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二章 王女の秘密 1


 ――ルーファスの悪夢はいつも、母が赤い血の海の中で倒れているところから始まる。

 夢の中の光景は断片的なようでいて、ひどく鮮明だ。
 応接間の中央に赤い血の海が広がっていて、その中心に母がうつ伏せに倒れている。
 その背には、装飾のついた短剣が突き刺さっていて、血がそこから絶え間なくダラダラと流れ出ている。
 母の青のドレスが、流れ出る血で黒く染まる。
 普段は綺麗に結い上げられた母の黒髪は、まるで蛇の死骸のようにうねうねと絨毯に広がり、息子のルーファスと同じ蒼い瞳はブレて焦点が合っていない。半開きの唇からは、だらりとした赤い舌が見えていた。
 ルーファスの眼前で、母は事切れていた。
 美しい母。
 否、美しかった母。
 しかし、その死に顔は死者への冒涜を恐れずに言うなら醜悪であり、とても美しいと言えるものではなかった。
 そんな凄惨としか言いようのない母の死に様を、夢の中ではまだ少年であるルーファスは、ひどく冷静に見つめているのだ。おびただしい量の血を見ても、恐ろしいとも不気味だとも思わなかった。ただ、母が死んだのだということを理解した。
 血の海の中心で倒れている母を見ても、夢の中のルーファスは、そばに駆け寄ろうともしない。
 ただ黙って、死んだ母の体から徐々に熱が失われて、その体が氷のように冷たくなっていくのを、少し離れた場所からじっと見つめている。
 母と同じ、蒼い瞳で。
 少年の唇が小さく、震えるように動き「……母上」という言葉を紡ごうとするが、それは声にはならない。
 そんな血まみれの母の体を抱き上げ、狂ったように泣き叫んでいるのは……ルーファスの父だ。
 死んだ母を腕に抱きながら、父は「許してくれ!許してくれ!リディア!リディア!私が君を殺した!」と叫び続ける。
 幾度も幾度も繰り返されるそれから、ルーファスは耳を塞ぎたいのだが、夢の中ではそれも叶わない。目を逸らすことすら、彼には許されない。
 応接間の隅では、若い黒髪の女中が呆然と立ち尽くしている。その両手は、真紅に染まっていた。
「奥方様が……奥方様が……」
 へなへなと床に座り込んだ女中は、虚ろな目をしながらぶつぶつと意味のわからないことを呟き続ける。
「リディアァァァァァっ!」
 父が、母の名を、呼んでいる。
 
 ――悪夢はいつも、そこで終わる。

「……朝か」
 窓から差しこんでくる朝日に、ルーファスはぐしゃりと黒髪をかきあげ、気だるげに頭を振ると、寝台から身を起こした。
 体がだるい。
 いつもながら、最悪な目覚めだとルーファスは思う。
 彼がまだ少年だった頃から、幾度も幾度も繰り返し、ずっと見続けている悪夢。
 ルーファスの夢の中で、母は何度、死んだだろうか?もはや数えるのも馬鹿馬鹿しいほどだ。
 昔は、あの夢を見ると荒い息を吐いて、寝台から飛び起きたものだが、いつしか慣れてしまった。
 母が死ぬ夢を見ても、ルーファスはもう何も感じない。多少、朝から憂鬱な気分にはなるが、それだけだ。
 どんなに残酷な悪夢でも、何年も見続けていれば、いつしか感覚が麻痺してくる。
 ルーファスの夢の世界で、母は何度でも蘇り、また何度でも死んでしまうのだから。
「いや……あれが、ただの悪夢であったなら、父上も心を病むことはなかったか」
 夢の中の父の姿を思いだし、ルーファスは冷ややかな口調で言う。
 アレは、ただの悪夢ではない。
 全て、現実にあったことだ。母は血の海の中で死んだ。だからこそ、ルーファスの脳裏から、あの光景が消えることはない。……おそらくは永遠に。
「旦那様。ミカエルです。起きていらっしゃいますか?」
 その時、コンコンと控えめに寝室の扉を叩く音がし、扉の外側から従者のミカエルの声がした。
「……ああ。おはよう。ミカエル」
「おはようございます。旦那様。朝食の支度は出来ております……奥方様がお待ちです」
「……わかった。すぐに行く」
 朝の弱いルーファスは額を手で押さえると、首を横に振って、意識を現実へと戻した。
 ミカエルのいう奥方様とは、ルーファスの妻――彼が十日前に結婚したセラフィーネ王女……王女本人の希望通りに呼ぶのなら、“セラ”のことだ。
 政略結婚だからかもしれないが、十日たった今も、ルーファスは妻がいるという実感がわかない。もともとお互い望んだ婚姻ではないから、仕方のないことかもしれないが。
『そのままの意味ですよ。セラフィーネ王女様。貴女は私の妻であるフリをしてくれれば、それでいい。私は必要がない限り、貴女には触れませんし、貴女が誰を想っていても自由だ。私を嫌おうが、愛人を持とうが、ご自由にどうぞ……ただ逃げることだけは、許さない』
 それは契約だ。
 あの約束を守り、ルーファスはあの夜以来、ただの一度も妻となった王女に触れていない。
 おそらく夫婦らしい感情を持つことなど、この先も永遠にないだろう。
 ただ、結婚初夜に逃げ出した花嫁は、貧民街で魔術を使い《解呪の魔女》と呼ばれていた娘は、あれから逃げ出すこともせず、十日たった今もエドウィン公爵家の屋敷にいる。
 着替えを終えたルーファスが、朝食の用意された部屋に入ると、すでにテーブルについていた王女――セラは顔を上げて、翠の瞳で彼を見た。
 そうして、セラはにこっと笑うと、高貴な生まれとは思えないほどくだけた口調で挨拶する。
「おはよう。エドウィン公爵……じゃなかった。ルーファス。爽やかな朝だね!」
 この屋敷から逃げ出して、また戻って来てから、王女は変わった。
 まるで下町の娘のような言葉で喋り、王女として扱われるのを嫌がるようになった。大人しい王女という仮面を脱ぎ捨てたというべきか。いや、本人曰く、こちらが地なのだそうだが。
 そんなセラに振る舞いに、ルーファスは最初は違和感を覚えたものの、十日もすると慣れてしまった。
 屋敷の使用人たちも、最初こそ王女の下町の娘のような言葉遣いに困惑していたようだが、慣れた今では眉をひそめることもない。
 爽やかな朝だというセラの言葉通り、窓の外には雲ひとつない青空が広がっていたが、あんな凄惨な悪夢を見た後に爽やかな朝も何もなかったので、ルーファスはその言葉を無視する。
 彼は黙って席につくと、給仕にきた執事のスティーブに、眠気覚ましの珈琲を頼んだ。
 そんなルーファスの対応が気に入らなかったのか、セラは子供のように頬をふくらませると再度、めげずに彼に話しかける。
「おはよう!今朝は良い天気だね」
「……」
「あっ、このサラダ美味しい!ルーファスも食べた方がいいよ」
「……」
「あれれ?ひょっとして、ルーファスって耳が遠いの?」
 しつこいほどに繰り返されるそれに、ルーファスの堪忍袋の緒が切れた。
 その怜悧な美貌と情け容赦のない性格ゆえに、周囲から氷の公爵とあだ名される青年は、見た者を凍りつかせるような微笑を浮かべると、低い声で言った。
「朝から、ずいぶんとご機嫌だな。セラ……お望みなら、永遠の眠りにつかせてさしあげるが」
「え……遠慮します」
 脅迫じみたルーファスの言葉に恐れをなしたのか、セラはぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
「旦那様。奥方様。ご夫婦が仲睦まじいのは大変けっこうなことでございますが、そのくらいにしておかれないと、朝食が冷めてしまいますよ」
 放っておくと、いつまでも続きそうな二人の会話に、執事のスティーブが苦笑まじりに言う。
 そんな執事の言葉に、ルーファスは心外だと眉をひそめる。
「お前の目は節穴か?スティーブ。どこをどう見たら、俺たちが仲睦まじい夫婦に見えるというんだ」
 そうルーファスに睨まれても、彼の父親の代からエドウィン公爵家に仕えて、それこそ赤ん坊の時から二十年以上に渡り、この若い主人を見守ってきたもうすぐ齢六十になる老執事は一向にこたえない。それどころか「お言葉ですが昔から、喧嘩するほど仲がよい……という言葉もあります。旦那様」などと、至って涼しい顔で言う。
  謹厳な老執事は表情こそ真面目で堅苦しいが、その声の裏には、生まれた時から見守ってきた若い主人に対する深い愛情があった。
 そんな年の離れた主従のやり取りを見たセラはクスクスと明るく笑って、
「良いなぁ。仲が良くて、うらやましい」
と満更、冗談でもなさそうに言う。
 しかし、その後、セラが小声で呟いた一言を、ルーファスは聞き逃した。
「……あたしにも、こんな風に信頼できる人たちが、身近に居てくれたら良かったな」
 それは、彼女の偽りのない本音。
「……?今、何か言わなかったか?」
 ルーファスがそう尋ねると、セラは「……何でもない」と答えて首を横に振り、話題を変えた。
「それより、今日は王宮に行くんでしょ?ルーファス」
 ルーファスはセラが故意に話題を変えたことに気付いたが、あえてそれには触れず、「ああ」と首を縦に振った。
「ああ。王太子殿下に……アレン様に呼ばれているからな」
「そうなんだ」
 王太子殿下に呼ばれているという公爵の言葉に、セラはあっさりとうなずいた。
 今は亡き王妃の生んだ王太子殿下と、妾腹の王女であるセラフィーネは母親こそ違えど兄妹であるはずだが、その反応には特別なものはない。
 同じ王族とはいっても、王太子殿下と妾腹の王女では身分も立場も違う。おそらくは王宮で暮らしていた頃も、あまり接点がなかったのだろうと、ルーファスはそう結論づけた。
「んー。じゃあ……」
 王宮に出かけるというルーファスの返事に、セラは「んー」と考えるように首をかしげると、ちょっと困ったような顔で彼に尋ねる。
「……ルーファスが王宮に行っている間、あたしは何をしていれば良いのかな?」
 その問いかけは、ひどく奇妙なもので、ルーファスは首をかしげる。
 何でも好きなことをして、過ごせば良いだろうと思う。
 本人が望んだことかはともかくとして、セラはこの屋敷の奥方なのだ。何より、王家から降嫁してきた王女より身分の高い者など、この屋敷にいるはずもないのだし、好き勝手に振舞おうが誰も文句なんぞ言わないし、また言えるはずもない。
 宝石でもドレスでも好きなものを買えばいいし、夜会に出かけて束の間の恋に溺れようが、お気に入りの詩人や画家を屋敷に招いたって構わない。
 ひまと財を持て余した上流階級の貴婦人たちは大抵、そうやって己の身を蝕む退屈という病に、なんとか気付かない振りをしている。
 この王女もそうするのだろうと、ルーファスは思っていたし、それに干渉する気もなかった。……はっきり言うならば、彼はセラが何をしていようと、興味がなかった。
 もし、セラフィーネ王女の存在が、ルーファスにとって――エドウィン公爵家にとって邪魔になるならば、いつでも切り捨てる覚悟はあったが、そうでないならどうでもいい。
 そう考えていた彼にとって、セラの問いかけは意外なものだった。だが、セラの方を見ると、その翠の瞳は真剣で冗談を言っている風ではなかったので、ルーファスは当たり障りのない答えを返す。
「……何でも、好きなことをして過ごせばいい。芝居見物でも夜会でも、暇つぶしはいくらでもあるだろう。もし、何か必要なものがあれば、スティーブに言って用意させる」
 好きなことをすればいいという言葉に、セラは困ったように笑う。
 まるで、そう言われることに慣れていないように。
 セラはしばらく黙っていたが、やがて「じゃあ……」と遠慮がちに言った。
「じゃあ……書庫に入らせてもらってもいい?」
「……書庫?」
「そう。駄目かな?」
「いや……」
 ルーファスは首を横に振る。
 書庫に入りたい。
 セラのささやかな願いは、彼にとって意外なものだった。
 屋敷の一角にある書庫には、詩集や小説のような普通の本の他に、ルーファスの先祖や父――歴代のエドウィン公爵家の主人たちが、金と人脈を使って収集してきた貴重な本が何冊もある。それらの中には学術的な価値が高いものも多く、研究者などには垂涎の的だというが、セラのような若い娘が好むものとも思えない。ならば、その目的は……
「構わないが……」
 ルーファスは蒼い瞳でセラを見すえると、冷やかな声で言う。
「――うちの書庫には、魔術書の類はないぞ」
 その言葉に一瞬、セラは顔をひきつらせた。
 あれから十日たつが、ルーファスは貧民街での出来事を、克明に覚えている。
 建国の祖――英雄王オーウェンの時代より、この国では魔女は禁忌の存在とされている。蔑まれ、差別され、裏の社会でしか生きられない存在。
 それにも関わらず、この王女は結婚初夜に屋敷から逃げだしたあの日、貧民街で≪解呪の魔女≫などと名乗り、貧民街の住人達に薬を分け与えたのみならず、魔術を使って呪われた男を助けた。それは善行であるかもしれないが、魔女を禁忌とする王家の人間としては、とんでもない愚行としか言いようがない。
 なぜ、あんな行動を取ったのか?
 その理由をルーファスは、まだセラの口から聞いていない。いや、他にも疑問を上げれば、キリがないのだ。
 ――なぜ王女であるセラが、魔女を名乗っているのか?
 ――どうして魔術が使えるのか?
 ――なぜ貧民街に出入りしているのか?
 あれから十日が過ぎたが、セラがそれらについて沈黙しているために、ルーファスの疑問は尽きることがない。しかし、余り強引に問い詰めて、また屋敷を逃げ出されてはかなわないので、時間をかけて聞き出していく方法を、彼は選んだ。だが、それは謎を謎のままにしておくという意味ではない。
 いつか必ず、王女の口から本当のことを聞き出すと、ルーファスは決意していた。
「……嫌だなぁ。そんなの期待してないよ」
 ルーファスの言葉に、セラは一瞬、顔をひきつらせたものの、「嫌だなぁ」と冗談めかして笑う。
 唇こそ笑みの形を作っているが、その翠の瞳はどこか悲しげだ。
「貴方は……」
 そんなセラにルーファスは何か言おうと、唇を開いたが、横から「旦那様」と声をかけられたことで、それは中断された。
「旦那様。そろそろ王宮に行かれるお時間です」
 ルーファスにそう声をかけてきたのは、金髪に水色の瞳の愛らしい少年――彼の従者のミカエルだった。
「……わかった」
 ミカエルの言葉に、ルーファスはうなずいて立ち上がると、「スティーブ」と執事に向かって呼びかける。
「スティーブ」
「はい。何でしょうか?旦那様」
「セラに、書庫の鍵を渡してくれ。それから書庫への案内も」
 歩み寄ってきた執事に、ルーファスはそう命じた。
「かしこまりました。旦那様」
 若き主人の言葉に、老年の執事は恭しく頭を垂れる。
「頼んだ」
 そう言うと、ルーファスやセラや執事に背を向けて、従者のミカエルと共に応急に向かうべく、部屋を出て行く。
 彼は一度も、後ろを振り返ろうとしなかった。だから、気づかなかった。彼の後ろで、残されたセラが、どんな表情をしていたかを。


「……ミカエル」
 部屋を出て、廊下を歩いている最中、ルーファスは傍らの従者に呼びかける。
 王宮に行く前に、この従者には話しておきたいことがあった。
「はい。何でしょうか?旦那様」
 主人の呼びかけに、ミカエルは淡い水色の瞳を、ルーファスの方へと向けた。
 そんな従者の少年に、公爵は淡々とした口調で命じる。
「――お前が屋敷にいる時は、セラフィーネ王女から目を離すな。何か不審な動きあれば、すぐに俺に報告しろ……意味は、聡いお前ならば、言わずともわかるだろう?」
 ルーファスの言葉に、ミカエルは一瞬、不快そうに眉を寄せて、非難するような目を主人に向けた。
 己の妻を信じていないのか、何も言わずとも、少年の顔にはそう書いてある。
「また逃げないように、監視していろと……そういう意味ですか?」
 少年ゆえに潔癖さか、どこか不満そうに言うミカエルに、ルーファスは「そうだ」と断言した。
「ミカエル。一度、この屋敷から逃げた女を、そう簡単に信頼するほど、俺はお人好しじゃない。うかつに気を許せば、また同じことの繰り返しだ……良いか?裏切りは大抵、繰り返されるものだ。一度でも、その場を逃げ出した人間を、簡単に信頼するほどマヌケなことはないぞ。それに……あの王女は、普通じゃない」
「だから、監視しろと?」
 まだ納得いかなそうなミカエルに、ルーファスは唇を歪めた。
 その潔癖さが、愚かで、甘いと感じる。
 彼の従者としてエドウィン公爵家に引き取られる前、孤児として世の中の辛酸をさんざん舐めてきたはずなのに、ミカエルはお人好しというか、純粋なところが残されていた。だからこそ、主人の妻を監視するという行為に、抵抗を感じるのだろう。少年の性格を思えば、それは理解できないことでもなかったが、それを許してやるほどルーファスは甘くない。
「……ミカエル」
 低い声で名を呼ぶと、ミカエルはビクッと身を震わせた。
 怒鳴っているわけではない。むしろ、静かな声。だが、それゆえに反抗を許さない迫力があった。
 ルーファスは冷ややかな声で、言葉を重ねた。
「お前の主人は誰だ?」
「……旦那様です」
「路地裏で、獣のように日々を暮らしていた孤児のお前を、拾ったのは誰だ?」
「……旦那様です」
「そうか。では、最後にもうひとつだけ聞くぞ。お前が従うべきは誰だ?ミカエル」
 ――お前の主は誰だ?
 その問いかけに、ミカエルはもう迷わなかった。
 すっと顔を上げると、彼は淡い水色の瞳で、ルーファスの端整な顔を真正面から見つめた。
 氷の公爵と呼ばれる若い主人――その性格が、周囲が噂するほど冷酷ではないことを、いつも共にいるミカエルは知っている。もちろん甘い男ではない。しかし、三年前、路地裏で暮らす孤児だったミカエルを拾い上げ、生きる場所を与えてくれたのは、他でもないこの人であるのだから。
『選ぶのは、お前だ。もし、俺についてくるなら、生きる場所と目的を約束してやる……選べ。ミカエル』
 あの時、ルーファスに言われた言葉を、ミカエルは忘れていない。だから、彼の答えは最初から決まっていた。
「――僕の主人は、旦那様ただひとりです」
 ミカエルの返事に、ルーファスはふっと小さく笑う。
「良い返事だ。ミカエル……では、主人としての命令だ。屋敷に居る時は、セラ……セラフィーネ王女の行動を監視しておけ。何か妙なことがあれば、すぐに俺に報告しろ。わかったな?」
「はい」
 ミカエルは、うなずいた。
 主人の妻を監視するなどという行為に、いささか罪悪感めいたものを覚えるが、それが主人の命令だとすれば、どちらを優先するかなど考えるまでもない。
 ただ、ひとつだけ気になるのは――
「話はそれだけだ。そろそろ王宮に行くぞ。ミカエル」
 もう話は済んだとばかりに、スタスタと歩きだすルーファスの背中を、従者の少年は慌てて追いかける。
「だ、旦那様。ひとつだけ質問があるんですが……」
「何だ?」
 ミカエルの声に、ルーファスが振り返る。
 振り返った主人に、ミカエルは気になっていたことを尋ねた。
「さっき旦那様がおっしゃっていた、セラフィーネ王女様が……奥方様が普通じゃないって、どういう意味なんですか?」
「それは、あの王女が……」
 魔女だからだ。
 その言葉が、口に出されることはなかった。
 ルーファスは首を振ると、「……そのうちわかる」と言葉を濁す。別に、従者のことを信頼していないというわけではなく、自分の目で見なければ、とても信じられないようなことだからだ。彼が説明したところで、ミカエルは信じないだろう。公爵家に降嫁してきた王女が、貧民街で≪解呪の魔女≫などと名乗り、魔術を使っているなどという荒唐無稽な話は。
 ルーファスだって、その場にいなければ、とても現実だとは思えなかったはずだ。
「……それより、さっさと王宮に出かけるぞ。王太子殿下を、お待たせするわけにはいくまい」
 そう言って強引に話を打ち切ると、ルーファスは屋敷の外に出て、従者のミカエルと共に馬車に乗った。そうして、彼ら二人を乗せた馬車は、エスティアの王宮へと向かったのである。


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