女王の商人

モドル | ススム | モクジ

  十章  聖剣と商人 11−2  

 幼い頃、祖父エドワードはよく孫に語りかけたものだ。

 ――旅はいいぞ。

 見知らぬ土地、会ったことのない人々、土地の名物、何をとっても最高だと。
 祖父の膝にちょこんと腰を下ろした、幼いシアはそんなものかと、小さな赤い靴をぶらぶらさせながら、祖父の旅の思い出を聞いていた。
 伝説の商人とも呼ばれる、エドワード=リーブルは、若き日、行商人のような事をしていた時期もあったらしい。アルゼンタール全土を股にかけ、国中を駆け回ったとも。まだリーブル商会が、ここまで巨大でなかった頃の話だ。
 飄々と語られる祖父のそれは、聞く人々にとっては、いっそ武勇伝と言ってもいいもので、もののついでに、近隣の村を苦しめていた盗賊団を一網打尽にしたり、かと思えば、国を追われた王子に協力して、隣国の玉座を奪還したり、もはや、一介の商人とは思えない冒険譚を、エドワードは世間話のような軽いノリで語った。
 普通の人なら嘘だろうと思う話も、あの祖父なら十分あり得るとシアは思う。
 そんな風に、旅の良さを語っていた祖父からしても、今の自分の置かれた状況は予想外だろうと、彼女は思った。そう、こんな旅をすることになるとは、あのエドワードでさえも想像できないだろう。
「小娘、座席が狭いので、もうちょっと詰められないのですか?まったく……」
 やれやれ、と厭味ったらしげにため息を吐く従僕に、シアは眦を吊り上げた。
「相変わらず、嫌味ったらしい男ね。あと、今まで何度も言ったと思うけど、あたしの名前は小娘じゃなくて、シア=リーブルよ。セドリック」
「おや、そうでしたか?それは、失礼……」
「あんたみたいな、淑女に対する礼儀も知らない従僕をもって、アレクシスも気の毒ね」
 丁々発止、嫌味の応酬を繰り返すシアとセドリック、いとしい少女と忠実なる従僕に挟まれたアレクシスは、畦道の馬車の揺れを気にする様子もなく、軽く目を伏せ、腕を組んでいた。
 両脇でぎゃいぎゃいと騒がれて、普通ならとても落ち着ける状況ではないのだが、それでも泰然自若としているのは、騎士としての精神力ゆえなのか。いや、ただ単に諦めているだけかもしれない。
「アレクシス、さっきから黙っているけど、あなたどっちの味方なのよ。あたし、それとも、まさかこの嫌味っぽい従僕?」
「なんてことを言うのです、この礼儀知らずの小娘が。自分と若様は、幼少のみぎりから主従の誓いを立てた、切っても切れない間柄なのですよ!」
 旅は道連れ、世は情けとはよく言ったものだ。
 アレクシスとシア、そして、従僕のセドリックは馬車に揺られて、ギュウギュウ詰めな座席に文句を言いながら、一路、ハイライン伯爵家の領地を目指していた。
 ハイライン伯爵家の領地は、王都からは遠く、いわゆる田舎と呼ばれる場所にある。
 小麦畑が広がり、牛が若草を食む、のんびりとした風景。
 いわゆる農村という土地である。
 よく言えばおおらか、または天然というようなアレクシスの性格も、そんな土地柄も少なからず影響しているのだろう。
 シアもアレクシスから話を聞いてはいたものの、実際にその土地に向かうのは初めてで、内心はかなりドキドキとしていた。
 そんな彼女の内心を知ってかどうか、アレクシスは馬車の窓から景色をながめ、何事か思案に耽っているようだった。緩やかに移り変わる景色は、じょじょに街の灯りから遠ざかり、自然の多いものへとなっている。
 ぎゅっ、と胸にこみ上げてくるものを感じて、シアは片手で胸を押さえた。
 アレクシスが抱える事情を、すべて知っているわけではない。けれど、時に過ぎたるほどに真摯すぎる彼の性格を思えば、ハイライン伯爵家の事情、亡き父のこと、もろもろの悩みを独りで抱え込んでいることは、容易に想像がついた。
 端整な横顔、濡れ羽色の髪がサラリと流れる。
 気遣うようなシアの目線を察したのか、アレクシスはこちらを向くと、心配するな、という風に、微かに口元を緩めた。
 妙に大人びたその表情に、彼女はドキッとする。
 青年と少女の間に、何となく甘い、良い雰囲気がただよいかけた時だった。それが面白くなかったのか、セドリックが強引に二人の間に割り込む。
「久々に若様と里帰りすると思ったら、小娘と一緒とはな……」
 ぶちぶちと文句を言うセドリックだったが、その一言に、口元を緩めたのは、アレクシスだった。
 もうすぐ会えるであろう、懐かしい面々の顔が浮かぶ。
「母が王都に来たことはあったが、領地に帰るのは、たしかに久しぶりだな。家族も皆、変わりなく息災だろう?セドリック」
 アレクシスの言葉に、セドリックは「ええ、ええ」と首を縦に振る。
「よく手紙をやり取りしておりますが、屋敷の父も母も、変わりはありません。まあ、あの鼻っ柱の強い妹が、ちゃんと大人しくメイドをしているか、少し心配ではありますが……」
 やれやれとでも言いたげなセドリックの言葉に、アレクシスがくくっ、と喉を鳴らす。思い至るところがあるのだろう。
「たしかに、あのエミリーがお前が居ない間、じっと大人しくしているとは思えないな」
 聞きなれない名前に、シアはエミリーって、誰?と尋ねる。
「妹ですよ……私の、はねっかえりのね」
 苦虫を噛むつぶしたような顔で答えたセドリックに、アレクシスが「セドリックの家族は、みな、ハイライン伯爵家で働いてくれているんだ」
 セドリックが、その話の続きを引き取った。
「私の家族は皆、ハイライン伯爵家にお仕えさせて頂いているのですよ……父は執事、結婚前の母は、長くメイド長を勤めさせていただいておりました。妹のエミリーはメイドとして、奥方さまのお世話をさせていただいております」
 父は執事、母は元メイド長、セドリック本人は従僕、妹は新米メイド。
ローウェン家は全員、ハイライン伯爵家に仕えている。それは自然な事であり、彼も妹もそれに疑問を抱いたことは、唯の一度もない。むしろ、生涯仕えるべき主人を早めに見つけられたことは、己の人生にとって幸運であったと、セドリックは神に感謝している。
 明かされたセドリックの家庭事情に、シアは「そうなの」と相槌を打った。
 従僕が家族の話をするのは、めずらしい。
 アレクシスとセドリック、主従の絆の強さは十分わかっていたつもりだったが、家族ぐるみとは。血の繋がりにも勝るとも劣らぬ、濃い関係だ。
「領地に着いたら、セドリックの家族にも、直ぐに会うことになる。エミリーとシアは年齢も近いし、いい話し相手になるだろう」
 アレクシスの言葉に、シアは「うん、そうね……」と、うなずく。
 馬車が向かうは、ハイライン伯爵家の領地、そこにはアレクシスが生まれ育った屋敷があり、セドリックやシルヴィアが幼少期を過ごした場所だ。
 最低でも数日は、屋敷に滞在させてもらう予定だ。
 なんだかんだと深い関わりを持つことになった、アレクシスの母、ルイーズとも、王都で別れて以来、久しぶりの再会になる。
 セドリックの家族と会うのは、もちろん初めてだ。
 楽しみなような、少し緊張するような、複雑な心境である。
 商人としては、海千山千の猛者たちとも対等に渡り合う彼女だが、今回は、女王の商人としてではなく、アレクシスを助けるために、その地に赴くのだ。
 心せねばなるまい。
 シア、アレクシス、セドリック、三者三様の想いを抱えつつも、馬車は畦道を揺れながら、騎士の故郷であるハイライン伯爵家の領地へと、進んでいくのである。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2018 Mimori Asaha All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-