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四章  過去と復讐  3


 ルーファスが王宮に出かけている頃、セラは公爵家の屋敷の一角――見事な蔵書を誇る、書庫にいた。
 名門中の名門、エドウィン公爵家の名に違わず、その書庫は大層、立派なものである。
 蔵書の数もさることながら、四方を壁いっぱいの本棚に囲まれ、それらには隙間なく、それこそ、天井近くまで書物が積み上げられていた。
 壁が本棚に成り代わり、手の届かぬ本を取る為にか、高い高い脚立がかけられたそこは、普通ならば狭く、閉じこめられたような閉塞感を感じるだろう。
 しかし、この書庫に限っては、そのような心配とは無縁だった。
 四方を本棚に囲まれても、部屋はなお広々としており、天窓からは、明るすぎない陽の光が取り込まれる。
 古い書物の匂いがただようそこには、年季の刻まれたテーブルや椅子が鎮座しており、書庫にこもる者に、時の流れを忘れさせるかのような、贅沢な工夫がなされている。
 これだけのものを作り上げた、歴代の公爵家の当主が好事家であった、といえばそれまでだが、何も唯、趣味だけが理由なのではない。
 書物は貴重であり、平民は殆ど本など読まぬ。なればこそ、これは富の象徴であり、知識欲の行きつく果てであり、また盛大な道楽の産物でもあった。
「よっ、と」
 天井近くの本を取る為に、セラは本棚の横にそなえられた、高い脚立に足をかける。
 そうして、黒地に銀の縁取りがなされた本に手を伸ばした。
 手に取った途端、むわっ、と黄ばんだ羊皮紙の、古書特有の匂いがする。
 色褪せ、擦り切れかかった表紙が、過ぎ去った歳月の名残りを感じさせた。
 (これは……英雄王の時代に書かれたものの、書き写し、ということかな)
 脚立の上にちょこんと腰をおろし、本を選び、ぱらぱらと頁をめくるセラに、下から声がかかる。
「セラさま、危ないですよ―!早く下りてくださいまし―!」
 青い瞳が、不安げに揺れている。
 女中のメリッサが、心配そうな顔をして、こちらを見ていた。
 脚立の一番上から、下を向いて、セラは微笑した。
「ええ、今、下りるわ。メリッサ」
 高い所は、苦手ではなかった。
 幼い時、巣から落ちてしまった雛鳥を戻そうと、大樹によじ登った記憶もある。
 その証拠のように、書物を脇に抱えたまま、セラはするすると脚立を下りる。
 彼女が床に足をつけると、メリッサはあからさまに安心したようだった。
 優しいが、ちょっとドジな所がある奥方様が、いつ落ちそうになるのか、と内心、ハラハラしていたのだろう。
 言葉にはせずとも、顔にそう書いてある。
 そんな側仕えの少女の、わかりやすい態度に、微笑とも苦笑ともつかぬものを浮かべつつ、セラは机の上に、選んできた本の山を積み上げる。擦り切れた書物の頁を、そっとめくる。
 はらり、はらり、と頁をめくる音が、囁きにも似た静やかさで響く。
 そうやって積み上げた本の山を、屋敷の奥方様である彼女は、少しずつ、ゆっくりと読み進めていく。
 この屋敷に嫁してからというもの、この書庫通いは、セラの日課と言っていい。
 貴族の夫人らしく、刺繍や夜会に興じるでもなく、かといって年頃のご令嬢達と同じように、華やかなドレスや宝石、はたまた噂話の類に目を輝かせるわけでもない奥方様のことを、使用人たちは心中、「当家の奥方様は、不思議な御方だ」と首をかしげている。最も、主人であるルーファスへの遠慮と、執事であるスティーブの薫陶ゆえに、それを正直に口出すような者は、少なかったが。
 そのような周りの視線を知ってか知らずか、セラは暇さえあれば書庫にこもり、目についた古書や歴史書を、片っ端から読み耽る。
 書庫の蔵書は、古い言語で書かれているものも多く、幼い頃、十分な教育を受けるだけの余裕がなかった彼女にとって、断じて、容易いことではなかった。だが、辛抱強く、諦めず、長い長い時間をかけて、少しずつ本の内容を咀嚼し、頭の中に入れていく。
 それもこれも、すべて呪いを解く“鍵”を見つけるため――
 とはいえ、数ヶ月の時を捧げた、その成果は、決して芳しいものではなかった。
「ふぅ……」
 翠の瞳が、落胆するように伏せられる。
 少女の唇から、微かなため息がもれた。
 ここの蔵書は、質も量も素晴らしいが、セラの欲するものを満たしてくれはしない。
 書庫の中にあるのは、表向きの、外部の人間に読ませても支障のない本ばかり。
 歴史書の類にしたところで、表面だけをなぞっているものが大半で、裏の、真実ともいうべきものは、さりげなく消されている。
 今、読んでいるこの本にしたところで、書かれているのは英雄王の側近のひとりが記したという、かの王の業績を讃え、華々しい戦歴を、美辞麗句を尽くして、語り上げたものである。
 (英雄王が、自分の血を受け継いだ子供たちに、何をしたのか……なんて、書いてあるはずもないわよね)
 考えてみれば当然だと、セラは思った。
 ここは、かの英雄王の御世より続く、エドウィン公爵家の屋敷。
 代々、かの王の血筋に仕えてきた一族が、王家の威光に陰りが差すようなことを、また己が一族にとって、都合の悪いことが記された書物を、燃やし、灰にすることもなく、堂々と置いておくとは考えにくい。
 吐息を吐き出し、彼女はもう一枚、長い歳月を経て、かすれた頁をめくった。
 (もしかしたら……と思ったのだけど……)
 エドウィン公爵家の始祖である、隻眼のヴィルフリートは、英雄王の右腕であった人物だ。ゆえに、もしかしたら、と淡い期待をしたのだけれど、今のところ、それは見つかりそうもない。
 (あるとすれば、何処かに鍵をつけて保管しているんだろうけど……あたしには、見せてくれないだろう、ね)
 隠し書庫があるとすれば、公爵家の当主であるルーファスが知らないはずもないが、彼には立場というものがある。
 婚姻関係にあっても、一族でもない者に、そう易々と秘密を明かすとは考えられない。
 この書庫に鍵を貸してくれ、いつ入ってもいいと言ってくれただけでも、感謝するべきなのだ。
 (喋り方はアレだけど、本当は親切な人だから……)
 好きに使うといい、素っ気ない口調で、書庫の鍵を貸してくれた、ルーファスの横顔を思い出し、セラはふふ、とわからぬほどに口元をほころばせる。
 その小さな笑いが、耳に届いたわけでもあるまいが、書庫の掃除をしていたメリッサが、くるり、彼女の方を向いた。
 パタパタと本棚の汚れをはらっていた手を休め、女中の少女は「そろそろ……」と窓の側に視線をやった。
「多分、そろそろ、旦那様が帰って来られる頃ですわ」
「えっ、もう?」
 メリッサの言葉に、セラは意外そうな顔をする。
 王太子の片腕であるルーファスは、一度、王宮に行くと、日が沈み、月が昇る頃まで帰らない時が多い。
 女中の少女に習い、窓の方に目を向ければ、青空に燦々と太陽が輝いている。
 日が高いうちに、彼が屋敷に戻ってくるのは、比較的めずらしい。
「はい。今日は早くお戻りになると、スティーブさんから」
 窓をきゅきゅ、と布で磨きながら、メリッサは答えた。
「そうなの」
 セラはうなずいて、ぱたり、と読みかけの本を閉じた。
 読み物としては面白いが、肝心の中身はといえば、上辺を飾り立てたたものでしかない。残念ながら、彼女の求めるものではなかった。
 そのことに、またもや微かな落胆を覚えつつ、再び、本を抱えた少女は、高い高い脚立を上っていく。
 身軽に、されど、足を踏み外さないように気をつけながら……。
 歴史書ばかりが並んだ一角に、黒い背表紙の本を戻しながら、セラはふと、埒もないことを考える。
 (ルーファスは、あたしがしていることを知ったら、どう思うのかな?)
 彼はきっと、彼女の望みを、求めてやまぬものを知りはすまい。
 (真実を知ったら、あの人は愚かだと嘲笑うだろうか、それとも、あの氷みたいな目で睨まれるかな……)
 深く、沈み込むような、蒼い瞳。
 怖いくらいに綺麗なあの目が、いつか憎しみで己を映すのだと思うと、セラの心は震えた。
 (もう少しだけ、もう少しだけ、その日が遠くあればいい……)
 そんな風に、ほかのことに気を取られていたせいだろうか。
 後ろ向きに、もう一段、脚立の段を踏もうとした時、うっかり足がすべった。
「わ……っ!」
 ぐらりっ、と彼女の身体が、ゆらぐ。
「ああっ!」
 メリッサが、悲痛な声で叫んだ。
 脚立から落ちかけたセラは、とっさに本棚の出っ張りにしがみついて、危うく難を逃れる。
 お世辞にも敏捷とは言えぬ少女にしては、奇跡のような離れ業だった。
 本人もそれを自覚してか、セラは蒼白な顔で、胸を撫で下ろす。
「た、た、助かった……?」
 いっぱいいっぱいの状況の彼女に、背後から、急に声がかけられる。
「何をしている?」
「いっ……」
 その男の声に驚いて、セラは必死にしがみついていた手を、離してしまった。
 当然、支えを失った彼女を待っているのは、床への落下である。ずるっと、汗で手がすべったのが最後だった。
 ―――落ちる。
「ふぎゃああああああ」
 年頃の乙女とは思えぬ悲鳴を上げながら、セラは脚立の上から、転がり落ちた。
 無駄と知りつつ、衝撃に備えて、反射的に目をつぶる。
 死ぬほどの高さではないとはいえ、床に叩き付けられたならば、さぞかし痛いであろうことは、想像に難くない。
 が……あるべき衝撃は来なかった。
 かしいだ少女の身体に、男の腕が伸びる。
 細い腰に手を回し、ぐ、と力強く抱き寄せられて、セラは目を見開いた。
 腕の中に囲い込まれ、後ろから抱きしめられ、呆然とする彼女の耳に、呆れたような声がかかる。
「まったく……人がぶつかってきたり、落ちてきたり、今日は厄日だな」
「……ル、ルーファス?」
 後ろから、抱きこまれたセラが恐る恐る首だけ仰向けると、呆れ顔のルーファスと目が合った。
 救い主である青年の蒼い瞳には、少々、憮然とした色がよぎっている。
「た、助けてくれたの?」
 セラがそう尋ねると、男は無言のまま、他に誰がいるとでも言いたげに、きつく眉をひそめられ、ため息をつかれた。
 はたと我に返った彼女は、慌てて、自分の置かれた状況を振り返る。
 ルーファスの上に落下して、背中から抱きかかえられているのだ。
 男女の体格差があるからこそ、出来る芸当だろうが、小さな子供でもあるまいし、ちょっとどころではなく、羞恥心が先に立つ。というより、重くないのだろうか、ぶつかったけど怪我はさせなかったのか……
 冷静になると同時に、さまざまな心配がふってわいて、セラは赤い顔で「あわわ」と呻いた。
「わわっ、ごめんなさい。ルーファス……け、怪我しなかった?」
 顔だけを仰向けて、必死に言い募るセラを、ルーファスは、ふ、と鼻で笑った。
「他人の心配より、まずは自分の置かれた状況を、把握しろ。貴女はいつもそうだが、な」
 ルーファスは、目に険を宿し、低い声で言葉を重ねる。
「毎度、毎度……人の肝を冷やすことばかり、貴女はしでかしてくれるな。セラ」
「ううぅ……か、返す言葉もありません」
 いつも以上に、冷ややかな気配をまとったルーファスに、セラは首をすくめ、うなだれる。
 身に覚えがあり過ぎるが故、言い訳のしようもない。
 頭上から嘆息がふってきて、セラは刹那、目をつぶり、きつい叱責を覚悟した。だが、厳しい言葉の代わりに、頬に何かあたたかいものが触れる。
 剣を握る、かわいた指先が意外なほど繊細に、彼女の顎から頬のラインを撫で上げる。
 ふわり、と鼻先で己のものは違う、汗と鋼が溶け合ったような、男の匂いがした。
「……痛みは?」
 背中から、抱きかかえられるような姿勢に、ひどく奇妙な心持ちになりつつも、セラはゆるりと首を横に振る。
 恥ずかしさからか、目元が微かに朱に染まり、唇からはぼそぼそと、囁くような声しかもれない。
「え、っと……おかげさまで……」
「そうか」
 ルーファスは短く応じると、セラの腰に回した腕に力をこめた。
 腕の中に閉じ込められるにも似た、息苦しさを感じて、少女は亜麻色の髪を揺らし、もぞもぞと身じろぎする。
 彼女が抜け出そうと身をよじる度、腰に回された腕の力が、心なしか強くなった。
「えーっ、えっーと、ルーファス?」
「何だ?」
 困り顔のセラに、言いたいことを十二分に理解していながら、ルーファスはしれっとシラを切りとおす。
「も、もう大丈夫だから、離し……このままじゃ、その、身動きできないし……」
 弱り顔の少女に、男はにやり、と薄く笑って、
「貴女が、勝手に落ちてきたのだろう?」
などと、意地の悪い台詞を口にする。
「うっ。ええ、それはそうなんですけれど……」
 もごもごと口ごもるセラの腰から、ようやくルーファスの腕が離れた。
 ぬくもりが離れた寂しさと、解放された安堵感で、セラはやれやれと一息つく。
 一体、何を読んでいたのかと、積み上げられた本の山に手を伸ばすルーファスに、彼女は「今日は、早く帰ってきたんだね」と声をかけた。
 王宮に行っていたにしては、と言を重ねると、彼はああ、と書物の頁を無作為にめくりながら、うなずく。
「ああ。今日は、アレン殿下の、王太子殿下の剣のお相手だけだからな」
「……そう。王太子殿下の」
 アレンの名を口にする時だけ、ルーファスの声音は、心なしか柔らかい。
 そのことに気づくと、セラの胸のうちに、微かな波風が立つ。
 ――わずか一歳違いの、彼女の異母兄……。
 ――聡明と名高く、皆から必要とされる王太子殿下。
 ――王家から疎まれ、秘された己とは、同じ血が流れているとも思えない。
 ただの一度として、顧みられなかった子供の嫉妬に過ぎぬ、とわかってはいるのだけれど……。
 忘れたはずの、胸の奥をちりちりと妬く炎。
 それを誤魔化すために、セラはあわく微笑う。
 傷口を無理矢理にふさぐようなそれに、ルーファスは不快げに、眉根を寄せる。
 その時、
「奥方様――っ!」
 メリッサが、わあわあと騒ぎながら、駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか、奥方様っ。あんまり、危ない真似をなさるから、怖かったですわ!」
 本気で心配したのか、興奮気味に碧眼をうるませる側仕えの少女に、セラはごめんなさい、と心から謝った。
「ごめんなさい。メリッサ」
「いえ、お怪我がなくて、何よりですけれど……」
 申し訳なさげに、眦を下げた奥方様に、メリッサも興奮気味だった声をトーンを落とした。
 はあ、と安堵の息がもれる。
 女主人の無事を確認するように、メリッサはぎゅ、とセラの手を握りしめる。
「それにしても……」
 落ち着くと、メリッサはじとーっ、とした視線で、ルーファスを見つめた。
 何やら、物言いたげなその視線に、男は片眉を上げる。
「メリッサ。何か、言いたいことでもあるのか?」
 おほほ、と女中の少女は口に手をあて、誤魔化すように笑う。
「いいえ、何でもありませんわ……旦那様って、意外と人目をはばからない方なんだなぁ、とか、今のをどう面白ろおかしく、仲間たちに話してあげようかしら、なーんて、夢にも考えていませんよ」
「……思ってることが、全部、口に出ているぞ。メリッサ」
「いっ……き、気のせいですわ!」
「ほぉ、面白いことを言う。後で、褒美をやらなくてはな。楽しみにしておけ」
「じょ、冗談ですよね?旦那様」
 怖いくらい穏やかな口調で言う、ルーファスに、さすがのメリッサも青ざめる。
 彼女の運命を悟ってか、隣のセラが同情するような眼差しで、天を仰いでいた。
「どうか、ご勘弁をおおお!」
 メリッサがそう、悲鳴じみた声をあげた時だった。
 書庫の扉が開けられて、少年らしい、やや高めの声が響く。
「旦那様。こちらにいらっしゃいましたか」
 半分ほどあけた扉の隙間から、顔を出したのは、従者のミカエルだった。
 書庫の中に足を踏み入れた少年に、何の用だ、とルーファスが尋ねる。
「お客様です」
「客、だと?」
 はい、とミカエルは首を縦に振る。
「スティーブさんが、旦那様をお呼びするようにと……」
 喋りながら、ミカエルはちらりと、気遣うような目をセラに向ける。
 従者の、水色の瞳によぎる不安の理由が、彼女にはわからなかった。
 その様子を見て、王宮からの使者か、とルーファスが先手を打つ。しかし、ミカエルはいえ、と首を横に振り、歯切れ悪く答えた。
「いえ、その、そういうわけでは……」
 いつになく歯切れの悪い従者に、ルーファスは怪訝そうな表情を浮かべたものの、「わかった」とうなずいた。
「スティーブは、玄関でいいんだな」
 書庫を出て、スタスタと足早に歩いていくルーファスの後に、セラも何とはなしに、ゆったりとした足取りで続く。
 王宮からの使いならば、自分にも関係あるかもしれない。
「……どうかしたの?ミカエル」
 書庫に残された、ふたり。
 複雑そうな顔で黙り込んでしまったミカエルに、メリッサはそう問いを投げかける。
 従者の少年は再び、「いや……」と歯切れ悪く、否定の言を吐いた後、何事かを思い悩むように、唇を閉ざした。



 書庫から玄関に繋がる廊下を抜け、セラよりも先んじて歩いていたルーファスの目に、スティーブの背中が映る。
 忠実な老執事は、玄関の所で、誰かと話し込んでいるようだった。
 肝心の話し相手はといえば、スティーブの背中に隠れていて、よく見えない。
 (小柄だな、女か……)
 ルーファスは足を止め、後ろから執事の名を呼ぶ。
「スティーブ」
「……旦那様」
 主人に呼ばれた老執事が、ゆったりとした所作で、後ろを振り返った。
 スティーブが、そうやって身をずらしたことで、視界の先に艶やかな真紅のドレスが踊る。
 あかい唇が、うっすらと弧を描いた。
「お久しぶりね。ルーファス」
 鈴を鳴らすような美声で、そう言ったのは、まだ少女と言ってもいいような年頃の、若い女だった。
 その容貌はといえば、誰しも、思わず目を奪われる程に美しい。
 天使のような、などと使い古された表現が、まったく誇張にもならぬ程の。
 わずかな陰りもない金髪は、念入りに櫛を通しているのか、艶々と光を弾いて、毛先はくるりと愛らしく巻かれている。
 瞳は、極上の宝玉をはめ込んだような、あざやかな青。
 その面立ちは可憐で、清楚な愛らしさを宿しつつも、わずかな憂いを宿す長い睫毛や、コルセットで締め付けた華奢な腰は、男の欲をかきたてる。
 雪花石膏の肌の中、唇だけが、熟れすぎた果実のように、あかい。
 天使では足りぬ、いっそ魔性めいた、妖しい魅力を持つ少女だった。
「お前は……」
 女を見たルーファスは、刹那、眉をひそめ、ついで表情を殺した。
 その只ならぬ様子に、後ろから、半歩、遅れてついてきたセラが息を呑む。
「ルーファス……?」
 彼女の声には答えず、ルーファスは眼前の金髪の女を見据え、その名を呼んだ。
「――アンジェリカ」
 彼に名を呼ばれた女は、それはそれは美しく、嫣然と微笑んだ。


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