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十章 望んだ世界 1



 ずっと、誰かを探していた気がする。
 物心ついた頃から、ずっと、その誰かを探し求めてきた。幼子の頃から、街中や人混みで、無意識にその人の影を追っていた。
 時折、夢に出てくるその人は、亜麻色の髪に、透き通るような翠の瞳の少女。
 忘れて、
 忘れないで。
 少し寂しそうな彼女を抱きしめてあげたいと、まだ名前も知らない彼女を、想っていた。


 王都の往来。亜麻色の髪の若い娘を見かけると、つい顔を確認してしまうのは、半ば習慣のようなものだ。
ルーファスと目が合うと、そばかす顔の愛らしい少女は、見た事もないような美丈夫に、真っ赤に頬を染め、恥ずかし気にうつむく。
(またか……)
 ルーファスは心中密かに落胆し、ため息をつく。
 亜麻色の髪ではあったものの、いまの娘は焦げ茶の瞳をしていた。愛らしい器量の娘ではあるが、彼女とは別人だ。否、たとえ、どれほど似通っていたところで、幼いころから何度も夢に見る彼女と違うと思った瞬間、あっさり興味を失ってしまう。
 彼の美貌に、ポーッと惚けたようになる娘たちには悪いが、面倒なことにならぬうちに、その場を立ち去るのが常だった。
 我ながら、面倒な性質だと思う。
 名前も知らぬ、それどころか、本当に実在するかもわからない娘に、生まれてから今まで、変わることなく、恋慕し続けているなど。
「ルーファス、悪い、待たせたな」
 待ち合わせの相手に、名前を呼ばれたルーファスは、そちらに顔を向ける。
「遅いぞ、ハロルド」
「すまない。任務が長引いてな」
 ルーファスのような、良くも悪くも目立つ男を、長時間、往来に立たせておくのは良くないと、重々承知している赤髪の騎士は、素直に己の非を詫びた。
 炎のような赤髪が目を引く、誇り高き黒翼騎士団の隊服を纏った男は、ハロルド=ヴァン=リークス。黒翼騎士団の部隊長を務める、ルーファスの友だ。
 王太子アレンの腹心であり公爵のルーファスと、男爵家の次男であるハロルドでは、身分や立場で差はあれど、何故か妙にウマが合うことから、友誼を結んでいる。
 知り合ったきっかけは偶然ながら、ルーファスと初対面であるはずのハロルドは、臆さずに話しかけてきた。しかも、お世辞にも愛想が良いとは言えない公爵の青年に対して、親しみを感じると言うのである。
 最初こそ、自分の地位や財産に惹かれて寄ってきた、下らん輩のひとりかと、冷たくあしらっていたルーファスだったが、付き合ってみれば、そんなことはなく、ハロルドは騎士道精神にあふれた、真っ直ぐで気持ちの良い男だった。
 しかし、何故、ルーファスと親しくなろうとするのかと問えば、「奥方に頼まれて」と、何とも奇天烈な答えが返ってくる。
『ルーファスのこと、よろしくお願いしますね』
「……俺は未婚だが、一体、どこの奥方だ?ハロルドよ」
「さあ……」
 首を傾げるハロルドも、不思議そうだ。
 まあ、そのようによくわからない事情ではあったが、ハロルドはルーファスの気の置けない友と呼べる存在である。
「最近は、忙しいのか?ルーファス、お父上から家督を継いだばかりだものな」
 ハロルドら騎士団の行きつけの酒場で、麦酒の杯を傾けながらの問いに、ルーファスは「まぁな」と軽くうなずく。
「別に覚悟はしていたことだ。俺が一人前になったら、母と田舎で暮らしたいというのが、父の長年の希望だったからな。まあ、予想より早かったが」
 十九の齢を迎えた年に、ルーファスは父より、エドウィン公爵の地位を受け継いだ。
 ルーファスの父である先代・エドウィン公爵は、外交官として名を馳せた人物で、王からも重用されていたものの、本人は貴族の窮屈な暮らしが苦痛だったらしく、若い時から、息子が無事に成人したら、爵位を譲り、田舎に隠居したいと語っていた。
 念願かなって、今は妻と共に、避暑地アンラッセルで、慎ましやかに暮らしている。
 それにはおそらく、異国生まれで、病弱な妻、リディアのこともあっただろう。
 戦禍で祖国を亡くし、異国にも馴染めなかった母は、昔は癇癪持ちで、一人息子のルーファスに辛く当たることもあったが、基本的には愛情深く、不器用ながらも良い母だ。
 祖国に残した家族を思い、涙ぐむ母の背中を支えたのが、父だ。
 いまは貴族社会からも離れ、肩の荷もおりたように、夫婦ふたり寄り添いながら暮らしている。
 平和な暮らしの中で、両親は暇を持て余しているようで、最近はもっぱら、生活はちゃんとしているか、結婚はまだか、などと、お節介な手紙をしょっちゅうよこしてくる。
 あまりに頻繁な手紙に閉口していると愚痴れば、ハロルドが「くくっ」と、愉快そうに喉を鳴らした。
「良いご両親じゃないか。王都に残した、一人息子のことが気になるんだよ……まあ、結婚はともかく、恋人とか、気になる女性くらいいるんだろう?ルーファス」
「いる。まだ恋人と呼べる関係ではないがな」
「えっ、お前が本気になれば、落とせない女性なんていないだろう」
 友人の中でも、おそらく、最も女性に不自由しなそうな男の意外な答えに、ハロルドは麦酒のグラスを落としそうになった。
 友人の贔屓目を抜きにしても、ルーファス=ヴァン=エドウィンという男は頭が良く、由緒正しき血統で、剣の腕も騎士に匹敵する。性格も、多少、気難しいきらいはあるが、根は優しい。おまけに、とびっきりの美男子だ。
 これだけ揃っていて、落とせない女性がいるとは信じられない。
 興味を引かれて、一体、どこのご令嬢だ、聞かずにはいられなかった。国一番の美女と名高い、マルリーネ伯爵令嬢か、あるいは才女で知られる子爵令嬢、はたまた気立てが良いと噂の……
 ハロルドが上げる名前に、ルーファスは首を横に振った。
「どれも違う、そもそも相手の名前も、年齢も、住んでいる場所も、そもそも、この国の住人かすらわからない」
「お前、それ妄想って……」
「失礼なことを言うな!外見の特徴はわかっている、亜麻色の髪に、翠の瞳だ」
 妄想かと疑われたルーファスは気分を害し、幼い頃から、何度も何度も夢に出てくる女性の姿を瞼の裏に描いた。特別に美しいというわけではない、ただ儚げな微笑みと、とても綺麗な目をしていた。
「お前はまだ、そんなことを言っているのか……そんな夢に出てきただけの女性なんて、実在するかもわからないだろう」
 残った麦酒をぐいっとあおりながら、もっともな指摘をするハロルドに、ルーファスは「見つけるさ、絶対に」と事もなげに言う。
 何故なら、それは約束だからだ。――誰との?
「まぁ、諦めが悪いのは長所かもしれんしな。いつか、その女性を見つけられるように、頑張れよ」
 ルーファスは「言われるまでもない」と返すと、反撃に出ることにした。
「他人事のように言うが、そちらは最近、家の女中にご執心じゃないか。メリッサのことだが」
 時折、エドウィン公爵家に遊びに来るハロルドが、その際、女中頭の姪である少女を、こっそりと目で追っていることを、ルーファスは知っている。その女中、メリッサの方も、ハロルドのこと、満更でもなさそうだ。
 その言葉の効果は、すごかった。
「な、なな……」
 勇猛だが、色恋には強くない純情な騎士様は、ルーファスの指摘に、茹で蛸のように真っ赤になる。羞恥のあまり、机に突っ伏したハロルドに、密かに勝った、と思った。

 そのまま酒場で昼食を済ませたルーファスとハロルドは、店を出ると、そのまま大通りを歩いていた。
 途中、淡い栗色の髪を、白いリボンで結んだ花売り娘とすれ違い、気まぐれに花を買ってやると、にっこりと笑顔で花束を渡される。リーザ、と仲間に名前を呼ばれた娘は、すぐに去ってしまった。
 広場のベンチでは、亜麻色の髪とハシバミの瞳をした青年と、妹らしき娘が、仲睦まじげに語り合っている。
 大きく何かが変わったわけではない。ただ、皆、少しだけ救われて、幸せになっていた。
 彼女の望んだ通りに――彼女?
「ハロルド」
「……何だ?」
「俺は、何か大切なことを忘れている気がする。だが、思い出せない」
 それはそれは、とても大切な事で、絶対に忘れてはいけないことだった気がするのだ。それなのに、思い出せない己が、ルーファスは歯痒がった。
 ――ルーファス。
 耳朶を打つ、柔らかな声が耳に心地よかった。
 はにかんだような微笑が、可愛らしく、守ってやりたかった。
 何より、彼女が与えてくれたものはとても大きくて、どうしても会って、抱きしめたいと思う。
「実は……俺もそうだ。最近、何か大切なことを忘れている気がしている」
 夫である青年と比べれば、目立つ人ではなかった。
いつも控えめに微笑んでいた、ひっそりと咲く、白い野の花のような女性。
 しかし、その存在はきっと、多くの人を救っていた。
「思い出さねばな」
 その記憶を取り戻したいという気持ちは、誰よりもあれど、自信なさげに唇を噛むルーファスの肩を、大丈夫だ、とハロルドが軽く叩いて、力強く断言する。
「思い出せるさ、必ず。それだけ、お前にとって大切なことだったんだろう」


 ルーファスとハロルドが広場を立ち去ったあと、噴水のところで、幼い少女が天を仰いでいた。ゆるく結った蜂蜜色の髪と、薄青の瞳が可愛らしい女の子だ。
 赤い外套を羽織った彼女は、世界中を旅する途中だった。
 今まで、保護者の青年と共に、北から南まで、さまざまな国を見聞してきた。そして、これから先も、色々な国を巡るのだ。ずっと、ふたりで。
「リリィ、そろそろ出発するぞ」
 声をかけられた少女は、パッと輝くような笑顔になり、声をかけた青年へと抱き着いた。
「ディー!」
 黒いフードの青年と、幼い少女は、しっかりと手を繋いで、広場の外へと出て行った。
 この先に、何が待ち受けているのかわからない、でも、きっと大丈夫。ふたりでいれば、きっと幸せだ。


 ルーファスは王城の一室で、王太子補佐としての仕事をこなしていた。
 主である王太子は、異母弟のセシルと共に視察に出掛けていて、今はいない。
 ここ一年ほど、王太子アレンは、王の名代を務める機会が増えている。譲位の日も遠くないという噂だ。
 長年、その任にあった宰相ラザールも隠居し、王城には新たな風が吹きこまれようとしている。
 その中心となるのは、新王となるアレンであり、又、兄を一心に慕うセシルも、いずれ宮廷において、重要な役割を果たすだろう、と周囲に目されていた。
 アレンの右腕であるルーファスは、将来の宰相候補との呼び声が高い。
 王国には新しい時代の波が訪れようとしており、問題は何もないはずであった。
 しかし、ルーファスは、何かに突き動かされるような焦燥感にかられていた。
 ――探さなければ。
 見つけなければ、彼女を。
 ほんの子供の頃から、ずっと、そう思い続けてきた。
 幼子の頃、両親に手を引かれて、社交界や様々な場所に連れ出された時も、常にその姿を探していた。亜麻色の髪の乙女を見つけるたびに、心が躍り、落胆する。そんなことを、もう二十年近くも続けている。
「なぁに、ルーファス。困った子ね……一体、誰を探しているの?」
 呆れたように言う母に、幼いルーファスは、ちいさな拳をぎゅっと握り締める。
 母上にはわからないのだ。彼女を見つけ出さない限り、心に欠けたものが満たされることはないのだから。

『あーあ、君は、ほんと馬鹿だねぇ。あんなに大切な人のこと、もう忘れちゃったの?』

 妙な気配を感じて、ルーファスは椅子から立ち上がった。
「……何奴だっ!」
 殺気だった問いにも、声の主はあくまでものんびりしている。こちらを、おちょくっているような素振りさえあった。
『僕だよ、僕。忘れるなんて、傷つくなあ。エドウィン公爵』
 部屋の隅に、ふわふわと浮かんでいるのは、金の光に包まれた子供だった。人ならざる、神々しい雰囲気に反して、その琥珀の瞳は、悪戯っぽい光を宿している。
 金色の魔術師はにっこりと笑うと、最後に残された力を使って、奇跡を起こしてやることにした。
 この男は気に食わないが、可愛い弟子のためだ。
『思い出せないなら、思い出させてあげるよ。君の愛した、あの子のこと』
 その言葉を聞いた瞬間、ルーファスの脳裏に、さまざまな記憶や、彼女と過ごした日々が、鮮やかによみがえった。笑った顔、泣いた顔、別れ際の涙も、全てを思い出した。
 改変された過去の中で、それでも心に刻み込まれたものまでは、消えはしない。
「セラ……」
 それが、彼女の名前。
 ルーファスにとって、唯一無二の彼女の名だ。
『思い出したかい?』
「あぁ……」
『それなら、君がすべきことは一つしかないだろう。公爵』
 わかっていると、ルーファスは頷いた。
 迎えに行かなければ、彼女を。
 もうずっと長い間、待たせてしまったのだから。
『本当にさようならだ、公爵。もう会うこともないね』
 よく見れば、ラーグの身体は少し透けており、既にこの世の住人ではないのだろう。
 そうだな、と別れの挨拶にしては、素っ気ないそれを返すと、ルーファスは踵を返し、扉に手をかけ、一度、ラーグの方を振り向いた。
「魔術師よ、」
『何だい?公爵』
「俺は最後の最後まで、貴様の事が気に食わなかった」
『……わお、奇遇だね。僕もだよ』
 だが、とルーファスは口元を緩めた。
「セラにとっては、良い師匠だった。ずっと、あの娘を守ってくれたことに感謝する。金色の魔術師よ」
 素直に感謝の意を表すことが苦手な男にとって、それは最大の誠意であっただろう。
 ふん、とこちらも素直ではない魔術師は、鼻で笑う。
『僕も君のことは、最初から最後まで嫌いだったよ。公爵』
「お互いさまだ」
『でも、』
 嫌いだが、悪人ではないと知っている。セラのことを、他の誰よりも愛していることも。
 だから、仕方ない。気に食わないが、背中を押してやる。
『あの娘を、本当の意味で幸せに出来るのは、君しかいないんだよ。公爵、お願いだ』
 セラを幸せにしてあげて、他人の幸せを願い続けて、自分を犠牲にし続けた彼女に、多すぎるくらいの幸福を与えてあげて。他の誰にもできない、君にしかできないんだから。
「わかっている。セラを必ず見つけ出して、幸せにする」
 揺らがない口調で言い切ると、ルーファスは長居は不要とばかりに、部屋を出て行った。
 薄れゆく意識の中で、ラーグは小さく笑って、虚空に手を伸ばす。
『幸せにおなり、セラ、僕の最後の弟子』
 魔術師の身体が透けて、再び消えていく。
 きらきらと、金色の光の粒が舞っていた。


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