女王の商人

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  美酒と商人2−10  

 シアとアレクシスが、慌てて宿の階段を駆け降りて外へ出た時、そこは混乱を極めていた。とびかう怒声、罵倒は当たり前。ローエン商会とコーラル酒造の人間たちは睨みあい、時に手が出る足が出る……とにかく、どうしようもない状況だ。
「父さんっ!ちょっと落ち着いてくれよっ!」
 ヨザックに殴りかかろうとするフランクを、息子のジークが背後から抱きつき、必死にそれを押しとどめる。
「止めるな、ジークよ!他の誰は許しても、コイツだけは許せん……絶対に殴るぞ!だから息子よ、その手を離せえええっ!」
「そう言われたら、なおさら離せるわけないだろ!父さん!」
 暴れる父。
 それを止める息子。
 互い手を重ね、ギリギリと押し合いを繰り広げる親子の姿は、まるで出来の悪いダンスのようだ。はたまた喜劇。なんと言うか間抜けなことこの上ない姿なのだが、本人同士は限りなく真剣なのが、余計に笑いを誘う。だが、赤の他人ならともかく、この場で笑うような余裕を持つ者は一人もいなかった。
 そんな彼らの横では、父と娘が激しく口論している。
「どうして、ジークと別れろなんて言うの!ジークのことを、父さんはよく知りもしない癖に!ひどいわ!」
 エリーの――愛娘の必死の言葉に、ヨザックは苦虫を噛み潰したような顔をする。そして、後ろで息子と格闘するフランクを指差すと、ペッと吐き捨てるように言った。
「ローエン商会の跡取りっていうだけで、俺が嫌う理由は十分だっ!もし、お前とローエンの馬鹿息子が結婚なんぞした日にゃ、俺とフランクのアホが親戚になるんだぞ!!我慢できるか!!」
 ヨザックの暴言に、フランクの顔色が変わった。
「何だと……」
「父さんっ!」
 悲鳴のようなジークの叫びを無視して、フランクはヨザックに殴りかかかろうとする。
 止めようとしたジークの手が空を切り、
 エリーが悲鳴をあげて顔を手で覆い、
 拳が降りおろされようとしたが、ヨザックの顔面に振りおろされる寸前に、その拳は何者かの手によって押さえられた。
「――やめろ」
 フランクの腕を押さえるのは、黒髪の青年――アレクシスだ。
 エリーとジークがホッとした顔で、その名を呼んだ。
「アレクシスさんっ!」
「ありがとうございます!来てくれたんですね!」
 素直に喜ぶ恋人たちとは対照的に、その両親たちは怪訝な顔を隠そうともしない。フランクとヨザックの疑うような眼差しにも、アレクシスは眉ひとつ動かさず、黙ってフランクの腕を離した。
 フランクは掴まれていた腕をさすると、鋭い眼差しで黒髪の青年を睨み、厳しい声で問いかけた。
「……君は誰だ?」
 突然あらわれた乱入者を前にしては、しごく最もな問いだろう。
「それは、あたしが説明するよ」
 その時、長身のアレクシスの後ろから、ひょこりと小さな影が顔を出す。シアだった。
「……誰?」
 ヨザックも困惑した顔で、疑問の声をあげる。
 それも当たり前のことだ。
 すわ乱闘か、という緊迫した空気の中に、いきなり見知らぬ人間が二人も現れたのだから。
「あたしの名前は、シア=リーブル。王都のリーブル商会所属の銀貨の商人よ!ついでに、こっちの男はアレクシス=ロア=ハイライン」
 シアの名乗りに、アレクシスが不服そうに眉をひそめる。
「……何で、俺の紹介だけついでなんだ?」
 そんなシアの言葉に、ヨザックとフランクだけでなく、彼らの後ろにいた部下の男たちも目を見張った。そして、困惑した表情でヒソヒソと、小声で会話を交わし始める。
「何なんだ?あいつらは」
「王都のリーブル商会って、あのリーブル商会か?」
「今、シア=リーブルって名乗ったよな?つーことは、リーブル家の身内か?」
「まさか……あのエドワード=リーブルの孫娘か?」
 シアの方をちらちらと見ながら、そんな会話を繰り広げるのは、主にローエン商会の面々だ。それも無理からぬことだ。この国で少しでも商売にかかわっている者ならば、リーブル商会の名を知らない者は、おそらく一人もいないことだろう。
 たった一代で、王国で並ぶ者なき大商会を作り上げた男――エドワード=リーブルにいたっては、商人を志す若者の間では、すでに伝説と言っていい。今日のリーブル商会があるのは、全て祖父エドワードの功績と言っても、決して言い過ぎではないのだ。
 商人の中の商人。
 孫娘であるシアにとっては、色ボケじじぃの一言であるが、祖父の名は商人たちの間では重要な意味を持つ。
「あの黒髪の男……今、ロアって名乗ったよな?貴族ってことか?」
「ハイライン伯爵家って、聞いたことあるぜ。確か騎士の名門だったはず……」
「まさかっ!何で、こんな田舎町に貴族がやって来るんだよ?」
 一方、コーラル酒造の面々は、アレクシスの方により騒いでいる。
 名の知れた貴族が、この町を訪れることなど滅多にないから、その反応も自然なことだ。
 さっきまでの一触即発という空気は、シアとアレクシスの登場によって微妙に変化していた。ローエン商会の男たちも、コーラル酒造の男たちも驚きを隠そうともしないで、ひそひそと顔をつきあわせて相談している。驚きと混乱のあまり、騒がしくなった場を治めたのは、やはり組織を率いる二人の男だった。
「「静かにしろ!」」
 ヨザックとフランク。
 それぞれの長の一括によって、混乱していたそこは一瞬にして、しんと静まり返る。
「……お見苦しいところをお見せして、申し訳ない」
 コホン、と咳払いをしたフランクは、落ち着いた表情でシアとアレクシスに頭を下げた。
 その凛とした姿は、さすがは一商会の長である男と納得させるものがあり、先ほどまでヨザックと子供のような喧嘩をしていたのと、同一人物とはとても思えない。いや、それを言うならば、ヨザックの方もそうだった。コーラル酒造の長であり、この町では屈指の有力者なのである。酒造で働く大勢の男たちをまとめていることからも、単なる親バカではないことはわかる。
「名乗るのが遅れましたが、私はフランク。ロ―エン商会の長を務めております。ジークの父です……なにやらウチの愚息が、ご迷惑をおかけしたようですな。身内のゴタゴタに、リーブル商会のご令嬢と貴族様を巻き込むわけにはいきませんので、宿に戻ってていただけませんか?」
 フランクは商人らしい柔和な笑みを浮かべ、淀みなくそう言い切る。
 言い方は柔らかいが、言いたいことは唯一つ。
 口出し無用。そういうことだ。
 隣国にまで名を響かせるリーブル商会とは、比べものにならないほど小さなロ―エン商会ではあるが、やはり長ともなれば一筋縄ではいかない商人であるようだ。
 シアの父クラフトや祖父エドワードもそうであるが、一流の商人たちは人当たりの良い笑みを浮かべて、どんなに甘い言葉を並べていても、その裏には堅実な計算が存在する。どのような状況であれ、自分が損する取引は決してしない。それでいて、相手にそれを悟らせないのが、一流の商人だというのが祖父や父の口癖だ。
 とはいえ、シアにも商人としてのプライドがある。ここで引くわけにはいかない。
 ロ―エン商会とコーラル酒造。二つの組織の揉め事をおさめて、ロズベリー酒を手に入れるためにも、ここで引くわけにはいかない。
 女王陛下の期待に添うためにも、いずれリーブル商会の長となるためにも、ここで折れるわけにはいかないのだ。絶対に。
「……エリーとジークから、大体の話は聞いたよ。お互いに言い分はあるだろうけど、いつまでも意地を張ってるのはいい加減にしたら?親同士の確執で、子供の恋路をジャマするなんて野暮な真似は、そろそろ終わりにした方が良いんじゃないの」
 シアの言葉にも、フランクは柔和な笑みを崩そうとはしない。
「うちのジークが何を言ったのか知りませんが、これは私たちの、家族の問題です。まかり間違っても、王都の方の手をわずらわせるようなものではありません……頑固な父親と思われてもかまいませんが、ジークとエリーの結婚を認めるわけにはいかないのです。たった一人の大事な跡取り息子が、ヨザックの義理の息子になるなんて、考えただけでもゾッとします」
 フランクの言い方は柔らかいが、ヨザックと和解する気なんてものは、さらさら無さそうだった。そんな侮辱的な言葉に、ヨザックは再び眉を吊り上げ、いまにも殴りかからんばかりに、ぶるぶると拳を震わせる。
 シアはといえば、ヨザックとフランクの予想以上に深い溝に、うっと呻いて怯んだものの、気を取り直して言葉を続けた。
「そうは言うけど、町の代表者ともいうべき貴方たちが揉めたら、それはもう家族の問題じゃすまないんじゃないの?現に、貴方たちが対立しているせいで、ロズべリー酒が王都に出回らなくなったりして、いろんな影響が出てる。それは、ロセルの町の望むところではないはずだけど……」
「それは……」
 シアの説得に、フランクは黙り込んだ。
 彼とてわかっているのだろう。このような状況が、ロ―エン商会にもコーラル酒造にも、そして愛するロセルの町にも、決して良い影響をもたらさないであろうことは。だが、それでも長くいがみ合ってきた者たちは、そう簡単に歩み寄ることは出来ないのだ。何らかのキッカケがなければ、和解など有り得ない。
「――男の事情に、女は口を出さないでもらおうか」
 その瞬間、今まで黙っていたヨザックが、シアにそう言い放った。
「……何ですって?」
 誰のせいで、こんなことになっとるんじゃあ!ああん?という言葉を、シアはかろうじて飲みんだ。
 キリキリとシアの形の良い眉が吊り上ったにも関わらず、ヨザックは更に見下すような言葉を続ける。
「大体、銀貨の商人だか何だか知らんが、ウチの事情に口を出す権利なんか無いだろう。そりゃあ、リーブル商会の名は俺だって知ってるが、アンタはエリーと同い年くらいの小娘じゃないか……アンタの父親は偉大な商人かもしれんが、小娘に説教されるほど、俺も耄碌しちゃいないつもりだが。そもそも女の商人なんて、信頼できたもんじゃねぇ」
 ヨザックの暴言に、シアの顔色が変わる。
「父さんっ!」
 エリーが咎めるような声を出す。
「……」
 シアは青ざめた顔で、ぎゅっと唇を噛む。
 女の商人なんて、信頼できない。
 昔に比べれば増えたとはいえ、女の商人はまだまだ少ない。有能であれば、男女とわず採用するリーブル商会でさえ、女商人は一握りである。女だからという理由で侮られるのは、決して珍しいことではないが、それでも面と向って言われれば、シアのショックは少なくなかった。
 リーブル商会の跡継ぎとして、女王陛下の商人として、相応しい人間になりたいと思うのに、理想と現実はこんなにも違う。
「――それは違うな」
 そのヨザックの言葉を、アレクシスは静かな口調で否定した。
「女だから信頼できないというのは、この国では理由にならないはずだ。我らがアルゼンタールの民が、唯一無二の主と仰ぐのは、麗しき女王陛下なのだから……まさかとは思うが、女王陛下が信頼できないと言うならば、王国の騎士として捨てておくことは出来ないな」
「アレクシス……」
 シアが驚きに目を見張る。
 貴族の若様が、こんなところで助け舟を出してくれるとは、夢にも思わなかった。ちょっぴり感動する彼女を前に、アレクシスはさらに言葉を続ける。
「確かに、シアは短気だし、容姿に似合わず口も悪いが……」
「……アレクシス?」
「ついでに喧嘩っ早くて、よく人を殴っているが、だからといって信頼しない理由にはならないはずだ」
「おいいっ!あんたワザとやってるでしょう!アレクシスうううっ!ちょっとでも感動したあたしが、馬鹿だったああああっ!」
 頭を抱えて絶叫するシアに、アレクシスは不思議そうな顔で、首をかしげた。
「んむ?ああ、すまん。フォローのつもりだったんだが……」
「どこがだあああっ!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぎたてる青年と少女に、ジークがまあまあと仲裁するように近寄る。
「まあまあ、惚話喧嘩はそれぐらいにして」
「「違う!」」
 そう叫ぶ二人の声は、ピッタリと揃っていた。
「と、とにかく……」
 その緊張感をぶち壊すようなやりとりに、しばし呆気にとられていたフランクが、気を取り直すように言う。
「とにかく私は、息子のジ―クとエリーの交際を認めることは出来ない……それは、ヨザックの方も同じはずだが?」
 フランクの問いかけに、ヨザックは当然だという風にうなづく。
「当たり前だ!うちの大事な一人娘を、お前のとこなんぞの嫁にやれるかっ!うちのエリーは、隣町の酒造の次男坊を婿にとるつもりなんだ!間違っても、お前の息子の出る幕はないぞ。フランク!」
 怒りで紅潮した顔で怒鳴るヨザックに、一応は冷静になろうとしていたフランクも、心外だというように怒鳴り返す。
「それは、こっちの台詞だ!ヨザック。お前の娘なんかを嫁にもらわないでも、うちの息子にはもっと似合いの相手がいるわっ!」
「うちの娘を、エリーを悪く言うな!お前んところは馬鹿息子のくせに!」
「なんだとぉ……」
 フランクとヨザックの罵り合いは、永遠に続くように思われた。
 どっちもどっちだと、アレクシスは嘆息する。
 普段は酒造と商会の長として、ロセルの町を代表する男たちなのだろうが、こうして口喧嘩をしている様子は、まるで子供のように威厳もへったくれもない。いや、なまじ大人で地位があるぶんだけ、子供の喧嘩よりも性質が悪い気がする。というより、こうして何時までも罵り合っているところを見ると、実は似た者同士なのではという気がしないでもないのだが……。
 そんな彼ら長同士の喧嘩に、二人の部下の男たちはギラギラと殺気立っており、エリーとジークは泣きそうな顔で「父さんっ!」と訴えているのだが、話を聞いてもらえそうもない。シアはといえば、そんな状況に憤りを感じているらしく、「ちょっと!落ち着いてよ!」と必死に呼びかけているのだが、効果は全く期待できそうもなかった。
 怒ったヨザックの腕が、フランクの胸ぐらに伸ばされた瞬間のことだ。
「いい加減にしなっ!」
 突然、宿屋の方が叱りつけるような声がした。
 その大声に、殴りかかろうとしていたヨザックやフランクも動きを止めて、シアたちと一緒に声の主の方を見る。
 そこに腕を組んで仁王立ちしていたのは、燃えるような赤髪の中年女だった。
 渋面の彼女を見た瞬間、ヨザックとフランクは口をあんぐりと開け、その女の名を呼ぶ。
「「……ア、アガタ?」」
 そう、そこに立っていたのは、宿屋の女将アガタだった。
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