その王国の終焉は、果実が腐る様にも似ていた。
熟し過ぎた果実が地に落ちて、腐るより他にないように、栄華を築いた王国も永遠ではない。
長い時の流れの中で、王国はゆるやかに少しづつ、だが確実に腐敗していく。
その果実が腐り果て、やがて地に堕ちるまで――
戦の天才であり近隣諸国から、“銀獅子王”と恐れられたローズティアの国王イネスが没してから、早くも五十年もの歳月が流れようとしていた。戦争で多くの国を攻め滅ぼし、自ら領土を広げた英雄――“銀獅子王”イネス。
しかし、英雄と謡われた彼が四十にもならぬ若さで没してしまうと、ローズティア王国の歯車は狂い始めた。
銀獅子王イネスの死後、彼の子孫たちはあまりに急激に広げすぎた領土を支えることが出来ず、また優れた王も居なかったからである。
イネスは側室ダリアとの間に数人の子を成したが、王位を継いだ長男が若くして病で没し、その次に王位を継いだ次男は暴君で、わずか十年と持たずに家臣に暗殺された――その後は、残された王族たちの間で玉座を巡る、血を血で洗う争いが繰り広げられたとされる。
そうして、身内同士での醜い争いを繰り返すうちに国の力は衰えて、栄えた王国は内部から腐敗していった。
国王の首は暗殺や謀略で幾度もすげ代えられ、傀儡となった国王の周りには甘い蜜にむらがる蟻のように野心ある奸臣たちが集まり、まるで自分たちの人形であるかのように王を操った。
稀にそんな奸臣たちに反発する気概のある王もいたが、事故に見せかけられ暗殺されて、奸臣たちに都合の良い傀儡の王が玉座にすえられた。
そんなことを繰り返していれば、国が乱れるのも当然のことだ。
王宮には形ばかりの奸臣たちに操られる傀儡の王がいて、役人たちは国王の無関心を良いことに、不正を犯し富を蓄える。
毎夜のように豪華な贅を尽くした宴が開かれる王宮の横では、貧しい者たちが飢えて、王宮と贅沢ぶりとは反対に、わずかなパンすら口に出来ず死んでいく者もいた――ローズティア王国を滅びに導いたとされる“愚王”が即位したのは、そんな時代のことである。
「――グリフィス!」
養い親のハイラムの呼ぶ声に、商人の見習いであるグリフィスは、売り上げの銅貨を数えていた手を止めて、伏せていた顔をあげた。
「何?父さん」
そう返事を返すグリフィスは、その質素な店内にはやや不似合いなほどに、不思議な気品のある少年だった。
年は十三か、十四くらいだろう。
見事な黄金の髪に、藍色の瞳をした聡明そうな少年――グリフィスは商人の養い子だ。
実の親はすでに亡い。六歳の時に彼が母親と死に別れたところを、今の養い親の商人に拾われた。
グリフィスは、血の繋がった父の名を知らない。
物心ついた頃には、すでに父はグリフィスのそばにはいなかったし、生前の母はグリフィスの父は高貴な人だと言っていたけれど、その名は死ぬまで教えてくれなかった。しかし、グリフィスは普段それを気に病むことはなかった。若い彼にとっては血の繋がった父が誰かということよりも、日々の生活と今の家族の方が、遙かに大事だったからだ。
「そろそろ店じまいにしよう。グリフィス!もう母さんとアイラが夕食を用意してる頃だぞ」
そう明るい声で言いながら、笑顔でグリフィスの方に歩み寄ってきた中年の男は、グリフィスの養い親のハイラムだ。
主に毛織物を扱う商人で、グリフィスにとっては母親と死に別れた時に、拾って育ててもらった恩人である。
元々はラキアという異国の生まれであり、商売をしながらローズティアまで流れてきた男だった。
ずんぐりと低い背丈に、丸い愛嬌のある顔。浅黒い肌で、あごには黒い髭を生やしている。
お世辞にも美男とは言えないが、人の良さそうな容姿だった。そんなハイラムは、血が繋がっていないのだから当然のこととはいえ、グリフィスとは全く似ていない。ましてや、ハイラムは異国の民――ラキアの生まれだ。
しかし、グリフィスは恩人であるハイラムを実の親と同じように、それ以上に慕っていた。
六歳で母親を亡くしたグリフィスにとって、赤の他人だった自分を引き取り、文句も言わずここまで育てくれたハイラムには、いくら感謝してもしきれない――顔も見たこともない実の父よりも、養い親のハイラムの方が、よほど父らしい存在である。
グリフィスは数えていた銅貨を布の袋に仕舞うと、「うん」とうなずいた。
「そうだね。父さん」
そうして、グリフィスとハイラムの二人は店じまいをすると、店のすぐ隣にある家へと帰る。
グリフィスが家の扉を開けると、「おかえりなさい」という優しい声と美味しそうなスープの香りが、養父と養い子の二人を迎えてくれた。
「おかえりなさい。あなた。グリフィス」
夕食のスープを作っていた手を止め、そう優しい声で迎えてくれたのは、蜂蜜色の髪をした中年の女だった。
柔らかな蜂蜜色の髪に、穏やかな灰色の瞳が優しげな印象を与える。
ハイラムの妻のサラだ。
そして、グリフィスにとっては母を亡くして、ハイラムに引き取られた日から、母親代わりとして育ててくれた人である。
今でも亡き母のことを忘れたわけではないが、我が子と同じように愛情深く育ててくれたサラは、グリフィスにとって養父であるハイラムと同じく、誰よりも大切な家族だ。
サラはにっこりと笑うと、
「お腹が空いてるでしょう?グリフィス。スープが出来てるわよ」
と言った。
「ありがとう。母さん。ええと……アイラは?」
グリフィスはそう言うと、ぐるり、と家の中を見回す。
もう一人の家族――アイラの姿が見えなかったからだ。
養い子の問いに、サラも少し心配そうに、形の良い眉をひそめる。
「アイラなら、さっきまで家にいたのだけど……アイラは、どこに行ったのかしら?もう暗くなるのに」
窓の方を向いて、不安そうにため息をつくサラに、グリフィスが椅子から立ち上がる。
「僕がアイラを、迎えに行ってくるよ。母さん。近頃、このあたりは治安が悪いから心配だし……」
彼がそう言った瞬間、バタンッ!と大きな音をさせて、家の扉が開いた。
「――ただいま!母さん。父さん。グリフィス」
少し息を弾ませながら、家の中に入ってきたのは、十四才くらいの少女だった。
母と同じ蜂蜜色の髪に、薄青の瞳の愛らしい少女――ハイラムとサラの娘のアイラだ。
グリフィスとは異なり、彼ら夫妻と血の繋がった実の娘である。
そうして、グリフィスにとっては幼い頃から兄弟のように育った少女だ。
帰ってきた娘――アイラに、母であるサラが声をかける。
「おかえりなさい。アイラ。遅かったわね。どこかに行っていたの?」
「ごめんなさい。家の前で、人に呼び止められて……」
母の問いかけにアイラはそう答えると、綺麗な薄青の瞳をグリフィスに向けた。そうして、少しためらいがちにグリフィスに話しかける。
「ねぇ……グリフィス」
幼い頃から共に育ってきたアイラの、いつになく真剣な様子に、グリフィスは首をかしげる。
父であるハイラムに似て、明るく快活な少女が、そのような姿を見せるのは珍しいことだった。
「何かあったの?アイラ」
グリフィスの問いに、アイラは少し不安そうな顔で答える。
「実は……」
一瞬、迷うような素振りを見せて、アイラはグリフィスに尋ねた。
「――実は、さっき家の前で、知らない男の人に聞かれたの。この家に、グリフィスっていう少年はいるかって……グリフィスの知り合い?」
アイラの問いかけに、グリフィスは藍色の瞳を丸くする。
実母は何年も前に亡くなっており、血の繋がった父の名は知らない。わざわざ自分を訪ねてくるような人物に、彼は心当たりがなかった。
もしかしたら、亡き母と何か関係のある人かとも思ったが、それにしても今更といった感じである。母が亡くなってから、もう八年にもなる――知り合いが訪ねて来るにしては、いささか遅すぎるだろう。
名も知らない父の縁者というのも、考えられない。大体、グリフィスは身寄りのない孤児であったから、商人のハイラムに――この家に引き取られたのだから。
そんなわけで、グリフィスには名指しで訪ねてくるような知人に心当たりはなかったので、少し薄気味の悪いものを感じつつ、「多分、知り合いじゃないよ」と首を横に振った。
「僕は親戚もいないし、わざわざ訪ねてくるような知り合いも、心当たりがないよ……それって、どんな人だった?グリフィス」
グリフィスの言葉に、アイラは「えっと……」と言った後、先ほど家の前で会った男の顔を思い出そうとした。
「お嬢さん」
そう言ったのは、わりと若い男だった気がする。
銀髪でガリガリに痩せていて、青白い顔をした青年。
その青年の琥珀色の瞳は、どこか蛇を連想させた。そう、獲物を狙う“蛇の目”を。
そうして、家の前でアイラを呼び止めた男は、低い声でこう尋ねたのだった。
――この家に、グリフィスという名の少年はいるか?と。
その問いかけにアイラは少し奇異なものを感じたものの、嘘をつくほどの理由も思いつかず、うなづきながら答えた。
「……ええ。グリフィスならば、家にいますけど……何かグリフィスに御用ですか?」
「……そうか」
アイラの答えに、銀髪の“蛇の目”をした若い男は納得したようにうなづくと、礼も言わずに少女に背を向け、足早にその場から立ち去った。アイラは男の反応に首をひねりつつも、男を追いかけて事情を聞く気にもなれず、家に戻ってきたのである。
そのことを思い出しながら、アイラは先ほど会った“蛇の目”をした若い男について、グリフィスに説明をする。
「えっと……わりと若い男の人だったよ。グリフィス。銀髪で痩せてて、それから……蛇みたいな目をしてた」
アイラの説明に、グリフィスはうん?と首をかしげた。
蛇みたいな目とは、どんな目だろうか。
「――蛇みたいな目?」
首をかしげるグリフィスに、アイラは「うん。そう」と相槌を打つ。
「多分、グリフィスも見ればわかると思うけど……本当に、グリフィスの知り合いじゃないの?」
そう不安そうな顔で念を押す少女に、グリフィスはちょっと考えた後、覚えがないと首を横に振った。
母が生きていた幼い頃の記憶を掘り返してみても、グリフィスが言う“蛇みたいな目をした男”とやらに、彼は心当たりがなかった。
「……いや、知らない。もしかしたら、死んだ母さんの知り合いなのかもしれないけど、今まで会ったことはないと思う……その男、名前も言わなかったんだ。なんか少し気味が悪いな」
――この家に、グリフィスという名の少年はいるか?
家の前でアイラを呼び止めた男が、言ったというそれ。
考えすぎかもしれないが、その男の存在に少し薄気味の悪いものを感じて、グリフィスは眉をひそめる。だが、逆にアイラは知り合いじゃないというグリフィスの言葉に、ホッとしたように息を吐いた。
「そうなんだ。それなら良いの」
そう言ってアイラが微笑んだ時、先に食卓についていたハイラムが、待ちかねたように娘と養い子の名を呼んだ。
「おーい!いつまで何を話してるんだ?アイラ。グリフィス。早く来ないと、母さんのスープが冷めるぞ。グリフィスの好物だったろう」
父の声に、娘のアイラは「はぁい」と答えて食卓に駆け寄り、グリフィスも彼女の後に続いた。
アイラが会ったという“蛇の目”の男について、少し気にはなったが、その話をするのは夕食を食べてからでもいいだろうと、グリフィスは思う。彼のことを尋ねたという“蛇の目をした若い男”――それが誰なのか、少し気にはなったが、グリフィスはその理由を深く考えようとはしなかった。
この時にそう判断したことの愚かさをグリフィスは、死の寸前に至るまで、ただの一瞬たりとも忘れたことはなかった。その代償は、余りにも重いものであったから――
「スープのお代わりはどう?グリフィス。男の子はいっぱい食べないとね……」
ハイラムの妻サラはそう言いながら、優しい笑みを浮かべて、空になったグリフィスのスープの皿を手に取る。
「そんなに食べられないよ。母さん」
グリフィスは苦笑する。
その日の夕食は豆のスープと、野菜がほんの少し。それと、小さなパン一つだけだった。
質素な食卓。
育ち盛りの少年であるグリフィスには、とてもではないが足りる量ではない。しかし、彼がそれを口に出したことは一度もなかった。
言えるはずもない。この家は決して、裕福ではない。この質素な食事が、この家の精一杯なのだとグリフィスは知っていた。
養父のハイラムは誠実で善良な商人だが、役人たちが不当に賄賂を蓄えて、貧しい者は飢えて死ぬ――このローズティアで、人が生き抜くことは容易ではない。母が死んだ時に、グリフィスはそのことを嫌というほど思い知らされた。
そう、グリフィスが不満など言えるはずもない。
この家族は決して余裕があるわけでも、ましてや裕福なわけでもない。むしろ、日々の生活にさえ苦労している方だ。
それなのに、ハイラムも妻のサラも娘のアイラも、いつもグリフィスのことを大事にしてくれた。彼のことを、家族の一員として扱ってくれた。
いつだって、我が子と同じように、愛情を持って接してくれたのだ。 楽とは言えない生活の中で、母親を亡くしたグリフィスを家に引き取ることは、どう考えても大きな負担だったろうに……。
彼がいなければ、娘のアイラだって、もっと楽に暮らせたに違いない。それなのに、彼女はただの一度も文句を言わず、母を亡くしたグリフィスを気遣ってくれた。
良い家族。
本当に良い家族なのだ。
母を亡くした後、この家族に引き取られたことは本当に幸せだったと、グリフィスは心から思う。たとえ貧しくとも、グリフィスは幸せだ。
「いかんぞ。グリフィス。子供は食べないとな……ほら、父さんのパンもやるから、もっと食え」
グリフィスの遠慮を見抜いてか、そう言いながら自分のパンを半分に千切ってくるハイラムにグリフィスは困りつつも、嬉しそうに笑ったのである。
「グリフィス!」
夕食を終えて、そろそろ寝ようとしていたグリフィスは呼びかけられて、後ろを振り向いた。
「アイラか。どうしたの?」
彼の藍色の瞳に映ったのは、蜂蜜色の髪に薄青の瞳の少女――アイラだ。
グリフィスの問いかけに、アイラはちょっと不安そうな顔で、唇を開く。
「ねぇ……グリフィス。さっきの話だけど……」
「ん?さっきの話って、僕のことを聞いてきたっていう“蛇の目の若い男”のこと?」
「うん。グリフィス。もしもの話なんだけど……」
愛らしい顔に、不安そうな表情を浮かべて、アイラはグリフィスに問いかける。切ない声で。
「――もしも、あの人がグリフィスを迎えにきた親戚の人が何かだったら、グリフィスは一緒にどこかに行っちゃう?」
アイラの問いに、グリフィスは苦笑した。
自分には亡き母以外の誰も、身内などいない。父は知らないが、生まれてから一度も会ったことのない高貴な身分だという父が、いまさらグリフィスに会いに来るなんて夢物語だ。
アイラはそのことを、よく知っているだろうに。
「僕に親戚はいないよ。アイラもよく知ってるじゃないか」
「そうだけど、もしかしたら……」
なおも不安なのか、アイラはぎゅっと唇を噛みしめる。そんなアイラに向かって、グリフィスは冗談めかして言う。
「そんなことはないよ。それともアイラは、僕がどこかに行った方がうれしい?」
グリフィスのそれは、ほんの冗談であったがアイラは本気にしたようで、薄青の瞳をうるませて「違うっ!」と叫んだ。
「違うっ!そういう意味じゃないの!グリフィスがどこかに行っちゃうかと思ったら、心配で……もしグリフィスが親戚の人のところに行きたいんだったら、祝福しなきゃいけないのは、私もわかっているんだけど……」
ごめんなさい、とアイラは小さな声で謝る。
グリフィスよりも、頭ひとつ分は低い位置で、小さな肩が震えていた。
そんなアイラが愛おしくて、グリフィスは彼女の蜂蜜色の髪にそっと手を寄せると、言葉の代わりに優しい仕草で頭を撫でる。
そうして、グリフィスは静かな声で言った。
「アイラがそう言うなら、どこにも行かないよ」
「え……」
驚いたように顔を上げるアイラに、グリフィスは微笑む。
この想いが、少しでもアイラに伝わればいい――そう願って。
「――アイラがそう言うなら、僕はどこにも行かない。誰が迎えに来ても。アイラが出ていけっていうまで、そばにいるから」
グリフィスの言葉に、アイラは安心したように笑う。
心からの笑みだった。
「ありがとう。グリフィス。大好きよ」
「……僕もだよ。アイラ」
アイラの好きと、グリフィスの好きは意味が違う。それを知りながらも、少年はうなずいた。
彼女の好きは、恋ではない。家族に向ける、純粋な愛情だった。
グリフィスの好きは、同じではなかった。養い親であるハイラムやサラに向ける愛情とは違う、唯一無二の恋心だ。
――大切な君がそれを望むなら、僕はいつだって、それを叶えよう。
ただ、アイラと共に在れれば、グリフィスは幸せだった。
「――ありがとう。グリフィス」
幸せそうに、アイラが微笑む。
この時のグリフィスは想像もしなかった。
それが、彼の見た彼女の最後の笑顔になるなど……。
その夜に、悲劇は起きた。
「――いやあぁぁぁっ!」
深夜。
アイラの悲鳴が聞こえたことで、部屋で寝ていたグリフィスは飛び起きた。
「何だっ!何があった!」
驚きながらも、慌てて廊下に飛び出して、グリフィスは絶句した――廊下は真っ赤な血に染まっていた。
おびただしい量の血だまり。
その血に染まった廊下の先には、養父のハイラムが大量の血を流しながら倒れていた。首を切られて、ハイラムがすでに絶命しているのが、遠目にもわかる。
そんな養父に妻のサラと娘のアイラが、半狂乱になりながら「あなた!あなた!」「父さん!」と呼んで、泣きながらすがりついている。
それを見たグリフィスの頭も、一瞬にして真っ白になった。
おかしい。
おかしい。
おかしい! 理解できない!
何が起こっているんだ!
しかし、グリフィスはその後すぐに――絶望の真の意味を知る。
「グリフィス様」
敬愛する養父の、余りに無残な死を前にして何も出来ず、ただ呆然と立ちすくむグリフィスに、そう声がかけられる。
グリフィスが横を向くと、血まみれの剣を手にした若い男が、そこに立っていた。
銀髪に、痩せた青白い顔。
その顔に張り付いたのは、薄ら寒い笑みだ――何も言われずとも、グリフィスは理解した。
この残忍な男が、大切な養父ハイラムを殺したのだとっ!
「お前がっ!父さんを殺したのかっ!」
激昂して、そう叫んだグリフィスに、その男は冷ややかに笑う。
「そんなに、お怒りにならないでください。グリフィス様……いえ、グリフィス殿下。貴方は誰よりも高貴な身分なのですから、こんな平民の死に、いちいち自ら悲しむ必要はないのですよ」
死者に対する嘲りとも言えるそれは、グリフィスの理性を奪った。
――高貴な身分。グリフィス殿下。
その男の言葉の意味は何一つとして理解できなかったが、男が例えようもなく残酷であるということは、容易に理解できた。
この残忍な男はきっと、高らかに笑いながら人を殺せる。
グリフィスは衝動に突き動かされて、「うおおおおっ!」と大声で叫びながら、養父を殺した男に素手で殴りかかった。
相手が剣を手にしているとか、死ぬかもしれないとか、そんなことは頭から消えていた――ただ、その男が憎かった。
「無駄ですよ。グリフィス殿下」
だが、現実はあまりにも残酷で、グリフィスはあまりにも無力だった。
殴りかかったグリフィスのあごに、男の拳が容赦なく叩きつけられ、少年の体は崩れ落ちる。
「がっ!……は……」
倒れ伏し、身動きの出来ないグリフィスを見下ろして、銀髪の男は口角を上げた。
薄れゆく意識の中で、グリフィスは気がつく。
彼の養父を殺した男の瞳は、琥珀色で鋭くて――まるで、獲物を狙う“蛇の目”のようだった。
「――私を……このレザンを恨むことはありませんよ。グリフィス殿下。いずれ私に感謝する日が来るでしょう。必ず」
その男――レザンの言葉は、アイラの上げた悲鳴によって、かき消された。
男に剣を向けられた少女は、必死に助けを求める。
「いやぁ!グリフィス!」
だが、薄れる意識のせいで、グリフィスは指一本すら動かせなかった。
アイラを助けなければ!
助けなければいけないのに、体が動かない!
誰かっ!
「ああぁぁぁぁぁっ!」
意識を失う前グリフィスが最後に目にしたのは、アイラの笑顔ではなくて、恐怖に歪んだ顔だった。
そうして、彼の意識は途切れる。
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