女王の商人

モドル | ススム | モクジ

  十章  聖剣と商人 11−1     

 ――アレクシス、本当の強さとは何だと思う?


 今は亡き父――先代・ハイライン伯爵、カーティス=ロア=ハイラインは、無骨で寡黙だが、尊敬できる人だった。
 誰よりも、騎士らしく、何よりも王家にとって誇られる剣であれ。
 貴族の衰退叫ばれる昨今、時代遅れよと謗られながらも、己の信じる騎士道を貫いて、生涯、その家名を守った人だった。
 そんな父だったが、息子であるアレクシスにとっては厳しくも優しい父であり、優等生で、割と手のかからぬ子供であったせいか、怒られた記憶は殆どない。そういったことは、大概、母であるルイーズの役目だった。
 当然ながら、鍛錬の以外で手を上げられたこともなく、子供のアレクシスが何か父の意に添わぬことをした時は、こんこんと諭されるのが常だった。
「アレクシス、本当の強さとは何か、お前にわかるか?」
 幼いアレクシスは、唇を噛んで、地面を見ていた。日頃、物分かりの良い子である彼には珍しく、少しふて腐れたような態度だった。
 彼は父が小言を言う理由に、心当たりがあった。
 一昨日、家に遊びに来た従姉のシルヴィアに、つまらぬ暴言をぶつけた領民の子供がいたのだ。子供同士の他愛もない、口喧嘩。
 ちょっとばかり生意気な村の少年が、実は美しく可憐なシルヴィアに憧れていて、気を惹きたいために、そんな事をしたのだとはわかっている。まともに取り合うような事ではない。忠実なる友、セドリックにも、そう言われた。
 しかし、それでも我慢できなかったのだ。
 上品で優しく、いつも自分を導いてくれるシルヴィアは、アレクシスにとって理想の姉であり、不可侵な存在だ。
 たとえ子供同士のつまらぬ諍いであっても、許せるものではない。
 普段、絶対に人に手を上げず、子供同士の喧嘩も殆どしたことのないアレクシスが、ポカリと軽く頭を殴ると、シルヴィアをからかった村の少年は、ぽかんと大口を開けて、その次に号泣した。
 大した痛みはなかっただろうに、殴られたことが余程こたえたのか、悪口を言われた当事者であるはずのシルヴィアが、困り顔でハンカチを差し出し、鼻をかんでやる前で、人目もはばからず、わんわんと泣き続けた。
 幼い子供のように泣き続ける子供を、母のように慰めてやりながら、シルヴィアは妙に大人びた口調で、「乱暴しては、駄目でしょう。アレクシス」と、たしなめる。
 姉代わりとも慕うシルヴィアの言葉に、普段は一、二もなく従う、従順なアレクシスであったが、その時ばかりは不機嫌で、むっつりと黙り込むと、「僕は……僕は、悪くない」とそっぽを向いた。
 シルヴィアは困ったように、形の良い眉を寄せると、困った子ね、とため息を吐いた。  楚々とした美貌の娘は、憂い顔も美しく、そうしていると実の年齢よりも、随分と年嵩に見える。
 みっともなく殴られたのが悔しかったのか、憧れのシルヴィアに慰めてもらえたのが嬉しかったのか、泣き続けていた少年の声は、やがて村の大人たちの耳にも届いて、ついには領主であるアレクシスの父親まで、その場にやってきたのだった。
 子供たちの諍いではあるものの、領主の息子と村の子供の喧嘩だ。普通であれば、平謝りでは済まないだろう。
 しかし、公明正大な人柄で知られたアレクシスの父は、喧嘩した子供たちを、同じように注意すると、先に手を出した息子に、謝るように促した。
 内心、不服ではあっても、厳格で、剣の師でもある父の言う事は、絶対だ。それに、涙目でぐずぐずと鼻をすする相手に、アレクシスも良心の呵責を全く感じないといったら、ウソになる。
 アレクシスが唇を尖らせながらも、「ぶって、ごめんなさい」と詫びると、その場は収まった。
 ……というわけで、話は冒頭へと戻るのだ。
 父・カーティスは、頭ごなしにアレクシスを叱ることをしない代わりに、本当の強さとは何だと思う、と幼い息子に問いかけた。
 問われたアレクシスは戸惑い、口を閉ざした。
 真の強さとは、何か?
 父が単に腕力や、剣の腕などを言っているのではないことは、幼い少年にも理解できる。だからこそ、言葉に困ったのだ。
 誰よりも騎士らしく、強く、優しく、正義の心を持つ厳しい父。
 アレクシスにとっては、強さとは父そのものだった。
 答える事が出来ない息子に、父親は目を細め、ふ、と優しく口元を緩めると、諭すように言った。
「本当に強いこととは、優しいことだ。何よりも、人を許せること」
 父の言葉は、幼い少年には少し難しく、首を傾げるアレクシスの頭に、大きく、剣だこの節くれだった大きな手のひらがふってきた。
「人の過ちを責める事よりも、人を許すことの方が、ずっとずっと難しいんだ」 
 真の強さとは、暴力ではない。それは騎士のするべきことではない、と父は言いたかったのだろう。心の強さこそが、真の強さなのだ。
「わたしは、お前がそのことがわかる人間に育ってほしいと、願っている。昔も、今もな」
 まだ少し難しいかもしれんがな、と頭を撫でる、父の大きな手。その、ぬくもりをアレクシスは今でも覚えている。
「若様―!若様―っ!」
 遠くから、陽光に映える金髪をきらめかせながら、眼鏡をかけた少年が、父子の方を目指して走り寄ってくる。執事の息子のセドリックだ。アレクシスの世話役でもある。
 緑の瞳は真っ直ぐに、仕えるべき主人であるアレクシスへと向けられている。
 若様、と呼ぶ声は弾んでいた。
「セドリック」
 黒髪の少年も、友の名を呼びながら、前へと踏み出した。

 風が吹く、心地よい春の風が。
 色とりどりの花が、緑の絨毯を彩って。
 蜜を求める蜂や、蝶が飛び回る。春の息吹だ。
「行きなさい、アレクシス」
 父の手が優しく、息子の背中を押す。
 厳しい人だった。でも、やさしいひとだった。
 幼い息子と、その友を見る眼差しは穏やかで、愛情に満ちている。
「お前はお前の理想とする、騎士を目指すのだ」


 そうして、時は流れて、幼い少年は騎士となった。



 かの日より、十年近くの時が流れた、ハイライン伯爵家では―― 



 ――親愛なる妹、エミリーへ。


 毎度おなじみの書き出しの手紙に、金の髪に若草色の瞳を持つ少女が、ふるふると手を震わせていた。感激ではなく、怒りで。
 彼女の名は、エミリー=ローウェン。
 父、兄、と元メイド長であった母と共に、ハイライン伯爵家に仕える、うら若き十七歳のメイドである。
 彼女の手にあるのは、親愛なる馬鹿、ではなく、若様バカである兄・セドリックからの手紙だった。
 いつもながら、長々と若様の事が綴られているのは、まあ、あの兄だけにお約束としても、数日後に帰郷する予定だと、末尾に書かれているのは、一体、どういうことだ!
 近々、帰るとは聞いていたものの、こちらにも準備というものがある。
 もう少し前に、報せられなかったものか。否、思い起こせば昔から、兄、セドリックはこういうところがあった。
 器用で、大概の事はそつなくこなすわりに、肝心なところでツメが甘いのだ。
 しばし、そんな兄の性格を思い起こし、立ち尽くしていたエミリーだったが、こうしてはいられないと気合をいれた。
 兄の手紙には、若様と共に、一人の女性を連れてくると記されている。兄にしては乱れた、やかましい、とか小娘という文字が、心境を物語っていたが、あの若様バカな兄のことだ。どうせ小姑じみた嫉妬だろう、気にしてはいけない。
 わざわざ、あの堅物も堅物、抱擁したら結婚すると言いそうな若様が、わざわざ実家であるハイライン伯爵家に、共に来るというのだ。
シア、という名らしい、そのご令嬢に対し、特別な期待を抱かずにはいられない。
 元婚約者であったシルヴィアさまが嫁がれてからというもの、若様には浮いた話が、とんとなかった。
 ここ数年、ますます凛々しく、男っぷりにも磨きがかかるアレクシスに、エミリーもまたああ、勿体ない、と密かにハンカチを噛みしめていた、ひとりだ。
 あの兄の妹とはいえ、エミリーは若様の幸せを心から願っている。
 むしろ、若様にちゃんとした恋人が出来れば、兄の若様バカっぷりも、少しはマシになるのではないかと、淡い期待を抱いているのだ。
 若様が連れて来られるお嬢様は、お優しい方だろうか、それとも、お可愛らしい方だろうか、お会いするのが楽しみだ。期待がふくらむ!
「こうしちゃいられないわ!屋敷の大掃除もしなきゃ……っ!母さん、母さんーっ!」
 出陣前の騎士さながらに、すっくと凛々しく前を見据えると、エミリーは階下にいる母に若様とセドリックの帰郷を知らせるべく、階段を駆け下りた。 
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2018 Mimori Asaha All rights reserved.