女王の商人

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  美酒と商人2−1  

 ――始まりは、一通の手紙だった。

「……手紙?これ誰から?父さん」
 顔を合わせるなり、いきなり手紙を渡してきた父に、シアは怪訝な顔をする。
 それは、美しい手紙だった。
 純白の封筒に、金の縁取り。その封筒を裏返せば、アルゼンタールの国花である薔薇が描かれている。おまけに、その封筒にシアが鼻先を近づけると、ふんわりと上品な薔薇の香りが香った。何というか、これ以上ないほどに、高級感のただよう手紙である。
 シアの知り合いに、こんな凝った手紙を出してくるような人間は、一人もいない。
 不思議そうな目で封筒を見つめる娘に、クラフトはにっこりと微笑んだ。
「お茶会の招待状だよ。シア」
 予想もしなかった言葉に、シアの目が点になる。
「……お茶会?招待状?」
 一体どこの誰が、自分宛てにお茶会の招待状なんぞを、送ってきたのだろう。
 その手紙を見つめて、シアは首をかしげた。
 お茶会っていうと、アレか?貴族のご令嬢なんかが、ヒラヒラのドレスとか着て上品に砂糖菓子なんかを食べながら、特に意味のない雑談をする場のことだろうか。お茶会とか言っている割りには、紅茶をがぶ飲みしたりせず、うふふアハハなんて作り笑いを浮かべるアレか。
 参加者全員が、猫の二、三匹を背負っていると噂のそれを想像し、シアはぶるぶると身震いする。
「そうだよ。嬉しいだろう」
 笑顔でいうクラフトに、シアはぶんぶんと首を横に振った。
「全く興味がないから、行きたくないし行かない」
 誰からの招待状だか知らないが、シアはお茶会とやらに欠片の興味も抱けなかった。
 ヒラヒラの動きにくいドレスは嫌いだし、甘いものは好きだが、豆粒サイズの繊細な砂糖菓子よりも屋台の菓子の方が好みだ。ましてや、年頃の娘たちと自分が話が合うとは、商人バカを自覚するシアには夢にも思えなかった。
 シアだって年頃の乙女であるから、美しいドレスやキラキラの宝石に、心がときめくことだって当然ある。しかし、それは商談をする時の高揚感に、遠く及ばないのだ。
 自分の頭と交渉術を使い、利益を上げれた時の喜びは、シアにとっては全てに勝る。
 というわけで、そんなうふふアハハのお茶会に出るくらいなら、帳簿の確認でもしてた方がよほど有意義だと思う。そう結論づけたシアは、「……じゃあ、そういうことで」とクラフトに言葉をかけて、部屋を出ようと踵を返す。
「……ふふふ。逃がさないよ。シア」
 その瞬間だった。
 クラフトは不気味な高笑いをすると、パチンッと指を鳴らす。
 それが合図だったのだろう。バアーンと勢い良く、部屋の扉が開けられた。
「のわああああっ!な、何?」
 唐突なそれに、シアは悲鳴をあげる。
「ふふ。打ち合わせ通りに頼んだよ。リタ、ニーナ、べリンダ」
 クラフトの言葉に、三人のメイド姿の若い娘がうなづいた。
「「「お任せください!旦那さま!」」」
 リタ、ニーナ、ベリンダの三人は、リーブル家のメイドであった。
 彼女たちは力強く返事をすると、おのおの櫛やらドレスやら武器を持って、じりっとシアに歩み寄った。三人共に、ちょっと怖いくらいの笑顔だ。
「ひいいいい……」
 本能的な恐怖に後ずさるシアに、三人のメイドは笑顔で胸を叩く。
「私たちに三人に、お任せくださいね。シアお嬢さま」
「そうですわ。お嬢様は素材が良いですから、いじり……いえ、やりがいがあります」
「うふふふ。抵抗しないでくださいね。シアお嬢さま」
 三人のメイドは次々と言うと、恐怖におののくシアを取り押さえたのだった。
「ちょ、コルセットがキツイいいいいっ!ひょえ、髪が!髪が抜けるうううう!」
 バタバタと暴れるシアをよそに、支度はちゃくちゃくと進んでいく。
 あっという間に、空色のドレスに着替えさせられて、長い銀髪は高く結い上げられる。おまけに真珠のイヤリングまでつけられて、すっかりご令嬢といった雰囲気である。元が美少女だけにかなり似合っているのだが、当の本人といえば目を白黒させているだけだ。
 自分たちの仕事に満足したように、メイド三人娘は手を叩いた。
「イエーイ!完成!」
「いやー、良い仕事したわね。私たち!」
「ふふ。自分の才能が怖い」
 わいわいと盛り上がるメイドたちに、クラフトも微笑んで言った。
「相変わらず、良い仕事をしてくれるね。リタ、ニーナ、ベリンダ」
「「「ありがとうございます!旦那さま!」」」
「今度のボーナスは、期待してくれて良いよ」
「「「きゃー!ありがとうございますうう!」」」
 和やかな会話をする四人と対照的に、シアは怒りで金魚のように口をパクパクさせていた。
「な、な、な……」
 そんなシアに目を細めたクラフトが、追い討ちをかけるようにパチンッと指を鳴らす。
「ああ、忘れちゃいけないな……エルト、カルト、アルト!」
 そう呼びかけた瞬間に、部屋の扉が開けられて、商人見習いの三つ子が入ってきた。
「「「お呼びですか?旦那さま」」」
 同じ顔の三つ子は声を揃えると、なんかミョーにホクホクした笑顔で、シアのそばに近寄ってきた。そうして、ドレスアップしたシアの腕をガシッと強く掴むと、両脇を支える格好でズルズルと扉まで引きずっていく。シアの意思を、まるっきり無視して。
「ちょっ、何すんのよ!エルト、カルト、アルト!」
 彼らの拘束から逃れようと、シアはバタバタと手足を振るが、三つ子は強く掴んで決して離そうとしない。シアが睨みつけても、ヒューヒューと口笛を吹いているくらいだ。
「はいはい。暴れないでくださいね。お嬢さん」
「あっ、足元が危ないですよ。お嬢さん」
「臨時収入をありがとうございます。お嬢さん」
 三つ子たちの台詞に、何となくいやーな予感を感じたシアは、彼らの胸ポケットを睨んだ。そこからは、ジャラジャラと馴染みのある音がしている。商人であるシアには、この音の正体がハッキリとわかる。これは、この音は、間違えるはずもないレアン銅貨の音だ。
「臨時収入って、まさか……アンタら、あたしを売ったわねえええっ!エルト、カルト、アルトおおおっ!」
 ホクホク顔の三つ子に全てを察して、シアは絶叫した。
「すいません。お嬢さん……今月、かなり金欠だったんで」
「すいません。お嬢さん……どーしても、ナンパの資金が欲しくって」
「すいません。お嬢さん……特に理由はないんですけど、面白そうだったんで」
 三つ子に引きずられながら、シアは再び叫んだ。
「全然、反省してないでしょおおおおっ!この恨み忘れるものかああっ!」
 怨念交じりの言葉を吐く間も、三つ子に両脇を抱えられたシアは、ずるずると部屋の外へ引きずって行かれる。そのまま、ついに屋敷の外へと出された。
 外では、リーブル商会の紋が入った馬車が、シアを待ち構えていた。
「……へ?」
 呆けるシアを、三つ子が馬車の中へと放りこむ。
 ボスンッとビロード地のクッションの上に投げ出されて、彼女はきょろきょろと周囲を見回す。
 そして、メイド三人娘と三つ子の後ろに、父クラフトの姿を見つけて怒鳴った。
「父さんっ!あたしを何処に連れていく気よ?」
 シアの質問に、クラフトはふふふと意味深に笑う。
「ふふふ。その招待状の送り主のところだよ」
「招待状?」
 シアは戸惑いの声を上げながら、右手に握った手紙を見つめた。
 白地に金の縁取り、薔薇が描かれた封筒。
 この上なく美麗なそれを、シアはしげしげと見つめる。
 そういえば、すっかり忘れていたが、この招待状の送り主は誰なのだろう?
「そうだよ。お茶会を楽しんでおいで。シア」
 にこやかに言うクラフトに対し、シアは馬車を降りようと必死に暴れる。
「だからっ!さっきも言ったけど、お茶会とやらに行く気もないし、行かないって!」
「ふふ。残念ながら、君に拒否権はないんだ。我が娘よ」
「ま、まさか……」
 自信満々な顔のクラフトに、シアの顔からサーッと血の気が引いていく。
 王都一とも言われる、リーブル商会。その一人娘であり、後継ぎでもあるシア。そんな彼女が拒否権すらないと言われる、招待状の送り主。そんな人は、この広い王都ベルカルンでも数人しか存在しない。そして、その筆頭といえば、このアルゼタールの王冠を持つ御方。
 エミーリア女王陛下。その人である。
「そう。その招待状の送り主は、エミーリア女王陛下だよ」
 にっこりと微笑むと、クラフトは当たり前のように告げた。
「や、や、や……」
 奇声をあげるシアに、クラフトは首をかしげる。
「ヤッホー?」
「違うわああああっ!毎回、毎回、父さんは何で大事なことを早く言わないのよっ!」
「ふっ。決まっているじゃないか……」
 クラフトは気障な仕草で、ふわっと亜麻色の髪をかきあげて、堂々と言い切った。
「――そっちの方が、面白いだろう?」
 あまりに迷いがなく言い切られて、シアは二の句が継げなくなる。
「な、な、な……」
 シアが口をパクパクさせている隙に、クラフトが御者に声をかける。
「ああ、ロベルト。さっそく馬車を走らせてくれないか?そう……」
 シアが呆けているうちに、御者と馬はさっさと準備を整えて、目的地に向かって走り出した。
「――王城まで!」
 遠ざかるクラフトの声に、シアはハッと我に返る。
 ガラガラと車輪を回し、走り出した馬車の中でシアは後ろを振り返った。
 窓から見えるのは、だんだんと小さくなる父と、メイド三人娘と三つ子の姿。皆、これでもかというほどに良い笑顔をしている。そろって、ひらひらと手を振っており、中にはハンカチを取り出す奴まで居る始末だ。ホクホク笑顔の三つ子に、シアは唇を噛む。
 (うううう。アイツら……)
 遠ざかっていく彼らの影に、シアは思いっきり叫んだ。
「いつか覚えてろよおおおおおっ!」
 その悪役のような叫びは、誰の耳にも届かなかったけれども。
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