BACK NEXT TOP


六章 王女の呪い 5


 エドウィン公爵家の門前。
 その壮麗たる屋敷の外観と、今は閉ざされた高い門構えを見つめながら、赤髪の騎士は深く苦悩の息を吐いた。
 部下たち散々からかわれながらも、意地で伸ばしていたハロルドの髭は剃られ、すっきりと若々しい面を見せている。
 年齢より若く見られる童顔が故に、髭がないと、ともすれば新人騎士と間違われるかねないのを、彼は密かに苦々しく思っていた。
 それもこれも、事故で負った怪我のせいである。
 暴れ馬による馬車の暴走によって、頭に怪我を負ったハロルドは、自身の怪我も省みず、負傷者の救助や、事後処理に奔走した挙げ句、貧血、その他もろもろでぶっ倒れ、施療院へと担ぎ上げこまれた。
 その他の負傷者には、迅速かつ丁寧に接していた彼の部下たちは、隊長は無茶ばっかりするから、自業自得ですよ、あ、入院手続きはそっちですからー、とにべもなかった。
 騎士隊長たる己の威厳が微塵も感じられないそれに、ハロルドは心中、さめざめと泣きながら、おまけに事故の処理に難癖をつけてくる、本部の嫌味に耐えながら、入院手続きを行ったのである。
 本当は隊長たる己の職務を思えば、入院などせず、すぐさま隊に戻りたかったのだが、騎士団付きの医者から、絶対安静を命じられてはどうしょうもない。
 しょうがなく、部下の中で、年長者のライツに隊の留守番役を頼んだ。
 ハロルドが副隊長時代の上司の縁、(仕事が出来、人望も剣の才能もあったが、放浪癖があり、捕まえて、机に向かわせるのが大変だった。おまけに、毎日、毎日、愛妻に対するノロケを聞かされていた)今や、騎士団の中枢に食い込んだ、その人の口添えもあり、相部屋ではなく個室に入れてもらったが、ハロルドは入院生活の間、無聊をかこうことを覚悟していた。
 母や兄、弟たちに余計な心配をかけたくはなかったから、あえて家族には連絡しなかったし、部下たちも仕事があるから、そうそう見舞いにも来ないだろう。
 悲しいが今は……なぐさめてくれるような、恋人もいない。
 静かな入院生活となりそうだと思っていたら、甘かった。……アイツらを甘くみていた。
 翌日から、休みや休憩時間を利用しては、ヴィル、ライツ、エリック、部下たちが代わる代わる、ハロルドの個室に見舞いにやってきて、それこそ、休む間もなかった。
 毎日、毎日、ヘクターなんぞ、元上司が持ってきた見舞いの高級フルーツを、勝手にもぐもぐと食べていた。他人に取られまいとがっついて、喉に詰まらせたので、仕方ないので、奴のために、あたたかい茶をいれてやった。
 ……何と言うか、まったく、心が休まらない。
 それからも、どこで彼の噂を聞きつけたやら、行き着けの食堂の店主や、昔、迷子だったのを助けた女の子やら、何故か公爵家の女中頭まで、礼を兼ねて、見舞い品を届けてくれた。
 ふと我に返ってみれば、病室は寄り合い所のようになっていた。
 最後には、見舞い品の中に酒を見つけた婦長が、烈火の如く激怒し、ハロルドは身に覚えがないことで、大目玉を食らう羽目になりながらも、予定を切り上げて、命からがら退院したのである。
 そんなわけで、早々と職場に復帰していたハロルドは、休みを利用して、あの事故以来、久しく訪れていなかった公爵家の屋敷へと足を運んだ。
 実際は、来ようと思えば、もっと早く来れたのだが、何となく決心がつかなかったのだ。
 ハロルドの入院中、姪を助けてくれたお礼にと、ソフィーが病室を訪ねてきた。
 朗らかで気さく、周りを自然と明るくさせるような彼女は、姪とそっくりな碧眼を悪戯っぽく輝かせて、「あの子ったら、ずっとあなたのことを心配していた癖に、恥ずかしがってお見舞いに来れないんですよ」と赤髪の騎士に、こっそり耳打ちすると、素直じゃない子でごめんなさいね、とあたたかみのある微笑を浮かべる。
 そうして、彼の手に、主人であるルーファスからの見舞い品だという本と、手編みの膝掛けを預けて、女中頭は笑顔のまま去っていった。深緑の瞳を細め、彼はソフィーから受け取った、膝掛けを見つめたものだ。
 心がこもっているのだろう、手編みのそれは、ぬくもりが伝わってくるようだった。
 臙脂のそれが、誰が編んだものかどうか、誰に教えられずとも、ハロルドにはわかる。が、わかるだけに、一体、どんな顔をして、会えばいいものか、嬉しくとも、あまり緩んだ表情は男としていかがなものかと、阿呆なことを考える。
 あまり、浮かれるのもよろしくない。
 ましてや、怪我人への厚意に、うぬぼれるなど論外だ。
 あれは、きっと、暴走した馬車から庇った礼なのだ。それだけで、深い意味はない。
 ルーファスが聞けば馬鹿馬鹿しいと失笑し、部下が知れば、「いいから、さっさと行け!」と、後ろから背中を蹴りつけて来そうな事を考えつつ、ハロルドは公爵家の高い門をくぐった。
 老執事に許可をもらい、廊下を歩いていると、丁度、中庭に面した窓を開けている少女と視線が重なった。
 ふわり、風がお日様と花の香りを運ぶ。
 結い上げた金髪、光を浴び、その後れ毛がなびいた。
 白いエプロンが目に眩しく、紺のスカートがひるがえる。
 振り返ったメリッサは、碧眼にハロルドを映し、驚いたように瞠目し、睫毛を震わせた。
 ハロルドは言葉もなく、しばし、それに見惚れていた。
 二人の間に、不自然な沈黙が落ちる。
 どちらも口を開きかけ、躊躇うように黙る、という不毛なやり取りが続く。そんな事を繰り返した後、ようやく、ハロルドがメリッサに尋ねた。
「その……、入院中は世話になった。ソフィーさんが、届けてくれた膝掛け、君が編んでくれたんだろう?」
 確信に満ちた問いだったが、メリッサは真っ赤な顔で、首を横に振る。
「あ、あたしじゃありません。ひ、人違いです」
「それは……失礼した」
「え、臙脂の膝掛けなんて、知らないですから」
 否定している割には、ハロルドが口にしていない、膝掛けの色まで白状し、認めているも同然なのだが、赤面しているメリッサはまだ気づいていないようだった。
 耳まで赤くした女中の少女に、彼も何やらつられて、そ、そうか……などと、ギクシャクした態度を取ってしまう。
 ハロルドは、こほん、と気持ちを落ち着けるように咳払いをすると、メリッサと真摯な顔つきで向き合い、黄色い花の咲く細い枝をひとふり、彼女に差し出した。
「そ、それはともかく、良かったら、これをもらってくれないか?園丁に頼んで、一枝、分けてもらったんだ」
「これって、ヴァネスの花……」
 匂い立つ、花の甘い香りに、メリッサは渡された枝に、鈴なりに咲く、小さなヴァネスの花を見つめた。
 薄い花弁を重ねた可憐なそれは、本来、ここよりも南の地方で咲くもので、此処、エスティアでは些か珍しい。
 甘く、優しい香りのそれは、彼女の大好きな花だった。とはいえ、まさか、枝ごと贈られるなどとは、思っても見なかったが……。
 黙ってしまったメリッサに、気に入らなかったかと判断したハロルドは、弱ったように眦を下げた。
「すまない。ヴァネスの香りは、好きじゃなかったか?この花を干すと、良い薬にもなるんだが……」
 混乱の余りか、よくわからぬ事を言い出すハロルドに、メリッサは何だ相手も気恥ずかしい思いをしているのだと察して、おかしくなってしまう。
 顔を上向ければ、なんだか緊張したような騎士の顔が目に入る。髭を剃った顔は、常よりずいぶんと若く見えて、自分とそう変わらぬように見えた。
 一度、冷静になると、ヴァネスの花を差し出したまま、途方に暮れる騎士が、不器用で、でも、年上なのに、なんだか、とても可愛いひとに思えて、自然とメリッサの口元がほころぶ。
「いいえ、好きですよ。でも……どうして?」
「それは……」
 ハロルドは言い辛そうに押し黙った後、照れ臭そうに、横を向きつつ言った。
「貴女に似合うと思ったから、探していた。それだけだ」
 結局、騎士団本部の庭に咲いていたんだが、園丁を説得するのが一苦労だったとボヤくハロルドに、 メリッサはおかしく、とても幸福な気持ちになって、くすくすと笑い出してしまった。
 ヴァネスの甘い香りを纏い、枝を手にしたメリッサは、にっこりと微笑む。
「ありがとうございます。うれしいです、とても」
 ハロルドは虚をつかれたように、ぽかんと口を開けた後、嬉しそうに破顔した。
「ああ。喜んでもらえたなら、良かった」
 メリッサは笑みを浮かべていたが、しばらくすると、沈んだように枝を握った手を下ろし、眉を曇らせた。
「……どうかしたのか?」
 急に落ち込んだ風な少女が放っておけず、ハロルドは気遣うように、尋ねる。
 メリッサは首を振り、
「旦那様にお会いになれば、わかります」
とだけ答えた。
 そうして、彼女は碧い瞳でハロルドを見つめると、まるで祈るような、真剣な声で言った。
「旦那様のこと、よろしくお願いします」


 扉を叩いても、返事がなかったので、ハロルドは「邪魔するぞ」と一声かけて、 カチャリ、とノブを捻り、ルーファスの部屋へと足を踏み入れた。
 そうした瞬間、蒼い双眸が射抜くような鋭さをたたえて、睨みつけてくる。それは、ほぼ予想通りであったものの、部屋に充満するキツい酒の匂いに、赤髪の騎士は思わず、眉をひそめた。
 何用だ、と不機嫌さを隠そうともしないルーファスの机上には、空のグラスと酒のボトルが転がされている。
 流石のハロルドも、頬を引きつらせずにはいられなかった。
「真っ昼間から、酒とはな……良いご身分だ。公爵殿」
 騎士の慣れない皮肉に、ルーファスはどろりと昏い目をして、低く笑った。


BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2013 Mimori Asaha all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-