フィアナは、選ばれた娘だった。
どのように選ばれていたかといえば、産声をあげた当日には「お母さん」と呼びかけることが出来たし、誰もが聞き惚れるような見事な歌だって歌うことが出来た。ふわふわと空中を飛ぶことだって、ちょっと疲れたけど難しいことではなかったし、そんなフィアナに腰を抜かしたお父さんを、魔法で立たせてあげることだって簡単だった。
そう“魔法”だ。
フィアナは生まれながらに魔女だった。
おぎゃあ、と産声をあげたその瞬間から、小さな子供と同じくらいの知識はあったし、簡単な魔法を使うことが出来た。
それこそ息をするのと同じくらい当たり前に、フィアナは魔法を使うことが出来たのだった。
誰に教えられたわけでもない。
息の仕方を人から教えられることがないように、フィアナも“魔法”を教えられなくても使えた。
もちろん、最初は空を飛ぶ程度の簡単な魔法しか使えなかったが、それでもフィアナの両親が腰を抜かして失神するには十分だった。
“魔法”や“魔女”の存在を知ってはいても、フィアナの両親は辺境の農村でほそぼそと暮らしている善良かつ平凡な農民で、“魔女”とやらには縁がなかったし、また娘が“魔女”であって欲しいなどと願ったことは一度もなかった。
フィアナは選ばれた娘だった。不幸なことに。
魔女として生まれたことは、自分にとっても両親にとっても不幸なことだったと悟ったのは、生まれた翌日に両親に捨てられてからだ。
この世に生を受けて二日目に、フィアナは独りぼっちになった。
フィアナは選ばれた娘だった。
特別な娘だった。
そして、不幸な娘だった。
「お母さあああん!うわああああん!お父さあああん!戻ってきて!お願いだから、もう魔法なんて使わないから!捨てないで、独りぼっちにしないで!」
フィアナは泣き叫んだ。
喉が潰れそうなくらいに必死で。
生まれたての赤子にも関わらず、なまじ知識やら感情やらがしっかりして、言葉を理解していることが悲劇だった。
フィアナは両親が、彼女を捨てる際に言った「この化け物がっ!」という意味も、「二度と戻ってこないでっ!」という意味も正確に理解していた。そして、両親が二度と自分を娘・フィアナとして、愛してくれないことも。
「うわあああああん!お父さん!お母さん!」
それでも、彼女は泣くことしか出来なかった。
親の愛を失ったばかりの赤子に、他に何が出来たというのだろう?
ただひらすら、天を震わさんばかりの勢いで、泣き続けた。
フィアナは特別な娘だった。
生まれながらに多くの知識を持ち、誰に習うでもなく言葉を理解し、息をするように“魔法”を使うことが出来た。でも、その他はどこにでもいるような普通の娘だった。両親が恋しくて、独りぼっちが悲しくてさびしくて、誰かにそばに来て欲しいと強く願う。そんな“魔女”でなくても、どこにでもいる普通の女の子で――
「おやおや……これはこれは、珍しいことだ。久しぶりに、“魔女”が生まれたようだね。しかも、とても強い力を持っている。もしかすると、ここ千年で一番かもしれないね」
そう言いながら、泣き叫んぶフィアナの前にやって来たのは、腰の曲がった老婆だった。
「ひくっ……お婆さん、だぁれ?」
フィアナが舌っ足らずな声で尋ねると、腰の曲がった老婆は、シワだらけの顔をさらにくしゃと歪めて笑う。
「おやおや、泣いているのかいお嬢ちゃん?心配ない。何も語らずとも、アタシにゃあ全てわかっておるよ。可哀想に……魔女を理解できない両親に捨てられたんだねぇ。この千里眼の魔女イーリアは、全てお見通しさ」
「うぇ……」
老婆――千里眼の魔女イーリアの心ない言葉に、一度は止まったフィアナの涙が、再びポロポロと流れ出す。
「ああっ、泣くんじゃないよ……まったく、魔女に生まれたての赤子ってのは、こんなに面倒くさいものだったかね?」
“千里眼の魔女”イーリアはぶつぶつと愚痴りながらも、フィアナの小さな体を抱きあげた。
腰の曲がった老婆には、生まれたての赤子でも重いらしく、ふらつきながら歩き出す。
「――あんたは運がいいよ。フィアナ。生まれてすぐに、“魔女”の同族に出会えたんだ。このアタシ、“千里眼の魔女”イーリアの弟子になると良いさ……幸いなことに、アタシは百年前から、ローズティア王国付きの魔女をやっていてね。アタシも年だし、そろそろ跡継ぎが欲しかったところさ」
「魔女?ローズティア王国の?」
「そうさ。フィアナ。あんたは魔女になるんだ。ローズティア王国の魔女に」
そうして、フィアナはローズティア王国の魔女イーリアの弟子になった。
それからの五十年は、あっという間だった。
千里眼の魔女イーリアに連れられて、ローズティアの王城にやってきたフィアナは、魔女になるための修行に明け暮れることになったからだ。
生まれながらに簡単な魔法なら使うことが出来た彼女だが、それだけでは魔女を名乗ることは出来ない。
この世の全ての理に通じて、ありとあらゆる魔法を自在に使いこなしてこそ、真の魔女。
千年に一人の才能と言われたフィアナであっても、師匠であるイーリアの魔女の域にたどり着くまでには、長い長い時間を必要とした。ようやく、千里眼の魔女イーリアから一人前と認められたのは、フィアナが拾われてから五十年もの歳月が流れていた。
「――おめでとう。フィアナ。これで、アンタも一人前の魔女さ」
「……ありがとうございます。お師匠さま」
千里眼の魔女イーリアの祝福の言葉に、フィアナは頭を垂れた。
あれから、五十年。
フィアナはようやく師匠に一人前と認められ、魔女を名乗ることを許された。
「やっと後継者が出来て、アタシも安心したよ。フィアナなら、このローズティア王国付きの魔女として、上手くやっていけるだろうさ……それにしても、五十年前にはビービー泣いてただけの赤子がねぇ、ずいぶんと綺麗な娘になったもんだ」
フィアナを上から下まで眺めて、千里眼の魔女イーリアは感慨深げに言った。
そう、この五十年で赤子だったフィアナは美しい娘に成長していた。少し人間離れしたほどに、美しい娘へと。
ゆるやかに波打つ長い金の髪は、まるで月の光を集めたかのよう。
白磁の肌に、ほっそりした手足。華奢な肢体は触れれば折れてしまいそうで、儚げな美しさを漂わせる。
その整った人形のような顔立ちの中で、ひときわ目を引くのは、ガーネットのような真紅の瞳。
赤き宝玉と讃えられたその瞳に見つめられたなら、誰もがフィアナに囚われるに違いない。
例えるなら、月下に咲く一輪の薔薇。
その例えが相応しいものに思えるのは、フィアナの白い胸元には、真っ赤な薔薇のアザがあるからだった。
美しい。そう、美しい娘だった。いや、娘というには少し若いかもしれない。十分に美しくはあるが、まだ花開く前の蕾と言った方が相応しい少女の姿。
五十年もの歳月を生きているというのに、フィアナは未だ十代の少女のままの姿だった。
「……お師匠さま」
「ん?何だい?フィアナ」
「私はいつまで、この姿のままなのでしょうか?二十年前から、私は成長していない気がします」
フィアナは師匠イーリアに、気になっていたことを尋ねた。
魔女の生と死。
それは、普通の人々のものと明らかに違う。
人間の母から生まれても、魔女は魔女。彼女たちは、普通の人間とは異なった生を歩む。
魔女の寿命は長い。
千里眼の魔女イーリアだって、もう四百年近く生きているらしい。ならば、フィアナはどうなのだろうか。
「アンタはきっと、何百年かはそのままだよ。フィアナ。魔女の寿命は、魔力の強さによって決められるのさ……アンタは、アタシよりもずっと強い力を持っている。きっと、アンタは死ぬまでそのままだろうさ」
「そう、ですか……」
フィアナは悲しげに、真紅の瞳を伏せた。
年を取れない。羨ましいと言われるかもしれないが、それはフィアナにとっては不幸以外の何者でもなかった。
不老不死。
それは、フィアナが人間とは言えない存在となったことを、意味していた。
永遠に近い時を生きる、この世の理から外れた存在になりたいなどと、フィアナは一度も思ったことがなかった。その反対だけを、フィアナはいつだって願っていた。
普通に生まれて家族と暮らし、恋をして子を守り育てる。そんな普通の願いは、“魔女”には決して叶うことはない。フィアナは選ばれた娘だった。選ばれたというのは、神に見捨てられたのと同じことだった。人の理を外れて、孤独な魔女としての道を歩まねばならないのだから。
「アンタはきっと、この世界から魔女が必要とされなくなった時まで生きるだろうさ」
千里眼の魔女イーリアの言葉に、フィアナは不思議そうに首をかしけだ。
「……魔女が必要とされなくなった時?」
「ああ、そうさ。世界が魔女を必要としているから、アンタやアタシは存在していられるんだよ。世界が魔女を信じなくなって、魔女を拒み、必要としなくなった時はアンタもアタシも死ぬことになるだろうさ」
「――魔女が死んだら、砂になるんですよね?お師匠さま」
魔女が死ぬときは砂になって、この世から跡形もなく消える。
サラサラ、と自分の体が砂になるところを、フィアナは想像した。その日が来るのは、いつのことだろう。
「そうさ。忘れるんじゃないよ。フィアナ……アンタは人間じゃなくて、魔女なんだ。人間の真似事なんかしちゃいけない」
「はい。お師匠さま」
「わかっているとは思うけど、もう一度だけ言うよ。フィアナ……」
何度も繰り返し聞かされた師匠の教え。魔女の運命。
「――魔女は人を羨むべからず。魔女は人になりたいと願わず。魔女は人に恋することなかれ」
魔女は人に恋してはならない。決して。
魔女は人とは違う存在なのだから。
寿命も生き方も何もかもが違いすぎる。決して結ばれることはない。
「わかっています。私はフィアナは魔女として、生きます。お師匠さま」
フィアナの返事に、千里眼の魔女イーリアは重々しくうなずいた。美しい魔女に釘を刺すように、厳しい表情は崩さない。
「良い返事だね。明日から、アンタがローズティア王国の新しい魔女だ。国の守り手として、しっかりと勤めを果たすんだよ」
「はい。お師匠さま」
フィアナはうなずいた。
決して、魔女になりたかったわけではない。むしろ、魔女だったゆえに実の両親から「化け物っ!」と罵られて、我が身を呪ったこともあった。
ただそれでも、フィアナは魔女であり、魔女として生きなければならなかった。親から捨てられた自分を、ここまで育ててくれた千里眼の魔女イーリアのためにも、ローズティア王国の立派な魔女にならなければならない。
「そうと決まれば、早い方が良いね。今からローズティアの国王に、魔女の代替わりを報告しに行かないと……さぁ、行こうか?フィアナ」
そう言うなり千里眼の魔女イーリアは、王城に向かうための浮遊の呪文を唱え出す。フィアナも慌てて、その後に続いた。
「はい」
ローズティア王国の魔女――フィアナ。
後に人々から、“王冠の魔女”と呼ばれる娘は、こうして魔女になったのである。
それが、六百年もの長きに渡る“王冠の魔女”の伝説の始まり。そして、薔薇のアザを持つ娘フィアナの、六百年に及ぶ苦しみの始まりでもあったのだ。
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