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三章 玉座を望んだ姫君 3−2


 エレーナ姉上は恐ろしい人だ。
 ユーリクはずっと前から、そのことを知っていた。でも、姉を憎むことは出来なかった。どうしても、どうしても。姉の存在が、王国を傾けるかもしれないと、わかってはいたのに。
 それは血の絆ゆえだろうか、それとも深紅の炎に魅せられたゆえだろうか――
 
 ローズティア王国の王子ユーリク。
 当年十三歳になる彼には、二つ年上の姉エレーナがいた。深紅の髪に、エメラルドの瞳を持つ姉姫が。
 エレーナは美しい姫だった。炎と評される深紅の髪と、エメラルドの宝玉を思わせる意思の強い瞳は、人の目を惹きつけて離さない。いや、美しいという表現は、あまり的確ではないかもしれない。確かに整った美貌ではあるが、“王冠の魔女”フィアナの人間離れした美貌に比べれば、明らかに劣るものだ。
 だが、エレーナの本当の力は、その美貌ではない。
 王者としての資質とでも言おうか、その場にいるだけで人を惹きつける何かを、わずか十五歳の姉姫は持っていた。
 それが何なのか、弟のユーリクでさえも、上手く説明することが出来ない。彼の祖父――比類なき賢王と呼ばれたレオハルトも、そういう人であったという。そこに居るだけで、周囲の人を従え、導いていく光の王――
 きっと、姉もそうなのだと、ユーリクは思う。
 姉も祖父と同じように、王族として生まれ、王にしかなれぬ人間なのだろう。
 望むと望むまいと、運命は彼らを王に選ぶ。だが、それでも姉と祖父は違うと、彼は思う。
 祖父レオハルトは、まさに光の王だった。短い治世であったが、揺るぎない善政を行って、王国の平和を守りぬいた。ローズティアを王国を導く光であったのだろう。
 エレーナ姉上は違う。
 姉は炎だ。全てを燃やしつくす、深紅の炎――
 祖父レオハルトと同じように、王としての才を持つが、祖父とは明らかに違う。全てを暖かく包みこむ光ではなく、行く手を阻むものを容赦なく燃やしつくす、炎のような人だ。残酷で、恐ろしい人だ。
 そうと知りながら、ユーリクは姉を憎むことが出来ない。血を分けた姉弟だからというだけでなく、その深紅の炎に魅せられたゆえに――
「――ユーリクっ!よそ見をするなっ!」
 怒声と共に、振り下ろされた剣を、ユーリクはかろうじて受け止めた。
「……ぐっ!」
 銀の刃が交わる。
 ガキンッ、と火花が散った。
 腕の痺れを感じて、ユーリクは顔をゆがめた。
「……稽古の最中によそ見をするとは、良い度胸だな。ユーリク。何を考えていた?」
 振り下ろした剣をひきながら、エレーナはチラッとユーリクを一瞥すると、つまらなそうに問う。
 ここは、ローズティアの王城の一角にある、王族のための訓練場だ。
 歴代の王子たちが、剣の師と共に、強い王になるために鍛練を積んできた場所である。
 その場所で今、剣を片手に対峙しているのは、当代の王エリックの二人の子供たちであった。エレーナ姫とユーリク王子。今年、十五歳になった姉姫と、十三歳になったばかりの弟王子だ。
 彼ら二人はそこで、訓練に刃を潰した剣を使って、剣の稽古をしていたというわけである。
 エレーナの問いかけに、ユーリクはうつ向いて、首を横に振った。その冷やかなエメラルドの瞳から、目を逸らすように。
「……何でもありません。エレーナ姉上」
 明らかに嘘とわかる答えに、エレーナは不快そうに眉を寄せた。
「嘘をつけ……まぁ、言いたくないなら、それでも良いが。私はもう戻るから、剣を片づけておけ」
 冷たい声で命令すると、エレーナはさっと身をひるがえし、ユーリクに背を向ける。ふわっと、深紅の髪が、風に吹かれて揺れた。
「……」
 そんな姉の背を黙って見送り、ユーリクは苛立ったように、訓練場の壁に拳をぶつける。何度も何度も。ガツン、という鈍い音と共に、拳が痺れるのも気にならなかった。
 そうして、絞り出すような声で、姉の名を呼ぶ。
「――エレーナ姉上」
 ユーリクとエレーナがの姉弟が、この訓練場で共に剣の稽古を行うのは、そう珍しいことではなかった。
 普通の姫君は剣など握らぬものだが、エレーナは違う。
 他の姫君が刺繍や宝石を好むのと同じように、否、それ以上の情熱を持って、剣術や乗馬の稽古に打ちこんでいた。
 いかに大陸が広くとも、こうして剣を自在に使いこなし、二つ年下の少年とはいえ、男を打ち負かす姫など、エレーナぐらいのものだろう。幾度の稽古を重ねようとも、ユーリクはエレーナに一度も勝てたことがない。いつもボロボロになるまで、容赦なく叩き潰されるのが常だった。そこには姉弟の情など、微塵もない。あるのはただ、相手に対する憎しみだけだ――
 強い強い。炎のような憎しみが、心を焼きつくす。
「……」
 ユーリクは父・エリックと同じ若草色の瞳で、姉に傷つけられた右腕を、じっと見つめた。
 少年の白い肌に、真っ赤な血がにじむ。
 エレーナとユーリクは城内の人々から、剣の稽古を共にするほどに、仲の良い姉弟と思われている。
 それは違う。
 幼い頃はともかく、今の彼らの間に、そんな麗しい絆は存在しない。
 エレーナが弟と行動を共にするのは、彼を支配したいからだ。
 自分の意のままに行動させて、王位を継ぐに相応しいのは誰か、人々に示すためである。剣でも学問でも、ユーリクはエレーナに勝てたことがない。しかし、本当は、彼らの力量はそう違わない。
 どちらも優秀な姫と王子であったが、どちらかといえば、ユーリクの方が優れている部分もある。それにも関わらず、いつもユーリクが姉に劣っているように見えるのは、エレーナがそう仕組んだからだ。幼い頃から時間をかけて、自分にだけは逆らわぬように、姉は弟を育て上げた。明確な悪意と、そして強い憎しみを持って――
「だけど、それでも僕は……」
 ユーリクはそう呟くと、その先を言わずに、唇を閉ざした。
 姉の悪意と、自分への執着に、ユーリクはずっと前から気付いていた。どうして、姉が自分を憎むのか、その理由はわからない。だが、ある時からエレーナは変わった。いや、仮面を外したというべきか。
 ユーリクに対して、優しい姉の態度で接していたのが、ある時から変わってしまった。弟を見つめる、姉の深いエメラルドの瞳に宿るのは、憎しみと蔑みだ――
「――姉上から離れられない」
 誰に聞かせるつもりもなく、ユーリクは震える声で言う。
 それは、炎に惹きつけられる羽虫の如く。
 エレーナの残酷な性質を、十分すぎるほどに理解しながら、ユーリクは姉から離れられない。恐ろしいからではなく、その炎に惹きつけられたがゆえに。どうしても、どうしても、その先に待つのは破滅しかないと知りながら。
 愛している。愛している。それと同じくらいに、憎んでいる。
 それは血の絆ゆえだろうか、それとも――

「ユーリク」
 訓練場から出たユーリクを呼びとめたのは、父王――エリックの声だった。
「父上」
 ユーリクは呼びかけると、父王へと駆け寄った。
「また訓練場か?熱心なことだな」
「はい……」
 感心したように言う父に、ユーリクは恥ずかしそうにうつむいて、小さな声で答える。
 王家の者として、剣の鍛練に打ちこむことは、歓迎されるべきことだ。
 いざ戦になった時に、弱い指揮官では話ならぬ。何より、他国の刺客や暗殺者たちから身を守るために、腕が立つに越したことはない。いくら“王冠の魔女”フィアナが、ローズティア王家を守護してくれているとはいえども、油断は禁物だ。
 だから、剣の稽古を怠らないことは、胸を張っても良いはずだが、ユーリクは情けなさからうつむく。父上には言えるはずもない。
 あれは、稽古などではなく、いつも姉に叩きのめされているだけですなどとは――父王に言えるわけもない。
 頭の出来は悪くないが、かといって姉のように、人を従える魅力があるわけでもない。何事もソツなくこなすが、特別に秀でたところはない。優秀で善良な性格ではあるが、魅力にかける――それが、ユーリクに与えられた評価だった。
 王位を継ぐ者としては、物足りない。
 そう呼ばれる自分は、不肖の息子であることを自覚しているが、それでもユーリクは本当のことを告げて、これ以上、父を失望させたくなかった。幼い頃とは違って、姉と弟の関係は決して良好とは言えなかったが、父に心配をかけたくない。たとえ偽りだとしても。
「父上。体調の方はいかがですか?」
 本心を隠し、ユーリクは父王に問うた。
「……ああ。だいぶ良くなった」
 元気のない声で答える父――エリックに、ユーリクは心配げな瞳を向ける。
 父王に会うのは久しぶりだったが、また痩せたように見える。
 (父上……また、やつれられた)
 ここ数年、ローズティアの国王エリックの体調は、悪化する一方だった。
 気からくる病とも言われているが、食事もよく喉を通らず、塞ぎこんでいる日も多い。時折、自分の殻に閉じこもり、ぶつぶつと独り言をつぶやいていることもある。
 そう三年ほど前に、母上を――王妃ユリアーナを亡くしてから、父上は変わってしまった。
 (父上……)
 ユーリクは父と同じ若草色の瞳で、弱った父王を見つめて、きつく唇を噛みしめた。
 父上は母上を愛していたのだろうか?狂えるほどに。
 幼いころに亡くなった母の、ユーリクの記憶は曖昧だ。少女の時は小鳥のように可憐な姫であったともいうが、ユーリクの記憶に残る母は、すでに正気の人ではなかった。
 ユーリクの記憶に残る母は、いつも虚ろな瞳をして、窓際で歌っている姿だけだ。
「小鳥よ、小鳥――」
 誰に聞かせるつもりかわからぬが、母はいつも歌っていた。悲しい歌を。
 彼が物心ついた時はすでに、母は歌にしか興味を示さなかった。
 自分が生んだ二人の子、エレーナとユーリクを抱くことすら殆どせず、彼らは乳母の手によって育てられた。そんな母を、王妃に相応しくないと糾弾する大臣は少なくなかった。だが、それでも父王は母上のそばに寄り添い続けた。
 母が歌っている時に、自分の方を向かないのを承知して、それでも母にそばに居続けた。守るように、静かに。
 そんな両親の背中を見て、ユーリクは育った。
 父の行動を、愛ゆえだと人は言う。でも、ユーリクはそれを偽りだと思った。父王が母を見る目は、あまりにも悲しい。愛している人間に、人はあんな目を向けない。
 あれは愛ではない――罪を償おうとする人の瞳だ。
「――ユーリク」
 王子の心境を知ってか知らずか、髪に白いものが混じり始めた国王エリックは、息子の名を呼んだ。
 苦しみの多い人生を象徴するかのように、その顔には年齢にそぐわず、多くのシワが刻まれている。
「はい。何でしょうか?父上」
 顔をあげた息子に、国王は苦しげな顔を向けた。
 そして、悲しい声で尋ねる。
「――お前は王になりたいか?」
 その問いに、ユーリクは答えることが出来なかった。
「……」
 ユーリクは沈黙する。
 はい、とも、いいえ、とも答えにくかった。
 玉座を望むか、否か。
 その問いの大きさもあるが、ユーリクに答えを迷わせたのは、姉の存在だった。姉なら、この問いにどう答えるだろうか?玉座を望むか、否か。あの深紅の炎のような姉ならば、どちらに――
「答えられぬか。お前は正直な子だな。ユーリク……お前に一つ、教えておきたいことがある」
「はっ」
 重々しい父の声に、何事かと戸惑いつつも、ユーリクは姿勢を正した。
 父の子として生まれて、王子として育って十三年、このように真剣に語りかけられたのは初めてだ。
 国王エリックの若草色の瞳が、息子の若草色の瞳に重なり合う。
 そうして、王は王子に、父は息子に告げた。
「――覚えておくが良い。王というのは、玉座に囚われた囚人のようなものだ。何人たりとも、その運命から逃れることは出来ない……忘れるな。ユーリク。王が“王冠”を選ぶわけではない。“王冠”が王を選ぶのだ……忘れるな。愚かな、愚かな、父のようになりたくなければ……」
 運命に踊らされるように、全てを失った王は、その愚かさを嘆くように息子に告げる。
 賢かった弟も、愛らしかった王妃も、みな死んでしまった。生き残ったのは、孤独な国王ただ一人。
 ――優しい王様の周りには、大勢の人がいました。賢い弟も、小鳥のような王妃様も、みんなみんな……今はもう、誰もいません。優しかった王様は一人ぼっちで、玉座に座っています――
 自分が愚かだったせいで、全てを失ってしまったのだと、国王は――エリックは若草色の瞳をうるませた。
 いや、みんな愚かだった。国王も王妃も王弟も、みな間違いを犯し、このような悲劇を起こしてしまった。たった一人の実弟を幽閉し、死なせた王として、エリックの名は歴史の残るだろう。
 偉大な父王レオハルトの、愚かな息子として。
「ユーリク……我が息子」
 エリックは震える手を、息子の手に重ねた。自分の手とは違う、少年の手は白くて、いまだ血に汚れていない。今ならば、どのような道も選べるだろう。少年の未来はいまだ定まってはいないのだから。
 愚かな父と、愚かな母の息子。
 でも、どうか、自分とは違う道を歩んで欲しい。王冠を継いでも継がなくとも、ささやかで幸福な生を。どうか――
「……父上?泣いておられるのですか?」
 ぽたり、ぽたり、と己の手を濡らす雫に、ユーリクは驚いたように顔を上げた。
 涙だ。
 父王は喉を震わせて、声も出さずに泣いていた。
「……すまなかった。セリウス……お前を、あんな暗い牢獄で死なせて……愛していたのに、憎んでなどいなかったのに……お前を救えなかった……」
 静かな涙を流す父王に、ユーリクは困惑しながらも、その手を振り払うことなど出来なかった。その父上の声が、あまりに悲しげであったから。
「父上?セリウスとは誰ですか?」
 セリウス。
 父王が呼びかける人物が誰かわからず、ユーリクは尋ねる。今まで一度も聞いたことがない名だった。
 それは忌むべき王弟の名。兄王の命を狙った憎むべき大罪人。その名前が、王子ユーリクに伝えられることはなかった。
「すまなかった……ユリアーナ……兄弟の憎しみに、お前を巻きこんでしまった……すまない、すまない……」
 妃の名を呼び、眼前の王子など目に入らないように、涙をこぼす父王にユーリクは途方に暮れる。
 誰か人を呼んだ方が良いのか、と迷っていた時に、後ろから声がかけられた。
「――どうかなさいましたか?エリック陛下。ユーリク殿下?」
 声と共に姿を現したのは、真紅の瞳の魔女だった。
「フィアナ!」
 ユーリクの呼びかけに、“王冠の魔女”フィアナは優雅に微笑む。
 美しい。美しい。昔と何も変わらない姿で。
 そう、フィアナは何も変わらない。ユーリクが幼い日から、否、その前から少女の姿のままだ。
 波打つ金の髪は、さながら月の光を集めたよう。白磁の肌は百年以上の歳月を生きているというのに、何一つ変わらない。赤き宝石をはめこんだような瞳は、長く見つめていると、引きこまれそうな恐怖すら抱かせる――
 まさに、魔女。
 人間離れした美貌だった。
 どのような優れた絵師ですら、フィアナを前にすれば、その筆を折らざるおえまい。それほどに完成された美貌だった。
 だが、慣れとは恐ろしいものだ。
 誰もが見惚れるフィアナの美貌ですら、ユーリクには何の意味もない。
 どちらかといえば、幼い頃から育ててくれた教育係であり、姉のような存在であった。文字通り、姉のような存在であり、そこには祖父や父のような恋心は欠片もない。
 信頼と恋とは違うと、ユーリクは知っていた。
 優しく自分を導いてくれる魔女を、信頼しても頼っても、それは当然のことで、魔女の心を手にしたいとは思わない。フィアナは誰よりも美しく、王子であるユーリクに優しいが、彼の心を支配するのは魔女ではない。
 ユーリクの心を支配するのは、ただ一人――エレーナだけだ。
 フィアナほど美しくもなく、優しくもなく、残酷な姉にユーリクは囚われている。深紅の髪に、エメラルドの瞳を持つ姉姫に。その深紅の炎に、ユーリクは囚われている。昔から、ずっと――
「……どうしたのですか?ユーリク殿下」
 再度、繰り返された魔女の問いに、ユーリクはハッと我に返った。いまだユーリクの手を握り、虚ろな目で、「すまない……セリウス……すまない……ユリアーナ」と呟き続ける父に、痛ましいものを見る目を向ける。
 父王と魔女を交互に見て、王子は困りきったような声で、魔女に救いを求めた。
「フィアナ。父上が……」
 ユーリクの表情と、うつむいて静かな涙を流すエリックを交互に見て、フィアナは全ての事情を悟ったようだ。
「エリック陛下……」
 フィアナは虚ろな目で、泣き続ける国王エリックに歩み寄ると、ユーリクを下がらせ、そっと国王の頬に触れた。
 その若草色の瞳に、魔女の姿を映しても、国王の嘆きは止まることがない。
 まるで、幼い子供に戻ったように、虚ろな瞳で謝り続ける。
「ごめんなさい……ごめんなさい……父上……立派な王になると約束したのに、父上のようになれなかった……ごめんなさい……どうか、許してください……」
 ――ごめんなさい、父上と。
 現実が見えていないかのように、虚ろな声と瞳で謝り続ける国王の頬を、魔女は優しく撫でた。幼い子供するように。優しく、優しく、救うように。
「大丈夫ですよ。エリック陛下……レオハルト殿下は、そんなことで貴方を怒りません。大事な大事なお子なのですから」
「嘘だ。許されるわけがない……」
 力なく首を横に振るエリックに、“王冠の魔女”は微笑んだ。その胸には薔薇のアザと、蒼華石の首飾りが揺れている。
「貴方はもう十分に苦しんだではありませんか?今の貴方に必要なのは、懺悔ではない休息です。ほら、少し休みましょう。目覚めれば、きっと悪夢は終わっています」
 フィアナの言葉に、国王はようやく顔を上げた。
 そうして、真剣な顔で、魔女へと問う。
「そう思うかい?フィアナ。悪夢はいつか終わると?」
「ええ。いつか、きっと」
「そうか……ならば、今は眠ろう。悪夢が覚めるように、祈って」
 虚ろな表情でそう言うと、魔女フィアナに支えられるようにして、その場を歩き去る父王の背を、ユーリクは呆然として見送った。引きとめることは叶わない。今の父上には、息子の言葉すら届かないだろう。魔女の言葉ですら、本当の意味の救いではない。
 そんな父王に寄り添って、支えるように、歩き去るフィアナの背にユーリクは叫んだ。
「フィアナ!」
 ユーリクの叫びに、魔女はゆっくりと振り返る。
「はい。ユーリク殿下」
「父上を、そこまで苦しめるのは、一体なんなのだ!なぜ、父上は苦しんでいる!それに……セリウスとは誰だっ!」
「あの方は……」
 セリウス。
 その名を耳にしたフィアナは、しばらく何かを耐えるように目を閉じて、ゆっくりと瞼を開いた。
 そうして、静かな声で告げる。
「――悲しくて、孤独な方でした。自分の手に入らぬ、遠くの宝石ほど美しく見えたのでしょう……己の愚かさを知りながら、破滅に向って進まれた方でした。その先に待ち受けるのが、破滅しかないと悟っていても、光に手を伸ばされたのです……」
 そう、王冠も王妃も、セリウス殿下には手に入らぬものだった。それでも、望まずにいられなかったのだろう。
 セリウス殿下。
 王冠を求め、破滅した王子。
 全てにおいて、兄より優れた才を持ちながらも、兄王への憎しみゆえに破滅せざるおえなかった弟王子。フィアナにとっても、生涯、忘れえぬ名になるだろう。憎むことなど出来ない。彼もまた、レオハルト殿下の息子であるのだから――
「――エレーナ姫様と、あの方はよく似ておられます」
 それだけ言うと、魔女はユーリクに背を向けた。
 これ以上、魔女が教えることは何もない。
 魔女が歴史を動かすことは許されない。時の流れから外れた魔女が、人の運命に干渉することは、するべきでないのだ。魔女は誰も救えない。誰からも救われることはない。魔女に許されたのは、ただ見守ることだけ。
 己の無力を感じながら、フィアナはただ見守り続ける。ローズティア王家の行く末を。悲劇を止められなかった罰のように。
「フィアナ……」
 魔女の名を呼びながら、言いようのない不安に、ユーリクは握りしめた拳を震わせた。
 そうして、運命の輪は回る。悲劇も喜劇ものみこんで。
 目前に迫りくる悲劇を、少年はまだ知らない――


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