女王の商人

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  女王と商人1−3  

「よく来てくれたわね。シア=リーブル」
 麗しの女王陛下は、そう言って花のように微笑んだ。

 謁見の間。
 華麗にして、優美。
 そう謡われるローゼンタール城の中でも、女王陛下が臣下や異国の要人と会うそこは、ひときわ立派な部屋である。
 きらきらと星のような光を放つ、シャンデリア。床に敷き詰められた真紅の絨毯は、遥か異国で織られた最高級の品。そして、その部屋の一段高い場所にあるのは、至高の御方を抱くための玉座である。その金細工の玉座には今、一人の美しい女性が座っていた。
 その玉座より一段低い場所に、シアは膝を折って、頭を垂れている。
 彼女の隣には、父・クラフト=リーブルも同様の姿勢で。
 いつまでそうしていたのだろうか。長かった気もするし、一瞬であった気もする。シアが緊張からしびれを切らし始めた頃に、玉座から声が降ってきた。
「二人共、面を上げなさい」
 思っていたよりも、ずっと気さくで優しい声だった。
「はい」
 そう返事をして、顔を上げたシアと目が会ったのは、澄んだオリーブ色の瞳だった。
「よく来てくれたわね。シア=リーブル」
 そう言ったのは、豪奢なドレスをまとった美しい女性だ。
 緩く波打つ金髪と、透きとおったオリーブ色の瞳が印象的な美女である。年は、シアよりも三つか四つ上だろう。南方から嫁いだ王妃を母に持つというだけあって、わずかに褐色がかった肌からは、どこか異国の甘い香りが感じられる。
 シアは緊張の面持ちで、玉座に座る美女を仰ぎ見た。
 この女性こそ、アルゼンタール王国の唯一無二の王。
 エミーリア女王陛下。その人である。
 うふふ、とエミーリア女王は軽やかに笑って、シアを見つめた。その聡明そうなオリーブ色の瞳には、まぎれもない親愛の色があり、シアは不思議そうに目を丸くする。そんな彼女に、エミーリア女王はますます笑みを深くして、くすくすと笑った。
「本当に、会えて嬉しいわ。シア。貴女のことはいつも、クラフトから聞いていたのよ」
「父からですか?」
「ええ……」
 意外な言葉に驚くシアに、若き女王陛下は年相応のちゃめっけのある顔をする。
「たとえば、貴女がリーゼル林檎を食べ過ぎて、お腹をこわした話とか。寝ぼけて家の階段から転がり落ちた話とか、まあ色々と……」
「ふふふ……父さあああああん」
 シアは爽やかに笑いながら、女王陛下の目に入らないようコッソリと、父の手のひらにギリギリと爪を立てた。何をしてくれんじゃあ、という気持ちである。
「まあ、それはともかく、貴方を王城に呼んだのは理由があるのよ。シア」
「理由?」
「ええ。私は今、腕の良い商人を探している最中なの。それで、リーブル商会の長で議会の議員でもあるクラフトに、娘の貴女を紹介してもらったのよ」
「私を?」
 商人を探している、というエミーリアの言葉に、シアは首をかしげた。
 シアの父であるクラフトは、王都における中心的な人物だ。
 貴族ではなく平民であるものの、国を支える大商会の長であり、議会においても重要な位置をしめている。エミーリア女王陛下の信頼も厚いというのは、愛娘のシアならずとも知っている事実だ。だから、女王がクラフトに相談をするのは、なんら不自然でないのだが。
 しかし、なぜシアなのだろうか。
 いくらシアがリーブル商会の後継ぎとはいえ、今の時点では、ただの駆け出しの商人に過ぎない。たしかに、大商会の後継ぎとして商売を叩きこまれてきたシアは、普通の新米よりは腕が良いだろうが、ただそれだけのことだ。
 間違っても、女王の目にとまるほどの商人ではないと、自分でも思う。
「うふふ。話が見えないという顔ね。シア」
 シアの戸惑いを見透かしたように、エミーリアは笑う。
「……正直に申し上げれば」
「そうよね。私は回りくどいことが嫌いだから、正直に言いましょう。シア。貴女……」
 そして、エミーリア女王は予想外な言葉を告げる。
「――女王の商人になる気はない?」
 その一言に、シアは顔を赤くしたと思ったら青くなり、再び顔を赤くして叫んだ。
「のうえええええっ!……っと、失礼いたしました!」
 驚きのあまり絶叫してから、ハッと非礼に気づいたシアは、慌てて頭を下げた。
 すーはーと息を吸い、ドキドキする心臓を静めようと、シアは片手で胸を押さえる。彼女が驚くのも無理のないことだった。クラフトのような大商人ならともかく、シアのような新米の商人に女王陛下が声をかけることなど、まず有り得ないことだ。
 それが、女王陛下直々に仕事を頼まれるなど、この世の出来事とは思えない。
「ふふ。シアが驚くのも無理のないことでしょう。でも、私は本気です……これを、見てくれるかしら?」
 パチン、と女王陛下が指を鳴らす。
 それと同時に、謁見の間の扉が開いて、女官のルノアが静々と入ってくる。
 彼女の両腕には、何やら四角い箱が大事そうに抱えられており、それはシアの眼前でゆっくりと床に下ろされた。パカッとフタが開けられたことで、シアは恐る恐る箱の中身をのぞく。そして、驚きに目を見張った。
「これは……」
 箱の中身は、予想外なものだった。
「私が集めたものよ」
 にっこりと微笑むエミーリアの声は、どこか誇らしげだ。
「リオネル銅貨、アライラスの絵画、ムメイの花瓶……すごい!」
 箱に入っていた品の数々に、シアは感嘆の声を上げた。
 百年も前に滅亡した国の硬貨に、幻といわれる画家の作品に、遥か東国ムメイの花瓶。どれもこれも、ちょっとやそっとじゃお目にかかれないクラスの珍品である。リーブル商会の後継ぎとして、数多くの名品を目にしてきたシアでさえ、舌を巻かずにいられない。
 ボーっとコレクションに見惚れるシアに、女王は嬉しそうに説明する。
「さすが、詳しいのね……その硬貨は、百五十年前に内乱で滅亡したレイラス王家のもので、ちょっと傷がついているとこが歴史を感じさせるでしょう?そっちの絵画は、わずか三枚しか描かないうちに逮捕されたせいで、幻といわれる画家アライラスのもので。右のムメイの茶色の花瓶は、ちょっと欠けているところに、なんとも言えない味があるでしょう!全部、私が王女時代から大事にしてきたコレクションなの!」
 そういうエミーリア女王の瞳は、キラキラと宝石の如く輝いていた。
「はあ」
「これを見てわかる通り、私は珍しいものを集めるのが趣味なの。いえ、むしろ生きがい」
「……そうなんですか」
 熱く語るエミーリア女王に、シアはカクカクと首を縦に振った。
 即位してから、三年。父王が若くして亡くなったゆえに、十七歳の若さで王位を継いだエミーリアだが、民の評判はすこぶる良い。
 その美貌は王女時代から、自国だけでなく隣国でも語り草になる程であったし、同時にその聡明さもよく知られていた。孤児院や救護院などへの慰問の回数は、歴代の王の中でも上位であり、その優しさも人気の一つだとされる。
 社交上手でも知られ、議会との関係も極めて良好、非のうちどころがない女王陛下。
 自分と大して年も違わないのに、なんて素晴らしい御方なのだろう。シアは今までそう思って敬愛してきたのだが、女王陛下が珍品コレクターだとは、ついぞ知らなかった。
「ええ。こう見えても、王族稼業って結構大変なのよ。問題は尽きないし……でも、集めた珍しいものを見ている時だけは、どんな嫌なことがあっても耐えられるの。おかげで、この間の夜会での時には、失礼なことを言ってきた隣国の馬鹿王子を叩かずに……ゲホン、ゲホン。とにかく癒されるのよ」
「……はあ。それは良いことですね」
 なんかもう、ビミョ―な気持ちになりつつ、シアはうなづいた。
「そうなの。それで貴女にやってもらいたいのは、それなのよ」
「はいいっ!わ、私がですか?」
 唐突に話を振られ、シアは驚愕の表情を浮かべた。
 そんなシアに、女王はグイッと顔を近づけると、この上なく甘い声で言った。
「私のために、国中の珍しい品物を買ってきて欲しいの。王女の時はともかく、女王ともなるとなかなか自由に身動きが取れなくって……シアが私の代りに国内を旅して、ついでにお土産話なんかも聞かせてくれると嬉しいわ。どうかしら?」
「……うう」
 シアの心は揺れていた。そりゃもう、グラグラと。
 悪い話ではない。
 リーブル商会の後継ぎとはいえ、今のシアは一介の商人であり、たとえ長期間に渡り王都を留守にすることになったとしても何の支障もないだろう。それに、女王陛下と縁が出来るということは、商人としての道のりに大いにプラスになるはずだ。
 だけど、である。
 話がうますぎて、なんとなく嫌な予感がするのだ。うまい話にゃ裏がある、と過去の偉人たちも言っている。それに、珍品を集めるのに、どんな苦労をさせられることか。
 シアの揺れ動く心を見抜いたように、エミーリア女王は微笑んだ。
「もちろん、相応のお礼はするつもりよ」
「……うっ」
 お礼という言葉に、ピクピクっとシアの耳が反応する。
「ところで、貴女は銀貨の商人よね?シア」
 エミーリア女王はそう言って、シアの胸元を指差した。
「はい。二年前から」
 そう答えるシアの胸元では、紐でつるされた銀貨が揺れている。
 アルゼンタール王国において、商人の首からつるされた硬貨は特別な意味を持つ。
 金貨の商人。
 銀貨の商人。
 銅貨の商人。
 実績や年期によって、商人はこの三つの階級に分けられ、それこそが商売における信頼に繋がるのだ。見習いの銅貨より始まり、実績を上げるごとに、銀から金へと進む。商人としての身分を証明すると同時に、信頼の証でもあるのだ。
 その色を決めるのは、所属する商会である。
 シアの胸で揺れるのは、銀貨。ちょうど真ん中だ。
 決して悪くはない地位。しかし、シアはそれに満足してはいない。いや、リーブル商会の後継ぎとしては、満足してはいけないのだ。リーブル商会にも、金貨の商人は少なくない。自分が銀貨の商人のままでは、彼らに認められることは叶わないだろう。
 だから、シアは金貨が欲しかった。
 そんな気持ちを見透かしたかのように、エミーリアは言葉を続ける。
「もし、シアが私の商人になってくれて、完璧に仕事をこなしてくれたとしましょう。そうしたら、貴女が金貨の商人になれるように、私が推薦状を書いてあげるわ……そうね。期間は一年間でどうかしら?悪い話ではないと思うのだけど」
「一年間ですか?」
「ええ。どうかしら?クラフト」
 シアの横にいたクラフトに、エミーリア女王は話を振る。
 尋ねられたクラフトは、うやうやしく首を縦に振った。
「陛下がそうおっしゃるなら、私に反対する理由はございません」
 エミーリアはうなずき、再びシアに視線を向けた。
「……ということだけど、どうかしら?シア。私の商人になってくれる?」
 透きとおるオリーブ色の瞳。それに見つめられ、シアの選択は一つしかなかった。
「……謹んで受けさせていただきます」

 ああ、天国のお母さま。人生って、どう転がるかわからないものですね?
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