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六章 王女の呪い 8


「それが……」
 ラーグの台詞に、ルーファスは一度、唇を閉ざすと、次の瞬間には、一切の迷いなく、一息のもとに言い切った。
「それが、どうしたというんだ?魔術師よ」
 さも何でもないことのように、ルーファス迷いも逡巡もなく、ラーグの言葉を否定する。
「それが、あれを迎えに行くのに、何か関係あるのか」
 あの娘は呪われている。
 共に在れば、不幸になる。
 そんなことは、一度、気の遠くなるような絶望を見た青年にとっては、障害の内に入らない。
 それよりも、ようやく掴んだ淡い光が、儚く消えてしまう方が、恐ろしい。
「な……っ!」
 ルーファスの言いように、日頃、飄々と容易に本心を明かさない魔術師も、さすがに驚愕し、正気か!と言いたげだった。
 予期せぬ反応に、ラーグにしては珍しく、剣呑な顔つきで、声を荒げる。
「公爵。君、実はすごい馬鹿でしょ……!?不幸になるって、こっちが散々、忠告してるっていうのに」
 一時的にせよ、公爵と魔術師の立場は逆転していた。
 すでに腹を括ったのか、ルーファスはあるがままに現実を受け入れて、揺らがない。
 窮地にあるのはルーファスのはずなのに、追いつめられているのは、何故かラーグの方だった。
 くしゃりと幼い顔を歪めた魔術師を、 落ち着いた様子のルーファスは、静かな声で諭した。
「冷静になれ、魔術師。まだ必ず、打つ手はあるはずだ」
 まだ遅くないだろう。
 悠久の時を生きる、金色の魔術師は、その半分も生きていない若僧の言葉に、押し黙った。
 君に、僕の弟子の、何が救えるというんだよ。公爵……何も知らない癖に、その罪を、枷を背負ったこともないのに。
 それでも、反発しかけたそれが音にならなかったのは、ひとえに黒髪の青年のそれが、旧友を思い起こさせたからだ。
「諦めるなよ、ラーグ。絶望したなら、這い上がればいい。闇ばかりで光がないなら、一筋の光明を探せばいい……きっと、それだけのことなんだ」
 セラと同じ呪いの烙印を背負わされた王子は、翠の目を細めて、不遜に笑ってみせた。
 友よ、信じているよ、信じているから。
 ――エーリク。
 今は、もういない君の為に。
 沈黙のあと、ラーグは、ぼそぼそと呟くように言った。
「公爵。僕ね、君のこと嫌いだよ。そのお綺麗な顔が、僕の大嫌いだったヴィルフリートの奴に似てるしさ……性格は、ねじ曲がってるし、うだうだ悩むのも面倒だし、正直、セラの男の趣味は理解できないとさえ思うけど……」
「……喧嘩を売っているのか、貴様は」
「でもね、」
 剣呑な目つきになったルーファスに、ラーグは拳を握りしめると、絞り出すような声で懇願した。
「あの子を、僕の弟子を助けてやってよ……お願いだ。僕の、生涯、唯一の頼みだよ」
 机に頭を擦り付けんばかりの勢いで、ラーグは真剣な顔で、どうか、と頼みこむ。
 その昔、不世出の天才魔術師と呼ばれ、英雄王に仕えていた頃のラーグは、プライドが高く、傲岸不遜な男として知られていた。
 人に頭を下げることも、また、その必要を感じたこともなかったのだ。
 呪文の一つも唱えれば、皆、彼の巨大な魔力を恐れ、ひれ伏した。
 両親を魔術の師を、己の手で倒し、それでいいのだと思い込んでいた。あの日、術に失敗し、何もかも失うまでは。
 ラーグは拳に爪を立て、どこか寂しげに笑った。
 ――僕じゃ、ダメなんだよ。あの子を、セラを不幸にした元凶の一人は、僕だから。
「魔術師よ」
 ルーファスは立ち上がると、ラーグの肩にポンと手を置いて、その耳に囁く。
「貴様の不肖の弟子は、連れて帰る。心配するな」
 きっぱりした青年のそれは、力強く、同時に頼もしいものだった。
 去っていったルーファスの背中を見送り、ラーグは微妙に複雑な顔でぼやく。
「何なんだろうーね、アレは。たかだか二十年ちょいしか生きていない、ただの人間の癖に」
 否、魔力のない唯の人間だからか、こちらが百年以上も抱えてきた葛藤を、その壁を鮮やかに乗り越えて見せる。
 なんと羨ましいことか。 思えば、唯一人、友と呼んだ彼もそうだった。



 かつて、持ちうる全ての魔力をかけた術の失敗を、ラーグはその身を持って悟る。
 正確には、半分は成功で、もう半分は大失敗だった。
 冷たい石畳についた己の手は、小さな子供のもので、彼の、男のものではない。
 ラーグが纏っていたローブは、今や引きずるほどに大きく、身体の大きさと合っていなかった。
 おぎゃあ、おぎゃあ。
 ああ、赤ん坊が泣き叫んでいる。
 奪われた母のぬくもりを、恋しがっているのだろうか。
「……失敗か」
 青年から子供になった魔術師に目線を注ぎ、後の英雄王、オーウェンが苦々しい顔で言う。
 翠の瞳が不快そうに、すがめられた。
 若返り。
 術の失敗がもたらした代償は、余りにも大きかった。
「いや、そうとは限らんよ、陛下。赤子を見る限り、半分は成功かもしれん」
「……ヴィル」
 そう口を挟んだのは、浅黒い肌をした若い男だった。
 艶やかな黒髪と、隻眼。
 異国風の彫りの深い、端整な顔をしてる。
 しかしながら、戦闘狂と知られる通り、その漆黒の隻眼には、酷薄な、尋常ならざる光が宿っていた。
「お師さま……なんてお姿に……」
 蒼白な顔で喉を震わせるのは、ラーグの弟子のフィネル=オルソーだ。
 才もなく臆病な男だが、野心家で生き延びることには、長けていた。
「いずれにせよ、もう使い物にはならんな。捨ててこい」
 英雄王はあっさりとラーグの存在を切り捨て、ヴィルフリートは、承知、うっすらと口角を吊り上げる。
 弟子のフィネルはちらりと 、師の変わり果てた姿を振り返ったものの、ラーグを庇うことなく保身に走り、両手に泣き叫ぶ赤子、王の血を引く子供たちを抱くと、英雄王の背を追いかけた。
 恥いることもなく、宮廷の筆頭魔術師であった師の後釜に座るつもりだろう。
 苔のむす地下霊廟、 儀式に使った血の臭いが充満する其処には、隻眼のヴィルフリートと、子供の姿に変わった、瀕死の魔術師が残される。
「さて、と……面倒だが捨ててくるか」
 隻眼の男は、むんずとラーグの金髪を掴むと、力ずくで引きずり、足跡に血痕がこびりつくのも構わず、霊廟から連れ出した。
 外には、雨が降っていた。
 ヴィルフリートは、ぐったりとした子供の体を、地面に乱暴に投げ出した。
 靴で蹴り、水溜まりに顔を押し付ける。
 ラーグの顔が苦痛に歪み、その唇から苦悶の呻きが漏れた。
「か……はっ……が……」
 全身が痙攣し、吐くものなど何もないというのに、吐き気がする。
 術の失敗により、魔力を根こそぎ吸い取られた魔術師は、あまりにも無力だった。
 苦悶のうめきを上げるラーグを見下ろし、ヴィルフリートはどこか愉しげに、嗜虐性を隠そうともしなかった。
「無様な眺めだな。百年に一人の逸材とまで呼ばれた魔術師が、たかだか術一つ失敗して、このザマか」
 蔑みのそれに、ラーグは琥珀の瞳をカッと見開いて、英雄王の片腕たる男を睨みつけた。
 ペッと血のまじった唾を吐く。憎い。
「貴様らに、復讐してやる。泥水をすすり生き延びて、何十、何百年とかかろうとも、必ず」
 魔術師の憎しみのこもったそれに、ヴィルフリートは何故か、嬉しげに目を細め、くくっ、と 喉を鳴らした。
「そう言われるのは、確か二度目だな。絶望と憎しみに満ちた怨嗟の声ほど、胸を満たすものはない」
 この狂人が、ラーグは苦々しい思いで吐き捨てた。
「二人目だと……?」
 ああ、とヴィルフリートは心底、愉快そうに頷いた。
「銀のアリーセ。凶眼の魔女の妹だ。混ざりものの魔女……地下牢に閉じ込められていたあれを、無理やり犯したら、殺してやる!いつか復讐してやる。何百、何千年かかろうとも、必ず。と叫んでいたな」
「下種が……」
 魔術師の軽蔑の眼差しすらも、甘美だというように、ヴィルフリートは哄笑した。
「門番を誑かして、逃亡したらしいが、あれの腹に俺の子が宿っていたら、面白いな。母親の代わりに、俺と陛下を殺しに来たら、もっと楽しめるのに」
 鳥肌が立つものを感じながら、ラーグは震える声で言った。
「正気じゃない、狂ってる……」
「狂っているのは、貴様もだろう。金色の魔術師……俺は知っているぞ」
 雨に打たれながらも、身動き一つ取れない魔術師に、ヴィルフリートは甘ささえ覚えるような優しい声で、ラーグに語りかけた。
「両親を消し、師を殺め、魔術の真理を探るためならば、弟子さえ犠牲にする。貴様のそれが、狂気でなくて何なんだ」
 所詮、同じ穴の狢だろう?
 隻眼のヴィルフリート。
 後にエドウィン公爵家の祖になる男の哄笑は、いつまでもいつまでも、ラーグの耳に残った。

 それから、百年以上も過ぎた頃、一人の男が魔術師の隠れ屋を訪ねてきた。
「ラーグ」
 金髪に、翠の瞳。
 呪いの烙印を背負った皇子は、幼い子供のまま、時を止めた魔術師を、友と呼んだ。
「自分は、魔女の呪いに勝てなかった。でも、もし、この後に続く者たちが、呪いに立ち向かうことを選ぶなら、どうか、力を貸してやってくれ」
 信じているよ、我が友よ。
 傍仕えだった、罪人の娘の亡骸を胸に抱き、終わりを選んだエーリクは未来に、 いつか訪れる者に希望を託した。
 忘れないよ、エーリク。永遠に。

 それから、また時が流れて、ラーグの住処の扉を叩く音がした。
 コンコン。
 待つのも疲れ、半ば生き飽きつつあった魔術師は、のろのろと立ち上がると、うんざりした顔で扉をあける。
「はい……誰か、僕に用?」
 小さな女の子が、緊張した面持ちで、声を張り上げる。
「あ、あの……!あなたが魔術師さんですか?」
 びくびくと怯えながら、それでも、ラーグを真っ直ぐに見つめて。
 亜麻色の髪。
 零れ落ちそうな瞳は、エーリクと同じ、透き通るような翠。
 英雄王の系譜、魔女の呪いを受けた者。
 ラーグよりも頭一つ分は小さい彼女は、魔術師を見上げてくる。
「君、名前は?」
 ラーグの問いに、子供はたどたどしく答えた。
「セラ、です」
「何しに来たの?」
 彼女、セラは、ぎゅ、とラーグのローブを握りしめると、ふわりと柔らかく、微笑った。
「あなたに、会いに来たんです」
 ああ、待っていたよ。――エーリクの約束の君。
 ずっと、ずっと君に会えるのを、待っていたんだ。



 すっかり陽も傾き、薄暗闇に包まれた貧民街で、黒いローブをまとった、小柄な影があった。
 柔らかな亜麻色の髪は、今、フードの下に隠れていた。
 廃墟の壁に、もたれかかった彼女の元に、フリルの派手派手しい赤のドレスを着た幼女が、とてとてと駆け寄る。
「魔女さま――!解呪の魔女さま」
「……どうしたの?ルティ」
 黒いフードをかぶった娘、セラは膝を折ると、幼女と目線を合わせ、ゆったりとした声音で尋ねた。
 幼女は母親に甘えるように、セラの胸元にすり寄ると、「あのね、お薬、分けてもらえる?魔女さまのお薬は、とってもよく効くから」と、頼んでくる。
 魔女さまと呼ばれる少女は、ルティを胸に抱いてやり、「お店で誰か具合を悪くしたの?」と、優しく問い返した。
 うん、と小さな女の子は、首を縦に振る。
「サラ。昨日のお客さんが乱暴な人で、ぶたれたり、殴られたりしたんだって……かわいそう」
 ルティは、娼婦の産んだ娘であり、娼館で生まれ育ち、いずれ娼婦となって客を取るであろう子供だ。
 可哀想と眉を曇らせながらも、安い娼館では、乱暴な客や刃傷沙汰など珍しくもない為、ルティはさほど悲壮感を感じさせない。
「そう……」
 寂しげにうつむくセラに、抱き上げられたルティは、足をぶらぶらさせながら言った。
「でも、変なの。お客さんはサラのことが好きなのに、何で、殴ったり蹴ったりするのかしら?ルティには、わからないわ」
 何で、好きな人を自分で傷つけてしまうの?
 ルティの言葉は、真実をつきすぎていて、セラは微苦笑を浮かべた。
「本当ね……サラには塗り薬と、あと、このハーブも持っていて。鎮静作用があるから、よく眠れるわ」
「ありがとう!魔女さま」
 薬とハーブ。セラの用意したそれを受け取ると、ルティは安心したように笑顔になった。
 そのまま、魔女に礼を言い、去っていこうとする。
「ルティ」
 セラは咄嗟に、その小さな背中を呼び止めた。
「ん」
「いいえ、何でもないわ。気をつけて帰るのよ」
「はぁい!」
 黒いフードの下から、はあ……と、吐息が漏れる。
 そうして、セラは踵を返すと、家路を急いだ。
 ルーファスの屋敷を出てからというもの、セラは魔女としての生活を送っていた。
 貧民街で、孤児や娼婦たちの治療にあたりながら、我が身にかせられた呪いを解く術を、今も探している。
 夫のルーファスを、屋敷の皆を、大切な人を裏切って、屋敷を飛び出したのだ。例え、全てが無駄な足掻きだとしても、 諦めて、投げ出してしまうことだけはしたくなかった。
 帰途につく。
 セラの足は、今の住処へと向けられていた。
 少女の視線の先には、広いが、古ぼけた家が立っている。
 その家はかつて、セラと彼女の母親が、共に暮らしていた場所だった。
 家に戻ってきたセラは、その扉の前に立つ、長身の男に息を呑む。
 驚きすぎて、ろくに声も出なかった。
「ルーファス……」
 宵闇の中、月光に浮かび上がる、凛とした立ち姿。
 暗がりにあっても、煌々と輝く蒼い双眸。
 その様は、獣ようにしなやかで、見惚れすらする。
 間違えようもない、ルーファス=ヴァン=エドウィン、その人だ。
 男は、突然、己の前から姿を消したセラを詰るでもなく、微かに唇を上げた。
「……久しぶりだな」
 伸ばされた彼の手に、セラは抗うことが出来なかった。


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