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八章 深すぎる闇 4


 霊廟にて、宰相ラザールと対峙したセラとルーファス。
 両者の間には張り詰めた糸のような、ひどく緊迫した空気が流れていた。
 しかし、その一種即発というべき危うい均衡も、老宰相がふ、と口元を緩めたことで脆くも崩れ去る。
 ふふふ、とその唇から笑い声が漏れた。
 楽しくて笑うのとは違う、狂った笑いとも違う、何とも言えない笑みだった。
「ずいぶんと長い茶番でした。まるで、なかなか幕が上がらない舞台のようだ。では……そろそろ終わりにしましょうか。全てを」
 宰相はゆらり、純白の長衣をひるがえすと、霊廟の扉へと向かった。
「待てっ!」
 そんな宰相の背中を、戸惑うルーファスとセラが追う。
 ラザールの歩みに迷いはなかった。年齢に似合わぬ、俊敏な足取りで、霊廟の外へと出ていく。外へ出たことで、一気に光があふれた。眩しい。王の庭の木々の間を、ちらちらと緑の光が踊る。
 王宮へと連なる小路を抜け、宰相の足取りは止まることなく、王宮内のいずこへかと突き進んでいく。
 不思議なもので、ルーファスとセラは、その背中を引き留めるでもなく、追うことしか出来なかった。老齢の宰相と、若く壮健なルーファスの体力差を思えば、強引に引き留めるなり、いっそ押し倒すなり可能だったにもかかわらず。
 ゆらり、ゆらり。
 宰相の白い衣が、風に揺れる。
 静謐な空気をたたえた、大理石の廊下には、うっすらと光の模様が透けていた。
 白銀の髪と、神官のような純白の衣。どこか浮世離れしたその姿は、かのルーファスをもってしても、何か畏敬めいた念を抱かずにはいられなかった。
 その横顔を見て、ルーファスは思う。己はずっと愚かにも、この老人の事を誤解していたのだと。
 甘言で王を惑わし、英明な王太子を排除して、自分の孫を王位に就けようと画策する、強欲な老人だと思っていた。しかし、それはおそらく、ラザールという男が演じていたものに過ぎないのだろう。
 宰相ラザールの目的は最初から、唯一つだった。
 三百年もの間、ラザールの一族が遂げようとしていた復讐。子から孫へと、刷り込まれ続けた増悪。
 凶眼の魔女の復讐を遂げるために、愛する者を裏切った英雄王の、彼のものが築いた王国を、もっとも残酷な形で崩壊させるために、その魔女の妹が描いた復讐劇の為に、この老人は人生を捧げてきたのだ。
 それは気の遠くなるような歳月であっただろう、しかし、幸か不幸か、宰相ラザールはそれを成し遂げる強靭な精神を持っていた。宰相の地位までのぼりつめ、一人娘を後宮へと送り込んだ。
 ルーファスは、ようやく悟る。
 この老人はおそらく、権力などどうでも良かったのだ。
 ただ一族の悲願を遂げるため、自らに課せられた呪いともいうべき使命を遂行するためだけに、ラザールは王宮へとやって来たのだ。
 そうして、今日、この日、その悲願は遂げられるはずなのだと!
「一体、どこへ向かっているっ!」
 それまで、後を追うセラやルーファスのことなど、一顧だにしなかったラザールだが、ルーファスのそれに一瞬だけに振り返り、「決まっているでしょう」と淡々とした口調で告げた。
「玉座の間です。この呪われた王国の、始まりであり終わりである場所には、あの場が最も相応しい。――凶眼の魔女の血が流された、あの場所がね」
 三百年前、英雄王オーウェンが聖剣ランドルフにて、凶眼の魔女の心臓を貫いた。それが、呪いの始まり。
 ラザールは両手を広げると、いっそ恍惚とした様子で語った。
「国王は私の操り人形、王太子は病に臥せった今、私を止められる人間は、この王宮内に存在しえない。セシルを王位に就けて、英雄王の血を絶やし、このエスティアを我々の一族が支配する……そうして、ようやく、魔女の妹の復讐が終わり、我ら一族がこの国を呪い続けた日々も終わる」
 ようやく終わる。終われるのだよ。
 重い何かから解放されるようなラザールに、セラはこの老人も又、己と同じ運命に翻弄された者なのだと、刹那、憐憫めいた感情すら抱く。
 英雄王の血を引く己と、魔女の身内であるラザール、そして、英雄王の片腕の末裔であるルーファス。
 誰もが重い鎖を背負い、呪いに翻弄されながら、生きてきた。
 呪いは術だけではない、永遠に心を縛り続けるものこそ、呪いなのだ。
「宰相ラザール、止まりなさいっ。貴方はそれでいいの?先祖の呪いに支配されたままで、愛すべき孫を不幸にして、それが、本当に貴方の心から望んだことなのっ!」
 そう叫びながら、セラの翠の瞳はうるんでいた。誰も彼もが、三百年も前の呪いによって、望まぬ道を歩んでいる。セラだってそうだ。母を、友を、愛するやさしい人たちを犠牲にし、恥知らずにも、ここまで来てしまった。復讐が遂げられたら、魔女の無念は消えるのか。英雄王の血筋が途絶えれば、もう誰も、誰一人として不幸にならずに済むのか。セラには、そうは思えない。
 これ以上、復讐に復讐を重ねたところで、きっと誰も、真の意味では救われない。
「……セラフィーネ王女、遅いのですよ。もう誰も、わたしを止められる者はいない」
 ラザールは扉に手をかけると、玉座の間へと足を踏み入れた。
 天窓から差し込む陽光で、玉座の間は柔らかく照らし出されていた。
 ――静かだ。あの日も、このような日だったのだろうか、魔女と英雄が対峙し、永遠の決別をしたあの日も。
 磨き抜かれた鏡面のような床に、格子の影が写っている。
 全てが黄金で形作られ、サファイヤ、ルビー、エメラルドで彩られた至高の玉座は、エスティアの三百年の歴史を物語る様に、何処までも堂々と、ただ一人の王の訪れを待ち望んでいるようだった。
 玉座に上る階段は、たった数段であるのに、とんでもなく遠い存在に思える。
 一段、二段、三段……はじめて玉座に腰をおろした、年若い新王が、畏れ多さの余り、足が震えたという風に伝わっている。
 階段からは深い紅の絨毯が伸びており、そこに足をつけるものさえ、選ばれた者たちであった。
 英雄王は野心家で、なおかつ冷酷な男であったが、一代でこの巨大な王国を築き上げた、稀代の傑物である。
 建国の祖である英雄王は、玉座に腰を下ろした時、一体、何を思ったのだろう。数限りない闘争と、積み重ねられた裏切りの果てに、まばゆい黄金の夢を見たのだろうか――。
 仲間を裏切り、恋人を殺してでも、王の座に就きたかったのか。歴史に名を刻みたかったのか、己ではない何者かになりたかったのか。王とは、権力とは何か。
 三百年の時を経た今、その思いは察することしか出来ない。
 制止する者もおらず、宰相ラザールは玉座の間の中心へと歩を進める。
「止まれっ。さもなくば、騎士団を呼ぶぞ、ラザール!そうすれば、貴様も終わりだ!」
 黒髪を乱したルーファスの叫びに、ラザールはゆぅるり、口角を上げ、嗤った。
「わたしを止める?エドウィン公爵、あなたともあろう人が、愚かなことを言う……国王が部屋に引きこもり、王太子が病床に臥せった今、一体、どの立場の者が、わたしを裁けるというのです?」
 宰相のそれは、言葉の上の誤魔化しではなく、真実であった。それが歯がゆく、ルーファスは押し黙る。
 思わず、「悪知恵の働く古狸が……」と、口から悪態がついて出た。
 このエスティアで、宰相の上に位置するのは、国王オズワルトと王太子アレンのみ。身分はともかく、権力の上で第三位に位置するラザールを、直接、捕えることは、王太子の右腕であり、エドウィン公爵というルーファスの立場であっても難しい。
 彼の立場では、騎士団を呼ぶことは出来ても、宰相を捕えよ、と命令することは不可能だ。ラザールはそこまで計算している。
 ここまでか……ここまで来て、この男を止めることが出来ないのか。
「……本当にそうかしら?」
 そこまで黙っていたセラが、控えめに唇を開いた。
「どういう意味ですかな?」
 嘲笑うか如き視線を向けてくるラザールを、臆することなく見つめ返し、セラフィーネは凛とした声で言う。
 その清らかな横顔に、ルーファスは刹那、全てを忘れて見惚れた。
 少女の眼差しは澄んでおり、柔らかな翠が透けるようだ。
 彼女は彼女だった。出会った時から何も変わらず、彼女は真っ直ぐ、どこまでも痛々しいほどに真っ直ぐ生きていた。その純粋さは、愚かでもあり、どうしようもないほどにいとしくもあった。
「ラザール、貴方が弱いと嘲笑った者たちが、いつまでも弱いままだとは限らないわ。あなたは強い人よ、目的を成し遂げるために、何十年もの間、牙を研いできた。人は皆、あなたのように意思が強いわけではない。でも、でもね……」
 お伽噺の英雄王も魔女も死んだ、古の魔術は絶え、伝説は遠い昔となった。王族の威信は地に落ち、今を生きるのは、地を這うように生きる、弱弱しい人間たちだ。けれども。
 信じるに値する者は、ひとつ残らず消え去ったわけではない。
「国を守るのに、英雄である必要はないと思う。ふり絞った一瞬の勇気が何かを救うことは、きっとある……」
 彼女がその言葉を言い終えぬうちに、玉座の間の扉がガタガタと派手に揺れた。乱入者のそれに、ラザールの眉が顰められる。
「何奴だ!」
 ルーファスの誰何の声には答えず、ドン、と乱暴な音を立てて、扉が開く。
 と同時に、剣や槍をたずさえ、武装した屈強な男たちが、何人もわらわらとなだれ込んできた。静かだったはずの室内が、一気に喧騒の坩堝になる。
「騎士団、近衛隊も……?」
 急に飛び込んできた男たちに、さすがのルーファスも目を見開く。
 室内になだれ込んできた男たちは、皆、所属の隊は違えど、騎士団の制服を身に纏っていた。近衛隊に至っては、見覚えのある顔が、ちらちら見える。
「おいっ、ルーファス!奥方も無事か……?」
 筋肉隆々の騎士の中にあっては、やや小柄な赤毛の青年が、人の波にのまれないよう、必死に声を張り上げた。
 その男の声が、よく耳慣れたものであったことに、ルーファスは安堵する。誰かの助けを、頼もしく思うなど、彼女と出会う前には考えられなかった感情だった。
 己と対等に語り合える人間はおらず、王太子殿下以外の友などいらぬ、友情など無駄だと、ずっと、そう思っていた。
 でも、いま己の胸を熱くする感情は何だろうか?
 セラと出会った時から、少年時代、無駄だと切り捨ていた感情が、いくつもよみがえってきた。そして、それは決して不快なことではなかったのだ。
「ハロルド!」
 ルーファスと目が合ったハロルドは、騎士隊長という地位には似合わぬ、やや幼い顔をくしゃりと歪めて、安心したように破顔した。
「何故、ここに来たんだ?」
「ディオルト殿に呼ばれた。近衛や、他の騎士団の連中にも、俺が声をかけてきたんだぞ」
 ルーファスの問いに、鼻声で説明するハロルドの横で、部下のヘクターが大げさに手を振り、「はい、はーい!俺も手伝ったでしょ。忘れないでくださいよ」と手柄を主張してくるのが、いろんな意味で台無しだった。
「そうか……ディオルトが」
 ようやく事態を把握したルーファスに、ハロルドはそうだ、と首を縦に振ると、「無事で良かったな。奥方も」と、セラの方を見る。と、すぐさま不服そうに、唇を尖らせた。
「あまり心配かけてくれるなよ。エドウィン公爵夫妻、あなた方と知り合ってからというもの、いつもいつも、こっちは振り回されっぱなしだ」
 こんな風に、ルーファスに対し遠慮なく、正直な物言いをする男は、ハロルドくらいだろう。
 親愛のこもった愚痴に、これまた一言多いヘクターが「それはハロルド隊長が、不憫な体質なのに責任が……」と茶々をいれて、怒ったハロルドに強く耳を引っ張られて、イタタ、と呻く。
 その時、「ご無事ですか?」と、息を切らせたディオルトが駆け込んでくる。
「……誰の」
 空気が凍える。
 絶対的ともいえる威圧感が、その場を支配した。
 ひややかな冷気は、ラザールから発せられていた。
「一体、誰の命令で、騎士団を動かしたのです?宰相であるわたしを差し置いて、そのようなことを出来るはずが……」
「――余だ」
 宰相の声を遮ったのは、たった今、扉をくぐった中年の男であった。
 セシルに脇を支えられ、痩せ細った身体を引きずりながらも、何か威厳にも似たものをもって、こちらに歩み寄ってくる人物。
 父子であるから当然だが、その姿はアレンとも似ていた。
 エスティア国王。
 何年も前に政を放棄し、部屋に閉じこもっていた王国の主が、ようやく姿を見せたのだ。
 突然の王の登場に、騎士団の者たちは半ば放心状態ながらも、慌てて膝をつく。
 不思議なものだ。
 何年も政治の表舞台に登場せず、宰相ラザールの傀儡と揶揄されていても、男はやはり王なのだった。
 寝室にこもりきりの国王に、良からぬ印象を持っていた騎士とて多かったはずである。だがしかし、今はそのようなことは関係なく、その部屋にいた者たちの視線は一斉に王へと向けられており、そこには畏敬の念がある。
「……これはこれは、国王陛下、どうかなさったのですかな?」
 このような追い詰められた状況であっても、宰相の声音は落ち着いていた。それがかえって、不気味でさえあった。
 セシルに支えられた国王は、重い口を開いた。
「騎士団を動かしたのは、余だ。ラザールよ、貴様にこの国はもう任せられん。国王たるわたしの命によって、宰相の地位を剥奪する」
 青ざめた顔色ではあったが、国王の言葉はしっかりとしていた。否、国王はようやく本来の己を取り戻したのだ。
 遅すぎたかもしれないが、ようやく王としての勤めと向き合おうとしている。
「騎士達よ、宰相、否、ラザールを捕えよ!国を乱し、王太子に呪詛をかけた疑いがある!」
 国王の命令を受けた騎士たちの動きは、素早かった。
 剣や槍を構えた騎士たちが、素早く宰相の周りを取り囲み、その喉元に剣を突き付ける。
 宰相は「おやおや」と呆れたような吐息をもらすと、首を横に振った。
「奇妙なことを申されますな、国王陛下。この国を私に任せられないとは、政務を投げ出し、果たすべき役目を放棄し、わたしの手に全てを委ねたのは、あなた自身ではないですか。王よ……自ら傀儡となることを望んだのではないですか、その方が楽だから」
 確かに、宰相ラザールの指摘を、王は甘んじて受け入れた。
「王妃を亡くした後、余は生きる屍も同然だった。国王としての立場を捨て、アレンや子供たちと向き合いこともしなかった、最低の人間だ。それに、余も……セラフィーネと同じく、魔女に呪われた子供だった。血を分けた兄弟を身代わりにして、その死と引き換えに、今日まで生き延びてきたのだ。毎夜、毎夜、罪の意識に耐えながら」
 語りながら、国王は両手で顔を覆った。
 自分を生かすために、呪いの身代わりとなって、幼き日に、死んだ兄弟がいた。
 その亡霊は夜毎、王を苦しめた。
「何で、お前が生きている……?」
「どうして、どうして、どうして」
「僕は死んだんだ。お前の身代わりになって」
「お前が代わりに、死んでくれればよかったのに」
 毎夜、毎夜、幻聴が聞こえる。
 永遠に歳を取らぬ兄弟の亡霊は、少しずつ精神を蝕み、国王を成人した後も、意志薄弱な人間にした。支えであったアレンの母、王妃を亡くしてからというもの、一気に精神の均衡が崩れたのも、そのせいだ。
 否、それは言い訳に過ぎないのだろう、と王は自覚している。
 セシルに説得されるまで、王として立ち上がることさえも、出来なかったのだから。
「許してくれ……」
 王は痩せた肩を震わせた。
 悲劇を知りながら、悲劇を繰り返した。我が子にも、セラフィーネに魔女の呪いを受け継がせてしまった。
 視界の先にセラフィーネが居るというのに、娘と正面から、顔を合わせることすらできない。そんな資格もない。
 何かをしたことではない、何もしなかったことこそが、赦しがたい罪なのだ。
「許してくれ……、どうか……」
 国王は耐えきれず、泣き崩れた。
 最早、誰に謝って良いのかすらわからず、ただただ泣き続ける。
「父上……」
 セシルは国王の肩を抱くと、励ますようにさすった。
 ほかのすべてが敵に回っても、自分は味方だという風に。
 不思議な光景だった。
 年老い、痩せた父親の肩を抱きしめるのは、血と繋がりがない息子だった。でも、親子に見えた。弱く脆く、でも悪人ではない父が、セシルはきっと好きだったのだ。
「国王陛下の命だ。宰相を捕えよ」
 我にかえったハロルドが、宰相の周囲の騎士に命じる。
 騎士たちの行動に迷いはなく、ラザールの腕に鎖をかけると、ひとまず牢に入れるために、連行し始めた。
 捕縛された宰相は暴れるでもなく、ただボンヤリと虚空を見つめ、しゃらしゃら、と鎖を鳴らしながら、歩き始める。
「待って……」
 階段を引きずられていく宰相の背中に、セシルは叫んだ。
「お祖父さま……っ」
 怖い人だった。祖父の事を、セシルはずっと、物心ついた頃から恐れていた。でも、それだけだっただろうか。そこに一握りの情はなかっただろうか。
 ――あの日、転がったボールを拾ってくれた。大きな手で、頭を撫でてくれた。
 祖父は、本当にただの悪人なのか。
「……」
 呼びかけられた老宰相は、一度だけ首を傾け、ふ、と微かに笑み、そうして、もう二度と振り返らないまま、騎士達に扉の外へと連行されていった。



「……終わったな」
「うん……」
 宰相が慌ただしく連行されて、セシルは側近のディオルトに促されて、玉座の間から去った。
 ハロルドを始めとする騎士たちも、事後処理のために一端、それぞれの持ち場へと引き上げた。玉座の間に残されたのは、セラとルーファスのふたりだけだ。
 先ほどの喧騒が嘘のように、静まり返ったそこで、青年と少女は背中を合わせ、ポツリ、ポツリ、と穏やかに語り合っていた。
 天窓から差し込む光、陽だまりにくるまれた、穏やかな時間だった。母の胎内とは、このような感じだろうか。あたたかくて、安心して、苦しみは何もない。誰に邪魔されることもなく、その空間は今、ふたりだけの為に存在した。
「ずっと、このまま居られたらいいな……」
 願うように乞うように、ルーファスは呟く。
 誰にも邪魔されない、大切な人が傷つくこともない、愛する彼女と二人で居ることは、どれほどの幸福か。いつだって、大事なものを失ってばかりの彼の人生においては、それは奇跡のようなひと時だった。
「うん……こうして、ずっと貴方と一緒にいたい」
 控えめな口調だったが、セラははっきりと己の望みを言葉にした。
 それは、今までの彼女にはなかったことだ。ルーファスをセラが変えたように、セラもまたルーファスによって変わったのだ。暗いところを独りで歩いていくことから、光ある方向へと。
 夢のような幸福。
 でも、でもね。
「しあわせな夢は、いつかは覚めるものだから」
 セラは哀しげに微笑むと、ドレスの袖口を捲り上げた。
 華奢な腕は、焼け焦げた痕のように黒く染まっていた。肘も肩も、全て真っ黒だ。それは近づいてくる、死の香り。
 呪いは少女の身体を奥深くから蝕んで、喰って、喰って、魂までも食い尽くそうとしている。
 その果てに待つのは、死のみだ。
 呪われた子は周囲に災厄をまき散らし、やがては愛する人も殺すだろう。
「あたしは、もうすぐ呪いに喰われるの」
 ごめんなさい、とセラは告げた。
 約束を守れなくて、傷つけてばかりで、でも、貴方と幸せになりたかった。
「だからもう、終わりにしましょう?」
 ここは、魔女に呪われた国。
 英雄王の末裔が死に絶えるまで、その呪いが解かれることはない。
 その運命から、誰も逃れられないのだ。


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