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七章 眠りの王子 6


 ――余が生涯、忘れ得ぬ光景がある。

 後宮の奥深くに、忘れられたように咲く、可憐な野の花があった。
 英雄王オーウェンの血脈、巨大な国土を誇る西大陸の覇者、華やかなりし宮殿、吟遊詩人は謳う、永久に続くであろう、エスティアの繁栄を。
 しかしながら、その宮殿の奥深くに鎮座する者は、その繁栄が虚飾であり、仮初めの玉座であることを、よく知っている。
 内政を無視した戦争によって、膨れ上がった国土をエスティアは持て余し、歴代の王たちはそれをまとめ上げるだけの技量を持たず、統治を中途半端なまま放り出すこととなった。 魔女殺しの英雄の子らは、あいにく平凡な資質しか持ちえず、最早、かつての栄光は昔日のものになりつつある。
 ここ十数年、主だった戦争がないせいで騎士たちは戦の痛みを忘れ、貴族階級は己の身分に驕って腐敗し、役人たちは私腹を肥やすことにばかり熱心だった。
 そんなエスティアの現状は、誰に言われるでもなく、尊い玉座にある者とて理解している。
 当代の国王オズワルト、まだ年若く、青年王と言って良かった。
 幼少の頃から虚弱で、容貌こそ王家の特徴を色濃く宿していたものの、文武ともに秀でたところのない凡才の王太子と評されていた。それでも、幼なじみであり、従兄弟でもある王太子妃の実家という、強力な後ろ盾と、血筋正しい長子という立場上、障害なく即位できた。
 王妃のアンネローゼは、聡明かつ公正な人柄で、男であれば宰相までのぼりつめただろうと言われる程の女性であった。彼女のおかげで、凡愚と陰口を叩かれる青年も、なんとか国王としての体裁を保っていられた。
 して、そんな冴えない国王の後宮には、 幾人か手をつけた女がいた。
 もともと病弱で、男女の仲にも積極的でないオズワルトにとって、妻であり、姉のようであり、時には母のようであるアンネローゼは最愛の女性であり、彼女に並ぶ存在は有り得なかったから、世継ぎを、国の安定の為に、政略結婚の駒となる王子、王女をもうけよ、あわよくば自分の娘や孫娘や縁者を、とギラギラした目で迫ってくる重臣たちのそれは、憂鬱の種であった。
 好きでもない女を抱くことに罪悪感を覚えて、酒や薬の力を借りたことも、一度や二度ではない。
 しかし、それも、これから少しはマシになるはずであった。
 昨年、国王オズワルトと王妃アンネローゼの間には、世継ぎとなる待望の男児、アレンが誕生した。 母によく似た、聡明そうな面立ち、父譲りの黄金の髪を持って産まれた息子は、 王太子の地位がほぼ約束されており、将来、玉座を継ぐことは疑う余地もなかった。
 そう、オズワルトの苦悩の種はひとつ、減ると思われていたのだ。
 しかし、英雄の犯した罪と、凶眼の魔女の哀しみ、王家にかせられた呪いが、それを許さない。
 ……後宮の奥深くに、宮廷の誰からも気にとめられない、名もなき花が咲いていた。
 美しく、控えめで、可憐であるものの、百花の艶やかな美女たちが集う後宮にあっては、目立たぬ地味な花であった。
 玉座にあり、後宮に許可なしで立ち入れる唯一の男であるオズワルトは、声をかけることもなく、その部屋へと足を踏み入れた。
 後宮の片隅にあるそこは、寵姫に与えるには狭く、下働きの部屋のように殺風景で、色がなかった。 晴天の折、開け放たれた窓で生成色のカーテンが揺れて、柔らかな光の帯が、ちらちらと瞬いている。
 そんな質素な部屋の隅っこに、華奢で、いまにも消え入りそうに儚い娘が、ふくらみかけた腹を抱えながらうずくまっていた。
 ……身ごもっているのだ。
 そして、オズワルトには、心当たりがあった。娘の腹に宿っている子は、十中八九、己の種であろう。
「シンシア」
 彼が名を呼ぶと、娘が緩慢とも言える動作で、のそり顔を上げた。
「……オズワルト陛下」
 亜麻色の髪に緑の瞳の娘は、やや青白い顔をして、弱々しい声でオズワルトを呼ぶ。
 市井にあっては美人ともてはやされたであろう、娘の容貌は美女集う後宮においては、特筆するべきものはなかったが、その控えめな仕草や、儚く消え入りそうな雰囲気が、かえって人の興味を惹きつけた。下級貴族の娘・シンシア=オルドバーグは、そういう女であった。
 しかしながら、オズワルトにとって、シンシアは特別な寵愛をかける相手ではない。
 いや、そもそも彼女は寵姫ですらなかった。王宮に仕える女官であった彼女は、一夜の慰めの為に、王の寝所に侍ることになった。
 オズワルトは、覚えている。薬で理性を麻痺させられ、朦朧とした意識の中、シンシアを抱いたことを。

 ――英雄の子たちよ、愚かな真似を。罪を隠すために、更なる罪を重ねて、一体、何時まで、このようなことを繰り返すつもりだ。
 ――知っている。お前の罪を、知っているぞ!!!

 頭の中に響く、胸を締め付けるような慟哭に、オズワルトは胸をかきむしりたくなった。
 エスティア王家の特徴を宿した蒼灰の瞳が、己の子供を宿した、身重のシンシアを映す。
 ふくらみかけた少女の腹に、オズワルトはあぁ、と呻く。
 これは、この子供はわたしと同じだ。罪の子である私であり、災いを背負わしたあの子でもあるのだと。
 男の喉の奥から、声なき嗚咽がもれる。 王は身重の娘に近づくと、すがりつくようにしながら、すまないと語りかける。
「すまない、すまない……弱い私を、赦してくれ……こうするしかないのだ」
 まるで酩酊したように、すまないと繰り返すオズワルトに抱きしめられながら、 シンシアは困惑したように「陛下……?」と、呼びかける。

 ――許さない。絶対に許すものか。

 すすり泣きが、いつまでもいつまでも耳に残った。

 月満ちて、身重だったシンシアは、ひとりの女児を産み落とす。セラという名の女の子を。
 後宮からシンシアと、その娘が行方知れずになったのは、それから一月後のことだ。



「君が決めるんだよ、セラ。英雄の血を引いて、凶眼の魔女の魂を持つ、きみが」
 悠久の時を生きる、少年の姿をした魔術師は、琥珀の瞳に深淵を宿して、最後の弟子である少女、セラにそう告げた。
 きみが終わらせるんだ、全てを。
 それは、ずっと、楔のように、彼女の心の中に突き刺さっていた。
 ――わかっているよ。ラーグ。
 ――あたしはずっと逃げてきたの。でも、いつか自分の運命と向き合わなきゃいけないって、知っていた。この呪いに蝕まれた身体が朽ちて、命が尽きる前に。今が、その時なんでしょう?
 日の出と共に、セラは目覚めた。
 透けるレースのカーテンから、眩い朝日が差し込む。
 睫毛が震える、淡い翠の瞳が瞬いた。
 頭が重い。
 くらくらと立ちくらみに似たものを感じながら、セラは重い体を起こした。
 理由のわからぬ吐き気や、全身を覆う倦怠感は、日に日に強くなりつつあった。 原因不明。あるいは今の医療では治せぬ、奇病。
 公爵の執事スティーブが、伏せる奥方様の体調を心配し、呼び寄せた医師は、しきりに首を傾げながら、そう診断した。
 身体には、どこも悪いところが見当たらぬのに。
 原因不明。否、セラは、その理由を知っていた。誰よりもよく。
 絹の寝衣の袖を、セラはそっとめくりあげた。
 二の腕は黒く染まり、痣のようなそれは、彼女の全身へと広がりつつある。
 ……醜い。翠の瞳に深い苦悩を宿して、セラは眉をひそめた。
 彼女に科せられた呪いは、日に日に強さを増している。それは、解呪の魔女と呼ばれる娘であっても解けぬほど、強力なものだ。
 果たして、いつまで正気を保っていられるやら、物心ついた時から己にかけられた呪いと戦ってきたセラであっても、自信がなかった。
 身の内に飼う、゛魔女の魂゛がいつ暴れ出すのか、彼女自身にもわからない。
 セラは立ち上がると、扉を開けて、足音も立てずに廊下に出た。
 ようやく夜が明けて、朝日が昇ったばかりの屋敷の廊下は、昼間、シーツやシャツの放り込まれた洗濯籠をもった女中や、屋敷を支える下男たちが行き交う時と異なり、静かで閑散としている。
 部屋から抜け出し、寝衣のまま廊下を歩む奥方様を咎めだてする者は、誰もいなかった。
 それを良いことに、ぺたぺたと足音を響かせながら、セラはルーファスの部屋へと向かう。
 一つに編んだ亜麻色の三つ編みが、少女の背中で、ゆらゆら揺らいだ。
 ――ギィ。
 扉の隙間から、翠の瞳がのぞいた。
 女の細腕には重い扉をそっと押し上げたセラは、部屋の中を伺いながら、そろそろと夫の書斎へと足を踏み入れる。
 部屋は物音一つせず、静かだった。
 きょろきょろと目線を動かしながら、落ち着かなげな様子のセラは、吹き抜けた風と、バサバサッと宙を舞う書類に目を見開いた。
 半分ほど開いた窓から、風が吹いている。涼やかなそれが、少女の頬を撫でた。 机の上に、無造作に置かれていた書類の束が、はらはらと宙に舞い上がる。――まるで、花びらが舞い散る時のようだった。
 窓から、乳白色の朝日が差していた。柔らかいな光の帯が、ルーファスの部屋全体を包んでいる。
 書き物机と対をなす、年代物の肘掛け椅子に腰掛けた青年は、珍しく、座ったまま、居眠りをしていた。
 深夜、書類を書きながら、そのまま眠ってしまったらしく、羽ペンが床に転がり、硝子のペン先からインクが滴っている。
 普段、怜悧ともいえる蒼い双眸はかたく閉ざされて、漆黒の髪が額にかかっている。
 飴色の机に突っ伏し、眠るルーファスの、朝日に照らされた横顔は、意外にもあどけなく、年齢よりも幼く見えた。
 ルーファスの主君である王太子殿下の具合が、良くないらしい。その分、右腕である青年公爵に、負荷がかかっているのだろう。
 王太子アレンの存在は、セラにとっても、異母兄妹というのみならず、特別な意味を持つ。魂の双子。――運命を分けた子。
 少女の胸に痛みをもたらす存在は、されど、愛する者、ルーファスの大切な人であった。だから、どんな理由があろうとも、憎めない。憎むことなど、出来るはずもない。
 疲れ果てた様子で眠るルーファスが「ん……」と声を上げ、無意識かもしれないが、身じろいだ。
 セラの耳に、切なく乞うような男の声が響く。
「ん……セラ……其処にいたのか」
 幸せな夢を見ているのだろうか。
 心底、安らいだような声で、男は妻の名を呼ぶ。
 微かに動かされた彼の指先は、何かを掴もうとしているようだった。
「此処にいるよ。ずっと、あなたのそばにいるよ……ルーファス」
 セラの白い頬を、涙が伝った。
 翡翠の瞳が、潤む。
 ――溢れ出る、この感情の名を知っている。
 ――きっと、これを恋ではなく、愛と呼ぶのだろう。
 ――否、きっと、セラもルーファスも一時、見失っていただけで、それは本来、生まれた時から、与えられていたものなのだ。いつか、出逢う君のために。
 ルーファスの肩に、起こさぬよう、そっと毛布をかけて、セラは踵を返した。
 既に覚悟は、決まっていた。
 どのような結果になろうとも、後悔はしない。
 彼女の師匠にして、金色の魔術師――ラーグに会いに行こう。



 ガンッ、と目の前で火花が散った。
 情け容赦なく、蹴り飛ばされた小さな身体が、砂利だらけの地面を転がる。
 ぼろ布のようになった金髪の子供の頭上には、一向に止まぬ雨と灰色の空が広がっていた。
 白いローブをまとった少年の身体は、乱暴に地面に転がされたっきり、ピクリとも動かない。琥珀の瞳は伏せられて、黄金の髪は、ぐっしょりと濡れていた。
 皮肉めいた笑いが、 一段高い場所、階段の上からふる。
「天才と謳われた魔術師が無様だな、ラーグとやら」
 地面を這う負け犬を、嘲笑うかのようなそれに、地面に投げ出された子供の腕が、ピクリと動く。
 ずずずずと、身の丈に合わぬローブの長い袖を引きずり、黄金の髪の少年は、半身を起こし、階段に立つ男を睨みつけた。 その琥珀の瞳は、ぎらぎらと燃え盛る炎のような怒りを、たたえている。
 よく動かぬ、自分のものとは思えない、幼児の手足が、ラーグは憎かった。
 己はとうの昔に成人した男で、こんな子供のなりをしていたのは、もう十数年も前のことだ。
 ――全ては、術の反動だった。
 強引に魔術の理をねじ曲げて、凶眼の魔女の呪いを、変容させようとした。
 一見、それは成功したかに見えたが、ねじ曲げた魔術の反動は、そのまま術者であるラーグに跳ね返った。
 ――その結果が、これだ。
 稀代の天才と謳われる、魔術師の青年の姿は其処になく、ただの無力な子供がいるだけだ。
 一気に若返ったラーグの姿に、術の依頼主であった英雄王オーウェンはいたくご立腹で、唯一、同席を許したヴィルフリートに、子供になった魔術師を、即刻、王宮から追い出すように命じた。
 術の行使もあり、弱ったラーグは殴られ、蹴られ、ヴィルフリートの手によって、階段から突き落とされ、半死半生となっている。
 自分の為に動いてくれた者に対して、英雄王も随分な処置だったが、された側であるラーグは、別段、驚かなかった。
 英雄王オーウェンが極めて非情で、利己的な人間であることは、初めて会った時から、既にわかっていたことだからだ。あの男は、ラーグと同類だ。
 王族の血を引きながら、幼くして、辺境へと追いやられ、人質としてあちらこちらの貴族の家を、たらい回しにされた。
 そんな風に、王位継承から程遠い立場にあったオーウェンが、玉座に登りつめるまでには、多くの血が流されたことは、想像に難くない。その傍らにあったのは、隻眼のヴィルフリートと凶眼の魔女……かくして、玉座についた後、裏切り者である凶眼の魔女を殺し、美しい王妃を娶った。
 あぁ、めでたし、めでたし、なんて美しい御伽噺だろう。
 悪い男が馬鹿で哀れな女を利用して、用なしになったら、捨てただけのこと。反吐が出そうだ。
 英雄王は、ある種、天才であろうが、人として大切な何かが、生まれつき抜け落ちている。
 自分だけが大事で、目的の為ならば、一切、手段を選ばない。
 例え、長年、仕えてくれた腹心であっても、あの男は容赦なく首を切るだろう。 そういった男に雇われた以上、ヘマを踏めば、どうなるかは理解していた。
 ただ、それが、現実になっただけのことだ。
 ヴィルフリートの隻眼、深い蒼――心なしか紫がかっているようなそれが、揶揄めいた色をたたえて、ラーグを見下ろしている。
 英雄王がまだ見捨てられた王子として、辺境で暮らしていた頃の幼なじみだという、その男は、田舎領主が妾に生ませた子だという。
 浅黒い肌と、暗く濃い黒髪は、母親が異国の民だからだ。
 異端の容姿ゆえに、幼少から奇異の目で見られたらしいが、ビィルフリートは鬼神とも言うべき剣の腕を持ち、血臭ただよう戦場にて高笑いするような、生粋の戦闘狂だった。
 流血と、戦いで命のやりとりを楽しむことを悦びとする男にとって、幼馴染みである英雄王について行くことは、自然の流れであっただろう。
 英雄王に心酔して、忠誠を誓ったというよりは、戦場で好きなだけ暴れさせてくれるという、英雄王の誘いに乗ったという方が正しい。
 その戦闘狂はラーグを見下ろし、ふと遠くを見る眼差しで、どこか憐憫を込めた声で言う。
「お前は……哀れな男だな。魔術師よ」
 あぁ、そうだ。あの戦闘狂は、自分を憐れんだ。
 ――エゴイスト。
 ラーグは、己自身のことをよくわかっている。
 自分を生み育ててくれた両親を手に掛け、魔術の道を導きながら、用済みになった師を始末した。非道で、他人のことなんか、どうでもよい。そんな人間だ。
 そうだ。昔のことだ。
 寝台で胎児のように身体を丸め、微睡みの中、ラーグは過去を回顧する。
 それでも、ひとりだけいた。
 エーリク。
 唯一、こんな人でなしを友と呼んだ男。 罪人の娘とともに、魔女の呪いを乗り越えようとした男。
 死ぬ間際、いつか現れるであろう、己の後継者に呪いを解くであろう希望を託した……。
「友よ、いつか自分と同じ志を抱いて、凶眼の魔女の呪いを乗り越えようという者がきたら、どうか支えてやってくれ。お願いだ。ラーグ」
 罪人の娘にして、己の世話役を押し付けられた少女を、呪われた王子であったエーリクは恋人として愛した。
 愛する者を手に掛け、死に至るという魔女の呪いに抗う為に、少女と共に必死に定められた運命を、覆そうとした。……果たせなかったけれども。
 最期の日、愛する娘の亡骸を抱いたエーリクは、翠の瞳から一滴の涙を流し、ラーグに背を向けた。開けた扉から、朝日が差し込む――
 信じているよ、友よ。
 例え、何十年もかかろうとも、悲劇が何度、繰り返されようとも、いつか必ず、 運命を乗り越える者が現れるから。
 さらばだ、ラーグ。 またいつか逢う日まで――
 エーリクが死んだ後、その言葉だけが、ラーグの支えだった。
 ごろり、広く寒々しい寝台の上で、魔術師は寝返りを打つ。
 ああ、そうさ。わかっている。
 僕は、自分が可愛いんだ。
 セラには、少しだけ話したことがあるが、魔女の呪いを解く方法は、あるにはある。
 ただ、それは……おそらく、彼女にとって呪いで命が尽きるより、ずっと辛いことに違いない。
 魔術師の琥珀の瞳が、天井を越えて、その裏にあるものを見つめている。
 その時、トントンと控え目に扉が叩かれた。ギィィ、と音をさせて、扉の隙間から、フードをかぶった小柄な影がのぞく。黒いフードの間から、亜麻色の髪がこぼれた。
 翠の瞳が落ち着かなげに、魔術師の住処を、さ迷う。
「ラーグ……?」
 愛弟子の呼び掛けに、ラーグは寝台から身を起こした。
「僕は、此処にいるよ。セラ」
 いつもより淡々とした声音には、心なしか微かな苛立ちが、混じっているようだった。
 溺愛を隠そうともしない愛弟子に対して、ラーグが普段、見せたこともないような顔だ。
「あの……どうかしたの?ラーグ。もしかして、具合、悪い?」
 師匠の態度に、違和感を覚えたのだろう。
 セラは柳眉を寄せて、困惑した風に言った。そんな彼女をラーグは、冷たく突き放す。
「悪いけれど、今は疲れているんだ。後にしてくれないかな」
 寝台から、ごろり転がったラーグは、セラの顔を直視することなく、冷淡な態度を取った。
 頭が痛い。
 今は、何も考えたくなかった。
「……わかった」
 力なく、扉が閉められる。
「ラーグ……貴方は、一体、なにを隠しているの?」
 閉ざされた扉の前に立ち尽くしながら、何かが迫り来る予感に、セラは身を震わせた。


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