女王の商人

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  美酒と商人2−9  

「あの……リーブルさま」
「うん?」
 宿屋の客室。
 おずおずとエリーに呼びかけられて、シアは顔を上げた。
「私とジークのことで、ご迷惑をおかけして申し訳ありません……本当によろしいのですか?」
 結局、あれからどうなったかというと、全ては明日に持ち越されることになった。
 すでに日は沈んでしまったし、何よりエリーもジークも疲れきっている。きっと、それぞれの父親たちも同様だろう。なにせ、あれだけ大声をあげて罵り合っていたのだから。アガタも含めた五人で話し合った結果、そんな状態で冷静な話し合いは無理だという結論になり、父たちの説得は明日へ持ち越された。
 それで、エリーは明日のことを気にしているようで、恐縮した様子だった。まあ、それも無理もないことだろう。シアの立場としては、完璧に巻きこまれた格好だからだ。あの、お節介騎士のせいで、とシアは心の中で毒づいた。
 まあ、状況はどうであれ、協力はこちら――というか、アレクシスが勝手に言いだしたことなので、エリーには何の責任もない。
 シアは苦笑すると、首を横に振って否定した。
「こっちが、勝手に言いだしたことだから、エリーが気にすることじゃないよ。どっちにしろ、ロズべリー酒を買うためには、なんとかコーラル酒造と交渉しなきゃいけなかったんだし……それと、リーブルさまなんて呼ばないで、シアで良いよ。あのお節介貴族……じゃなくて、高貴な騎士さまはともかく、あたしはそんな身分じゃないからさ」
 言葉の端々にトゲが混じってしまうのは、仕方のないところだろう。
 だが、エリーはそうは思わなかったらしく、ふふふと楽しげな笑い声を上げた。
「ふふふ。お二人は仲が良いんですね。羨ましいな」
「……えっと、耳は大丈夫?エリー」
 ストレスで耳がおかしくなったかと、シアはエリーに同情的な視線を向けた。それも仕方のないことかもしれない。あんな頑固オヤジどもに追いかまわされていたのが原因だろう。ああ、かわいそうに。
 そう勝手に決めつけたシアだったが、エリーはきょとんとした顔で、「え?」と疑問の声を上げた。
「え?お二人は、恋人同士とかじゃないんですか?」
「……はあ?誰と誰が恋人同士だって?」
 エリーの問いかけに、シアは心外そうに眉をひそめる。
「えっと、シアさんとアレクシスさんが……違うんですか?」
「ありえない!」
 意外そうな顔をするエリーに、シアはぶんぶんと首を横に振り、これでもかっていうくらい全力で否定した。よりにもよって、貴族と恋人同士と思われるなんて、冗談ではない!
「恋人じゃないんですか?お似合いに見えるのに……」
 これ以上ないくらい真剣に否定するシアに、どういう理由か知らないが、エリーはちょっと残念そうな顔をする。
「あのね、アイツは――アレクシスは、貴族なの。そんなのあるわけないでしょ」
 呆れたように諭すシアだが、エリーは納得いかないようだった。
「あら、そんなの愛があれば関係ないですわ!愛し合う二人を裂くことは、誰にも出来ませんもの。むしろ、二人の間に障害があればあるほど、恋は燃え上がるものですわ!私とジークだって……真に愛し合う恋人たちなら、どんな障害でも乗り越えられますわ!」
「そんな芝居や物語でもあるまいし……」
「愛に試練はつきものです!そんなことでメゲているようでは、真の乙女とは言えません!諦めなければ、必ずアレクシスさんも振り向いてくれますわ!ええ、そうですとも。身分の差など、真の愛の前では些細なことですわ!だから、諦めちゃ駄目ですわ。シアさん!」
「ハア……」
 鼻息も荒く、愛がいかに素晴らしいか力説するエリーに、シアは恐る恐る反論するが、彼女の耳には届かないようだった。
 あっという間に、シアは貴族であるアレクシスに思いを寄せる、身分違いの恋に悩む少女ということになっている。なんと言うか、いろいろとツッコミどころは満載の設定だが、何か言っても聞いてもらえる雰囲気ではない。
 コーラル酒造の娘――エリー=コーラル。可愛いうえに、性格も良いとロセルの町でも評判の娘であったが、ただ一つだけ、人の話を聞かないという重大な欠点があった……。
 シアが疲れたように、ハアと息を吐いた瞬間、トントンと控えめに扉がノックされる。「……へーい」とシアが投げやりに返事をすると、扉の外から低い声が返ってきた。
「アレクシスだ。少し話したいことがあるんだが……今、良いだろうか?」
「今?今はちょっと……」
 そう断ろうとしたシアをぐいっと押しのけて、エリーはさっと立ち上がると、アレクシスを部屋の中へと招き入れた。
「ええ。もちろんですわ!どうぞ、お入りになって」
「……は?」
 先ほどまで涙ぐんでいたのが嘘のように、満面の笑みで勝手に答えるエリーに、シアの目が点になった。自分の座っていた席にアレクシスを座らせると、「アレクシスさんの方から来てくれるなんて……チャンスですわ。シアさん」と耳打ちしてくるエリーに、シアはゲッと顔を引きつらせる。妙な気の使い方を……。
 (ホント勘弁してよ。あたしは、コイツのことを全然、欠片も好きじゃないっていうのに!)
 シアの引きつった顔を、緊張ととったのか、エリーはにこっと微笑むと「頑張ってくださいね」などと続ける。だから、そういうことを言いたいんじゃないんだけど!
 そう叫びたいシアだったが、目の前にアレクシスがいることを思い出し、かろうじて耐える。その代わりとばかりに、恨めしげな視線をエリーに向けるが、当然の如く意味は全く伝わらない。それどころか、エリーはシアに目くばせすると、
「私は一階に行っていますから。おほほ……」
などと、明るく言いながら廊下へと出て行った。
(ちょ、待ってええええっ!)
 シアは心の中で絶叫しながら、エリーの背中に必死に手を伸ばすが、切な願いもむなしく彼女の手によって扉が閉められる。バタン、と扉を閉める音の後、その部屋に満ちるは深い沈黙。シアとアレクシスの二人は、黙ったまま見つめ合った。その重い空気に焦れたシアが、「それで……」と会話を急かした。
「それで、何が用事があってきたんでしょう?」
「ああ……」
 シアの問いに、アレクシスはうなずき、短く答えると再び黙り込んだ。
「……」
「……」
 沈黙。
「……」
「……」
 沈黙。
「……」
「……っ!良い加減に……」
 長い長い理不尽な沈黙に、シアがキレかけた瞬間だった。
「――すまなかった」
 いきなり頭を下げたアレクシスに、シアは目を丸くする。
「は?何が?」
 怒鳴ろうとした寸前に謝られて、毒気を抜かれたシアは、きょとんとした顔で首をかしげた。アレクシスが何について謝っているのか、彼女には見当もつかない。何かあったっけ?という顔をするシアに、アレクシスはふぅと深く息を吐いた後、「……俺が、勝手な行動を取ったことについてだ」と付け加える。エリーとジークの二人を助けると、相談もなしに約束してすまなかった、と。
「ああ。そのことね……」
 シアが気の抜けたような表情で、相槌を打つ。別に、シアはもう気にしていなかったというか、半ば忘れかけていたというのに……わざわざ謝罪に来るとは、律儀と言うべきか生真面目すぎるというべきか、将来的には胃に穴があきそうな性格である。
 (うーん。貴族っていうのは、繊細っていうかなんて言うか、メンドクサイ性格だなあ)
 先ほどはシアもビックリの強引さで、エリーとジークへの協力を約束させたばかりだというのに、変われば変わるものである。
 強引かと思えば、繊細な性格。また繊細かと思えば、強情。生まれながらの誇り高さと、鍛えられた確固たる信念。そのように身の内にさまざまな矛盾を飼うのが、人という生き物の性なのだろう。
 そう言うシア自身だって、お人好しで短気で無鉄砲などと言われているものの、同時に銀貨の商人としての冷静さを併せ持つ。それは、普段のシアとは少し異なり、ともすれば冷徹に見える計算から出来ているものだ。
 人は、多くの矛盾する性格を抱えながら生きている。そうでなければ、生きていけない。でも――
「気にしてないから、もう良いよ。エリーも良い人だし、あたしに出来ることながら助けてあげたい。でも……どうして、いきなり協力するとか言ったのさ?任務が大事の騎士さまらしくもない」
 責めるつもりではなく、純粋な疑問からシアは尋ねた。
「それは……」
 アレクシスはためらうように、そっと目を伏せる。
 わずかに開いた窓から月光が差しこみ、その端正な横顔を照らしていた。
 きつく歪められた柳眉。闇夜のような漆黒の瞳に宿るは、後悔の色。ぎゅっと引き結ばれた口元が、彼の心境の全てを物語っていた。
 (ああ。泣きそう……)
 アレクシスの表情を、シアはそんな風に感じた。
 あまり、的確な言葉ではないかもしれない。憂い顔ではあったが、アレクシスの瞳はうるんでおらず、涙など流しそうになかった。でも、それでも、シアには泣きそうな顔に思えた。凛々しい騎士ではなく、幼子が泣くのを必死にこらえているような、そんな顔に見える。
「――彼らは、エリーとジークは、俺に出来なかったことをやろうとしている。大事なものを、自分の全てを賭けて守ろうとしている。だから、その想いに応えたい。それだけだ」
 美しい従姉を、守れなかった婚約者を想って、アレクシスは目を閉じる。その胸には、癒されることのない後悔がある。
 流暢ではない、どちらか言えば拙い言葉。それが、不思議とシアの胸を打つ。
 ああ、誰かに似ている。そう思いながら、シアは一歩、アレクシスへと歩み寄った。
 そして、きつく握られた彼の拳に、そっと小さな手を重ねる。アレクシスが驚いたような目を見開くのもかまわずに、シアは静かな声で、祈るように言った。
「……泣かないで」
 優しい人よ、どうか泣かないで。かつても、そう願った気がする。
『……泣かないで。母さま』
 幼い自分の声が重なった気がした。
「……シア?」
 アレクシスが不思議そうに、首をかしげた瞬間だった。
「エリーいいい!父さんが迎えに来たぞおおお!可愛い娘よ、ローエン商会の馬鹿息子なんかとは別れて、戻ってきておくれえええ!!」
「誰がローエン商会の馬鹿息子だ!コーラル酒造のアホに言われたくないわっ!ジークううう!馬鹿なことやってないで、戻ってこいっ!」
 宿の外から聞こえる野太い絶叫が、静かな夜をぶち壊す。
 シアとアレクシスは慌てて、窓辺へと駆け寄ると、宿の前で繰り広げられる光景に目を見張った。小さな宿を取り囲んでいるのは、二十人ほどの男たち。その中央で睨みあうのは、ヨザックとフランク――つまり、エリーとジークの父親たちだ。まるで、親の敵を見るかのような鬼の形相で睨みあう彼らが、口汚く罵り合い、果ては乱闘を始めるのも時間の問題であろう。
「誰がアホだ!このハゲ親父がっ!」
「なっ!誰がハゲ親父だっ!貴様に比べれば、髪の毛はフサフサだぞっ!」
 いきなり、低次元な罵り合いを始める父親たち。
 ここに来た本来の目的を忘れているのかのように、お互いの胸倉を掴み口喧嘩を始める。
 良い年したオヤジたちの、子供の喧嘩のようなそれに、乱闘を止める気が急速に失せていくのを、シアは感じた。なんつーか、関わりたくない。
「うるさーい!!!両方とも髪の毛は薄いから、心配するなあああ!!!」
「……いや、そういう問題じゃないだろう」
 フランクとヨザックに向って叫ぶシアに、アレクシスが冷静にツッコミを入れたのだった。
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