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六章 伝説を終わらせる者 6−3


 国王――グリフィスの寝室は、重苦しいほどの沈黙と、迫りくる死の気配に満ちていた。
「――父上っ!」
 その声に疲労と焦燥をにじませながら、父の寝室の扉を開けたイヴァンは、寝台に横たわる父の、骨と皮ばかりの痩せ衰えた、まるで死人のようなグリフィスの姿を見て、青ざめた顔で息を呑んだ。
 イヴァンが病の父を見舞うのは、無論、これが初めてというわけではない。
 グリフィスが病を患ったのは、数年前からだ。
 いくらグリフィスが実子であるイヴァンに愛情を持たず、むしろ疎んで遠ざけていたとしても、イヴァンはたった一人のローズティアの世継ぎであり、同時に……記録の上では、国王の唯一人の息子である。
 侍医の口を通して、父の――グリフィスの病状は逐一、イヴァンの耳に届けられていたし、父の病は快癒の見込みがないほどに重く、また残された余命がそう長くはないことも、侍医の口から聞かされたイヴァンは知っていた。
 父の――グリフィスの命の炎は、いつ儚く消えたとしても、驚くには値しないのだと。
 しかし、それを十分に理解してはいても、寝台に横たわる父の、重い病に蝕まれ骨と皮ばかりになった姿を見ると、イヴァンは何も言えなくなる。
 傍から見て決して仲が良いと言える親子ではなかったし、理由はわからないが、己が父に疎まれていることもイヴァンは知っていた。
 それでも、幼き日に母を亡くし、また兄弟姉妹もそばに持たず、周囲からは“愚かな王子”と蔑まれる孤独な彼にとっては、父だけが血を分けた唯一の存在であった。それを失おうとするイヴァンの胸の痛みは、彼以外の何者にも理解できないだろう。
 また、父の……グリフィスの死はイヴァンにとって、肉親を失うという意味だけではない。
 国王グリフィスが没すれば、このローズティア王国の王位は、イヴァンが継ぐことになるのだから。
 逃れようもない父の死と、腐敗しきった王国の玉座……どちらも十六歳の、ようやく少年から青年へと移り変わろうとする若いイヴァンにとって、重い宿命であることは間違いなかった。
「父上……」
 イヴァンは寝台に横たわる父に近づくことも出来ずに、まるで幼い子供のように途方に暮れた表情で、扉のそばに立ち尽くす。
 グリフィスの寝台の傍らに控えていた王の侍医が、「イヴァン殿下……」と小さな声で呼びかけたことで、イヴァンはようやく父の寝台へと歩み寄る。
「……父上」
 イヴァンが寝台の横に立つと、グリフィスは瞳を閉じて、眠っていた。
 血の気の失せた青白い顔……肉が落ち、まるで枯れ木のように痩せ細った両腕……そんなグリフィスの顔には、苦悩と絶望に支配された王の人生を物語るように深い深い皺が刻まれている……。
 若き日に、端整な容貌とうたわれた青年王の面影は、そこにはない。
 そこにいるのは、ただ王の血を引いていたというだけで、少年の日に愛する家族を奪われて、傀儡の王としての人生を歩まされた哀れな男が、国と王という存在を憎み続けて、その人生を王国を滅ぼすという復讐に捧げた男が、今にも命が尽きようとする愚かな男がいるだけだった――。
 そんな愚王と呼ばれた男の姿を、イヴァンは……後に、ローズティアの最後の王と呼ばれることになる王子は、黒茶の瞳で見つめていた。その黒茶の瞳に、父に対する愛情と、深い深い憐れみを宿して。
「……」
 そんな父と息子の姿を、イヴァンの後を追ってきたフィアナは少し離れた場所から、何も言わずに静かに見つめていた。
 否、数百年に渡り王家に仕えてきた魔女は、ただ何も言うことが出来なかったのだ。
 今にも命が尽きようとするグリフィス……愚王と呼ばれた男に対し、フィアナはかけるべき言葉を持たなかった。
 ――何が言えるというのだろう?
 少年の日に、国によって最愛の人々を殺されて、傀儡の玉座につけられた男に。
 それゆえに、王国を憎み続け、その滅びを望んだ男に、ただの一度も国を愛せなかった王に、何の言葉をかければ救いとなるのか、フィアナにはわからなかった。
 いや、きっと最初から救いなどなかったのだろう。
 もし、グリフィスが王家の血を引いていなければ、無理矢理に城に連れて来られることがなければ、たとえ貧しくとも愛しい人々と共に、ささやかでも幸せな生涯を送ることが出来たかもしれない。
 愚王として、ローズティア王国の民から憎まれることもなかったはずだ。
 誰よりも国を憎んだ男が、こうして王として逝こうとしている。
 今にも崩壊しようとする腐敗の王国の玉座だけを、息子に、イヴァンに遺して。
 そこに、魔女は運命というものの皮肉さを、感じずにはいられない。
 フィアナは思う。
 もし、神が人の、国の運命を定めているのだとしたら、神とは残酷な存在だと。
「……その声は……イヴァンか?」
 その時、苦しげに荒い呼吸をしていたグリフィスが、ゆっくりと閉じていた瞼を上げ、その藍色の瞳に息子とフィアナの姿を映した。
 病魔による高熱で、意識が混濁しているためか、その王の瞳はどこか虚ろだ。
 まるで、ここではない何処か遠くを見ているようですらある。
「はい。イヴァンです。父上……」
 グリフィスは藍色の瞳に息子の姿を映すと、苦しいような辛いような哀れむような、何とも言えない表情を浮かべた。
 その時に、グリフィスが何を想ったのか、イヴァンに知る術はない。
 国を憎み続け、愚王と呼ばれた男は、死期を目前にしようとも、王冠を継ぐ息子に対し、何も語ることがなかった。
 その代わりに、グリフィスはかすれて苦しげな、時折、途切れがちな声で「フィアナ」と魔女の名を呼ぶ。
「フィアナ……そこにいるのか?」
 グリフィスの問いかけに、フィアナは王の寝台のそばへと静かに歩み寄り、スッと流れるような所作で膝を折る。
「はい。こちらにおります。グリフィス陛下」
 グリフィスは彼が少年だった日から何も変わることがない、数百年の時を重ねながら年老いることのない魔女を見つめると、わずかに口角をつり上げて、どこか皮肉気に問う。
「イヴァンと一緒に、私の死を看取るために来たのか?それも、王国の魔女としての役目なのか?」
「……」
 そんなグリフィスの言葉に対し、フィアナはそっと真紅の瞳を伏せて、何も答えなかった。
 グリフィスの問いかけが、本心から答えを求めてのものではないと知っていたからだ。
 そんなフィアナに対し、グリフィスはさらに言葉を重ねる。
「……昔、私に言ったことを覚えているか?フィアナ」
 王の唐突な問いかけに、フィアナは首をかしげる。
「昔、言ったこと……?何のことでしょうか?グリフィス陛下」
「私が、まだ王位を継いで間もない頃の話だ。覚えていないか?フィアナ……貴女は、私にこう言った『国を愛せない王は哀しい』と」
「……覚えております。グリフィス陛下」
 フィアナはグリフィスの言葉を否定することなく、首を縦に振る。
 たしかに、国の都合により養父と家族を奪われて、その復讐として宰相親子を己の手で殺めた若き国王に対し、腐敗した王国の滅びを望むと口にした青年に対し、フィアナはそう言ったのだ。国を愛せない王は哀しい――と。
 国を愛せない王は、国を憎んでしまった王は哀れだ。
 生涯、許せぬものを、守りたいと思えぬものを、背負い続けなければならないのだから。
 その苦悩は、果てのない絶望は、王以外の何者にも理解できないだろう。
「父上……」
 イヴァンは悲しげな顔で父を見て、結局、何も言うことが出来ずに顔を伏せた。
 彼には、父の、王の苦しみは理解できない。
 たとえ愚かな王子と虐げられても、王国を民を憎むことのなかったイヴァンには、父の絶望はどうしても理解しえないものだった。
「……あの言葉の意味が、私には死ぬ間際になってもわからない……」
「グリフィス陛下……」
 荒い息づかいと、かすれて途切れがちな声で喋りながら、グリフィスは藍色の瞳でフィアナを……数百年の長きに渡り、王国と共に在り続ける魔女を見つめて、問う。
 それは、己から全てを奪った国を憎み続け、たとえ愚王と罵られても、決して国を愛そうとしなかった男の、最期の言葉だった。
「――フィアナ……王国の魔女よ、あの時の言葉が正しいとすれば、王が国を、民を愛さねばならないものだとすれば……王とは何だ?民とは誰なんだ?」
 そのグリフィスの問いに、フィアナは唇を開きかけて、結局、何も言えずに唇を閉じる。
「……」
 ――王とは何か?
 ――民とは誰なのか?
 グリフィスの問いに、正しい答えなどないと知っていたからだ。
 王も民も、言葉では一つだ。しかし、その言葉にこめられた人々の想いは一つではない。
 それらを背負わねばならない王の孤独は、王にしかわからないだろう。
 フィアナが黙ったのを見て、グリフィスはふっと自嘲するように口元を緩めると、再び瞳を閉じる。
 それが、愚王と呼ばれた男と魔女の、最期の会話となった。
「父上……」
 イヴァンが小さく嗚咽した。

 それから十日後、国王グリフィスは没した。
 数奇な運命を辿り、ローズティアの国王となった男は、最期まで国を憎み続けて、愚王と呼ばれたまま死んだ。
 後世においてグリフィスの名が語られることは殆どなく、彼の抱いた絶望もその真実も、人々の記憶に残ることなく歴史の流れの中に泡沫のように消えていった。
 しかし、腐敗した王国を憎み続け、その滅びを望んだ“愚王”グリフィスは運命の皮肉ゆえに、王国の歴史に幕を引く最後の王となることはなかった。その運命を担うことになったのは、記録に残るうえでは国王グリフィスの唯一人の息子――最後の王と呼ばれるイヴァンである。
 かくして、終焉へと向かう王国で、最後の王の時代が静かに幕を開ける……

 父王の崩御によって、十六歳の若さでローズティアの新王として即位したイヴァンだったが、その地位は決して盤石なものではなく、むしろ砂上の楼閣のように脆く、また不安定なものだった。
 腐敗の王国。
 グリフィスがかぎりない憎しみをこめて、そう評したように、長年、飾りものの傀儡の王を玉座にすえて、己の利益しか考えぬ奸臣たちが国の中枢を支配した結果、ローズティア王国はかつての繁栄など夢や幻であったかのように、国の内部は腐敗し、滅びへの道を歩むことになった。
 役人たちが度重なる不正によって富を蓄え、貴族たちが豪奢な生活を送っている裏で、多くの平民たちが飢えや貧しさに喘いでいた。
 貧しい生活の中で、幼い子供にパンのかけらすら与えられず、飢え死にさせてしまう若い母親もいた。
 高価な薬も買えず、貧しさゆえに医者からも見放されて、絶望と孤独の中で死んでいく病人もいた。
 そんな民の悲惨な生活を知りながら、ローズティア王国を動かしていた重臣たちは己の保身のみに忙しく、何ら救いの手も差し伸べようとしなかった……。
 悲惨な、暗黒の時代だった。
 先王グリフィスの時代から、ローズティア王国の衰退ぶりは止まることなく、むしろ国の内部は腐敗していく一方であった。
 貧しく、救い手が差し伸べられることのない生活の中で、平民たちのやり場のない怒りが、何もしない国王に向かうのは自然なことだったのかもしれない。
 ――王は何をしている?
 ――貴族たちは贅沢をしているのに、なぜ俺たちは飢えるほどに貧しい?
 ――息子に食べさせるものも、病の父にあげる薬もない……。この苦しさは、誰のせいなの?
 ――王はなぜ何もしようとしない?
 ――王は……?
 ――王は……。
 ――王はっ!!
 助けを求める声と疑問が、尽きることのない憎しみへと変化した時、民の憎しみは一心に王へと向かった。
 ローズティア王国の民たちは知らない。もはや、傀儡の国王には、悲しいほどに何の力もないのだということを。
 王国の実権を握っているのは己の利益しか考えぬ奸臣たちであり、彼らの傀儡となった国王もまた、名も無い民と同じように無力な存在であるということを。
 そうとも知らず、苦しむ民たちの憎しみは全て、“何もしない”王へと向かう。父王グリフィスが亡き後、新王イヴァンが即位したのは、そんな時代のことだった。
 父王の崩御によって、十六歳の若さでローズティア王国の王位を継いだイヴァンだったが、その立場はきわめて難しいものだった。
 長年に渡り、傀儡の王を抱いてきた王国は、もはや王の力を必要としていなかったからだ。
 国の政治は奸臣たちによって動かされ、王位を継いだばかりの十六歳のイヴァンの意見は、たとえ正しくても軽んじられるのが常だった。
 イヴァンが民の悲惨な現状に心を痛めて、何か救いの手を差し伸べるように意見しても、若き王の言葉が聞き入れられることは滅多になく、大概の場合、こんな言葉と共になかったことにされた。
『イヴァン陛下は、まだお若い。国というものを、政治というものを、十分に理解されていないのです』
『ご存知ないでしょうが、民というものは優しくすれば増長し、また甘くすれば傲慢になるものなのです。イヴァン陛下……陛下は国政に関わらずとも、ただ玉座にいらしてくだされば良いのです』
『陛下自らが、民を助けようなどと考えられる必要はないのないのです。我々にお任せいただければ、何の心配もございません』
 民を憂うイヴァンの言葉は、そんな奸臣たちによって退けられて、結局、貧困に喘ぐ民たちには何ら救いの手が届かなかった。
 イヴァンは己の無力を悔いたが、奸臣たちを処罰することも、国を変えることも出来なかったのである。
 王として民の痛みを憂う心を持ちながら、イヴァンは王として国を救うことは叶わなかった。
 ローズティア王国の歴史が終焉を迎えてから数十年後、国王イヴァンに仕えた側近の一人は、イヴァンの人柄をこう評したという。
『イヴァン陛下は、善良で優しい御方でいらっしゃいました……格別に聡明なわけでも、王としての才覚に恵まれていたとも言えないかもしれませんが、優しい誠実な方でした……もし、あの御方が一介の善良な農夫であったなら、あるいは神の教えを説く司祭であったのなら、陛下が国王でさえなかったならば、平穏で幸せな生涯を送れたかもしれません……ですが、陛下は王でした。そして、善良で平凡な人間が王であれるほど、あの時代は優しくはなかったのです……』
 それだけ言うと、イヴァンの側近であった男は堅く口を閉ざし、それ以上、何も語らなかったという。
 たしかに、イヴァンは王として優れた資質を持っていたわけではなかった。
 善良で心優しく、また穏やかな性格の青年ではあったが、傾いていく国を救うための強い力には欠けていただろう。
 心優しい者が、必ずしも善き王となるとは限らないのだ。
 王国の魔女として、五百数十年もの長きに渡り王家と王を見守り続けてきたフィアナは、そのことをよく知っていた。だが、それでもフィアナは思う。
 イヴァンは民の苦しみを憂い、腐敗した王国の中にあってただ一人、国を民を愛そうとした優しい王だった。
 王となるのに、それ以上の何が必要だったのだろう……と。
 しかし、それでも貧困に苦しむ民の憎しみは、国王であるイヴァンへと向けられた。
 即位から、二年――
 イヴァンが十八になった年、王都で国政に不満を抱いた平民たちによる大規模な暴動が起きた。
 意外なことではない。むしろ、遅すぎたというものだろう。
 先王グリフィスの時代より、平民は悲惨な境遇に苦しんでいたのだから、その怒りが爆発したというだけだ。
 貴族の館には容赦なく火が放たれ、群衆たちの間には王を中傷する声が絶えず、その暴動を止めようとした軍人の一人は暴徒とかした民衆たちによって、真冬の川へと投げ込まれた。
 その暴動を知った奸臣たちは、すぐに軍隊を差し向けて暴動を止めるように、王に……イヴァンに進言した。
 しかし、イヴァンは暴動という言葉に顔を青ざめさせたものの、その進言にうなずこうとはしなかった。
 イヴァンは声を震わせながら、「……民に刃を向けることはしてはいけない」と言った。
 ――王とは民を守り、民を幸福にする者でなくてはならない。
 だから、何があっても、王が民に刃を向けることはしてはならないのだと、イヴァンは言った。
 ましてや、民の怒りは的外れなものではなく、貧しさゆえに苦しんだ結果なのだからと。
 その言葉は愚かで甘くて、だが、イヴァンの偽りのない本心だった。
 しかし、暴動が起きているという時に、そんな言葉が受け入れられるはずもない。
 イヴァンの言葉は聞き入れられることなく、差し向けられた王の軍隊と暴動を起こした平民たちは衝突し、主に平民たちの方に多くの血が流れた。
 何とか暴動は静まったものの、革命という言葉が現実味を帯びたのは、この時からかもしれない。
 この暴動によって、多くの死者が出た――王城でその報告を受けたイヴァンは、血の気の失せた青い顔で、頭を抱えていた。そんな若き王の姿に、深い憐憫を感じながら、フィアナは「イヴァン陛下……」と声をかける。
「……ああ、フィアナか……」
 イヴァンは少し顔を上げ、黒茶の瞳に魔女の姿を映したものの、再び辛そうに顔を伏せる。
 爪を立て、きつく握られた彼の拳は、かすかに震えていた。
 そんなイヴァンの手に、フィアナは幼い日にそうしたように、そっと柔らかな手を重ねる。王の手は震えて、冷たかった。
「……」
 運命とはかくも残酷だと、フィアナは思わずにはいられない。
 もしかしたら、イヴァンは王となる運命ではなかったかもしれないのに、こうして王となって苦しんでいる……。
 今は亡き先王グリフィスには、二人の子がいるはずだ。
 一人は、王位を継いだイヴァン。
 もう一人の子は、グリフィスが宰相親子を殺した際に姿を消した、側室レイラの子――
 フィアナが、地下の牢獄から金貨と短剣を渡してレイラを逃がした時、レイラはグリフィスの子を身ごもっていた。
 もしも、グリフィスが宰相親子に対して、あのような復讐をしなければ、イヴァンではなく、レイラの生んだ子がローズティアの王位を継いだかもしれない。
 あのレイラが生んだ子はどうしているだろうかと、フィアナはふと思う。
 もし無事に生きていれば、イヴァンよりも一つ年上なはずだ。
 無事に生きていれば、今、どうしているだろうか。幸せに生きているだろうか。それとも――
「……フィアナ」
「……はい。イヴァン陛下」
 フィアナが過去を思い出していると、顔を伏せていたイヴァンが顔を上げて、静かな声で言った。
「この王国は、一体、いつから道を間違えてしまったのかな?」
 その言葉に、フィアナは返すべき言葉を持たず、ただ唇を閉ざした。
 魔女は人の歴史を、動かすことは出来ない。
 魔女が人の運命を変えることは許されない。
 魔女はただ、見守ることしか出来ない。
 それは、人とは異なる寿命を持つ者の宿命だった。しかし、今ほどフィアナが、その宿命を歯がゆく思ったことはなかった。
 救いを求める人を、救うことが出来ないというのは、ひどく辛いことだ。


 それより一月後、暴動を煽動したとされる平民たちは捕らえられて、拷問の末に処刑された。その処遇に民衆は憤り、王への憎しみを深くしていく。
 民衆の憎しみは、やがて形を変えて革命となり、ローズティア王国に新たな時代の風を呼びこもうとしていた――


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