女王の商人

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  美酒と商人2−12  

 そうして、その後はどうなったかというと――
「かんぱーい!!」
「酒だ!酒っ!ロズベリー酒をどんどん持ってこい!」
「つまみが足りねぇぞ!まだか?」
「……なんで、いきなり宴会?」
 アレクシスが首をかしげながら、そう呟く。
 そう、フランクとヨザックの、ローエン商会とコーラル酒造の長年に渡るわだかまりがとけた今、なぜか飲めや歌えやの宴会が始まったのだ。
 そろそろ夜明けの時刻だというのに、アガタの宿屋の食堂にコーラル酒造とローエン商会の男たちが二十人ばかり輪になって座り、もう二時間以上も酒を飲み交わし続けているのである。
 その中心にあるのはもちろん、ロズベリー酒の入った薄紅色のボトル。厨房でアガタが大急ぎで作った料理やつまみの皿は、次々と男たちの胃袋へと収まって、その代わりテーブルの端には空の皿が積み上がっていく。
 したたかに酔って、下手くそな歌声を披露する者。
 さらに酔いが回って、へにゃりへにゃりと歌に合わせて妙ちきりんな踊りをし出す者。
 下らない冗談を言って、周りから皿を投げつけられる者など。
 そんな馬鹿馬鹿しくも楽しい宴。
 コーラル酒造の人間もローエン商会の人間も関係なく、一緒にロズベリー酒を飲み交わしてガハハッと笑い騒ぐ男たちの姿を見ていると、先ほどまでの険悪さが嘘のようだ。
 大いに盛り上がる男たちの輪の中央にいるのは、もちろん彼らの長。フランクとヨザックだ。つい二時間まで、十年以上も険悪な関係だった二人。そんな二人が、酒を飲みながらどんな会話を交わすのか……。
「うっうっうっ……」
 顔を赤くした酔っぱらいその一、 もといヨザックはなぜか目尻を押さえて、うるうると涙ぐんでいた。
「うううっ……エリーいいっ!可愛い一人娘を、嫁に出すのは辛い!ジークううう!娘を泣かしたら、許さんぞおおっ!うううっ……でも、やっぱり寂しい!この気持ちがわかるか?フランクううう!」
 そう半泣きで叫びながら、うわああんっ!と机に突っ伏すヨザック。どうやら泣き上戸のようだ。
「わかる!わかるぞ!ヨザックううう!」
 一方、 叫ばれたフランクといえば、なぜかつられて号泣。
 こちらも泣き上戸のようだ。なんというか、似たもの同士である。
 うおおおんっ!と抱き合うようにして号泣する二人を、はたして麗しい友情と言って良いものか、アレクシスは迷う。
「わかるか?フランクううう!」
「わかるぞっ!ヨザックうう!」
「わかるか?」「わかるぞ!」「わかるか?」「わかるぞっ!」……以下、エンドレス。
 もしかしなくても、何処かで目にしたような光景だった。
「ヨザックぅ!もっと飲んでくれよ!今日のロズベリー酒は私の奢りだぁ!」
 いささか呂律の回らない声でそう言うと、フランクはヨザックのグラスに並々と薄紅色のロズベリー酒をそそぐ。
「おぅ!じゃあ、遠慮なく!お前は良い奴だなぁ。フランク!この酒を作ったの俺だけど!」
 ぐびぐびとロズベリー酒を飲み干すと、ヨザックはフランクのグラスにも酒をそそいだ。
 彼ら二人の間には、長い付き合いの友人だけが持つ絆のようなものが感じられて、かつての二人に戻ったようだった。
「――友情はかくも麗しきものなり、か」
 そんなヨザックとフランクの姿に、アレクシスはどこぞの詩人だか作家だかの言葉を思い出し、グラスを傾けながら呟く。
「そらそら遠慮しないで、もっと飲めよ!フランクぅ!」
「そうだっ!そうだっ!今日はとことん飲もう!ヨザックよ」
「「二人の友情にかんぱーい!!」」
 麗しい友情……訂正しよう。べろんべろんの酔っぱらい親父が二人。
「やれやれ……」
 アレクシスが苦笑気味に呟くと、テーブルに料理の皿を運んできたアガタも、まったくだという風にうなづいた。
「まったく……男どもは単純で良いねぇ」
 少し呆れたように言いつつも、その口調には喜びがあふれている。
 長年に渡りいがみ合っていた大事な幼馴染みが、十年以上の時を経て今日ようやく歩み寄ったのだから、アガタが嬉しくないはずはない。
 その幸せそうな微笑みを見ていると、アレクシスもさまざま騒動の疲れを忘れて、まぁ良いか、という気がしてくるから不思議なものだ。
「確かに……だが、悪くない宴会だな」
 男の一人として、単純というアガタの言葉は否定せず、アレクシスはロズベリー酒のグラスを傾ける。
 舌に馴染む幻の美酒の味は、女王陛下が欲したのもうなづけるほど、たしかに美味だった。
「まぁね。あたしにとっちゃ、これ以上ない最高の宴会さ……あいつらが歩み寄れたのは、あんたと商人のお嬢さんのおかげだよ。本当に感謝してる……ありがとう」
 笑顔で礼を言うアガタの後ろでは、ヨザックとフランクの二人が仲良く酒を飲み交わしていた。
 そんな父親たちの横では、エリーとジークが幸せそうな顔で笑い声を上げている。
 ああ、これがアガタがずっと望んでいた光景なのかもしれないと、アレクシスは思った。
「いや、俺は何もしていない……それよりも、シア?」
 首を横に振ると、アレクシスは仲間の少女の姿を探した。
「――だから!ロズベリー酒を5本1600レアンでどうよ?悪くない値段でしょーが!」
 ……いた。契約書を片手に、フランクの前で熱弁を振るうシアを見つけて、アレクシスは立ち上がる。
(こんな場所でも商談をしようとするとは、たくましいと言うべきなのか、あるいは商人バカと言うべきなのか……)
 感心半分、呆れ半分にそう思うアレクシスの前では、シアとフランクによる白熱した商談が繰り広げられていた。
 その内容はもちろん、ロズベリー酒のことだ。
「それは安すぎるっ!せめて、あと200レアンは出してくれないと売れないっ!」
 先ほどまでぐでんぐでんに酔っ払っていたフランクも、いざ商談となれば真剣な顔をして、シアの出した金額に首を横に振った。
 シアは軽く眉をひそめると、どうやら一筋縄ではいかない相手だと覚悟して、新たな金額を提示した。
 シアの祖父エドワードや父クラフトのように国中に名の知れた商人というわけではないが、フランクの商人としての経験は、シアのそれを遙かに上回る。女王陛下から予算をいただいている以上、金額のことはさほど気にせずとも良いのだが、これはもうシアの商人としてのプライドの問題だった。
 簡単に相手の言い分をのんではいけないが、かといって商談を決裂させてしまうのでは意味がない。
「じゃあ、1650レアンで!こっちも、これ以上の金額は出せないわよ!」
 シアの妥協にも、フランクは腕組みしたままだ。
「あと50レアン!1700レアンなら、こちらも手を打とう!」
「高いわよ!1650レアン!これ以上はビタ一文たりとも出せないわ!」
「安すぎる!」
「高いわよっ!」
「安いっ!」
「高いっ!」
「安いっ!」
「高いって言ってるでしょーがっ!」
 このまま放っておくと、いつまでも続きそうなフランクとシアの言い合いを見かねて、アレクシスが仲裁の声をかけようとする。
「……おい」
 しかし、そんな彼の精一杯の努力も虚しく、シアとフランクは真っ赤な顔で手元のグラスをむんず掴んで言い放った。
「じゃあ、飲み比べて決着をつけようじゃないかっ!」
 ジャックの提案に、シアは間髪入れずうなずいた。
「望むところよっ!」
 一方、アレクシスはといえば、唐突なことの成り行きに目を白黒とさせているだけだ。
「……は?」
 思わず呆然とする彼の前では、フランクとシアによるロズベリー酒の値段をかけた勝負が始まり、ヨザックが「負けるなよっ!」と無責任にはやしたてる。
 そんな掛け声に煽られるように、フランクとシアはふらふらとした手つきで、薄紅色のグラスを口元に運ぶ。したたかに酔っているせいか、ボトルを開ける手つきすら危うくて、アレクシスは不安を感じずにはいられない。……何というか、二人とも明らかに酔いすぎだ。
 だが、いきなり始まった商会の長と少女の飲み勝負に周囲は止めるどころか、やんやっ!やんやっ!と拍手喝采を浴びせる始末。
 この騒ぎを収めるのは、自分しかいないらしい。そんな使命感から、アレクシスはハァとため息をついてから、真っ赤な顔をしたシアの肩を揺すった。
「シア」
 彼が少女の名を呼ぶと、とろんとした青い瞳が振り向いた。
「んー。アレクシスぅ?」
 砂糖菓子を思わせるような、甘えた口調。
「……酔っているのか?」
 シアのとろんとした夢見るような青い瞳。
 上気した薔薇色の頬と、柔らかにほころんだ唇。
 何よりもアレクシスに向けられている、母を信じる赤子のような無垢な微笑みは、彼女が正気であれば滅多にお目にかかれない代物である。少なくとも、嫌っている貴族の前でこんな表情をするのは、シアの本意ではないはずだった。たとえ仲間の前だとしても。
「大丈夫か?シア」
 アレクシスが少し心配そうな顔をして、シアの青い瞳をのぞきこむ。
 そうして、彼女の方へと手を伸ばした。
『――お願いだから、貴族の方に近づかないで。シア』
 ああ、昔そう言ったのは誰だったっけ?母さま……。
「……近寄らないで」
 いきなり顔色を変えたシアは、呻くように言って、アレクシスの手を乱暴に振り払う。
「……っ!」
 その唐突な行動に、アレクシスは怒るというより呆気にとられたような怪訝な表情を、シアへと向けた。
 しかし、その困惑も長くは続かない。
 彼の目の前で、先ほどまで真っ赤な顔をしていたシアが真っ青な顔になって、ぶるぶると震え始めたからだ。何かをこらえるように口元を手でおおった表情は、いかにも辛そうである。ひっ、とシアの唇から悲鳴のような声がもれた。
「ち、近寄らないで……気持ち悪い……吐き気がする……うっ!」
 シアの言葉に、アレクシスの顔色も赤から青へと変わっていく。こ、これは……。
「おいっ、水を飲め!水を!ほら、これだ!」
 アレクシスは常になくあわあわと慌てると、たっぷりと水の入ったグラスをシアへと手渡すが、彼にとって極めて残念なことに――すでに手遅れだった。
「おえええええっ!」
 王都ベルカルンに戻った後、アレクシスはマントを駄目にした理由について、従僕のセドリックにさえ決して語ろうとはしなかったという……。

「――ふふ」
 それから数日後、王都ベルカルンの城で、手紙を呼んでいたエミーリア女王はふふと笑い声をあげた。
 パタパタと片手で羽扇を使いながら、そのオリーブ色の瞳は決して、その手紙から離れることはない。どうやら、よほど面白い内容のようだ。
「陛下。ロズベリー酒をお持ちいたしました」
 主の愉しげな様子に、手紙の内容にわずかな興味を覚えつつも、それを全く表情には出さず、女官ルノアはグラスを恭しい仕草で女王陛下に差し出した。
「ありがとう。ルノア」
 このアルゼンタール王国を治める、最も高貴にして美しい女性はそう言うと、ロズベリー酒のグラスに唇を寄せる。
 グラスを傾け、細い首を薄紅色の美酒が流れていき、わずかに褐色がかったクリーム色の肌がほんのりと朱に染まった。
 同時に、ほぅとエミーリアの唇から感嘆の声がもれる。
「美味しいわ。さすがは幻の美酒と呼ばれるだけのことはあるわね。もっとも……これからは王都でも、もっと楽に手に入るようになるかもしれないけど」
 エミーリアは満足そうに言いながら、すっと手元の手紙へと視線を落とす。
 それは、王剣ハイラインの嫡子アレクシス=ロア=ハイラインと女王の商人シア=リーブル両名からの報告書であり、ロズベリー酒を巡るロセルの町での騒動と、その顛末が記されていた。
 その手紙の最後は、ロセルの町の問題は解決したということと、ロズベリー酒という町が誇る美酒によって、ロセルはますます発展していくだろうという一文をもって締めくくられている。
 そして、もし必要とあれば、リーブル商会はそのための手助けを惜しまないと。
「ふふ。シアもアレクシスも期待以上に、よく頑張ってくれたようね」
 そう言って、エミーリアは満足気に微笑む。やはり、あの二人を選んだのは間違っていなかったようだ。
 騎士と商人。
 貴族と平民。
 立場も生まれも性格すらも、何から何まで正反対な二人。だからこそ――
「さぁ、彼らに次はどんな仕事を頼もうかしら?」
 麗しの女王陛下は、愉しげな口調でそう言うと、優雅な仕草でグラスを傾けたのである。
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