女王の商人

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  美酒と商人2−11  

 仁王立ちしたアガタはふんっ、と鼻を鳴らすと
「フランク!ヨザック!あんたら下らない口喧嘩は、いい加減にしなっ!全く……良い年したオヤジどもが、みっともない!あんたらのそういう態度が、自分の可愛い娘や息子をなにより傷つけてるってことに、気がつかないのかい?」
と、男二人を怒鳴りつける。
 同時に、アガタの登場に呆然と立ち尽くすフランクとヨザックに近寄ると、いい加減に目を覚ませとばかりに、バンバンッとその頬を平手で張った。
「「ア、アガタ……。どうして?」」
 頬に赤い手形をつけながら、呆けたような表情で尋ねるフランクとヨザックに、アガタはハアとため息まじりに答える。
「ハア……そんなことも分からないのかい?フランク、ヨザック。そりゃあ最初は、あんたらがどんなに喧嘩しようが揉めようが、あんたらの問題だから黙っていようと、あたしだって思ってたさ……だけど、こんな風に身内の喧嘩に他人を巻き込むなんて真似を、うちの宿屋の前でされちゃあ、無視は出来ないね。他人に迷惑かけるのも、いい加減にしな!みっともない」
「「……」」
 アガタの説教に、フランクとヨザックは黙って顔を伏せる。二人にも一応は、みっともないという自覚はあったらしい。
「お、女将さん……?」
 一方、シアやアレクシスやその他の面々は、いきなりフランクとヨザックの二人を平手打ちした女将アガタに、驚きを隠せない。
 会ったばかりのシアやアレクシスはともかく、ロセルの町の住人であるエリーやジークは、優しく面倒見の良い女将さんとしてみんなから慕われるアガタが、こんなに怒っているのを一度も見たことがなく、別の意味でも驚いていた。何があったか知らないが、この怒り方は尋常ではない。
 うちの父親どもは一体、何をしでかしたのであろうかと、エリーとジークはアガタに平手打ちされた父たちに視線を向けた。
「ああ。宿の前で大騒ぎしたのは、悪かったよ……だけど、そうは言っても俺たちがこうなった原因の一つは、お前にあるんだぜ。アガタ」
 謝りつつも、ヨザックはじっとアガタを見つめる。
 そんなヨザックの視線に、アガタは「それは……」と呟くように言って、ふっと視線を逸らす。
 そうしていると、まるで昨日のことであるように鮮明に、アガタがまだ少女だった時の記憶がよみがえってくる。
『なぁ、一緒に遊ぼうぜ!アガタ。フランクも待ってるぞ!』
『今日は何して遊ぼうか?ヨザック。アガタ』
 ローエン商会の息子だったフランク、コーラル酒造の息子だったヨザック。
 それに、宿屋の娘であったアガタの三人は本当に仲の良い幼馴染みで、いつも一緒に過ごしていた。
 今となっては、もう遠い過去のことだが。朝から日が沈むまで、疲れを知らずにロセルの町中を駆け回りながら、過ごした子供時代。あの時は確かに、同じものを見て笑いあっていたはずの三人の道は、いつの日から別れたのだろうか。その答えが、アガタにはわからなかった。
 でも、その原因の一つが自分にあることはわかっていた。あれは――
「……あれから十何年も経った今なら、アガタの気持ちも理解できるさ」
 先ほどまでの激昂ぶりが嘘のように、ヨザックが静かな口調で言った。
「だけど、あの時なんで結婚のことを教えてくれなかったんだ?アガタ。俺たちは二人とも、お前のことが好きだったのに……」
 ヨザックの意外な言葉に、シアたちは悲鳴を上げる。
「えええっ!女将さんと長たちがっ!」
「……し、知らなかったよね?エリー」
「……え、ええ。ジーク」
 親たちの知らなかった過去のロマンスを、唐突に明かされた娘や息子たちはといえば、驚きの余り口をあんぐりと開けている。
「それは……選べなかったからさ」
 アガタは目を伏せて、絞り出すように答えた。過去を悔いるように。

 アガタが十七になった年のことだった。
 子供の頃は幼なじみの少年たちと暴れ回り、男まさりなじゃじゃ馬の少女として、ロセルの町に知れ渡っていたアガタだが、それでも年頃になれば女らしくなってくる。
 そうなれば器量よしで明るく、しっかり者のアガタを男たちが放って置くはずもない。
 当然のように、年頃になった彼女のもとには、町の青年たちからの求婚の申し込みが殺到することになった。だが、多くの青年たちから求婚されたといっても、アガタが選ぶのはフランクかヨザックのどちらかだろうとロセルの人々は噂した。
 片や町を支えるコーラル酒造の跡取り息子、片や町をまとめるローエン商会の御曹司。
 ヨザックとフランク。
 どちらも同世代の若者たちの間では、町の人望も将来性も抜きん出たものであったし、二人とも容姿も性格も悪くないため、町の娘たちに人気もあった。
 そんなわけだから求婚した他の若者たちは、まあ駄目もとで言ったようなものだ。
 それに何よりも、二人ともアガタとは長い付き合いの幼馴染みで、本当に仲が良かった。
 アガタが二人のうちどちらの青年を選ぶのだろうかというのが、ロセルの人々の関心ごとであったほど、アガタの選択は注目されるものであったのだ。
 そして、アガタは悩んだ末に……どちらも選ばなかった。
 フランクにもヨザックにも告げずに、二人のどちらでもない男と結婚したのだ。
「――選べなかったのさ。フランクかヨザックか。どっちも子供の頃から、ずっと一緒に過ごしてきた大事な大事な幼馴染みで、家族みたいな存在だった。あたしだって考えはしたんだよ……でも、怖かったんだ。どちらかを選ぶことで、三人の思い出まで壊れてしまうのが……子供だったんだね」
 遠い過去への後悔をこめながら、うるみそうになる目元を押さえつつ、アガタは努めて冷静に喋ろうとする。
 これは償いだった。
 思い出と関係が壊れることを恐れて、何も選ぶ勇気を持てなかった若き日の自分。そのツケがこれなのだ。
『アガタ。フランク。俺たちは大人になっても、ずっと友達でいような!』
『うん。僕ら三人ならきっと出来るよ。ヨザック!アガタ!』
『あたしは良いけど、ヨザックとフランクが心配だなぁ』
『『アガタ!!』』
『あはは。ごめん、ごめん』
 あの時は知らなかったのだ。
 相手を選ぶことよりも、相手から逃げることの方がより相手を傷つけてしまうなんて。
 いや……本当はわかっていたのかもしれない。でも、アガタは認めたくなかったのだ。
 アガタの臆病な選択が、ヨザックとフランクを誰よりも深く傷つけて、二人の仲を険悪なものにしてしまったことを。だから、二人と正面から向き合うこともなく、逃げ続けてきた。そうして、問題から目を背け続けているうちに、十何年もの月日が過ぎてしまった……。
「わかってはいたけど、自分の過ちを認めたくなかったんだねぇ……あたしの選択は、誰かを傷つけたくないからなんて高尚な理由じゃなくて、ただ自分が傷つきたくないからだったのさ。そのことに気がつくのが、遅すぎたね……」
 そんなアガタの言葉に、ヨザックとフランクもああ、と後悔したような顔でうなづいた。
「ああ、遅かったよな。アガタが結婚した後、フランクと下らないことから喧嘩しちまって……気がついたら、二十年近くも経ってた。長く喧嘩し過ぎてて、最初の原因や仲が良かった時のことを忘れちまうくらい、長く……」
 ヨザックは目を伏せて、顔に手をあてる。
 妙な意地を張ったことを、今は後悔していた。
 些細な諍いの後、謝るキッカケを逸するうちに関係は悪化し、ついには憎み会うようになった。昔はあんなに仲が良かったのに……。
「本当に……お互いに、後悔するのが遅すぎたな」
 フランクも暗い顔でうなだれて、首を横に振った。
 幼い頃からの大事な友人だった男と、自分のくだらない意地から喧嘩を十年以上も続けたせいで、フランクは多くの過ちを犯した。
 身勝手な事情から、一人息子の恋愛にまで口を出して心を傷つけたあげくに、商会の部下たちまで巻き込んで皆に迷惑をかけた。ローエン商会の長としても、ジークの父親としても決して許されることではない。
 アガタの言葉で冷静になり、いがみ合っていた過去を振り返った今、フランクの心には後悔だけしか浮かんでこなかった。
 だが、いまさら過去の行いを悔いたところで遅すぎる。どれほど時を巻き戻したいと願っても、それを叶えることは決して出来ないのだから……。
「――何が遅いの?」
 不思議そうに言うその声に、暗い顔でうなだれていたアガタとヨザックとフランクは、弾かれたように顔を上げた。
「……シア?」
 アレクシスも驚いた顔で、隣に立つ銀の髪の少女を見やった。
「さっきから聞いてて疑問なんだけど……何が遅いの?」
 そう問いながら、シアは青い瞳を真っ直ぐにアガタたちに向ける。
「それは……」
 その揺るぎない強い視線に、アガタたちは眩しいものを目にしたような顔をして、わずかに視線を逸らした。
 何が遅いかと問われれば、何もかもだと彼らは思った。
 シアが生きてきたのと同じくらいの時間を、無意味なすれ違いで過ごしてきた大人たちは、真っ直ぐな言葉をぶつけてくる少女に対して、何の言葉も持てなかったのだ。
「昔、ウチのじーさんが言っていたんだけどね……」
 戸惑う彼らを前にして、シアはふっと柔らかく微笑んだ。
「――失敗した経験のない商人に、偉大な商人はいないってさ。失敗しない人は一人もいないけれど、やり直そうという強い気持ちがあるならば、人はいつでも立ち上がれるって……なーんて、ウチのじーさんが酒を飲んでベロベロに酔っぱらいながら、偉そうに言ってたんだけど」
「……酔っぱらい?」
 アレクシスがボソッと呟くが、当然のようにシアは無視した。
「まぁ、うちの色ボケじーさんの戯言ではあるけど、間違ってはいないと思うんだよね。やり直す気になれば、人はいつだってやり直せる。過ぎてしまった時は戻らないけど……」
 そこまで言うと、シアは話の展開に呆然としていたエリーとジークの方に顔を向けて、柔らかく微笑んだ。
「――新しい時を過ごすことは出来るでしょう?」
 その言葉に、若い恋人たちエリーとジークは顔を見合わせて、どちらともなく手を繋ぐ。
 そうしたまま、お互いの父親ヨザックとフランクの前に歩み寄ると、「父さん……」と落ち着いた声音で呼びかけた。
 娘と息子たちに呼びかけられた父親たちは、少し複雑そうな表情を浮かべていたものの、励ますようにアガタに肩を叩かれたことで、小さくうなずいた。
「「……そうだな」」
 そうして、彼らはゆっくりとお互いに手を伸ばしたのだった。
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