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一章 魔女に選ばれた王 1−3


 ――ローズティアの王城には、不老不死の魔女が住むという。次代の王を選び、王国の運命を握る“王冠の魔女”が。
 ――ただ、誰も魔女の想いを歴史に隠された真実を、知ることはない。
 ――それゆえに魔女の伝説は語られる。ローズティアの王位を継ぐ者は、“王冠の魔女”によって決められる、と。

「フィアナ!フィアナ!」
 名を呼ぶ声と同時に、タタタッ、と軽快な足音が響く。
 その足音の主を確認して、フィアナはハァとため息をつきながら、手元の書物から顔を上げた。
「……レオハルト殿下。また遊びに来られたのですか」
 足音の主は、ローズティアの第二王子レオハルトだった。
「そうだ!」
 当年十歳になる王子は、悪びれた様子もなく力強くうなずいた。
 少しは遠慮して欲しいという、フィアナの願いを無視して。
「私と話しても、レオハルト殿下に面白いことなどないでしょうに……」
 フィアナは呆れたように言う。二日と間を置かずに訪問していれば、この反応も仕方のないことだろう。
 王国の魔女の役目は、決して暇ではないというのに。
「そうでもないぞ。フィアナは何でもよく知っているし、教師たちよりも教え方が上手くて、話していて勉強になるからな……何よりも、フィアナのいれる紅茶は最高だしなっ!」
 レオハルトはにっこりと楽しそうに微笑むと、部屋の片隅に置かれたビロード張りの椅子に、当然のように腰掛けた。どうやら、フィアナが紅茶を出すまでは、意地でも帰らない心づもりのようだ。
「仕方ありませんね」
 フィアナはハァ、と諦めたように息を吐くと、紅茶をいれる支度を始めたのだった。
 結局のところ、この幼い王子に逆らうことが、フィアナは出来ないのだ。
 ここは、ローズティアの王城の一角にある、王国の魔女のための部屋。つまり、フィアナの部屋なのである。
 王国の魔女として多忙な日々を送るフィアナにとっては、一人で静かに過ごせる部屋と言いたいところだが、二日に一度はレオハルト王子がやってくる現状では、静かに過ごすというのは容易なことではない。
 もっとも最近では、そんな状況にも慣れつつあるのだが。
「――うん。やっぱりフィアナの紅茶が一番だな!相変わらず、美味い!」
 王子が満足そうに笑う。
「……ありがとうございます。レオハルト殿下」
 魔女はため息をつく。
 フィアナがローズティア王国の魔女になってから、五年。
 今や、これがフィアナとレオハルトの日常と言ってもいい。
「フィアナ!フィアナ!」
 なぜかわからないが、レオハルト王子はフィアナを気にいったらしい。
 そうなった理由は、彼女にもわからない。
 ただ、レオハルト王子が王国を魔女フィアナを慕っていて、毎日のように彼女に会いに行っているというのは、城内ではだいぶ前から有名な話だった。
 今は衛兵であれ侍女であれ、このことを知らない者の方が少ないだろう。こう毎日毎日、魔女の部屋に押しかけていれば、そうなるのも無理からぬことだ。
 レオハルトが部屋に通い始めた当初、そのうち飽きるだろうとフィアナは思っていたのだが、予想に反して訪問は途切れることがなかった。
 今日は明日は明後日は、と呆れるほどに長く第二王子と魔女の日課は続いており、あっという間に五年もの月日が流れた。
 幼子から少年と呼ばれる域になろうとしているというのに、レオハルトはいまだ毎日のように、魔女フィアナに会いに彼女の部屋を訪れる。
 生まれながに多くの人々に仕えられる高貴な身分だというのに、レオハルトは魔女と共に在ろうとする。フィアナと共に過ごそうとする。魔女と人間は相容れぬ存在だというのに。
 魔女と人の王の間には、契約しか存在しないというのに。
 ――魔女は人を羨むべからず。人になりたいと願わず。人に恋することなかれ。
 これではいけないと、フィアナは思うのだ。
 人間と魔女は違う。
 友となることも、共に人生を生きることも叶わないのだから。
 ましてや、レオハルト殿下は第二王子である。やがて王位を継ぐ第一王子ステファンを助けて、ローズティア王国の平和を守り、民を導くべき者なのだ。本来ならば、魔女と親しくなる必要など、レオハルトにはないのである。
「……レオハルト殿下」
 そう考えたフィアナは、王子の名を呼んだ。
「ん?何だ?フィアナ」
「今更ですが、私と話しても得るものはないと思いますが……私は魔女です。人間ではないのですよ」
 幼い王子の気まぐれも、いつかは終わるだろう。
 フィアナはそう思っていたが、その前に自分から諭すべきなのかもしれないとも思った。
 魔女と人間は違う。
 限られた時間を必死に生きる人間と、悠久に近い孤独な生を歩む魔女。両者が同じ道を歩むことは、決してない。
「フィアナは……」
 そんなフィアナの言葉に、レオハルトはその幼さには似合わぬ真剣な眼差しを、彼女に向けた。
 碧玉のような海よりも深く、空よりも透き通ったその蒼い瞳。
 フィアナの真紅の瞳とレオハルトの蒼い瞳が、重なり合い交差する。
 そして、レオハルトはフィアナに尋ねた。
「――フィアナは私のことが嫌いか?」
 レオハルトの思いがけない問いかけに、フィアナは真紅の瞳を見開く。
「え……」
「もし、私のことが嫌いだというなら、もうフィアナに会いに来ないと約束する。迷惑というなら、この部屋にも遊びに来ない。でも、そうではないなら……」
「レオハルト殿下?」
 ちょっと悲しげな顔でそう言って、レオハルトは椅子から立ち上がると、フィアナに歩み寄る。
 そして、その小さな手をフィアナの手へと伸ばし、重ねてぎゅっと握った。決して離さないというように、強く。
 姉と弟のような身長差。
 椅子に座ったフィアナを見上げるようにして、レオハルトは真摯な声で言った。
「――魔女と人間は違うなどと、悲しいことを言うな。魔女でも人間でも何でも、フィアナはフィアナだっ!優しくて、学者たちより何でも知っていて、紅茶をいれるのが上手い。私の大好きなフィアナなんだ……だって、ほら、フィアナの手はあたたかい……魔女も人間も同じだ。あたたかくて、優しい……」
 重なる小さな手が震えていた。
「……レオハルト殿下」
 いつの間にこんなに成長したのだろう?
 あの幼かった王子が、人のことを気遣えるほどに成長したのだ。
 人間の子供の成長の早さに、フィアナは驚く。
 魔女は、成長とは無縁な生き物だ。
 生まれながらに、ある程度の知識と知能を持つ代わりに、その成長は驚くほどに遅い。魔女によっても個人差があるが、フィアナは五十年も生きているというのに、少女の姿のままだ。力の強い魔女ほど年を取らぬという。おそらく、これからも寿命がつきて砂となる日まで、フィアナは少女のままで生きるのだ。
 咲くことのない蕾のままで。
 不老不死の魔女。
 フィアナは人々から、そう呼ばれている。悠久に近い時を生きる魔女は、なるほど人間からは不老不死とさえ見えるかもしれない。
 ただ、彼らは知ることはない。時の流れから取り残された魔女の孤独を嘆きを、悲しみを。どれほど親しくなろうとも、魔女の呪われた運命を、人間が理解することはないのだから。
「フィアナは一人じゃないぞ。私がずっと一緒に居てやる!百年でも千年でも、フィアナが死ぬまで。ずっと一緒だ……そうしたら、寂しくないだろう?」
 レオハルトは必死に、言葉を重ねた。
 伝わらないのが、もどかしいという風に。
「ええ……」
 それは叶うはずのない願い。
 人と魔女の時の流れは違う。共に生きることは叶わない。
 それでも、フィアナは微笑んだ。
 この優しくて、真っ直ぐな心根を持つ幼い王子は、フィアナにとっても大事な人であったから。
 身分の差はあるにしろ、弟のようにさえ思えるレオハルト。
 聡明で快活で、誰からも愛される第二王子。そんな彼だからこそ、誰よりも幸福な人生を歩んで欲しいと願う。魔女として孤独な時を生きるフィアナの分まで、どうか幸せな人生を。
「――私は、フィアナは王国の魔女です。ローズティア王国の平和と王家の守護が、私の役目……もちろん、貴方のことも守ります。レオハルト殿下。貴方だけではない。貴方の妻となる人も貴方の子供たちも皆、私が見守っていきますから……そうすれば、きっと寂しさなんて感じないと思いませんか?レオハルト殿下?」
 限られた生を懸命に生きる人間たちと、長すぎる生をいかに飽きずに過ごすか苦悩する魔女では、共に生きることは決して出来ない。
 でも、弟のように大事に思うレオハルト殿下の、彼の子孫たちを見つめて生きられるならば、長すぎる魔女の生にも退屈はしないかもしれないと。フィアナはそう思ったのだ。
 しかし、彼女の提案に、レオハルトは不満そうに頬をふくらませる。
「私には妻や子供なんて、大人になっても必要ない。フィアナさえいればいい」
「それは、レオハルト殿下がまだ子供だからですよ。きっと、あと五年もすれば、どこかの姫君に恋をして、魔女のことなんか綺麗に忘れてしまうことでしょう。それで良いのです」
 いきなり不機嫌になったレオハルトに戸惑いつつ、フィアナはいずれ訪れるだろう未来を語った。
 この幼い王子も、もう少し時がたてば立派な青年になる。
 黄金の髪と碧玉の瞳の、凛々しい若者に成長するに違いない。
 いまはフィアナよりもだいぶ低い背丈も、あと数年で追い越されるに違いない。そうして、快活な少年から立派な青年へ。
 やがては、どこかの王女か貴族の娘を妻として迎えて、幸せな家庭を持ち年を重ねていくことだろう。その間、フィアナはずっと少女のままだ。そう、永遠に。
「忘れたりなんかしない!大人になろうが老人になろうが、フィアナから離れたりなんかしないっ!ずっと、そばにいるから……ローズティア王国の王子の誇りにかけて、誓う。約束は絶対だ」
「その気持ちだけで十分ですわ。レオハルト殿下」
「フィアナっ!」
 レオハルト王子は気持ちが伝わらないことに、焦りを感じつつ魔女の名を呼んだ。
 どうしたら、この感情がフィアナに伝わるのだろう。
 自分が子供なことを、こんなに悔しく思ったことはない。父上や騎士団長のような大人の男であったなら、フィアナも自分のことを認めてくれるだろうか。自分が子供だから、頼ってはくれないのだろうか。
 この想いを、言葉に――
「――約束する。私はなんの力もない子供だけど、フィアナのことを守るから。絶対に守るから。だから、ずっと一緒に」
 どうか、この願いが叶いますように。
 レオハルトは心から、そう願った。
 フィアナは優しい娘だ。
 本当は人一倍やさしくて孤独が嫌いなくせに、いつも魔女だからと虚勢を張っている。魔女と人間は違うと。そんなことはないと、レオハルトは思う。魔女も人間も関係ない。フィアナはフィアナだ。優しい魔女は寂しがりやで孤独が嫌いで、そのくせ意地っ張りで、一人でも寂しくないと嘘をつく。
 そんなフィアナだからこそ、誰よりも愛おしい。
「私は守られなきゃならないほど、弱くはありませんよ。レオハルト殿下」
 フィアナの反論に、レオハルトはくくっと喉の奥を鳴らして、笑った。
「知ってる。それでも、フィアナを守りたいんだ。だから、守らせろ。今は何の力もない子供だけど、すぐに大きくなるからな……背も、今はちょっと低いけど、すぐに追い抜く……と思う」
 最後はちょっと自信なさげに言いながら、レオハルトはフィアナに両腕を伸ばした。
 ちょっと背伸びをしながら、レオハルトはフィアナを抱きしめる。そっと、大事なものを抱くように。
 今は背伸びをしないと届かない背丈。
 自分よりも、長い手足。
 今は、これが限界。
 この姉のような魔女を守るには、レオハルトはまだまだ力が足りない。でも、いつか――
「約束する。ずっと、フィアナのそばにいる。百年でも二百年でも、たとえ死んで魂となったとしても、そばにいる。絶対にフィアナを一人ぼっちにしない」
「レオハルト殿下……」
 フィアナは何も言えなくなって、ただレオハルトの名を呼ぶことしか出来なかった。
 きっと、この約束は嘘でないにしろ、真実ではない。孤独な魔女に同情した優しい王子が、励ましてくれただけのこと。きっと、成長したら忘れてしまうような子供の約束だ。それでも嬉しいと、フィアナは思った。
 レオハルトは優しい王子だ。
 聡明で快活。勇敢で迷いがない。
 まだ十歳という幼さながら、誰に対しても公平で、豊かな知識と判断力に満ちている。
 もしもローズティアの王位を継いだなら、きっと名君と呼ばれる良き王になるだろう。それを、密かに望んでいる者も、城内に多いという。
 でも、とフィアナは思うのだ。 レオハルトは側室が生んだ第二王子。彼には、王位を継ぐだろう兄がいる。
 王妃が生んだ第一王子ステファン。病弱で内向的な異母兄が。
 ステファンは幼い頃から病がちで、物静かで内向的な性格であり、いつも母である王妃の後ろに隠れているような子供だった。
 決して、愚かというわけではない。むしろ良く勉学に励んでおり、聡明とさえ言える王子なのだが、ただ繊細すぎる。その体も精神も、何もかも。うかつに触れれば壊してしまう、繊細な硝子細工のような王子。
そんなステファンが国王となることに、いささか頼りなさを覚える臣下たちがいることは、フィアナも知ってはいた。ステファン殿下は気の毒だと、彼女などは思う。
 病弱で内気な第一王子ステファン。
 健康で快活な第二王子レオハルト。
 決して愚かな少年ではなく、精一杯の努力をしているにも関わらず、弟のレオハルトと比べられて勝手に失望される。
 それは、どんなに彼の心を傷つけているか、想像するだけで胸が痛んだ。
「あっ、ステファン兄上」
 その時だった。
 魔女で部屋の前を第一王子ステファンが通り、レオハルトが兄の名を呼ぶ。
 第一王子ステファン。
 当年十五歳になる少年は、弟の呼ぶ声に足を止めて、薄緑の瞳をフィアナの方に向けた。
 母譲りの銀の髪が、サラリ、と揺れる。
 病弱なゆえか、その肌は雪のように白い。
「……レオハルトか」
 弟の名を呼ぶ瞬間に、ステファン王子は不快そうに眉を寄せた。
 その実の弟レオハルトに向けられた薄緑の瞳には、憎しみの色さえある。
 ステファンが弟であるレオハルトを好いていない。どちらかというと憎んでいるというのは、その冷たい視線を見れば、すぐにわかった。常に腹違いの弟王子と比べられて、劣るとため息をつかれている兄王子としては、無理もないことかもしれない。
 兄王子ステファンは、レオハルトとフィアナを冷たい目で一瞥すると、氷のような声で言った。
「相変わらず、人を味方につけるのが上手いな。レオハルトよ。魔女殿までがお前の味方か……羨ましいことだな。そこまでして、王位に就きたいか?浅ましいな」
 氷のように冷ややかな、兄ステファンの表情と声に、レオハルトの表情は凍りつく。
 それでも、弟王子は震える声で、兄の言葉を否定した。
「そんなことは……王位を継ぐのは、ステファン兄上です。父上から、ローズティアの王冠を受け継ぐのは、ステファン兄上しかいない……前に何度も言いましたけど、私は王位を継ぐ気はありません。どうか信じてください。ステファン兄上」
 レオハルトは兄に信じて欲しくて、必死に言葉を重ねた。
 王妃と側室。母親は違うとはいえ、レオハルトとステファンはローズティアの王を父に持つ、たった二人の兄弟なのだ。すすんで憎まれたいわけがない。
「まだ、わからないようだな。レオハルトよ……」
 しかし、弟王子がどれほど誠意をもって語ろうとも、ステファンの顔に笑みが宿ることはない。
 弟王子の願いも虚しく、ステファンは冷たい声で言い切った。
「――お前が王位を望んでいてもいなくても、それは関係ないのだよ。レオハルト……ただ、お前がいる限り、誰も私を見ようとしない。誰も私を愛さない」
「ステファン兄上……」
 もしも、太陽と月が並んでいたなら、人はどちらに強く惹かれるだろうか。
 答えは、決まっている。
「その意味は、貴女ならわかるだろう?王国の魔女フィアナ=ローズ。貴女なら」
「……」
 ステファンの言葉と視線に、フィアナは言葉もなく目を伏せた。
 誰が王位を継ぐに相応しいのか。兄ステファンか、弟レオハルトか。
 その答えを、口に出すことは許されない。
「そうだ。一つ予言をしようか?レオハルト」
 唐突にそう言ったステファンに、レオハルトは怪訝そうに眉を寄せる。
「予言ですか?ステファン兄上……」
「ああ。私は占い師でも魔女でもないが、それでも確信していることがある……」
 ステファンの薄緑の瞳が、射抜くようにレオハルトを見た。
 そうして、ステファンは未来を告げる。
「――お前はきっと、私の手からローズティアの王冠を奪うだろう。そう遠くない未来に」
 ステファンは嘆くでもなく淡々と言うと、レオハルトとフィアナに背を向けて、彼らの前から立ち去った。
 そんな兄王子の背中に、レオハルトは叫ぶ。
「兄上っ!待ってくださいっ!ステファン兄上っ!」
 そんなレオハルトに、フィアナは何の言葉もかけられなかった。
「レオハルト殿下……」
 後になって思えば、悲劇はすでにこの時から、始まっていたのかもしれない。
 だが、この時のフィアナは悲劇の予兆を感じつつも、何もすることが出来なかった。ただ見守っていただけ。
 ――ローズティアの王位は“王冠の魔女”によって、決められる。
 それを決めたのは、誰なのだろう?
 どうして、魔女は王を選んだのか。その理由が、伝説で語られることはない。それを知るのは、魔女と王だけ。


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