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二章 王女の秘密 7


「あー、僕は君のために用意する気がないから、その辺に転がってる酒でも茶でも水でも、勝手に飲んでよ。エドウィン公爵」
 セラが外の通りへ出ていくなり、ごろんっと長椅子の上で足を投げ出した魔術師――ラーグは、ルーファスにそう言うと、顎をしゃくって厨房の方を示した。
 ……明らかに、客人に対する態度ではない。
 やる気のなさが、みえみえだった。
 部屋の隅、さほど広いとは言えない厨房の棚のあたりには、琥珀色の酒で満たされたボトルやら茶やらワイングラスやらチーズやらが、これといった規則性もなく無造作に並べられている。
 酒でも水でもその辺のを勝手に飲め、と言われたルーファスはそれらを一瞥すると、再びラーグの方へ視線を戻す。
 そのルーファスの視線は、冷ややかとしか言いようのないものであったが、向けられたラーグの方はどこ吹く風で、まるで彼など眼中にないという風に、机の上に置いてあった本を手に取ると、「よっ」と燭台を手元に引き寄せて、ぱらぱらと頁をめくり出す。
 当然の如く、その間、ラーグの琥珀色の瞳は、ただの一度たりともルーファスの方に向けられることはなかった。
 もちろん、会話などあるはずもない。
 ラーグに悪意があって、ルーファスを無視しているというよりは、ただ興味がないようだった。
 しかし、悪意が存在してもしなくとも、まるで居ない存在のように扱われたルーファスの気分が良かろうはずはない。
 自称・三百年以上も生きている魔術師だか何だか知らないが、ラーグの見た目は十を少し越えたぐらいの少年で、彼よりも幾つも年下の子供のように見えることも、このように眼中にないといった態度を取られて、不快に感じる理由の一つだった。
 いや、そもそも十八の若さで公爵家の当主となって以来、老若男女を問わず、ここまで不遜な態度を取られた記憶は、ルーファスにはなかった。だから、どうということもないが。
(……初対面にしては、ずいぶんな態度だな。この魔術師とやらは、何か俺に恨みでもあるのか?)
 そんなラーグの態度に、ルーファスは真っ当な怒りよりも、むしろ疑問を感じる。
 記憶違いがなければ、己とラーグは初対面……つまり、先ほど知り合ったばかりのはずだ。
 ルーファス自身、己がお世辞にも人当たりが良いとは言えぬ性質であることを自覚しているが、それにしても、初対面でここまで穏やかならざる対応をされた経験はない。
 別に好かれたいとも思わぬから、どうでもよいのだが、いささか不可解ではあった。
「……ずいぶんと俺のことを、嫌っているようだな。魔術師。俺の記憶違いがなければ、初対面なはずだが?」
 ルーファスがそう言うと、魔術師――長椅子に座っていたラーグは、ぱたんっと読みかけの本を閉じて、うん?と顔を上げた。
 瞳の中に、まるで金を散らしたような大きな琥珀色の瞳が、こちらに向けられる。
 その琥珀色の瞳は透き通るように澄んでいながら、同時に何もかも見透かすような深い色でもあり、それを向けられたルーファスは、不快さにも似た違和感を感じて、わずかに眉をひそめた。――誰にも明かしたことがない、心の奥深くを見透かされるような、そんな瞳だ。
 色こそ違えど、その曇りのない透明な瞳は、何処となくセラと似ている。だが、セラの瞳が、どこか柔らかで光のような印象を与えるのとは対照的に、ラーグの瞳には刃のような鋭さがあった。
「いやいや、僕が君を嫌っているなんて、そんなことはないよ。気のせいさ。公爵」
 ラーグは半ば寝そべっていた長椅子から起き上がると、外見だけは少年らしい無邪気な笑みを浮かべて、いやいやと首を横に振る。
 そんな魔術師の態度に、胡散臭いものを感じて、ルーファスは形の良い柳眉を寄せた。……とても、言葉通りに受け取る気にはなれない。
「……とてもそうは見えないが、そうなのか?」
 ルーファスの再度の問いかけに、ラーグは「うん」と実に晴れやかな笑顔で、うなずいた。
「うん。僕は君が嫌いなんじゃなくて、ただ単純に君という人間が気に食わないだけだから、そこは安心してくれて良いよ。エドウィン公爵」
「貴様……」
「あははっ、まぁまぁ、そう怖い顔をするもんじゃないよ。公爵。そんな渋面じゃ、せっかくの色男が台無しだ」
 氷と評されるルーファスの絶対零度の視線にも、ラーグは怯むどころか、からからと愉快そうに笑って、飄々とした態度を崩そうとしない。
 その余裕と年を重ねたような落ち着きぶりは、少年にしか見えない魔術師の容姿とは、ひどく不釣り合いなものだった。
 外見と中身が釣り合っていないようで、どうにも違和感を感じる。
 見た目はどう見ても、ルーファスの方がラーグよりも年上なのだが、この場合、若僧扱いされているのはルーファスの方だった。
「……魔術師の舌とやらは、いっそ不快なほどによく動くな。忌々しいほどに、よく回る舌だ。ラーグとやら」
 そんなラーグの余裕を、苦々しく思いながら、ルーファスは言った。
 三百年以上も生きている魔術師だかなんだか知らないが、こうも人を食ったような態度を取られれば、彼ならずとも腹が立つところだろう。
 おまけに相手が本気でなく、ただルーファスを玩具にして遊んでいるだけだと感じれば、尚更だった。
「ああ、ごめんよ。僕のせいで、気分を害したかな?エドウィン公爵……隻眼のヴィルフリート……君のご先祖とは、浅くない縁があるものだからついね。それにね、公爵……」
 そんなルーファスの内心を見透かしたように、ラーグはくすっと喉を鳴らして、琥珀色の瞳にルーファスを映すと、静かな声で言った。
 まるで、予言のように。
「――公爵。君はいつか必ず、セラを……僕の弟子を、あの娘を裏切るだろう。傷つけるだろう。見捨てるだろう……望むと望むまいと、君はその道しか選べない。選ぶことができない……それがわかっているから、僕は君が気に食わないんだよ」
 たとえ、それがあの娘の望みだとしても、という言葉をラーグは喉の奥で飲み込む。
 それを口にすることは、愛弟子の、セラの意志に反することだと知っていたからだ。――自分の運命に誰かを巻き込むことを、愚かで優しくて弱いあの娘は、きっと望まない。
「……傷つける?見捨てる?……それは、どういう意味だ?魔術師」
 ラーグのひどく謎めいた、まるで予言のような言葉に、ルーファスは首をひねる。
 己がいつか、セラを裏切るだの見捨てるだの傷つけるだの言われても、今の彼には全く意味がわからない。
 自分は妻を……セラのことを信頼しているわけではないから、いずれはそういう未来が訪れても不思議ではないが、こんな形で他人に言われるのは、ルーファスにとって不本意ではあった。第一、言葉の意味が全く理解できない。
 断じて好かれたいわけではないが、そんな理由で気に食わないと言ってくる魔術師――ラーグの言動も、こちらこそ気に食わないというか鼻につくと、ルーファスは思う。
 意味深な言動というものは大概の場合、言った方はともかく、言われた方は不快でしかない。
 そんなルーファスの心境を知ってか知らずか、ラーグは飄々とした態度と笑顔を崩さず、「さぁね」と軽い口調で言う。
「さぁね。もし気になるんだったら、あの娘に……君の妻のセラに聞いてみたら?エドウィン公爵。セラが君のことを信頼する時がきたら、もしかしたら教えてくれるかもよ……まぁ、多分、君じゃあ無理だとは思うけど」
 ラーグはそこで言葉を切ると、それに……と、心の中だけで続けた。――それに、あの娘に……セラに残された時間は、そう長くはないんだよ。三百年の悲劇を越えて奇跡が起こらない限り、その方法が見つからない限りは、ね。
 その想いは、決して吐露されることも、ルーファスの耳に届くこともない。
 口にしても、どうにもならぬことだと、ラーグは――三百年を越える時を生きた、金色の魔術師は知っていた。
「……さんざん意味深なことを口にしておいて、最後は他人任せとは、良い趣味だな。魔術師よ」
 そんなラーグの胸中を知る由もないルーファスは、その飄々とした態度を苦々しく思いながら、嫌味を言った。
 ラーグもまた、心中での葛藤を表面に出すことはなく、クスクスと軽やかに笑いながら言い返す。
「いやぁ、僕が悪趣味なのは否定しないけど、君ほどじゃないよ。公爵。氷と呼ばれる君ほどでは、ね」
「……口の減らん魔術師だな」
「あははっ。それは、褒め言葉だと受け取っておくよ」
「……話にならん」
 何を言っても、飄々とした態度で軽口を叩くラーグに愛想を尽かし、ルーファスはセラのいる窓の外へと目を向けた。
 外の通りでは、黒いフードを被り顔を半分ほど隠したセラ――《解呪の魔女》が、彼女の前に列をなした貧民街の住人たちの……怪我人や病人たちの治療にあたっていた。
 重い火傷の痕に苦しむ娼婦。その後ろには、動かない手足をひきずる老婆。また骨と皮ばかりのガリガリに痩せ細った弟の手を引く、姉である幼い少女……それらの人々は皆、大人しく列に並んで、己の治療の順番を待っている。
 勿論、セラは本職の医者ではないから、その治療というのはさほど専門的なものではなく、薬や薬草の類を分けてやったり、あるいは怪我をした箇所に包帯を巻いてやったりする程度だ。
 大して複雑なことをしているわけではない。
 たとえ軽い風邪でも、わざわざ医者を呼んで大騒ぎし、高価な薬を惜しげもなく使うような貴族たちとは比べものにならない。だが、それでも、貧しすぎて医者から見捨てられた列に並んだ者たちからみれば、対価らしい対価を全く要求せず怪我人や病人を癒す《解呪の魔女》の存在は、まぎれもない救いであるのだ。
 それは、まるで暗闇に差す、一筋の光明のように。
「……」
 ルーファスが見た時、セラはボロボロの汚れた服を着ている、痩せ細った幼い少女の怪我をした足に、包帯を巻いてやっているところだった。
 しばらくして、それが終わると、杖をついた腰の曲がった老人が、身振り手振りを交えて痛む箇所を悲痛な声で訴えるのを、セラはうんうんと相槌を打ちながら、真剣に聞いてやる。
 そんな風にして、セラは列に並んだ貧民街の住人たちに、誰一人として手を抜くことなく、ひとりひとりに丁寧に対応していく。
 この国・エスティアにおいて忌まれる魔女であっても、自分たちに親切にしてくれるセラのことを、貧民街の住人たちは「解呪の魔女さま」と呼び、心から慕っているようだった。
 そんなセラと周りの人々を、どこか冷ややかな目で見るルーファスの頭には、単純な、だが決して消すことの出来ない疑問が、しっかりと根をおろしていた。――なぜ、セラは……セラフィーネ王女は自ら魔女と名乗り、貧民街の住人たちから、魔女と呼ばれているのか?ということだ。
 無論、あの初夜の日にルーファスの目の前で、セラが呪われたという男を魔術のようなものを使って助けたことを、忘れたわけではない。
 彼にとって厄介なことに、セラはただの降嫁してきた王女ではなく、魔女でもあるということだ。
 しかし、それが全てだとは、ルーファスには思えない。
 こうして、貧民街で怪我人や病人に救いの手を差し伸べるだけなら、魔女である必要は何もない。むしろ、妾腹とはいえ魔女を殺した英雄王の子孫である王女が、好き好んで忌まれる“魔女”の呼び名を使う理由など、ルーファスには想像もつかない。
 それでも、セラが自ら《解呪の魔女》と名乗り、また魔女と呼ばれるのには、それだけの理由が存在するのか……?
「どうして、セラがああして魔女と呼ばれているのか、わからない……っていう顔だね。公爵」
 まるで、ルーファスの心の中を読んだかのように、いつの間にか隣に立っていたラーグが言った。
 心の中を覗き込まれたような不快感に、わずかに眉を寄せながら、ルーファスは低い声で言う。
「……貴様は、人の心の中を読めるつもりか?魔術師」
「何を馬鹿なことを、言っているのさ。公爵……ただ単純に、長く生きていると、人の顔色や思考くらいは読めるようになるってことだよ。それに、君の心は屈折してそうなわりに、読みやすいしね……ああ、話がズレた。そう、セラが魔女と呼ばれる理由はね……」
 ラーグは「何を馬鹿なことを……」と、いささか皮肉っぽく言うと、脱線しかけた話を本題に戻そうとするように、子供らしい丸びを帯びた小さな手で、窓の外を――セラの方を指差す。
 指差した時、セラは《解呪の魔女》の治療を受けるべく、列に並んだ最後の一人の話を聞いてやっているところだった。 
 そんなセラの姿を、慈愛と、何処か複雑そうな想いが宿る琥珀色の瞳で見ながら、ラーグは言う。
「あの娘が、セラが魔女と呼ばれる理由はね……ああして、貧民街の住人たちに薬を渡したり、相談に乗ってやったりしているからじゃない。あれは、あの娘の趣味というか、多分、彼女なりの罪滅ぼしのつもりなんだろうね……セラが《解呪の魔女》と呼ばれる理由は、また別にある」
 そこまで言うと、ラーグは一度、唐突に言葉を切り、ふと窓の外に何かを見つけたように、琥珀色の瞳を悪戯っぽくきらめかせて、「ああ、ちょうどいい」と呟いた。
「ああ、ちょうどいい。ほら、見てごらん。公爵……セラに――《解呪の魔女》に、客が来たようだよ」
「客だと……?」
「そっ。セラの前に、二人の男が並んでいるのが、見えないかい?」
 その言葉に促されるように、ルーファスはラーグの指差した方へと、セラのいる窓の外へと蒼い瞳を向ける。
 客が来た、というラーグの言葉通り、その時、セラの――《解呪の魔女》の前に、二人組の男が立った。
 二人組のうちの片方は、背の低い、でっぷりと太った中年の男。
 豊かな財力を示すように、貧民街の住人とは正反対の仕立ての良い高級そうな服を着て、左手には財力を誇示するように、じゃらじゃらと金やら宝石やらの煌びやかな指輪を幾つもつけていた。
 しかし、そんな左手とは対照的に、右手には怪我でもしているのか、白い包帯が二重にも三重にも巻かれている。
 まるで美食に飽いた中年貴族のような、でっぷりと醜く肥え太った腹と、悪趣味と紙一重な、ひどく金をかけた派手な服装。――その外見を見ただけで、貧民街の住人ではないと、誰の目にも容易に知れる。
 その中年の男は、顔を隠そうとするように帽子を目深にかぶっていたが、帽子の下からのぞく糸のように細い眼には、人を蹴落として生きてきた者たち特有の、ひどく残忍で油断のならない光が宿っていた。
 もう片方は、その中年の男とは正反対な外見の、若い男だった。
 どこか異国の民なのか浅黒い肌の、全身に青みがかった刺青をいれた、屈強そうな体格の若い男。
 鍛え上げられた鋼のような肉体は、軍人かあるいは雇われ傭兵か、そう遠くない日に、そんな職業についていたであろうことを想像させる。それを証明するように、その腰には剣を帯びていた。
 まるで猛禽のような目をしたその若い男は、でっぷりと太った中年の男の半歩ほど後ろに立ち、何者かに危害を加えられることがないよう、周囲に油断なく目を光らせていた。
 その様子を見ていると、中年の男の方が雇い主で、若い男の方がその護衛役、そんな関係が見て取れる。
 貧民街の住人たちとは明らかに違う、何やら、ひどく不穏な気配を纏った男たち……。
 その男たちはセラの、《解呪の魔女》の前に立つと、太った中年の男の方が何やらセラに話しかける。
「何者だ?あいつらは?」
 思わず、ルーファスの口からもれた言葉に、ラーグが答える。
「客だよ。あの娘に……《解呪の魔女》に助けを求めに来た、ね」
「何……?」
 ルーファスが、ラーグの言葉の意味を考える間もなく、窓の外の通りではセラの前に立った中年の男が、顔を隠すように目深にかぶった帽子をわずかに上げた。
 そうしたことで、室内にいるルーファスとラーグの目にも、その太った中年の男の顔が映る。
 ふっくらとした丸い顔と、それと対照的な糸のように細い目は、一見すると人当たりのよさそうな柔和な印象も受けるが、その瞳の奥には残忍な、ぎらぎらとした油断のならない光が宿っているように見える。
 その男の顔に、ルーファスは見覚えがあった。
「……っ!あの男は……」
 無意識のうちに、ルーファスの唇からもれた呟きに、隣にいたラーグが「おや?」と首をかしげた。
「おや?知り合いかい?公爵」
「……物好きな貴族共に気に入られて、宮廷にも出入りしている商人だ。親しくはないが、顔と名前ぐらいは知っている。あの男は……ギルアム=ローデルだろう?」
「そうだね。あの二人は……ギルアム=ローデルと、その護衛かな?」
 ルーファスの言葉を肯定し、ラーグはうなずく。
「ギルアム=ローデル……あの強欲な商人が、こんな場所に一体、何の用だ?」
 表情は変えず、だが、声の裏には隠し難い嫌悪感をにじませて、ルーファスが言った。
 強欲な商人。
 ルーファスの知る限り、ギルアム=ローデルは、その表現がぴったりとくる男だった。金の為ならば、何でもする男と言い換えてもいい。
 表向きは手広く商売をしている、貴族の顧客も多い、富裕な商人の一人ではあるが、その裏では残忍で人を陥れるような商売のやり口で、悪名高い男である。
 もし高値で売れるものなら、死にかけの病人からはぎとった毛布でも、自分の妻や子供たちさえ、平気で売り払うだろうというのが、ギルアム=ローデルの評判であった。
 それらの評判を、ルーファスは全て鵜呑みにしているわけではなかったが、貴族たちに媚びる時の卑屈なまでのギルアム=ローデルの態度と、反対に貧しい者に対する残忍なまでの見下しぶりには、嫌悪感を抱かずにはいられない。
 富と権力を何より愛する、強欲な商人。
 そんな男がなぜ、富と最もかけ離れた貧民街のような場所に、護衛を連れてまでやってきたのかと、ルーファスは首をかしげる。
 あの強欲な商人が、なぜ――?
「おやおや意外と察しが悪いね。公爵……切れ者と呼ばれているのは、噂だけなのかな?」
 首をかしげるルーファスに、答えは決まっているだろうと、ラーグはクスクスと軽やかに笑う。
「ずいぶんと人の神経を逆なでするのが上手いな。魔術師」
 最初に出会った時から、人の神経を逆なでするような言動をとり続けるラーグを、ルーファスは睨んだ。だが、ラーグは一向に動じることなく、「あははっ」と愉快そうに笑う。
「あははっ。まぁまぁ、そんな殺気のこもった目で睨まないでよ。公爵。僕の実年齢はともかく、見た目はいたいけな子供だよ。大人気ないとは思わないかい?ねぇ?」
「貴様……」
「おやおや、僕と喧嘩しないという、セラとの約束を破る気かい?公爵。妻との小さな約束ひとつ守れないとは、ずいぶんと度量の狭い夫だねぇ。師匠として、セラに同情するよ」
「……」
 ラーグと揉めないという、セラとの約束を大切にしたわけでもなかったが、何か反論するのも馬鹿馬鹿しくなったルーファスは、何も言わずに黙りこむ。
 そんなルーファスを見て、ある程度は気が済んだのか、ラーグは「まぁ、いいや」と言って、言葉を続けた。
「まぁ、いいや。あんまり君をいじめると、僕の弟子が……セラが怒りそうだしね。教えてあげるよ。あの商人の男、右腕に包帯を巻いているだろう?」
「……ああ」
 窓越しにしか見ることが叶わないが、たしかにセラに何事かを話しかけているギルアム=ローデル――強欲な商人の右腕には、白い包帯が二重にも三重にも、念入りに巻かれていた。
 それが、どうかしたのか?とルーファスは思う。
 大方、怪我か何かしただけだろうと。
 あの男がここ……貧民街にいる理由と、何か関係があるとは到底、思えない。
 しかし、ラーグは商人の包帯を巻かれた腕から目を逸らすことなく、言葉を続けた。
「あの包帯の下は、どうなっているのかな?ほら、包帯をはずすよ。見ててごらん」
 ラーグがそう言った瞬間、商人の右腕を取ったセラが、しゅるり、と腕に巻かれた包帯を外す。
 その包帯の下には……あるべきものがなかった。
 いや、腕が無かったという意味ではない。正確には、あるべきものがなく、代わりにないはずのものがあった。
 本来、右腕があるはずの場所には、腕でも指でもなく――黄金があった。
 正しく言うならば、黄金の腕だ。
 指も爪も肌も、全てが生身ではなく、黄金で出来ている。
 偽物ではない。
 また義手でもありえない。
 その男の肘から下だけが、黄金で出来ていた。繋いだ様子も何もなく、肘から直接、きらきらとした黄金の腕が生えている。まるで、人の体がそのまま黄金に変化したようだ。異様……否、異形としか言いようのないそれ。
「なっ……」
 予想も出来なかったそれに、さすがのルーファスも絶句する。
 呆然とするルーファスに、ラーグは冷淡な声で言う。
「ああいう類の人間がね、セラに《解呪の魔女》に助けを求めてくる理由は、ただ一つ…呪われたのさ」
 しばし呆然としていたルーファスだったが、あの初夜の時も、似たような不可思議な光景を見ていたので立ち直りは早かった。
 あの初夜の時、セラに≪解呪の魔女≫に助けられた男は、黒い霧のようなものに全身を覆われていた……あれが、呪いだというなら、今度は人の腕が黄金に変化している……呪いとは、一体、何なんだ?
 その疑問に突き動かされるように、ルーファスはラーグの方に向き直ると、真剣な顔で尋ねた。
「……あれは、何だ?」
 あの強欲な商人の右腕が、人のものから黄金に変わっているのは一体、何なのだ?と。
「僕の言葉を聞いていなかったのかい?呪いだよ」
 困惑するルーファスに対し、ラーグがさも当たり前のように答える。
「あれが、呪いなのか?」
「そうだよ……」
 ルーファスの問いかけに、ラーグはうなずくと、にぃと口角を上げて続けた。
「――ねぇ、体が金に変わっていく呪いなんて、あの強欲な商人にぴったりの呪いだと思わないかい?」
 そう言って、ラーグはクスクスと笑う。
 無邪気に。
 残酷に。
 憐れむように。
 魔術師は笑う。
 クスクスと笑い続けるラーグの琥珀色の瞳が、どこか黄金に似ていることが、何故かひどく不吉に感じられて、ルーファスは無言で、その瞳から目を逸らした。 


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