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四章  過去と復讐  9


「……わたくしの顔に、何かついていますかしら?」
 ふいに投げられた問いと、艶をふくんだ笑みに、セラは「いえ、」と顔を赤らめて、小さく首を横に振った。
 クスリッ、とアンジェリカの紅唇から、微笑がこぼれる。


 ――綺麗な人だと思った。
 神がつくりたもうた造形美、ため息が出る程の美しさとは、こういうことを言うのだと。
 けぶるような黄金の睫毛が、まぶたに淡い陰影を落とし、碧玉の瞳をよりいっそう魅力的に、きらめかせる。
 隅々まで行き届いた、見事な庭園を望むことができる、大窓から降り注ぐ陽光が、雪花石膏の肌にほのかな朱を与え、硬質な美貌にやわらかさをもたらす。
 まるで、光のベールのようだった。
 アンジェリカの指先が、カップの持ち手にふれ、ほのかな花の香りにただよう紅茶を、口元へと運ぶ。熟れたような唇に、陶磁器の白さが映える。味わうように軽く目を伏せ、かぐわしい香りを楽しむ。
 そんな何気ない仕草さえも、流れるような気品があり、眼を惹かずにはいられない。
 さながら一幅の絵画にも似た、その光景に思わず、ポーッとなりながら、セラもまた紅茶のカップに唇を寄せて、こくりと喉を鳴らした。
 あまやかな花の芳香がくゆる紅茶は、普段、よく舌に馴染んだものとは違う。だが、大層、上質で味わい深いものである。
 アンジェリカが自ら所望し、その故に用意された、特別なものだ。
 あたたかな香気が、喉の渇きをうるおし、少しばかりの緊張を解きほぐしてくれるのを感じながら、セラはそっと翠の双眸を伏せた。
 美しいひと、華やかな薔薇の匂いが、鼻孔をくすぐる。
 セラの視界の先、アンジェリカの唇が、ゆるやかな弧を描いて、かすかな笑みにも似た形を作った。
(ほんとうに、綺麗な人……神様に愛された人って、こういう人のことを言うのかな……)
 出会いから、数日――。
 だいぶ慣れてきたとはいえ、アンジェリカの麗姿に、セラは心中で感嘆のため息をこぼさずにはいられなかった。
 ただ、容貌が優れているとか、所作のひとつひとつが洗練され、優雅である、というだけではない。
 ルーファスもそうであるが、何をするわけでもなく、そこに居るだけで、人の目を惹きつけるというのは、最早、ひとつの才だ。自然、身の内から滲む典雅さは、どんな言葉よりも雄弁に、女の貴人たる生まれを教えてくれる。
 ふわふわと宙をただようような視線に、気づいたのだろう。
 香りを愉しむように、紅茶の、深い紅の水面を見つめていた碧眼が、すい、と滑るように、上向く。
 紅い唇がゆっくりと、笑みの気配を孕んで、動いた。
 わたくしの顔に、何かついていますかしら?と。
「……あ。いえ……」
 そういうわけでは、とセラはもごもごと歯切れ悪く答えて、黙り込む。
 悪い意味ではなかったとはいえ、真正面から凝視されれば、相手とて、良い気はしないであろう。不躾な真似をしてしまった。
 後悔と決まりの悪さから、亜麻色の髪の少女は頬を赤らめて、恥かしげにうつむく。
 膝の上においた手に、きゅっ、と力がこもった。
 気恥ずかしそうに、うつむいたセラの表情を、まるで面白いものを見るように見つめながら、アンジェリカはくすくす、と可憐に笑う。かわいらしいこと。
 続けられた言葉は、裏に刃にも似たものを含みながらも、どこか甘やかな響きを帯びていた。
「王女様は、素直な方ですのね……ルーファスも、そんなところに骨抜きにされているのかしら?」
 うらやましいわ、とひやかすようなそれは、何とも答えようもない問いで、セラは「そんなことはないと思いますけれど……」と、唇に微苦笑めいたものを刻んで、赤らんだ頬を隠すように、亜麻色の髪を揺らす。編み込んだリボンが、うなじを隠した。
 形式上とはいえ、嫁いだ身でありながら、そういった男女の話題はどうにも苦手で、及び腰になってしまう。――多分、アンジェリカさんに、悪気はないのだろう、とそう思うのだけれど。
 不自然な沈黙を恐れて、小さな吐息を吐き出すと、セラは檸檬色のテーブルクロスの上に並んだ小皿から、スミレの花の砂糖漬けをつまむ。
 口内で、それはシュワとあっけなく溶けてしまって、あとには甘ったるい余韻だけが残った。
 英雄王の片腕・隻眼のヴィルフリート。
 その直系として、王都では五指に入る敷地と、建国以来の歴史と風格を誇る、広大なエドウィン公爵家の屋敷――。
 窓越しに眺める庭園には、エスティアを象徴する白百合は勿論、四季折々の花々が今を盛りと美しさを競い、あざやかな羽の鳥や珍しい小動物などが放し飼いにされている。
 噴水からは清らかな水音が奏でられ、やわらかな木漏れ日に目を細めながら、東屋で一時の午睡を甘受することもできる。
 当代の当主・ルーファスの無駄を嫌い、合理性を尊ぶ人柄ゆえに、不必要な散財は押さえられているものの、それでも、庭園は常時、数人の腕の良い庭師達によって、美しく整えられ、そこに暮らす人々や客人たちの目を、大いに楽しませていた。
 そんな見事な庭園を、間近に眺められる一室で、セラとアンジェリカはカップやシュガーポットが並んだテーブルを挟んで、向かい合い、二人っきりでティータイムを過ごしている。
 ルーファスは、用事があるということで出かけいて、屋敷には不在だ。
 室内にいながら、庭園の景色を鮮明に眺められるよう誂えられた大窓からは、午後の麗らかな陽射しが降り注ぎ、テーブルや椅子、敷き詰められた絨毯に、くっきりとした影、明と暗を与えていた。
 陽光の恩恵を受け、紅茶を口にするセラの顔にも、ほのかな赤味が差している。
 爽やかな香気をくゆらせる紅茶だけではなく、ポットや茶器と共に、テーブルの上には様々な菓子が並べられていた。
 杏のジャムや、焼きたてのスコーン。
 林檎のパイや胡桃のタルト、ジンジャークッキーやら、花の砂糖漬け……。
 常より豪華とは言わぬが、コックのベンが腕を奮った、菓子の数々である。それらにセラの好物が多かったのは、おそらく、お茶の支度を手伝った、メリッサなりの気遣いであったに違いない。
 しかし……先程の些細な悶着を思いだし、セラは微かに眉を寄せる。


「香りが気に入らないわ……取り替えてくださる?」
 お茶の支度を整えに来たメリッサに、アンジェリカは紅をはいた唇を、繻子の扇子で隠しながら、さらりと事もなげに命じる。
 いまだ湯気をくゆらせる、淹れたての紅茶には、あざやかな碧眼で、チラっ、と冷ややかな一瞥をくれたきり、見向きもしない。
 ティーポットを手にしたままの女中の少女は、アンジェリカの言いように「……は?」と虚を突かれたように、目を丸くした。
 しかし、繻子の扇子で、ゆったりと風を送りながら、
「あら、わたくしの言った意味が、わからないの?――下げて、とそう言ったのよ」
と、いかにも小馬鹿にするように言われたことで、さすがに人の良いメリッサも、カッと頬を赤くし、思わず、気色ばんだ。たった今、淹れたばかりの茶を下げろとは、嫌がらせ以外の何物でもない。
 ――客人の無理難題を叶えるのも、使用人の勤めとはいえ、物事には限度というものがある。
 使用人同士の噂話で、ルゼ伯爵家の令嬢の我がままぶりは、耳にしていたものの、聞きしに勝る横暴ぶりだ。
 女中頭の叔母によく似た顔で、メリッサは腹立たしげに、優雅に扇子をあおぐアンジェリカを睨みかけ……不安げな面持ちで、此方を見つめるセラの目を見て、それを思い留まった。
 奥方様の翠の瞳には、こちらを案じるような色が宿っている。――平民の使用人にとって、貴族に盾つくことは、命とりになりかねないからだ。
 ひどく苛立ってはいても、大切な女主人に、心配をかけるのは、メリッサの本意ではなかった。
 傍仕えとして、奥方様の名を貶めるようなことがあってはならないと、彼女は努めて良家の女中の規範を意識し、
「お口に合いませんでしたでしょうか、申し訳ございません。ただ今、すぐに別の銘柄をお持ちいたします」
と、楚々とした所作を心がけ、トレーを片手に踵を返そうとする。エプロンドレスの裾が、ひるがえる。が、しかし、その努力も、追い打ちをかけるようなアンジェリカの言によって、水泡とかした。
「ああ、そうそう、ついでに料理長に伝えてくださらない?こちらの菓子、味は悪くはないけれど、甘すぎるわ。それに……胡桃は、余り好きではないの」 
 すました顔で言うアンジェリカに、元来、そう気の短い方ではないメリッサも、唇を噛む。
 不快感を表に出さぬことが、せめてもの意地だった。
 表情こそ普段通りなれど、いかにもむっとした空気を醸し出す女中は、「……承知いたしました」と応じ、足早に部屋を出ていく。
 扉の閉まる音は、心なしか、荒々しいものだった。
「……よく出来た使用人ですこと、眉間に皺が寄っていましたわ」
 肩をすくめ、皮肉気にいう美しい女に、セラは憂うように眉を寄せ、「いいえ、普段は……働き者で、優しい子なんですよ」と、メリッサに火の粉が降りかかることがないよう、なだめるような声音で言う。
 けれども、アンジェリカは「王女様がそう仰るなら、そうなのでしょうね」と、実のない相槌を打ったのみ。
 そんな女の態度に、セラとて疲労を感じぬわけではなく、またメリッサの事も気がかりであり、はぁ、と無意識のうちにため息がもれた。
 例の甲冑に押し潰されそうになった一件といい、命を狙われているという疑惑、そこに至るまでの経緯も考えれば、アンジェリカがピリピリと神経を尖らせるのも、また時に疑心暗鬼のようになるのも、我がままとしか言えぬ欲求を通すのも、まあ、理解できなくはない。
 おそらく、この麗しい人に、悪気はないのだ……そう思いたかった。
 しかし、そうは言っても、それを負担に感じぬかと言えば、また別の問題である。
 アンジェリカが屋敷に滞在するようになってから、さほどの時間は流れてはおらぬのに、傍仕えのメリッサのみならず、コックのベンも頭を悩ませているらしかった。
 そんな風に、心に霞がかかったようなものを抱えながら、セラはため息を隠すように、窓の外へと目をやった……それが、今より、一刻ほど前のこと。

「あれから……」
 新しく用意された紅茶を一口、喉をうるおして、セラは口火を切る。
 この公爵家の奥方であり、また魔女としての裏の貌をも持つ、少女の翠の双眸は、真摯に、アンジェリカを見つめていた。
 甲冑が倒れこんできた際、彼女はかすかな魔術の痕跡を辿った。なればこそ、その後の異変について、尋ねずにはいられない。
「あれから……何か妙なことはありませんか?」
 アンジェリカはすました顔で、お陰様で、とうなずく。
 首を振ったことで、襟ぐりからのぞく、なめらかな鎖骨ラインが、なんとも言えず、艶めいている。
「ええ、今のところはありませんわ。王女様」
 赤い唇から紡がれる、己の立場を思えば、何とも皮肉な、王女様、という呼称に、セラは困ったような微苦笑を浮かべる。
 王女様、セラフィーネ王女様……母と二人っきり、貧しくも、守られていた揺りかごから、白髪の宰相に手を引かれ、連れていかれた王宮は、暗く冷たい牢獄のような場所だった。
 セラ、セラフィーネ、約束の子、運命を果たすために此処に戻ってきた……あの日から、何度、その名で呼ばれようとも、その響きは決して、彼女の耳に馴染まない。
 胸中に複雑な想いを抱えながら、セラは一度、瞬きをすると、「私は、もう降嫁した身ですから……どうか、セラ、とお呼びください」と、アンジェリカに頼む。
 遠慮がちながらも、それは切実なものであった。
 どこか、懇願にも似たそれを、返事の代わりに、艶然とした笑みひとつ。
 傾城の美貌を持つ女は、わずかな躊躇すらなく、一蹴する。
「ふふ……お気持ちは嬉しいのですけれど、そういう訳にはまいりませんわ。王女様の御名を軽々しく呼ぶなど、ルーファスにも、叱られてしまいます」
 ――セラフィーネ王女様は、彼の英雄王の血筋に連なる御方。真実、守るべき、貴い血脈を受け継ぐ方なのですもの。
 それは、聞きようによっては、妾腹の王女であるセラへの侮辱とも取られかねない言葉だ。されど、セラは寂しげな表情で、「そう、ですか……」と落胆したようにうつむく。
 膝の上で重ねた手、爪の先に力がこもり、空色のドレスにシワがよる。
 窓から差し込む光が、かすかな陰りを帯び、 夕陽のきらめきが室内を照らす。
 カチャリ、とソーサーに置かれたカップは、ただ濃い紅の水面をゆらめかせるばかりで、何も答えてくれはしなかった。
 二人の女の間には、テーブルを挟んで、ほんのわずかな距離しかない。だが、セラとアンジェリカの隔たりは、それとは比することが出来ぬ程、大きなものだった。
 アンジェリカの唇がふるえて、沈黙という名の一時の安寧を崩す。
 あざやかな碧眼が、親しむような、だが、どこか油断のならない棘を隠して、この屋敷の奥方たる少女を見つめる。
 香水の、甘やかな薔薇の匂いが、全身にまとわりつくようだった。
「失礼ですけれど……セラフィーネ王女様は、ずいぶんと心の広い御方ですのね。尊敬に値しますわ、あのルーファスと一緒に居られるなんて」
 あの、とやや語調を強めて、アンジェリカは笑む。
 ――わたくし、子供の頃から共におりますけど、ルーファスの笑った顔なんて、一度として目にしておりませんわ。
 情の薄い人でしょう、とも。
 美貌の女の言は否定的であったが、その眼差しに宿るのは、届かぬものに対する憧れとも、渇望にも似たそれだった。
 アンジェリカの容赦ない言い様に、セラは少し困った風に微笑い、「そんなことは……そんなことはないです」と、ゆるり、小さく首を横に振る。
 控えめな声ではあったが、その翠の双眸に偽りはなく、夕陽へとうつろう光の中、透き通るような煌めきを放っていた。
 対面するアンジェリカに微笑を向け、セラはゆっくりと、言葉を噛みしめるように、音を紡いだ。
「言葉は素っ気ないですけど、でも、信じられる人だと思います。だって……あの人の言葉の奥には、真実がありますから。いつも、いつだって」
 瞼を伏せた亜麻色の髪の娘、その儚げな横顔に、夕陽が影を落とす。
 甘くはない、けれども、凍てつく冬の海にも似た、深い蒼を想った。
 冷淡とも言える言動、突き放したような態度を取りながらも、ルーファスという男は、逃げることをしない人だった。
 見捨てた方が、見てみぬフリをした方が遥かに楽なのに、その道を選ばない。
 深夜まで消えることのない灯り、昼夜を問わず、書物をめくり、報告書に目を通し、ペンを握り続けた指先はかたい。
 一緒に過ごした時は少なくとも、普段の彼を見ていれば、ルーファスが腐敗した国の現状を危惧し、王太子の片腕として、骨身を削っていることを知るのは、難しくない。
 信じるに値する人なのだと、セラは思う。……否、彼を信じられたら、良かった。
 そうできたら、きっと幸せだった。
 油断すると、泣き笑いのようになりそうになるのをこらえ、セラはそっ、と目立たぬよう左腕をさすった。
 それは、叶わぬ夢だと、わかっている。――偽りだらけの我が身には、決して。
「……何も知らないクセに」
 その一言は、羊皮紙ににじんだ、一点のインクの染みのようだった。
 じわり、毒のように、ゆるやかに胸の内に回ってゆく。
 すぐ傍から聞こえたそれは、アンジェリカ以外の何者のものでもない。だが、先程までとは異なる声のトーンに、セラは戸惑い、首をかしげた。
「アンジェリカ……さん?」
 困惑を隠そうともしないセラの表情を見て、アンジェリカはふっ、とあどけなくさえ思える程、無垢な天使の如き微笑みを浮かべる。
 清らかさと、妖艶さと……相反する二つの要素を持つ美貌の女は、まるで、親しい友に内緒話をするように、頬を近づけ、唇を寄せた。
 セラの耳に、ささやく。
「ルーファスの母親が、どんな方だったか、ご存じかしら?」
 ……母親?……ルーファスの?
 唐突なアンジェリカの言葉の、真意が上手く読み取れず、亜麻色の髪の娘は、ふるふると浅く首を横に振った。
 碧眼が細められる。
 それは、知らぬことを責め立てているようにも、あるいは、答えられぬことに、愉悦を覚えているようでもあった。
 ルーファスの母はね……美しい女でしたわ。彼と同じ漆黒の髪と、蒼い瞳の。
 やや高めの声音で語られるそれに、セラは息を呑んで、聞き入ることしか出来ない。
「えぇ、子供心にも、綺麗な人でした……異国から十五で嫁いで来られたのですけど、何年経っても、容貌は全く衰えない方でしたわね……お心の方は、ともかく」
「心の方……?」
「正気でいられる事は、殆どない方だったのですわ。リディアさまは……いつも幻想という檻に閉じ籠り、童女のようで……子供の頃、遠目にお見掛けしただけですけれど」
 いまにして思えば、とアンジェリカは口元を緩める。――あの美しさは、心ここに在らず、だったからかもしれませんわね。亡国の血筋、さながら妖精のような方でしたわ。
 淡々と語られるそれに、セラは胸が苦しくなるような切なさと、そして、疑問を抱かずにはいられない。
 前に執事のスティーブからも、ルーファスの母親が、我が子を胸に抱くことも、名を呼ぶことすらなかったと、そう聞かされたことがある。
 なぜなのだろう。どうして……?
「……何かがあったのですか?」
 当事者たるルーファスが留守の間に、このような話をしていいものか図りかねたが、心に刺さった棘には抗えず、セラはそう尋ねた。
 アンジェリカは、答えてはくれない。代わりに、「本当に……何もかも、ご存じでいらっしゃらないのね」と嗤う。
 侮蔑の響きがあった。
 その時、胸によぎった感情を、なんと表現するべきか、セラにはわかりかねる。見下すように嘲笑いながら、美しく高慢な女の瞳には、煌々と燃ゆる焔のような恋慕と、苦しいほどの一途さが感じられる。そんな女の瞳から目が逸らせず、亜麻色の髪の娘は「アンジェリカさんは……」と名を呼び、ためらいがちに唇を閉じる。
 アンジェリカさんは。
 薄く開いた唇から、絞り出すような声だった。
「アンジェリカさんは……ルーファスのことが、好き、なんですか?」
 年若いとはいえ、妻となった娘が投げかけるには、余りにも拙く、またたどたどしい問いかけだった。
 男を知らぬ処女のような、駆け引きすら考えぬセラの性格が可笑しかったのか、アンジェリカは「ふふ」と笑んだ口元を繻子の扇子で隠し、指に黄金の髪を絡める。
 落日の光が、黄金の髪に映え、その軽やかな笑声が耳の奥にこびりつく。
「ふふ、可愛らしい方……秘された王女とあだ名されるだけあって、世慣れていらっしゃらないのね……」
 ぱさり、と繻子の扇子が床に落とされた。
 拾い上げようと、身をかがめかけたセラを、アンジェリカは目で制す。
「男女の秘め事を詳しく聞くなんて、無粋以外の何物でもございませんわよ」
 ゆるりと白い手が伸びてくる。
 女の手が、少女の亜麻色の髪を梳いて、すべるように頬にふれる。ひやりとした手の感触、鎖骨から唇まで、舐めるような視線は、奇妙な熱を孕んでいた。すうう、と愛おしむように、頬を撫で上げ、アンジェリカはセラの顔を正面から、覗き込んだ。青と翠、色合いの異なる瞳が重なった。
 ひやりとした指先が、甘い香りが、感覚を狂わせる。油断すると、その手に何処かに連れて行かれるような気がして、セラの目にすがるような光がよぎった。ぞくぞく、と身体の芯を、自分ではないものに、無理やり引きずり出されるような。
 ふ、耳朶に息がかけられて、セラは「あ……」と喉を震わせた。
「綺麗な肌……ルーファスはどんな風に、貴女にふれたのかしら?」
 頬を撫でる、アンジェリカの手。
 美しく磨き上げられた爪が、肌に微かな痛み与え、セラは怯えたように身を引き、背を反らす。
 この肌を、髪を、唇を、あの人はどんな風に愛したのかしら?
 優しかった?それとも……。
 熱に浮かされたような、アンジェリカの独白とも言うべきそれに、セラは呆然とした顔つきで、目を見開く。
 呆けたような表情をさらす彼女に、美貌の女はカラカラ、と乾いた声で笑った。
 先の答えを教えて差し上げましょう、と酷く甘い声で、女が耳打ちしてくる。
「憎いですわ。ルーファスは、心の底から求めるものは、絶対にくれない人だから。――絶対に手に入らない、宝石みたいな男って、殺してやりたくなるでしょう?」
――と。


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