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四章  過去と復讐  16


 フレッドは、ぼんやりと朝の市場を歩いていた。
 青年の焦げ茶色の頭は、周囲よりも高く、目立ってもおかしくないのだが、地味な身なりがそうさせるのか、違和感なく人混みの中に埋没していく。
 晴れやかな青く澄み渡った空の下、市場のにぎわい。
 商売人たちの呼び込みの声。
 木箱に山と積まれた、今が旬の黄色い果実。
 がやがやとした客たちの喋り声、時折、意図せず触れ合い、すれ違う肩や袖口……。
 それらが全て、目の前をすり抜けていくように、遠い異国の出来事のように感じられる。
 目の前に広がる光景は、どこまでも鮮やかで、生の気配に満ち溢れているのに、何故だか、ひどく現実感が乏しかった。
 あてもなく、さまようように歩を進めるフレッドの頭によぎるのは、今朝方、わざわざ家を訪ねて来てくれた親方の言葉だ。
 職人気質で頑固者、仕事に厳しく、罵声、怒声は当たり前。時に、拳を振り上げる親方は、めずらしく眉を下げて、労わるような口調で言った。背を丸めたその姿は、熊のようなゴツイ親方には、大層、不似合であったけど、その緑眼は、あたたかだった。
「なあ、フレッド……悪いことは言わん、戻ってこいよ」
「……」
 自分を育ててくれた、恩人である親方の言葉に、否とも応とも答えられず、フレッドはたたハシバミの瞳を伏せ、無言のままうつむいた。隣で、ため息が聞こえる。なあ、と親方は続けた。「おっかさんと妹をいっぺんに亡くして、辛ぇのはわかるよ。でも、お前……このままじゃ、職人としては使いもんにならなくなるぞ」お前、親父さんみたいな、腕の良い職人になりたかったんじゃねぇのか。フレッドよう――穏やかに、諭すような声音で言われて、青年はかすかに肩を震わせた。
 彼を見る、親方の目は厳しくも、優しかった。ガキの頃に死んでしまった父親と、おんなじ目をしている。
「俺はまだ、おめぇが辞めるのを、認めたつもりじゃねぇからな。気が向いたら、戻ってこいよ……いつでもな」
 何も答えないフレッドに、呆れかえるでもなく、親方はそう言って、フレッドの肩を叩くと、また来るよ、と背を向けた。肩にあたる、岩のように堅い手のひらは、熟練した職人の誇りだった。遠ざかっていく、親方の広く逞しい背中に、フレッドは、親方……!と声を張り上げたくなる。けれど、結局、喉はわずかにふるえただけで、何も生み出しはしなかった。
 亡父の友人だったというその人は、仕事に関してはは鬼のようにキツかったし、どれ程、頑張ろうとも褒めてもらったことは、一度もない。けれども、今、履いているボロボロの靴は、親方からもらったものだった。どんなに叱られようとも、その乾いた、節くれだらけの手に憧れていた。完成した品を手に、いいじゃねぇか、と誇らしげに笑っている顔が好きだった。……あんな風になりたかった。
 親方の背が遠ざかり、その影すらも見えなくなった時、フレッドは自分がもう、光差す道には戻れなくなったことを悟らざるを得なかった。
「―――」
 そのまま、家に居る気にもなれず、フレッドはふらふらと当てもなくさまよい歩く。
 最近、何をしていても、頭にぼぅと霞がかかっているようだった。
 生活しているだけでも、ふとした瞬間、零れ落ちていく記憶に気づく。何か大切なものを無くしたことは、心の空白が教えてくれるのに、何を無くしたかは決して思い出せないのだ。
 それこそが、呪いの対価なのだと、あの呪術師の女は語っていた。紅い唇を、吊り上げて。常人の力の及ばぬものに、手を染めた代償が、“これ”なのだろうか――。
 ――ユーナ。
 今は亡き妹の名を、心の中で呼び、青年は胸から下げた銀の鎖を握りしめる。何を忘れても、復讐を決意し、呪いに手を染めた動機まで、忘れるわけにはいかなかった。
「ねえ、お母さん……お兄ちゃんがぁ……」
 すぐ傍で、半べそを書くような幼い声がした。声に引き寄せられるように、ハシバミの目が、そちらへと向けられる。果物売りの店の前で、頬をふくらませた幼い少女が、母親とおぼしきエプロン姿の若い女性の裾を、必至に引っ張っていた。少し離れたところでは、兄らしい少年が、ちょっとバツの悪そうな表情をして、そっぽを向いている。
「何だよ、ユーミィが悪いんだろ。俺、何もしてないもん」
 そう唇を尖らせる兄に、果物売りと言葉を交わしていた母親は「そんな言い方するんじゃないの。ほら、ユーミィ、いい加減、泣くんじゃありません」と、エプロンにぴたりとはりついた、娘の頭を撫でる。母親の腰から顔を出した妹は、「だってぇ……」とゴネながら、つんと腕組みした兄を睨む。
 ……いつか見たような、懐かしい光景だった。思わず、口元をほころばせたフレッドに、母親と娘と息子、三対の目が向けられる。さりげなく身を寄せた親子の顔色に、不審の色がよぎる前に、青年は自ら、静かに、その場を立ち去る。
 若い母親、兄と幼い妹。十年位前の、自分たち家族を見ているようだった。いや、でも、幼い頃でも、妹がベソをかいていたという記憶は、余りない。
 あの子は、ユーナはいつも気丈に、明るく笑っていた。
 どんなに貧しくても、どんなに辛くても、愚痴も弱音も吐かず、「大丈夫よ、兄さん」と笑って。


 ユーナが貴族のお屋敷に、奉公に出ると行った時、フレッドは強く反対したのだ。
 階級の違う貴族は、平民など取り換えの利く、便利な道具としか思っていない。
 うっかり失敗すれば、鞭打たれ、屋敷の主人に手籠めにされたところで、大概は、泣き寝入りだ。
 真面目で、心優しい妹が、欲望渦巻く其処で、辛い思いをしないという保証は何処にもなかった。おまけに、ルゼ伯爵家といえば、使用人が次々と止め、長く居つかないという噂であったから、兄として、賛成はしかねる話だった。だが。
「フレッド兄さん、そんなに心配しなくても、平気よ……前に働いていたところよりも、お給金も待遇もいいし、きっと、母さんにももっと良い治療を受けさせてあげれるわ」
 そう、心配性な兄を安心させるように笑って、ユーナは母の寝台のシーツを取り換えた。
 女手ひとつで、彼ら兄妹を育ててくれた母親は、数年前から病魔に蝕まれており、今はなかなか床から出れないような状態だった。医者や薬に頼りたくとも、金がない。ユーナが献身的に看病していても、限界というものはあった。
 もっと、ちゃんと医者に診せてあげたい、という妹の気持ちは、痛いほどよくわかったし、いまだ家族を支えきれない自分の未熟さが、酷く歯痒くもあったけれども、フレッドは「……わかった」とうなずくしかなかった。
 ユーナがホッとしたように、表情をやわらげる。
「けど、無理はするなよ。ユーナ、辛いことがあったら、ちゃんと言え……母さん俺も、お前が傷つくことなんて、望んでないんだから」
「ありがとう、兄さん。愛してるわ」
 妹は、美人ではなかった。でも、陽だまりみたいに、よく笑う子だった。
「大丈夫よ、兄さん。ちゃんとやってるわ。伯爵家に勤められるなんて、女中仲間に羨ましいって言われるのよ……本当に、夢みたいだわ」
「ルゼ伯爵の下のお嬢様、アンジェリカ様は、とってもお綺麗でね……ずっと見てても、飽きないわ。きっと、兄さんも驚くわよ」
「あ、そうそう。お友達も出来たのよ。シェンナ、と言うの。まだ仕事は覚えたばかりだけど、すごく頑張り屋なの。それでね――」
 屋敷勤めはどうだ?辛くはないのか、と彼が尋ねると、妹はいつも、大袈裟な程に楽しい話ばかりをした。お給料も上がったし、これで母さんの薬も買える。どうか、安心していて、兄さん。兄さん。
 今となれば、あの時の自分の馬鹿さ加減を、フレッドは恨めしく思う。
 どうして、気付かなかったのだろう。楽しそうに喋るユーナの鳶色の瞳に、隠しようもない、暗い影が落ちていることに。いつの頃からか、その手首に痣や火傷が幾つも、折檻のあととしてあったということにすら。きっと自分しか、妹の救いを求める声に、耳を傾けられる人間はいなかったのに、と。
「私のことは、気にしなくても平気よ。だから、兄さんは早く、親方に認められるように、頑張って」
 お父さんみたいにと、健気にそう言うユーナに、フレッドはそれ以上、問い詰めることが出来なかったのだ。
 ユーナは真面目で、しっかり者だった。父に似たのか、身体は丈夫ではなかったが、気質は母に似たのか、大人しげな中にも、芯の強さがあった。
 女中として働きながら、家から通い、母の看病も続けた。まだ十五、普通の娘ならば、恋だなんだと心を躍らせている年頃だろうに、愚痴を吐くことも、暗くなることもなく、傍で見ていて心配になる位、どちらも手を抜かず、頑張っていた。
「――あ、兄さん。帰ってきたの?」
 親方の許しを得て、家に戻ると、焦げ茶の三つ編みが揺れる。
 洗濯物を干していたユーナは、話の流れで、思い出すように言った。
「あの子、セラは今頃、どうしているのかしらね……急に居なくなっちゃったから、元気にやっているといいんだけど」
 食事の支度をしながら、フレッドは「さぁ」とおざなり答える。子供の時の初恋が、今更、胸に痛みをもたらすことはないが、なんとなく照れくさい気がした。
 兄の心境を見透かしたように、妹はふふ、と軽やかに笑う。鳶色の目が、伏せられた。
「小さい頃ね、兄さんは、あの子の事を将来、お嫁さんにするんだと思っていたわ。隣のお姉さんみたいに、綺麗なレースの花嫁衣裳を着てね、司祭様の前で永遠の愛を誓うの――そうしたら、ずっと一緒に居られるのにって、本気で思ったもの」
 子供の見た夢。穏やかで、他愛もない未来。そんな日が来ても良かったのに。
 他愛もなく、簡単に叶いそうで、だが、ありえなかったであろうそれを、ユーナは瞼の裏に思い描いているようだった。背を向けたフレッドの耳に、懐かしむような声が聞こえたが、彼は振り返らなかった。そうしたら、きっと、セラも寂しくないと思ったのよ、と。


 ユーナが倒れたと聞いて、フレッドが家に駆け戻った時、寝台に横たわった妹はすでに虫の息だった。血の気の失せたユーナの顔は、幼い日よりもずっと透けるような、今にも死神が鎌を振り下ろしそうな危うさを抱えている。
 心臓が凍りつきそうになりながら、青年はふらふらと寝台の横に膝をつくと、ふるえる手で、妹の手を握る。その冷たさだけでなく、フレッドは息を呑んだ。袖で隠された下には、火傷と殴られたような痣があった。
 それを見た瞬間、鈍器で頭を殴られたような衝撃が、兄を襲う。
 青白い顔で、生死の境を彷徨う妹に、何があったと問い詰めることも出来ず、けれども、それを見れば、何があったか察するのは、容易だった。
 ルゼ伯爵家には、使用人が居つかない。
 給金は決して低くないにも関わらず、それは何故か。『ルゼ伯爵には、お嬢様がいらっしゃるの。アンジェリカさま、天使みたいにお美しい方なのよ』『窮屈なお暮しだからか、ときどき癇癪を起されることもあるけど……平気。我慢できないわけじゃないわ』ユーナの言葉が、何度も頭の中に木霊する。
 兄さん……。
 うなされていたユーナが、気力を振り絞るように、目を開けた。
 潤んだ鳶色の瞳は、幼い時と同じ。でも、あの時よりも、遥かに悲痛なものを宿している。
「信じて、私、アンジェリカお嬢様の指輪を、盗んだりなんかしていないわ……何度も、何度も、そう言ったのに、地下の貯蔵庫に閉じ込められて……」
 暗かったの。死ぬまで閉じ込められるんじゃないかと思うと、怖くて、怖くて、何度も壁を叩いたの。でも、誰も彼も、外から笑うだけで、鍵を外してはくれなかった。
 しんじて、信じて、兄さん……お願い。
 父と同じように、肺を患った妹は、一声発するたびに、げほげほげほ、と哀れになる程、激しく咳き込む。
 フレッドは、わかった、わかったから、と何度もうなずくより他なかった。
「私、盗人なんかじゃない……信じて、信じて、兄さん……」
 医者に連れて行っても、妹は目を潤ませ、うわ言のようにそう繰り返し続けた。
 地下の貯蔵庫に閉じ込められた恐怖を、まざまざと物語るように、ユーナは目をつぶるたびに、此処は暗い、此処は寒い、と泣き叫んだ。細く痙攣する手の痣を見る度、寝台から落ちそうになる身体を押さえつけながら、フレッドの胸には、身を焼きつくすような憎しみが沸き上がってきたものだ。
 ああ、わかっているよ。ユーナ、お前は、やっていないんだろう。誰かを守る為に、努力はしても、人を陥れようなんて、想像もしない子だ。――俺の自慢の妹だ。
 信じて、兄さん、兄さん、私やってない。
 有り金をはたいて入院させてから、多分、三日ともたなかっただろう。苦しんで、苦しんで、最期まで己の無実を訴え続けた妹は、不思議と安らかな顔で逝った。
 冷たくなっていくユーナとは対照的に、フレッドの心は何か熱く、どす黒いものに塗りつぶされていくようだった。
 情の深かった母だけに、娘が寂しがらないようにと思ったのか、ユーナが儚くなってからほどなく、長く病を患っていた母も、冥府へと旅立った。
 妹がいなくなり、母がいなくなり、フレッドは独りになった。
「ユーナのお兄さん、ですか?」
 ただひとり、妹の見舞いに来てくれた赤褐色の髪の娘、シェンナは、涙目で妹の無実を誓ってくれた。
 ――アンジェリカお嬢様は、指輪が無くなったのを、ユーナのせいにしただけなんです。彼女は優しい人だったから、いつも、トロいあたしを庇ってくれて、それでお嬢様に目をつけられたんです。何度もぶって、地下に閉じ込めて、それでも、ユーナがやっていない、って頑として言い張ったから――
 嘘でもいいから、やったって言えば、お嬢様も手加減したんでしょうけど。
 正直すぎたんです、と赤褐色の髪の少女は、うつむいた。黒いつぶらな瞳に、大粒の涙をためて。
 ――ああ、だから、自分は反対したんだ。
 貴族のお屋敷に奉公なんて、止めておけ、って。
 あんな人を虫けらみたいにしか思っていない奴らのせいで、お前が死ぬ必要なんて、何処にもなかったんだよ。ユーナ。

 復讐の手段として、呪術師に頼ったのは、我ながら、愚かなことだったとは思う。
 でも、他に、ユーナの苦しみを、相手に返してやる方法が思いつかなかった。刃物で刺すなんて、そんな手段は意味がない。苦しんで、怯えて、絶望に苛まれて、そうして、ユーナと同じ苦しみを味わいながら、死ねばいい。――アンジェリカ=ヴァン=ルゼ。
 妹の報復を決意してから、フレッドはただ一度だけ、その姿を垣間見た。雪よりも白い肌、黄金の巻き毛、流れるような優雅な振る舞い。確かに、震えがくるような美貌ではあった。
 なあ、あの子は最初、お前に憧れていたんだよ。お綺麗な、アンジェリカお嬢様。窮屈なお暮しだから、とお前に八つ当たりされても、じっと耐えていたよ。アンタ、知らないだろ。殴られたり、痣をつけられたり、その気の遠くなるような痛みを知らないだろう。何ひとつ……。
「親方、今までお世話になりました」
 息子のように、何くれとなく面倒を見てくれた親方に、迷惑をかけるのがしのびなくて、フレッドは工房を辞めた。仲間や親方が引き留めてくれるのを、振り切って、呪術師を訪ねた。
 褐色の肌の女は、金がないと正直に言うと、記憶を要求してきたにも関わらず、彼が了承すると、ぎょっと目を剥く。
 呪術師の女は赤い唇を尖らせて、いいのかい、と再度、問う。
「自分で要求しといて何だが、本当にいいのかい?失った記憶は、二度と取り戻せない。呪いの副作用は、アンタを壊し続ける。それでも?」
「……構わないさ。あの子の仇が取れるなら、手段は選ばない」
「はあ、嫌だ。嫌だ。男っていうのは、これだから……思い詰めたら、周りなんか、まともに見やしない」
 昔、あたしを抱いて、戦場から帰って来なかった男も、アンタと同じ目をしていたよ。
 呪術師の女は、一瞬、憐れむような目をして、ついで、ふっと蠱惑的に嗤うと、入りな、と顎をしゃくった。
 フレッドは銀の鎖を握ると、迷いを振り切るように、乱暴に扉を閉めた。

 セラと再会しても、彼の決意は揺らがなかった。懐かしい顔を見て、もしもの未来を思い描かなかったといったら、嘘になるけども。
 もしも、彼女と彼の道があの時、分かたれなかったら、共に歩く未来もあり得たのだろうか、と。夢物語だった。いとおしい思い出の見せた、ほんの一瞬の幻……。
 亜麻色の髪と翠の瞳の、やわらかく微笑んでいた少女。
 少年だった頃、フレッドが、淡く、恋とも言えぬ想いを抱いた娘は、あの時よりも、ずっと美しくなっていた。綺麗なドレスを着て、髪を結い、傍仕えの女中を連れた彼女は、幼馴染だというのに、まるで別世界の住人のようだった。
 夫となった男に、愛されていることを感じさせる、その姿、幸せそうだった。
 そのことに、微かな妬心を抱かなかったわけではない。けれども。
「フレッド」
 ――会いたかったなんて、嘘だ。こんな変わり果てた状態で、醜くなった心で、会いたくなかった。
「……貴方のことを、信じてるから」
 そう言う、セラの瞳が、昔と変わらなかったから。
 やわく、儚げに見えて、どこまでも真っ直ぐに此方を見る眼差しが、ちっとも変っていなかったから。だから。
 フレッドは良かった、と思った。
 この優しくて、頑なで、本当は寂しがり屋な少女が、独りぼっちでなくて良かったと。自分はもう、あの日のように、セラと手を繋ぐことは出来ないけども。
 (――どうか、幸福であって、俺の分もユーナの分も)
 凍てつく寒空の下、君がひとりで震えずにすみますように、と。

 がくっと膝が崩れるのを感じて、フレッドは近くの壁に手をついた。
 頭が、ガンガンと警鐘を鳴らすように、痛んだ。
 青年は片手で、倒れそうな身体を支え、唾を呑みこむ。
「――――――っ」
 全身に、激痛が走った。だが、その痛みも一瞬のことで、頭にふわふわと靄のようなものがかかる。しばらくすると、暗雲が晴れるように、スーッと心も身体も楽になった。
 地面に倒れ伏し、仰いだ空は青く、どこまでも高い。
 視界を覆うように、白い光が、あふれた。
 その光はフレッドの身を包み、彼は眩しげに、ハシバミの瞳を細める。
 不思議だった。
 白く、汚れないその光は、彼を断罪するはずのものであるのに、何故か、あたたかく、手放し難いものに思える。
「【その魂に刻まれし呪いよ、その者を開放し、あるべき混沌の淵へと還れ】」
 何処からか、セラの声が聞こえたような気がした。
 記憶が薄れる。
 薄れ、やがて消えてゆく。
 さながら硝子が砕けるように、その大切な破片は、いずこかに飛び散っていった。
 ああ、
 自分という存在が薄れていくのを感じながら、それでも、どこかいとおしく、切ないような感情を覚えて、フレッドは淡く笑む。
 ――約束だ。
 もう独りぼっちなんて、二度と言うなよ。忘れるな……よ。

 呪いが解かれる。
 あたたかな光が、フレッドを包み込んだ。
 遠くに、彼が愛した翠の瞳が見えた。


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