ススム | モクジ

  竜の翼 上  

 ああ、竜の翼は、何処にある?
 見果てぬ夢の先、幸福だったのは、僕か、お前か。
 答えてくれよ、エイン――


 クルクスは、エイン・エンドワースのことが大嫌いだ。
 そもそも、あいつのやることなすこと、気に入ったためしなど一度もないが……
 こんな風に巻き添えを食らった日には、強く、強く、そう思う。
 陳腐な言葉だが、穴から見上げる空は、青かった。
 クルクスの瞳に映るそれは、雲ひとつない、どこまでも広がるコバルトブルーだ。
 ……空模様はともかく、気分はちっとも、晴れやかではないが。
 クルクスはため息をつくと、鼻の頭にこびりついた泥を爪で引っかき、穴の上、まあるく広がる青空を睨んだ。
 かぎなれた、土と草の臭いがする。
 一昨日、降った雨の名残か、指の先についた土はわずかに湿っていた。
 落とされた穴は、そこそこ深いようだった。
 少年とはいえ、クルクスが目一杯、腕を伸ばしてなお、ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ、穴のふちに手が届かない。
 つまり、自力での脱出は不可能ということだ。
 戦争ごっこで作った罠にしては、ずいぶんと凝った真似である。
 危ないだろ。ジェイン、ビリー……それとも、カイか?とにかく、あいつらは大馬鹿ばっかりだ!
 穴の上から響いてくる、子供たちの歓声や、なにやってるんだよ、という怒鳴り声。
 近頃、お気に入りの戦争ごっこに興じているのか、その興奮した声は耐えず、うるさいぐらいに耳に飛び込んでくる。
 この調子では、たとえ穴の下から大声をあげたところで、村のどの子供の耳にも届かないだろう。
 もしかしたら、このまま、誰にも気づいてもらえないんじゃないか。
 そう思うと、急に心細くなって、クルクスは片腕に抱えた本に力をこめた。
「おーい、クルクスー?生きてるか?」
 そう声がして、穴のふちあたりに、実りすぎた麦穂みたいな 金髪が踊った。
 クルクスが仰向くと、二つに割れた硝子玉みたいな空と目が合う。
 馬鹿みたいに晴れ渡った空の色だ、と感じたのは一瞬のことで、実際は、コバルトブルーの双眸がこちらをじぃ、と見つめている。
 生きているかー、と場違いな程、暢気な口調で聞かれて、カッ、と頭に血が上った。
 クルクスは本を抱えた右腕を振り上げると、穴をのぞきこんできた少年に、力の限り、ばかっ!と怒鳴り返した。
「……生きてるよっ!この馬鹿エイン!いいから、さっさと手を貸せよ!」
 クルクスの言葉に、麦穂の髪の少年は、そりゃ失礼、と見るからに道化じみた様子で肩をすくめた。
 うつむいて、愁傷なフリをしたところで、肩は笑い出す寸前とばかりに、小さく震えているし、コバルトブルーの瞳は三日月のように細められている。
 差し伸べられた腕を取りながら、クルクスがむすっと顔をしかめると、エインは慌てて目を逸らした。
 誤魔化す時の癖だが、相変わらず、わざとらしい。されど、重ねられた手のひらは、あたたかった。
 エインの掌は年に似合わず、大きくて、かさついていて、村の大人たちみたいな手だった。
 ……ガキの癖に。
 そんなところも、気に食わない。
「落とし穴の中はどうだった?クルクス……いや、参謀殿」
 よほど面の皮があついのか、飄々とうそぶくエインに、クルクスは思いっきり顔をしかめて、噛みついた。
「最悪だよ……エイン!リンツ牧師に借りた本も汚れちゃうし、後で怒られるのは、僕なんだからなっ!」
 泥のついた表紙を恨めしげに見て、クルクスは怒鳴った。
 リンツ牧師は穏やかな性格で、村人からの信頼も厚いが、子供の躾には厳しい。
 それでなくとも、頼み込んで借りた貴重な本だ。
 絶対に、叱られる。
「そりゃあ、悪かった」
 エインはガシガシと頭を掻くと、さして悪いとも思っていなさそうな口振りで言う。
 詫びてはいるものの、後悔はしていないらしいエインに、クルクスは唇をとがらせた。
「大体、何だよ!参謀って!僕は戦争ごっこの仲間じゃないんだから、勝手に巻き込むなよ!エイン」
 村の少年どもの大半が、戦争ごっこに熱中していようと、クルクスは仲間に入る気はなかった。
 殴ったり、殴られたり、木の枝を振り回したり、そんなのは野蛮な遊びだ。
 エインや他の奴らが、やれ敵だ味方だ、戦争ごっこに熱中するのは一向に構わないが、それに自分を巻き込まないで欲しい。
 父の目を盗んでの、静かな読書の時間が台無しだ。
「お前、参謀役が気に入らなかったのか?……だったら、先陣を任せても良かったんだが、クルクス、そういうの向かないだろう」
 そう唾を飛ばして主張したにも関わらず、エインは飄々と笑って、まともに取り合おうとしない。腹を立てたクルクスが、向こう脛を蹴りつけてやろうとしたら、「おっと……」とあっさり避けられた。
 本当に、腹立たしい奴だ。
「とにかく、僕はお前の仲間じゃないからな。エイン!勝手に、戦争ごっこの相棒にするなよ!」
 クルクスのそれは十分に本気だったのだが、エインはそれをどう受け止めたのか、へらへら笑っていたのを止めて、ふっ、と真面目な顔をした。
 コバルトブルーの瞳が、こちらを見据えてくる。
 風が吹いて、さわさわと草木がさざめく。
 麦穂の髪が揺れて……
「嫌だね」
「何でだよ!」
 眉をつり上げるクルクスとは対照的に、エインは微笑っていた。
「俺がクルクスを気に入って、仲間にしたいから……他に理由なんか必要ないだろう?」
 何の迷いもない口調で言って、またヘラヘラと笑うエインに、クルクスは拳を握りしめた。
 勝手に人を、戦争ごっこに巻き込んでおいて、ずいぶんと勝手なことを言う。エインはそういう奴だった。
「お前な――」
 クルクスが文句を口にしようとした時、バタバタと忙しない足音がして、三人の少年たちが駆け寄ってきた。
 ビリー、ジェイン、それから、カイ……皆、エインやクルクスと年の変わらぬ、村の子供たちだ。
 すばしっこいビリー、目端が利くジェイン、村長の次男であるカイは、村の子供たちの中では一目おかれる存在で、少年たちのリーダーであるエインの子分でもあった。
 彼らの姿を見たことで、クルクスはひらきかけていた口を閉じる。
 ガキは分別がないから、下手なことを言って、リンツ牧師に借りた本を取り上げられでもしたら、一大事だ。
「エイン、クルクスなんかに構ってないで、さっさと続きやろうぜ」
 クルクスなど眼中にないとばかりに、ビリーはエインに声をかけた。
 ジェインもそうそう、と相槌を打つ。
「クルクスは、ひとりで本を読んでる方が好きなんだからさぁ。んな、見え見えな落とし穴にはまるし、仲間にしてもしょうがないって!」
 その言葉を最後まで聞き終えぬうちに、クルクスは「もう帰る!」と大声で叫んだ。
 一刻も早く、その場から……ビリーたちから離れようとするように、踵を返す。
 役たたずと言われるのが、恥ずかしかった。
 腹が立ったけど、反論するだけのものがない。
 どんどんと地面の小石を蹴りつけながら、歩く。
 背中側から、エインの「ジェイン、そんなこと言うな」だの「戻ってこいよ」という声は届いたが、振り返る気はなかった。
 うるさい。うるさい。うるさい。
 同情なんて、必要ない。
 ……惨めになるだけだ。


 重たい足を引きずりながら、クルクスが家への道を辿ると、煙突からただよう白い煙が見えた。
「……ただいま」
 扉を開けると、父が振り返った。
 赤茶けた顔、丸太のような腕、体に染み付いたパンの匂い。
 クルクスの父は、パン職人だ。
 毎日、毎日、晴れの日も雨の日も、生地をこね、パンを焼き、村人にパンを売り続けている。
 息子と同じく、パン屋の倅として生まれた父は、飽きもせず、愚痴りもせず黙々と、毎日、毎日、パンを焼き続けているのだ。
 クルクスが家に入って、後ろ手で扉を閉めると、父が、
「帰ってきたのか」
と言った。
 クルクスはただうなずいて、足早に己の部屋に戻ろうとする。が、父は目敏く、彼が背中に隠した本に目を留め、眉をひそめた。
「クルクス、またリンツ牧師に本なんか借りてきたのか」
 咎めるような父の言葉に、クルクスは強く唇を噛んだ。
「リンツ牧師は、立派で親切な、善い方だが……お前に、いらぬ知識をつけるのだけが、困るな」
 息子を責めるというよりは、独り言のように父は言う。
 クルクスはますます強く、唇を噛みしめた。
 ……父は悪人ではないが、小うるさく、説教癖がある。
 父の口癖は、
「パン屋の小倅は、パン屋になるのが一番、幸せってもんだ。鍛冶屋の親方に弟子入りしても構わんが……身の丈にあった生き方をするのが、良いのさ」
だった。
 それを聞くたび、エインは反発したくなった。
 父のことを愛していないわけではないが、その生き方は好きではなかった。
 毎日、毎日、同じことをして、村から生涯、一歩もでないなんて、クルクスには耐えきれそうもない。
 そう反発すると、父は決まって、優しいような寂しげな目をして、「俺も、若い頃は親父にそう言ったもんさ」と笑った。
 過ぎ足る望みを抱くことは、幸せとは限らないのだ、と。
 パンパンッ、と粉まみれの手を叩いて、父は続けた。
「……エインの親父みたいには、なってくれるなよ」
 ――エインのログテナシの親父みたいには。
 それは、父のもうひとつの口癖だった。
 クルクスは口をつぐむと、それ以上、父の言葉に耳を傾ける気になれず、荒々しい足取りで階段をかけ上がった。
 物言いたげな眼差しに、背を向けて。
 そうして、己の部屋に駆け込むと、耳をふさいで、ベッドにもぐりこんだ。


 エイン・エンドワースの父親は、ひどいログテナシだった……と、村人たちは口を揃える。
 若い時に、王都で一旗あげるのだと、つまらぬ村を飛び出したのはいいのだが、行き詰まって、下らぬ博打に手を出し、それが元でおっちんだ。というのが、父の言だ。
 乳飲み子を抱えて、故郷に戻ってきたエインの母親に、村人の目は冷たかったらしい。
 そのせいか、綺麗なひとだったのだけど、彼の母親の笑った姿を見た記憶は、一度もない。
 十年以上、村に暮らしながら、ただの一度もだ。
 たいそう立派な夢を口にして、村を飛び出しながら、王都で身を持ち崩したエインの父親は、憐れむべき存在であり、ログテナシの代名詞だった。
 エインの母親へ、大人たちは冷ややかな目を向けていた。
 それは、息子にも同じだった。とはいえ、エインは村の子供たちのまとめ役で、いつも飄々としていたので、あまり意識したことはない。
 大人たちの目はどうでも、何をするでもなく、自然とエインの周りには人が集まった。
 人をまとめるのが上手くて、機転が効いて、勘が鋭いエインは戦争ごっこでは花形だった。
 ふたつに別れれば、必ず、どちらかの総大将で采配をふるっていたものだ。
 そんな時、クルクスは大樹によりかかって、木陰でひとりで本を読んでいたけれど、エインのいる側が殆ど負けなかったのはよく覚えている。
 エインの夢は、軍に入って、武勲をあげ、英雄になることだった。
「平民でも軍に入って、武功をあげれば、出世できる」
 というのが、少年の口癖だ。
 バルザール将軍。
 平民から、立身出世を遂げた軍人の名前を口にして、あの人みたいになりたい、と。
 そう夢を語る時、少年のコバルトブルーの瞳は決まって、輝石のようにきらめきを放っていた。
 村外れの大岩に腰掛け、いつになく饒舌に語るエインの姿を、クルクスは遠くから、どこか冷めた目で見ていた。
 そんなのは、夢物語だ。
 パン屋の小倅が、知識を手にするよりも、もっともっと。



 あれは確か、夏至祭が近づいた、ある日のことだったと思う。
 竜の棲むという、東の森の話題が出たのは。
 その日も、村の少年たちはやいのやいのと、二手に別れて遊んでいて……いつもの如く、エインは大将格で、クルクスは巻き込まれて、気がつけば、泥をかぶり、すねに細かい傷をいっぱい負っていた。
 クルクスが不機嫌だったのは、言うまでもない。
 ごろり、と大樹の根元に寝転がった彼の横で、エインやカイたちが輪になって、ガヤガヤと騒いでいた。
 大樹の影、緑陰の光、さわさわと木々のそよぐ音と重なるそれを、まぶたを伏せたクルクスは聞くともなしに聞いていた。
「村の子供の中で、一番、勇気があるのは誰か?」
 そんな下らないことを言い出したのは、たぶん、ビリーのやつだったと思う。
 少年たちは顔を見合わせて、内心は自分だとうぬぼれつつも、口ではアイツじゃないか、いや、アイツは度胸がない、などと、様々な意見が飛び出した。
 エインは仲間たちが言うことに、そうだ、とも、いいや、とも言わず、ただ楽しげな笑みを浮かべているだけだった。
 どういう話の流れか、そのうち、誰か勇敢か、という話ではなく、いかにして勇気を示すかという話になる。
 いわゆる、度胸試しだ。
 村で一番こわい、村長の姉の家から、彼女秘蔵のジャムを盗んでくること、教会の屋根によじ登って、逆立ちをすること……冗談みたいな意見も出たのだが、ジェインの一言に皆、黙った。
「やっぱり、東の森だよ。あそこに行ける奴がいたら、文句なしだろ?……大人だって、滅多に近づかないんだぜ」
 竜の棲む、東の森には。
 ジェインはそう言って、黙り込んだ。
 反論の声は、上がらなかった。
 ――東の森。
 村の外れから通じる、その広大な森は、鬱蒼としげった木々ゆえに、昼間でも薄暗い。
 夜には獣が出るものだから、用がなければ、村の若人たちも滅多に近寄らなかった。
 収穫祭の時期になれば、木の実拾いなど役割はあるものの、子供たちは、それすら許されず、東の森に近づくことは禁じられていた。
 窓の外に、ちらちらと雪が舞う冬、赤々と燃ゆる暖炉の前で、スープを温めながら、村の大人たちは語ったものだった。――東の森の奥深く、古の知恵もつ竜が棲む。だから、近づいちゃいけないよ、と。
 絶対に、絶対に、近づいちゃいけないよ……。
 それは、この村に伝わる昔語りで、幼い子供たちにとっては半ば真実でもあった。
「……まあ、この中に東の森に近づける度胸のある奴なんて、絶対にいないだろうけどな」
 ジェインがしたり顔で言う。
 クルクスは止めとけよ、と心の中で叫ぶ。
 聞いていないフリをしても、少年たちの会話はしっかり、耳に入っていた。
 その昔語りには……続きがあるのだ。
「へぇ……」
 東の森には、竜が棲んでいる。
 古の竜の翼に触れたら、どんな願いでも、叶う。
 大人たちが語らない部分を、子供たちは知っている。
「そうだろうな」
 クルクスは、薄目を開ける。
 エインは、例のごとく飄々とした様子で、三日月のように目を細める。
 再び、目をつぶった少年の胸には、嫌な予感しかなかった。
ススム | モクジ
Copyright (c) 2011 Mimori Asaha All rights reserved.