女王の商人

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  女王と商人1−5  

 その翌日。
「おばさーん!ステーキ定食を四人分!ライス大盛りで!」
 大衆食堂の一席で、シアがそう声を張り上げる。
「あいよー!」
 女将が威勢のいい声で答えると、ジュワジュワと焼ける肉の皿を、シアたちが座るテーブルにドンッと音を立てて置いた。
「うふふふ!いただきまーす!」
 シアはちゃきとナイフとフォークをかまえて、じゅるりとヨダレをたらさんばかりに舌なめずりをしつつ、分厚い肉にナイフを突き立てた。そうして、ステーキを一口大に切り分けると、口にいれてモゴモゴと咀嚼する。じわーっと、シアの顔の笑みが広がった。
「……くぅ!美味しい!」
 シアがグッと拳を握ると、同じテーブルの三つ子が呆れた顔をする。
「……相変わらず、お嬢さんは食い意地がはってるなあ」
 エルトの言葉に、アルトがうなずく。
「美少女は、砂糖菓子しか食べないって、アレは嘘だな」
 はああ、とカルトがため息をつく。
「本当に、男の夢とロマンを壊す人だなあ。お嬢さんは」
 三つ子の絶え間ない暴言に、シアの眉がつり上がった。
「アンタらは……いつもいつも!あたしに喧嘩を売ってるわけぇ?安けりゃ買うよっ!」
 この食堂は、リーブル商会の隣にある。
 もともとはシアの祖父エドワードが、リーブル商会で働く商人のために用意したものだが、金を払えば商人でない者も利用できる。安い、うまい、早いと三拍子そろっているだけあって、商会の人間だけでなく、地元の評判もなかなか良い。
 シアも、ここのステーキ定食が大好物で、外食の時は大概ここである。
 今日も、たまたまシアと三つ子と休憩時間が重なったので、一緒に昼食を取りに来たのだ。ということに、表向きはなっている。実際のところは、もう一つ別の理由があって、彼らは四人ここにいるのだった。「さて……」と、ステーキを飲み込んだシアが話を切り出す。
「それで?例の貴族については、何かわかった?」
 シアの問いかけに、三つ子は顔を見合せて、エルトが真剣な顔つきで答えた。
「……その前に、お嬢さん」
「……何よ?」
「ついでに、デザートを追加しても良いですか?この季節のフルーツパフェってやつ、一度は食べてみたかったんで」
 兄弟に続くように、アルトもメニューを指差す。
「あっ、俺はこっちのケーキが良いです!」
 トドメとばかりに、カルトが一番高いデザートを注文する。
「いやあ、お嬢さんはホント太っ腹だなあ。ステーキ定食だけじゃなくて、デザートまで奢ってくれるなんて!やっぱ大商会の跡取りはこうじゃないと!あっ、女将さん。俺は、このスペシャルケーキプレートってのを!」
 シアはふるふると握り拳を振るわせ、天に向かって叫んだ。
「良い加減にしろおおっ!アンタらは、遠慮って言葉を知らんのかああっ!」
 今日の昼食は、全てシアの奢りであった。ただし、ある条件つきで。
 アレクシス=ロア=ハイライン。
 ハイライン伯爵家の嫡男にして、王剣と呼ばれる騎士であり、シアの仲間になる男。
 シアとしては気がのらないが、一応は仕事仲間になる人に無関心でいるわけにもいかず、三つ子に情報収集を頼んだのである。こう見えても顔が広い彼らは、ハイライン伯爵家について調べてきてくれたようだ。その報酬が、ステーキ定食というわけである。
 シアの怒りに恐れをなしたのか、エルトがようやく調べた件について、喋り出す。
「ええっと、俺は貴族の屋敷に出入りしてる商人の一人から、話を聞いてきました……ハイライン伯爵家っていえば、武勇に優れた騎士の家柄として、有名みたいですね。何でも、歴代の騎士団長のうち五人は、ハイライン伯爵家の出身だとか」
「ふーん。騎士ねぇ。アルトは?」
 シアは相槌を打つと、モグモグとケーキを食しているアルトの方を見た。
「俺が聞いたのは、例の王剣の話です……聞いたところによると、ハイライン伯爵家の騎士が戦場で王の危機を救った褒美に、聖剣オルバートを賜ったとか。それ以来、聖剣を使いこなせることが、ハイライン伯爵家を継ぐ資格らしいですよ」
「へぇ。王に選ばれた剣士だから、王剣って意味なのかね?次は?」
 シアが横を向くと、口の端に生クリームをつけたカルトが、それを拭いながら答える。
「俺が聞いたのは、三年ぐらい前に先代の当主が亡くなって、今は伯爵夫人が当主代行をしているってことぐらいですか……たぶん、お嬢さんの仕事仲間の、えーっと、アレクシスの母親じゃないですか?」
「なるほどね」
 紅茶をすすりながら、シアはうなずいた。
 アレクシス本人の情報は殆どないが、どんな家かということは大体わかった。どうやら、お飾りの騎士でないことはわかったが、それが嬉しいかは別の話だ。なんか妙に騎士道に傾倒した家っぽいし、変なプライドの持ち主だったら厄介である。
 実利のともなわない騎士道など、時代錯誤以外の何物でもないのだから。
 (ま、何とかなるか。あたしは商人の仕事をすれば良いんだし……)
 シアが、つらつらと考えていた時だった。
 隣のテーブルに座っていた男が、急に立ち上がると、脱兎の如く店の外に駆けていく。
 女将は呆然としていたが、急に青ざめると、金切り声で叫んだ。
「食い逃げだっ!捕まえておくれえええっ!」
 その叫びに、店員が慌てて男を捕まえようとするが、すでに店の外に逃げた後である。
「待ちなさいっ!この食い逃げ犯めっ!このリーブル商会の食堂で、食い逃げなんて通用すると思うなよ!」
 シアはそう叫ぶと、椅子を蹴って立ち上がり、逃げた男をダッシュで追いかけた。
「……って、お嬢さんんんっ!危ないですって!」
「置いて行かないでええっ!お嬢さんに何かあったら、旦那さまに殺されるううう!」
「モグモグ……あっ、ちょっと待って。もう一口だけ食べたら、追いかけるよ」
 一人だけ例外もいるが、三つ子も慌てて、シアと食い逃げ犯を追いかける。
「待ちなさいって!そこの食い逃げ犯めえええっ!」
 シアが苛立ったように叫ぶ。
 決して運動神経の悪くない彼女だが、やはり少女の足では、若い男に追いつくのは難しい。彼ら二人の距離は、最初よりも離れており、その差はどんどん開いていく。シアは悔しげに唇を噛みしめたものの、どうすることも出来ない。
 ああ、逃がしてしまうと諦めかけた、その瞬間だった。
「うわあっ!」
 曲がり角から姿を現した人が、サッと食い逃げ犯の腕を掴んだのだ。
「い、痛たたたたた……」
「……」
 そして、そのまま腕を捻りあげて、身動きを取れなくする。
 まるで流れるかのような、無駄のない動き。
 息をつく間もない、一瞬の早業だった。
「その腕を離さないで!」
 シアはそう叫ぶと、身動きの取れない食い逃げ犯に近寄った。
「……食い逃げ犯?コイツがか?」
 食い逃げ犯を捕まえた人の問いに、シアはお礼を言おうと、視線を上に向けた。
「うん。どうもありがとうございました……って、ええええっ!アンタは!」
 その人の顔を見た瞬間、シアは驚きに目を見張る。それは、相手も同様のようだった。
「お前は、昨日の……」
 黒髪の青年が、そう言って眉をひそめる。
 その端正な顔立ちと、腰に差した長剣に、シアはよく見覚えがあった。
 食い逃げ犯を捕まえた恩人は、シアが王城でぶつかった騎士だった。
 (な、なんでコイツがこんな所に?)
 百面相をするシアに、青年は怪訝そうな顔をしていたが、やがて彼女に背を向けた。
 その右腕は、食い逃げ犯の首根っこをしっかりと掴んでおり、どんなに暴れても逃がす気はないらしい。鍛え方が違うのだろう。食い逃げ犯は、なんとか青年の腕が逃れようと必死に暴れているのだが、黒髪の青年はいたって涼しい顔をしていた。
 歩き去ろうとする彼を、シアは慌てて呼び止めた。
「ちょ、ちょっと!その食い逃げ犯を、どこに連れていく気よ?」
 青年は振り返ると、足をとめて答えた。
「どこと問われても……王都警備隊だが?食い逃げ犯だというなら、そうするのが一番だろう」
 あっさりと答えると、青年は再び歩を進める。
「……」
 沈黙するシアに、三つ子たちがようやく追いついた。はあはあ、とカルトが荒い息を吐く。
「はあはあ……やっと、追いつきましたよ。お嬢さん」
「ふううう。あんまり無駄な運動させないでくださいよ」
「あのう、お嬢さんの食事代は立て替えたんで……」
 次々と喋る三つ子たちの言葉も、シアの耳には届いていないようだった。
「「「お嬢さん?」」」
 シアは何か決意したような目をすると、三つ子の方を向いて言い放った。
「悪いんだけど、先に帰っててっ!ちょっと用事が出来たから!」
 そう言うと、シアは呆ける三つ子を置き去りにし、黒髪の青年の後を追いかけたのである。
 
 王都警備隊。
 アルゼンタールの軍隊や近衛とは別に、王都の治安を守るためにある部署である。
 その警備隊の建物は、王都のロセリア地区にあり、その白い外観と空にたなびく国旗が堂々として立派に見えた。王都で犯罪をおかした者は皆、いったんはここに収容された後、その刑の重さによって処遇が決まるのである。
 その警備隊の建物の前にある、白いベンチにシアは腰かける。
 ゴォォォン、ゴォォォォン、ゴォォォォン!
 王都の鐘が、三つ鳴るまで待っただろうか。
 シアが待ちくたびれてきた頃、建物の出口から、黒髪の青年が姿を現した。
「……あっ!」
 シアは青年の姿を目にすると、立ち上がりタタタッと彼のそばに駆け寄った。
「お前は、さっきの……俺に何か用か?」
 駆け寄ってきたシアに、青年は漆黒の瞳を細める。
「別に、用ってほどの用じゃないけど……」
 シアはそう前置きすると、青い瞳で真っ直ぐに青年を見つめて、真摯な声で言った。
「さっきは、食い逃げ犯を捕まえてくれて、どうもありがとうございました。リーブル商会の一員として、感謝します」
 シアは短気ではあるが、決して馬鹿ではない。
 礼を言うべき時は、わかっているつもりだった。
 リーブル商会の後継ぎとして、個人的な好き嫌いを別にして、商人らしい行動を取らねばならぬ時はある。今が、その時なのだと思った。貴族も騎士も好きになれそうもないが、この青年がシアを助けてくれたのは、まぎれもない事実である。ならば、礼をしなくてはならない。
 シアの言葉に、青年はゆるゆると首を横に振った。
「別に、礼を言われることじゃない。騎士として、当然のことをしたまでだ。それより……」
 青年は咎めるような視線を、シアに向ける。
「……何か?」
「さっきのような行動は、感心しないな。お前のような子供が、食い逃げ犯に立ち向かったところで、危ないうえに意味がない……武芸の心得がないなら、大人しくしていることだ」
 青年が一言いうたびに、シアの顔が怒りで引きつっていく。
 (うわっ!さっき礼を言ったのを、本気で取り消したい!)
 確かに、彼の言っていることは正論である。
 シア一人では、決して食い逃げ犯を捕えられなかったはずだし、下手をすれば怪我をしていたかもしれない。無鉄砲と言われる性格は、シアも自覚しているし、武芸の心得が欠片たりともないのも事実である。しかし、なぜこんなに腹が立つのだろう?
「……聞いているのか?」
 青年がそう言ったことで、シアは怒りを爆発させた。
「聞いてるよっ!昨日から、人のことを子供!子供って!あたしは、もう十六歳だ。馬鹿にするなああっ!」
 十六歳といえば、嫁にいってもおかしくない年齢である。
 実際に、隣の家アーシャは十六歳で嫁いで、今では一児の母だ。
 怒りで頬を紅潮させるシアに、青年は驚いたような顔をした。
「……十六歳?嘘だろう?せいぜい十三歳くらいかと……」
 その言葉は、シアの怒りに油を注いだ。とことん失礼な奴!
「あたしが嘘をついて、何の得になるんだあああ!大体、あたしはお前なんかじゃなくて、シア=リーブルっていう、母さんにつけてもらった名前があるのよっ!」
 怒りにまかせて一息に言いきったシアだが、はあはあと荒い息を吐くと、ちらりと黒髪の青年の顔を仰ぎ見た。
「……シア=リーブルだと?」
 表情の変化は余りないが、その声からは純粋な驚きが感じられた。怒鳴られた怒りでも、反省でもないそれ。その不思議な反応に、シアは首をかしげる。
 (何だって言うのよ?一体?)
 無言を貫く青年に、シアは仕方なく声をかける。
「あたしの名前が、何か?」
 そう尋ねると、青年は答えることはなく、逆に問いを重ねてくる。
「――女王陛下の商人とは、お前のことか?シア=リーブル」
 そう問われたシアは、とても嫌な予感がした。
 何で、この男が女王陛下とシアの会話の内容を、詳しく知っているのだ?
 その理由を考えて、シアはハッと青ざめた。
「ま、まさか……」
 青年は漆黒の瞳をシアに向けると、低く堂々とした声で名乗った。
「――俺の名は、アレクシス=ロア=ハイライン。王剣の騎士だ」
 シアは青空を仰ぎ見て思った。ああ、天国のお母様。これはあんまりじゃないですか、と。
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