございます」
 ローゼンタール城。
 民からは王城と呼ばれるここは、三百年余りも前に、八代国王イーティス――通称・天使王の手によって建てられたものだ。その城を、歴代の王たちが幾度のなく増改築をし、百年前に今の形で落ち着いた。
 その美しい城は、アルゼンタールの誇りである。
 文化芸術に造形が深かったという、八代国王イーティス。このアルゼンタール王国が最も力があった時代ということもあって、その建造には湯水の如く金が使われた。職人も一流の者が集められて、それこそ柱の一本に至るまで、妥協は決して許さなかったという。
 贅をこらした五十もの部屋に、宝石や金を惜しみもなく使った家具の数々。
 それから戦時や飢饉の折りに、かなりの数の調度品が売り払われたものの、その華やかな王朝文化の名残りを感じることができる。一部の大貴族を除いて、大半の貴族が力を失った今でも、王城には変わらない時間が流れていた。
 その城の長い廊下を、シアは複雑な表情で歩く。具体的に言うなら、父に対する怒りと緊張が入り混じった顔だ。
 そう、彼女とて既に腹をくくるしかないことはわかっている。
 もう、王城まで来てしまった以上、逃げ出すことは許されない。女王陛下との予定をすっぽかすなんて、下手をしなくても不敬罪だ。許されるならば、この拳でクラフトを気のすむまで殴ってから、ペッと唾を吐きたい気分だが王城で出来るわけもない。
 シアは逃亡を諦めて、ふてくされた表情で辺りを見回す。
 冷静になってみれば、初めて足を踏み入れた王城は、実に魅力的な場所だった。華やかさと優美さて知られる、エストリア様式の建物。廊下に飾られるのは、国内屈指の名画の数々。むろん、絵画だけでなく壺や彫刻の類も素晴らしい。
 はっきり言って、王立・アルゼンタール美術館に匹敵するコレクションだ。
 その美麗さといい、歴史的な価値といい、好事家たちの垂涎の的に違いない。
 (あの壺、良いなあ……)
 曲がり角に飾ってあった壺に、シアはホゥと感嘆の息を吐く。
 見た目はシンプルな青い壺なのだが、その色合いがなんとも言えず、絶妙なのだ。
 空とも海とも表現できる、この独特な青い色合いは、おそらくは東の国ムメイから流れてきたものに違いない。
 商人という立場ゆえに、シアの美術品を見る目は確かだ。リーブル商会では、高価な美術品も数多く扱っているために、偽物を掴まされるようでは話にならない。そういう事情から、若いながらにシアの知識は豊富である。
 彼女はうっとりと、恋する乙女のような瞳で、壺を見つめる。
 (本当に、綺麗……)
 壺を見つめる青い瞳は、うるうると切なげに潤み、頬は薔薇色に染まっていた。
 (ああ、飾っておくなんて勿体ないっ!この壺なら、もの好きに60000レアンで売りつけられるのにっ!)
 訂正しよう。彼女は筋金入りの商人だった。
「ふふふ」
 妖しげに笑い、じゅるりとヨダレを拭うシアは、周囲に全く無頓着だった。
 だから、気付かなかったのだ。
 曲がり角の向こうから、大きな影がやって来ることを。
「……危ないっ!」
 悲鳴は、一瞬。
 どん、という鈍い衝撃にシアの体はよろめき、床にしたたかに尻もちをつく。
 それは悲鳴すらあげれない、一瞬の出来事だった。
「あたたたた……」
 涙目で腰をさするシアに、スッと大きな手が差し出された。
「――すまない。大丈夫か?」
 凛とした良い声だった。
「……あ。どうも」
 シアは差し出された手を取り、お礼を言おうと声の主を見上げ、思わず目を見張った。
「怪我は?」
 そう問いかけたのは、まるで役者のような美貌の青年だった。
 年は、シアよりも少し上だろう。
 漆黒という表現が似合う、つややかな黒髪。その顔立ちは端正で、凛とした漆黒の瞳と相まって精悍という表現がピッタリだ。スラリとした長身と、堂々とした立ち姿は、どこか貴族的な気品を感じさせる。
 まさに、おとぎ話に出てくる騎士のような青年だ。
 (おーお、目の保養になるタイプだなあ……)
 恋愛のレの字も知らず、彼氏よりも金貨が欲しいシアだが、それでも見惚れるほどの美形の青年である。綺麗なものは好きだ。ただし、タダならばという条件がつくが。そんなわけで、シアは思わず青年をじーっと見つめる。
 シアの熱い視線に、青年は怪訝そうに眉を寄せた。
「……俺の顔に、何かついているか?」
「いえいえ、全く!何もありませんよ!」
 青年の問いに、シアはぶんぶんと首を横に振る。ちょっぴり、良心の咎めを感じつつ。
「そうか?」
 差し出された手を取り、立ち上がったシアは、その青年が帯剣していることに気づく。
 (貴族?いや、騎士か……)
 このローゼンタール城内において、帯剣が許される者は限られている。
 警備兵を除けば、貴族階級の騎士しかない。
 青年が警備兵の服を着ていない以上は、おそらく後者なのだろう。
「それより……」
 怪訝そうな顔をしていた青年は、低くよく通る声で切り出した。
「なぜ子供がこんな場所に?広いから迷子にでもなったのか?」
「……はあ?」
 青年の言葉に、シアは眉を吊り上げる。
 大して年も違わないだろうに、人を子供扱いしたうえに、迷子だとお。そりゃあ、頭二つ分は身長が違うとはいえ、あんまりだとシアは顔をしかめた。だが、怒るのも大人気ないかと思い、彼女は引きつった顔で誤解を解こうとする。
「いえ、こう見えても商人なんですけど……」
 怒りをこらえたシアだったが、青年の次の言葉が、さらに追い討ちをかけた。
「商人?女の?」
 それに、侮蔑の響きはなかった。
 このアルゼンタール王国において、女の商人はかなり珍しい。
 中には、立派に商会を切り盛りする女性もいるし、男の商人たちから一目置かれるような行商人だっている。だが、女の商人というだけで、侮られることもないとは言えない。リーブル商会の跡継ぎであるシアはともかく、苦労している女商人も多いという。
 シアは、そういう理不尽な状況を憎んでいた。
 おそらく、悪気はなかったはずの青年の一言。
 その一言にすら、眉をひそめずにいられないほどに。
 それに、シアは家族のある事情ゆえに、貴族のことを嫌っていた。そのことも、彼女の怒りに拍車をかけたのかもしれない。シアは青い瞳で、キッと青年を睨みつける。その怒りのこもった冷ややかな眼差しにも、青年の黒い瞳は揺るがない。
 シアは胸を張り、鈴を鳴らすような声で、堂々と言い切った。
「――だからなに?ここは女王陛下の国でしょう?」
 相手が貴族だからとか、ここは王城だとか、そんなことは彼女の頭から吹っ飛んでいた。
 ただ、感情の赴くままに言わずにいられなかったのだ。
 青年はシアの視線を受け止め、しばし沈黙していたが、やがて何か言おうと口を開いた。
「……俺は」
 だが、その言葉は彼女の耳には届かない。
「シア!何してるんだい?」
 前方から響いたクラフトの声が、青年の言葉をさえぎる。
「何でもない!ちょっと待ってて!」
 シアはそう返事をすると、チラッと青年の方を見たが、彼は何も言わなかった。
「……」
 二人はどちらともなく視線を逸らし、別々の方角へと歩き出す。
 シアは父と女官の後を追いかけつつ、拳を握りしめて思った。
 (やっぱり貴族なんて嫌いだっ!)
 先ほど目の保養と思ったのも忘れて、シアは不機嫌そうに顔をしかめる。さっきは、ほんの少しだけカッコいいかと思ったけど、気のせいだな。彼女はそう結論づけると、嫌な記憶を忘れようと努めた。女王陛下の前で、こんな仏頂面をしているワケにもいかない。
 (……まあ、もう会うこともないだろうし)
 そう気を取り直したシアは、この後に待ち構える運命を、まだ知る由もなかったのである。
 
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