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五章 父と子と娘 6


「どちら様ですかな?」
 ウォルターの唇が紡いだのは、相手の素性を問う声だった。
 生気の感じられない、やや青ざめた虚ろな表情。ひどく訝しげな眼差し。
 その薄緑の瞳が見つめるのは、ルーファスの背中で、戸惑うように、小さく首をかしげたセラではない。また己の主治医であるアンダーソン医師でもなく、不安そうな面持ちで、執事の袖を引く、従者の少年でもない。
 誰何の声の意味を悟った、老執事は沈痛そうに首を横に振り、そっと目頭を押さえた。
 ルーファスは、三年ぶりに会う父を前にして、薄く口角をつり上げた。その笑みにこめられたるは、嘲りか、それとも変わり果てた肉親に対する、憐れみなのだろうか。光の加減で、より濃さを増した蒼い双眸からは、どちらとも読み取れなかった。
 ――貴方は?
 もう一度、問いを重ねたウォルターの目は、ただ一人の青年に向けられた。自らの血を分けた、たった一人の息子、ルーファスへと。妻・リディアが産んだ彼の息子、ルーファスがエドウィン公爵家の長子として、生を受けて以来、後継者によって当主の座を追われるまで、十七年もの月日を共に過ごしたはずであるのに……父が息子に向ける目は、言葉は、まるで一面識すらない赤の他人のようなそれだった。
 その瞳にこめられたのが、父親としての愛情でないのは、火を見るより明らかだった。否、そこに宿るのは、憎しみでも、怒りでも、痛みでもない。路傍の石を見るのと同じ、何の感情もよぎらない。
 ――これならば、いっそ殺したい程の憎しみを向けられた方が、余程、救われる。そう考えた己自身を、ルーファスは嘲笑わずにはいられなかった。
 (愚かな……今更、この男に何を期待するというのだ?)
 物心ついた頃には、親の愛情を感じる機会などなかった。父には避けられて、寝台に伏せりがちな母には抱きしめられる代わりに、陶器の花瓶や、枕を投げつけられた。
「いやあああああ、来ないで、こちらに来ないで、助けて、ごめんなさい、ごめんなさい、お父様、アルファス……っ!」
「母上……」
 幼い息子を見る母の眼は、怯えて、潤んで、それでもなお、凄絶なまでに美しく。
 アムリッツ公国の、蒼き薔薇。
 亡国の貴色。
「消えて、何処かに行って!お願いだから、お願いだから、悪い娘でごめんなさい、許して、お父様あアアア…!」
 切れた陶器の破片で、瞼から血を流した幼い息子を、父は汚らわしいものを見るように顔を顰め、「もう二度としないことだ」と、不快そうに吐き捨てた。
 茫然とするルーファスを心配してくれたのは、女中のマリアと、執事のスティーブ、使用人たちだけだった。「お可哀想な、お可哀想な、お坊ちゃま……」強張り、立ち尽くす幼いルーファスの身体を、胸に抱きこんで、黒髪の女中はすすり泣いた。……涙もろい女だった。自分のことでもないのに、彼の身の上に同情していた。放っておけば、良かったのに。そうすれば、己のせいで不幸になる人間は、ひとりでも少なくてすんだのに。
 母が死んで、幼い子息の為にすすり泣いた少女も、居なくなった。だから、今更、どうということもない。父の言動に、ちいさな子供の頃のように、傷つくことも、凍てついた心臓にヒビを刻むこともない。父に振り向いて欲しくて、必死に手を伸ばした愚かな子供は、もう何処にもいないのだ。故に、ルーファスは口を開かぬまま、無感動にウォルターの視線を受け止めた。
 何も変わらない。母が死んだ日から、精神を壊した父が、息子の存在を忘れたところで、何だというのだ。自ら望んで、その存在を抹消し、名前を呼ぶことすら拒んだところで――。
 返事を返さないルーファスに、向き合う父は、ふ、と肩の力を抜いて、首を傾げた。
 その面立ちは、息子と良く似ている。されど、研ぎ澄ました刃のような気配を纏い、その眼差しひとつで、周囲を従えるルーファスと比べると、ウォルターの薄緑の瞳は、穏やかで、ほっとするような温かみを帯びている。
 窓からさす光で、輝く髪は大地の色だ。
 端整、と形容できるのは同じなのに、それぞれの容貌から受ける印象は、まるっきり正反対と言っていい。ルーファスが決して解けることのない永久凍土ならば、その父親は、さながら春の陽だまりのようだった。
 明るく優しい男だった、とかつてのウォルターを知る使用人達は、皆、そう言った。誰にでも優しく、慕われて、穏やかな人だった。そんな旦那様にお仕えできたことは、誇りだった、と辞めていった女中頭は、エプロンを目頭にあてた。
 今や昔日の面影もなくなった、父と顔を突き合わせて、ルーファスは冷ややかに笑う。……あぁ、そうだ。この男は、実に、実に優しい。なにせ、自分を追い落とした実の息子の名さえも、綺麗さっぱり忘れてくれるくらいだからな。
「グレッグ……アンダーソン医師の客人かな?初めまして」
 返事のないルーファスに、首を捻りつつも、ウォルターの口から出たのは、意外にも明瞭なそれだった。
 先ほどまでの、虚ろな、さながら廃人のような有様はなりをひそめ、はきはきと喋り、確認するように、アンダーソン医師の方を向いて、「そうじゃないのか、グレッグ?」と、尋ねる。
 中年の医師は、「ウォルター様……」と悲痛な声で応じ、無視された子息の気持ちを慮り、おろおろと挙動不審になる。が、ルーファスの表情に、動揺の欠片もないのを見て取ると、アンダーソンはがくりと肩を落とし、辛そうに唇を噛んだ。
 うろたえるアンダーソンとは対照的に、実の父に忘れられた黒髪の青年は、激するでも、嘆くでもなく、しごく冷静な態度を貫いた。
 相手が赤の他人のように振舞うなら、自分もそれに合わせようとするように、わずかな情すらこもらぬ声で、冷やかに言い捨てる。
「……無駄足だったな」
 その言葉の余韻すら消えぬうちに、長身の青年はさっと踵を返した。いつの間にやら、やや陰りつつある斜陽のひかり、重い影を引きずりながら、扉の向こうに去っていく。
 部屋に、ウォルターと共に取り残された、セラ、アンダーソン医師、老執事、従者を誰一人として、一顧だにせず。
 ぽかんと呆ける一同の中、亜麻色の髪の少女だけが、握りしめた拳を胸にあて、たまりかねたように声を張り上げた。
「ルーファス……っ!」
 ぱたぱたと軽い靴音が響いて、純白のレースで縁取られた、薄紫のドレスがひるがえる。淑女らしからぬ動作で駆けて行った、セラの後ろ姿を、従者のミカエルが「な……っ。待ってくださいよー!旦那様、奥方様あー!」と泡を食った様子で追いかける。失礼します、と思い出したように一礼すると、階段を駆け降りる、トントントン、と騒がしい足音が聞こえた。
「……坊ちゃんっ!ルーファス様っ!」
 はっと我に返ったように、思わず、後を追おうとしたアンダーソン医師の肩に、そっと手が置かれる。
 アンダーソンが後ろを振り返ると、記憶の中と同じ、思慮深げな目をした老執事と目があった。三年の月日が流れたが、スティーブの目は、昔と変わらぬ、忠義ゆえの厳しさと、それを遥かに上回る慈愛を宿していた。
 何か言わなければ、と口を開きかけたアンダーソンを、執事は穏やかな、諭すような眼差しで見つめ、静かに首を横に振る。
 昔と変わらぬ(いや、少し老いたように見える)老執事の態度に、中年の医師は、胸にこみ上げてくるものを、かすかに口元を緩めることで流した。最早、己自身、人生も下り坂に差しかかろうという齢だというのに、この達観したような老執事と目が合うと、アンダーソンはいつも、己が道理を知らぬ若者に戻ったような心境にかられる。そんな未熟な己を戒めるように、医師はひとつ、ため息をこぼした。
「アンダーソン先生。先代様の事、よろしくお願い申し上げます」
 そう言うと、スティーブは一度、ウォルターの側へと向き直り、「ウォルター様、お久しゅうございます。お身体は、いかがでございますか?」と、話しかけた。
 ――ルーファス様は、エドウィン公爵に相応しく、ご立派に振る舞っていらっしゃいます。王太子殿下の信頼も大変厚く、臣下の鑑と評判も高いとか。つい最近、奥方様も娶られたのですよ。今、一緒にいらした、可愛らしい御方です。ルーファス様とも、仲睦まじく、いずれ孫の顔もおみせできることでしょう。……信じられますか?ウォルター様。あの、お小さかった坊ちゃまが、もう二十歳を迎えられたのですよ。わたくしめが、老いるはずでございますね……。
 旧知の仲であるはずの、老執事が喋っている間、ウォルターは椅子に腰をおろすと、スティーブに背を向け、一度たりとも、言葉を返そうとしなかった。虚ろに前を向く、薄緑の瞳にはその実、何も映っていないようだ。だらりと手をたらし、此方の話を聞いているのかすら、定かではない。
 それでも、ウォルターを見るスティーブの顔は優しく、その声音には敬意が滲んでいた。決して、普段から饒舌とは言えぬ執事が、熱心に語りかけ続けているのは、ただ懐かしさだけではあるまい。
 執事の忠誠は、いつも、同じところにあった。先々代、先代、現当主、使える主は変われど、その胸の内、揺らぐことなく――。
 先代様、とスティーブは呼びかける。
「取るに足らぬ私めではありますが、今も昔も、ウォルター様のお心を信じております。貴方様は、敬愛すべき主人でございました。先々代にお仕えしていた頃、屋敷の使用人は皆、貴方のことを心から慕っておりました……洗濯女にも、気遣いの声をかけてくださる優しいご主人、馬丁のアダムは、今でもウォルター様のお戻りを信じて、待っています。輝ける太陽のような、ご嫡男様、貴方にお仕えできた事は、卑しい自分の誇りだと」
 ……低い身分の者にも目をかけ、さりげなく心配りをする辺り、ウォルター様とルーファス様は、よく似ておられます。先々代様には見られぬものでしたから、きっと、お父上譲りなのでしょうね。
 よく似ておられます、と老執事は目尻をゆるめ、もう一度、同じことを繰り返した。
 自然と、人を惹きつけずにおられぬところと、想いあっていても、素直になられぬ辺りが特に、と。
 先代様、と呼ばれた男は、スティーブの声に応じることはおろか、わずかに視線を動かすことすら、億劫なようだった。そんな、かつての主人の態度に、老執事は気分を害した様子もなく、穏やかに、だが、少し寂しげに笑う。
「また参ります」
 スティーブはそう話を締めくくると、アンダーソンに「先代様のこと、くれぐれもお願い申し上げます」と深く一礼し、その場を辞した。
 残されたアンダーソンは、すがるような目で、椅子に座る主人を見つめる。――彼の人は、何を想う?
 その背中は黙して、語らず。
「ウォルター様」
「……」
 傍らの医師は、諦めたように息を吐くと、「少し涼しくなってまいりましたね」と言いながら、片手で開いていた窓を閉めた。そうしたアンダーソンの横顔を、薄緑の双眸が、じっと見つめていた。



 再び、応接間に戻ったルーファスは、其処に腰を落ち着けることなく、玄関に向かうと、ふらっと、何処かへ行こうとする。
 普段なら、気に病むような事ではないが、さっき、あんなものを見てしまった後だ。
 放っておけない。その広い背中に、セラとミカエルが取りすがった。
「ルーファス、あの、何処に行くの?」
「旦那様、どこに行かれるのですか……?」
 必死さを隠そうともしない、二対の色の異なる瞳に、正面から見つめられたルーファスは、眉間に深い皺をよせ、わずらわしそうに額をおさえた。しっかと自分の服の裾をつかんでくる妻も、どこに行くんですか、と必死の形相で問い詰めてくる従者も、とうに成人した男を相手に、心配が過ぎるというものだ。
 セラは元々、心配性のきらいがあるが、ミカエルまでもとは、少々、呆れずにはいられない。あの程度のことで、傷つくこともなければ、下らぬ真似などするつもりも皆無だ。あの男の事で、悩むこと自体が、すでに馬鹿馬鹿しい。いっそ、そう言ってやろうかと思うが、セラが眉を顰めるであろうことを思い、思い止まる。
 この女は、他人の事で、時折、ひどく傷つくから、面倒だ。今も、まだ引きずっている。
 最近、とみにほそりとした顎を見ると、理由もなく苛立ちが募った。
「すぐに戻る。案ずるな」
 亜麻色の髪を、一筋、ルーファスは指の先にからめると、耳にかけ、その耳朶に低い声を落とした。
 少女は、刹那、不安気に表情を崩したものの、青年の言葉に、ひりりとした冷徹さはあっても、嘘はないと悟ったのだろう。
 こくん、とうなずく。
「旦那様……空模様が怪しくなってきてますから、お早目にお戻りくださいね」
 そう大人びた口調で言いつつも、己よりもずっと不安そうな表情をする従者に、半ば呆れ、だが、突き放す気にもなれず、ルーファスは「わかった」と応じて、屋敷を出ると、裏手の方に歩いて行った。
「しばらく、そっとしておかれた方が、よろしいかと存じます……旦那様の為にも」
 奥方様の責ではありませんので、どうか、お気に病まれませんよう。と申し上げても、難しいやもしれませぬが。 
 そう控えめに言い添えて、ことりとティーポットを持ち上げた老執事に、セラは「スティーブさん」と尋ねた。
「さっきの方は、その、ルーファスのお父様なのよね?なのに、どうして……?」
 透けるような翠の瞳が、切なげに曇る。
 けぶる睫毛が、影を落とした。
 どうして、と彼女が疑問に思うのは、当然のことだったから、スティーブもそれを問うことを罪とは思わない。
 脇で控えていたミカエルも、主人に仕える身で、立ち入った事情を探るなど、あつかましい真似だと、懸命に我慢していたようだったが、奥方様が言葉にしたことで、踏ん切りがついたのだろう。
「僕も……、さっきの旦那様、なんか様子が変でしたよ。張り詰めた糸みたいな感じで、なんて言ったらいいか……」
 危うい、という言葉を、ミカエルは喉の奥で飲み込んだ。
 しかし、それでも、少年の言わんとすることは伝わったのだろう。
 スティーブは思案するように、セラとミカエルを交互に見、しばしの沈黙のあと、覚悟を決めたように口を開いた。既に起こってしまった過去を変えることは、凡愚たるわが身には叶わず、それを口にすることは、執事にとっても古傷を抉るような痛みを伴う。永久にふさがらぬ傷口が、血を流し続ける如く。
「ウォルター様は……ご子息の存在を、自ら望んで、忘れ去られてしまったのですよ」
「それは……」
 どういう意味か、と問いかけて、そういった老執事の表情があまりにも悲しげで、痛みを耐えているようだったので、セラは言葉をなくす。
 何故、と問い詰めることが、とても酷なことに思えて。
 気にならないなどと、どうして言えるだろうか。けれども、それを勝手に聞くことは、ルーファスへの裏切りになる気がした。
 セラはふらりと窓辺に歩み寄り、空を仰いだ。
 先ほどまで、晴れ渡っていたはずの空は、いつの間やら、灰色の雲に覆われており、一雨、きそうという予感を感じさせた。
 今のルーファスならば、雨に打たれるなど些事と、苦にしなそうではあるが、そうさせるのは、セラが嫌だった。例え、彼自身が構わないとしても。
 崩れかけた空模様に、ぎゅ、と祈るように両手を組み合わせ、彼女は、
「雨が降る前に、迎えにいってくるね」
と、スティーブとミカエルに告げた。誰を、とは言うまでもない。
 ミカエルは、自分も行きたいような素振りを見せたが、お節介だと思ったのか、お気をつけて、と応じる。
 その顔つきから、旦那様のことを頼む、という思いを汲んで、セラは微笑んだ。
 ほどなく足音が遠ざかる。
 扉が閉まり、応接間には、執事と従者だけが残ることとなった。
 ここで、ぼうと暇を持て余していても、仕方ない。この屋敷の使用人たちに挨拶して、何か手伝えることがあれば、やらせてもらおうか、とミカエルが思い始めた時だった。
 かつての所有者のものであろう、鹿の紋章を象った暖炉の傍に立ち尽くし、動こうとしないスティーブに、ミカエルは不安を覚えずにはいられなかった。唇を噛む。アンラッセルに到着してから、いや、この屋敷の中に入ってからだろうか。旦那様も、スティーブさんも、様子がおかしい。何がどう、とは言えないのだが、屋敷全体を覆う、暗い影のようなものを感じる。アンダーソン医師も、温和で人のよさそうな好人物ではあるが、何か、胸に秘めるところがありそうだ。
 この屋敷に足を踏み入れたのは、初めてであるにも関わらず、ミカエルは生来の勘の良さで、それを敏感に察していた。
 それが、ただの錯覚であればいいのに、と金髪の少年は、祈らずにはいられない。
 何より、旦那様の父、ウォルター様と呼ばれていた御方のことが、気がかりだった。まるで、人形のような、生気の感じられない目もそうだが、ルーファスへの態度は到底、実の息子に向けるものではなかった。
 ミカエル自身、父はどこの馬の骨だかわからず、娼婦だった母を早くに亡くした身の上ではあるが、それでも、あれが父子の対面だとは、信じ難い。
「……ミカエル」
 そんな思いが、自然と表情に出てしまっていたのだろう。
 少年が伏せていた面を上げると、スティーブと目が合った。老執事は、こちらが辛くなるような、そんな目をしていて、ミカエルは胸がしめつけられるような気分を味わう。
 数十年の長きに渡り、また三代の当主に仕え、エドウィン公爵家を支え続けてきた、その人。忠義心は比類なく、若年の使用人には厳しく、だが、情をもって接してくれるスティーブ。いつも、毅然と、公平さと秩序を重んじ、齢を重ねても凛と伸びた背筋は、使用人一同の誉れでもあった。
 旦那様に拾われ、孤児として生きてきたミカエルに、使用人としての心得を教えてくれた恩人でもある。けれども、頼りになるはずのその人が、今はなぜか、自らが抱えたものの重さに、耐えかねるような目をしていた。皺の刻んだ口元が、かすかに震える。
「先代様はね、ミカエル、昔は快活で、それはそれは聡明な御方だったのですよ。今のあの方を見ると、信じられぬかもしれませんが。穏やかで、賢く、でも、驕ったところない方でした。先々代は、たいそう自慢にしておられて、このエスティアの将来を担う方と、誰もが信じていたのですよ……ウォルター様が、喪われたリディア様の面影に囚われて、お心を閉ざされた、あの日まで――」
 何がいけなかったのだろう、とスティーブは思う。
 どこから、道を踏み外してしまったのだろう。
 ウォルター様が、異国で美しい少女と、運命の出会いを果たした時だろうか。
 その妖精のような娘を、花嫁として、エドウィン公爵家に迎え入れた時だろうか。
 あるいは、日毎に心を壊していく、リディア様の胎から、ルーファスが生を受けた時からだろうか……わからない。わかりたくもない。
 どうすれば、あの悲劇を回避できたのだろう。それとも、避けようのない運命を前にしては、全ては無駄な足掻きだったのだろうか。
 永遠に答えのない問いかけは、今もまだ、老執事の胸のうちにあり続けている。


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