女王の商人

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  古城と商人3-1  

 むかし、むかし、ロゼリアという土地にとても強欲な領主がおりました。
 健康な農夫たちよりも、美しい娘たちよりも可愛い子供たちよりも、何よりも自分の富を愛した領主は、重い重い税金をかけて領民たちを苦しめておりましたが、それを悔いることは決してありませんでした。
 むしろ、有り余るほどの金貨と宝石の山に囲まれながら、強欲な領主は更なる富を欲したのでございます。
 もっともっと、宝石を――
 もっともっと、金貨を――
 神よ、我が手につきぬ富を与えたまえ――と。
 十回の生を生きたとしても、決して使いきれぬほどの富を手にした領主は、心から神にそう祈りました。ですが、その領主の願いに神は応えようとはしませんでした。それも当然のことでしょう。清らかで慈悲ふかき神に、強欲な領主の罪深くよこしまな祈りなど、届こうはずがありません。
 だから、領主の願いに応えたのは、神ではございませんでした。
「――よかろう。我が、お前の願いを叶えてやろう」
 そう言いながら、領主の前に降り立ったのは神ではなく、山羊の頭を持ち漆黒の翼を持つ忌まわしきもの――悪魔だったのです。
「ほ、本当でございますか?私に永遠につきぬ富をくださると……」
 強欲なる領主は、震えながら悪魔に問いかけました。
 自分の祈りに応えたのが、神ではなく悪魔であったとしても、領主は願いを取り下げようとはしませんでした。むしろ、清らかな神よりも忌まわしき悪魔の方が、より自分の願いを叶えてくれるような気がしたのです。
 黄金の夢にとりつかれた領主は忘れていたのでしょう。古来、悪魔の契約には、それ相応の代償が必要だということを。そして、悪魔と契約を交わして、幸福な最期を迎えた者などいないということを。ああ、愚かな、なんと愚かな……。
 悪魔はケタケタと禍々しく笑いながら、強欲な領主の言葉にうなづきました。
「ああ、叶えてやろうぞ。お前の富に対する執着を、悪魔の力で叶えてやろうぞ……人の身ではたとえ百回、生まれ変わろうとも得れぬほどの黄金や宝石を、お前に与えてやろう。ただし……」
 悪魔はそこで言葉を止めると、禍々しく赤く光る眼を、青ざめて震える領主へと向けて問いかけたのです。
「――悪魔と契約するには、それなりの対価がいるが?」
 ああ、恐ろしや。恐ろしいや。
 古来、神と悪魔は近い存在と言われながらも、決定的に異なるものがございました。
 祈りに見返りを求めぬのが神であるならば、どのような願いであれ、叶えることに対価を求めるのが悪魔なのです。
「あ、ああ……私に永遠につきぬ富をくださるなら、何でも差し上げましょう。美しい娘でも、よく働く農夫でも……このロゼリアの土地にあるものならば、どのようなものでも捧げましょう!だから、私に黄金をっ!富をっ!宝石をっ!」
 ああ、何ということでしょうか!
 そう悪魔に懇願する領主は、すでに正気ではありませんでした。
 富という魔物に身も心も……そして、魂さえ食らい尽くされていたのです。
「よかろう。お前の手に、無限とも言える富を与えようぞ……」
 悪魔は嗤いました。哀れな領主の、無惨な末路を悟って。
「――捧げられた血と犠牲に見合うだけの、黄金を」
 その強欲な領主と悪魔の契約が、全ての悲劇の始まりであったのです。
「この健康な農夫の娘を悪魔の生贄に――」
 娘の悲鳴と引き換えに、領主が手にしたのは大粒のサファイア。
「この可憐で美しい乙女を生贄に――」
 金髪の美しい娘の命と、流れ出る真っ赤な血と引き換えに、領主が手にしたのは血よりも赤きルビー。
「この丈夫な農夫と引き換えに、富をっ!金をっ!宝石をっ!」
 多くの領民を悪魔への生贄に捧げ、彼らの命と引き換えに、領主は一国の王にすら匹敵するほどの黄金の山を築きあげました。
「あはははははははははははははっ!」
 屍の山の上で、
 血ぬられた城で、
 黄金に囲まれて、
「もっと!もっと!我が手に富を!あはははははははははっ!」
 そう笑い続ける領主は、すでに人ではありませんでした。
 家族や親しい者たちを生贄として奪われ、無惨な死を遂げさせられたロゼリアの民は、その強欲なる領主のことを怖れと憎しみをこめてこう呼んだのだといいます。
 ロゼリアの悪魔公、と。
「血を!富を!生贄を――」
 そう叫び続けたという領主が、どのような最期を遂げたのか、知る者はおりません。
 領主の余りの非道に憤った部下に殺されたとも、悪魔の不興を買い殺されたとも、あるいは人の血をすすり肉を食らう化け物に成り果てたとも言われております。いずれにせよ、強欲なロゼリアの悪魔公に相応しい、おぞましい最期であったのでしょう。
 悪魔公と呼ばれた領主の死後、多くの生贄が捧げられた忌まわしき城は、誰も近づかぬ廃墟に成り果てたのだといいます。
 その城の奥には、いまだ領主が悪魔から与えられた黄金が、人目につかぬように隠されていると伝わっておりますが、その城に足を踏み入れて無事に帰って来た者は一人もおりません。黄金に惹かれた命知らずの者たちは皆、ロゼリアの悪魔公に呪われたかのように、無惨な骸に成り果てるのだと……。
 領民は噂します。
 強欲だった領主は亡霊と成り果てて、いまだ自分の富を守ろうとしているのだと。城に立ち入り、その富を奪おうとした者たちは皆、ロゼリアの悪魔公の怒りを買い殺されるのだと。
「あはははははははははははははっ!」
 血ぬられた城の奥深く、生贄にされた亡霊たちの怨嗟の声が響く中で、ロゼリアの悪魔公は今も笑い続けているという……。

「――という伝承なんだけど、どう思うかしら?シア?」
 そう言ってロゼリアの悪魔公の、おぞましい話を終えたエミーリア女王は、にっこりと微笑みながらシアに尋ねた。
 その微笑みは咲き初めの花のように麗しく、たった今まで血ぬられた怪談を話していた同一人物とは、とうてい信じ難い。だが、目の前で語られた今、それを受け入れるより他にシアに道はなかった。
 敬愛する女王陛下が、ただ美しく聡明なだけの女性でないことは、すでに今までの体験から学んでいると言っていい。
 いや、美しく聡明で優しく、なおかつ有能な女王であらせられることが間違いではないのだが、それだけではないということだ。
 珍しいものに目がない珍品コレクターで、かなりお茶目な性格で、おまけに比類なき好奇心の持ち主でもある。シア自身も、商人のはしくれとして好奇心は強い方だと思うが、女王陛下のそれはシアを遥かにしのぐ。
 そして、そんなエミーリアの好奇心を満たすのは、女王の商人であるシアの役目だった。
「はぁ……どこにでもありそうな怪談ですね。大方、領主の残酷さを憂いた領民が作ったんでしょう」
 女王陛下の問いかけに、シアは微妙な表情を浮かべて、気のない返事をする。
 答えるシアの声がかすかに震えて、その顔が少し青ざめていることに、隣にいるアレクシスだけは気がつく。だが、おそらくは気のせいだろうと首を横に振った。
 (このシアが、幽霊なんぞを怖がるとは思えん。きっと、気のせいだろう……)
 よく見ると、足もガクガク震えているような気もするが、たぶん見間違えだろう。シア=リーブルは、アレクシスの知る女性の中でも、ありとあらゆる意味で最も強い。その立場も、精神も。
 白銀の絹糸のような髪に、透き通るような青い瞳。
 繊細で、うかつに触れたならば壊してしまうような儚げな容貌の少女なのに、その精神は強靭というか、良い意味で図太い。
 アレクシスよりも二つも年下の少女の身でありながら、リーブル商会の跡継ぎという重い立場を背負っているのに、それを重荷に思ったり怯んだりしている様子は微塵もない。例えるなら、どんな荒野にあってさえ、たくましく咲く野花のようなものだ。
 それは彼の身近にあった貴族の令嬢たちの、温室で育てられた美しい花とは対照的だ。だが、不思議とシアの存在は、アレクシスにとって不快ではない。
 だが、それは好意というには淡く、どちらかと言えば同性に向けるような親しみに近いものだ。
「どうしたの?シア。顔が青いけど……」
 シアの様子がおかしいことに、少し遅れてエミーリア女王も気づいたらしく、玉座から心配そうな視線を向ける。
「だ、大丈夫です。ご心配には及びません……」
 恐れ多くも女王陛下に心配をかけてしまったことに、申し訳なさを感じつつ、シアはぶんぶんと首を横に振る。震える足元からか、とうてい説得力というものは感じられないが、それでも一応は心意気だけは伝わったようだ。
「そう?なら良いけど、無理はしないでね。シア」
 首を傾げたエミーリアの言葉に、シアは微妙な表情でうなずいた。
「ありがとうございます。女王陛下」
 ははっと乾いた笑みを浮かべるシアに、女王陛下はそれ以上、問い詰めようとはしなかった。しかし、聡明な方だから、シアの思いにはうすうす気が付いていたかもしれない。
 だが、そこで何事もなく終わるほど、女王陛下も……そして、商人の道も甘くはないのだ。
「それで……」
 エミーリア女王は微笑みながら、言葉を続ける。
「――そういう場所なのだけど、貴方たち二人でロゼリアに行って来てほしいの。そうしてロゼリアの、悪魔公の城を様子を報告してくれるかしら?シア、アレクシス?」
 そのエミーリアの唐突な言葉に、女王の商人も騎士も咄嗟に何の言葉も出ず、石像のように固まった。
 しばしの間の後、ようやく我に返った彼らは、恐る恐る女王陛下の台詞を反復する。
「……ロゼリアの?」
「悪魔公の城……?」
 ロゼリアの悪魔公。
 強欲な領主が富を求めるあまり、忌まわしき悪魔と契約し、おぞましい生贄の儀式を行ったという伝承の残る土地。
 だが、ロゼリアの悪魔公と称された人物が生きていたのは、何百年も昔のことである。いくらむごたらしく、残酷な伝承とはいえ、今を生きるアレクシスたちからすれば、古い怪談という風にしか聞こえない。はっきり言えば、怖れるに値しない話であると思う。ましてや、ロゼリアの地から遠く離れた王都ベルカルンにあっては。
 それに、おそらく悪魔うんぬんは作り話でないだろうか、とアレクシスは思う。
 かつて、アルゼンタール王国の建国初期には、王家の威光が地方にまで行き届かず、犯罪を犯す領主も珍しくなかったという。
 年ごろの娘を無理やりにさらって妾にしたり、少し気に入らぬ事があれば領民に刃を向けたり、重税をかけ民を苦しめたり……民を守るべき貴族が民を苦しめるなど、許せない言語道断の行為であるが、当時はさほど珍しいことでもなかったのだ。
 名君と謳われた三代目の女王エリスが、地方のそういった状況の改革を成し遂げなければ、いまだにそういった悲劇は続いていたかもしれない。
 おそらく、ロゼリアの悪魔公はそういった残酷な領主のことを嘆いた民の話が、誇張されて広まったものではないだろうか。もちろん、悪魔の話が真実だとしても、アレクシスに確かめる術はないのだが。
 そう考えれば多少は、悪魔公の城への恐怖心はぬぐいされるものの、自ら進んで行きたいという場所では決してない。
「ふふ。二人とも、意味がわからないという顔をしているわね」
 エミーリアは悪戯っぽく笑うと、言葉を続けた。
「別に、そんなに大した話ではないのよ。あの悪魔公の話がどの程度、真実なのかはわからないけど、ロザリアの地から領主の血筋が絶えたのは事実で……それで、廃墟になった城はそのままになっているの。直系でなくとも、領主の血筋に繋がる者がいないか探したのだけれど、誰も見つからなくて……そのままにしておくのも危ないし、王家で管理することにしたわ」
 そこまで語ると、エミーリア女王はアレクシスの方を向く。
「アレクシスは詳しいでしょうけど、ロザリアは隣国リュシリアとの絡みもあって、いろいろと難しい土地なのよ。ね?」
「はっ」
 アレクシスは言葉少なに、女王陛下の言葉を肯定する。
 そのロゼリアという土地は、辺境と呼ばれる場所でありながら、かつて戦火に見舞われた場所である。
 アルゼンタール王国と隣国リュシリアの国境沿いにあるという、複雑な土地であるゆえに、かつて両国の戦争の折にはロゼリアの地はおびただしい血で染まったそうだ。今からもう、三百年も昔の話であるが。
 百合戦争。
 血を血で洗うと言われたその戦争の際、ご先祖である当時のハイライン家の当主は、アルゼンタールの騎士団長として、戦の先陣を務めていたのだと、アレクシスは父から聞かされていた。それと同時に、その時代のロゼリアは数十年もの間、隣国リュシリアの領地であったこともあり、いまだ王家にとっても扱いの難しい土地であるとも。
 エミーリア女王の言葉の裏には、そういった意味も含まれているに違いない。
「そういうわけで、王家で管理しようと思うのだけれど、幾つかは内部の装飾品がそのままになっているらしくて……もし、美術的な価値があるようなら、王立・美術館に展示しようかと思っているの。百合戦争の時代のものは、戦火やらなにやらで駄目になったものも多いから、研究者たちは垂涎ものだと思うしね……本格的な鑑定は後にしても、まずは貴女に様子を見て来て欲しいのよ。シア?」
 そう説明すると、エミーリアは今度はシアの方へと視線を向ける。
「……」
「シア?」
「は、はい!失礼しましたっ!」
「大丈夫?さっきから顔が青ざめていて、足がぶるぶると震えていて、おまけに暑くもないのに冷や汗を流しているように見えるのだけれど……私の気のせいかしら?」
「だ、だ、だ、大丈夫です!このシア=リーブル、女王陛下の商人として、立派に仕事を果たしてみせますううう!」
 あからさまに大丈夫じゃない態度を見せつつも、シアは痩せ我慢をして胸を張った。どう見ても、あからさまに挙動不審だが。
「そう、顔が青ざめているけど?シア」
「いえ、最初からこんなもんです!」
「気のせいか、足も震えているような……?」
「武者震いです!女王陛下」
「心なしか冷や汗をかいているように、私の目には見えるのだけれど?」
「汗っかきなもので!」
 ダラダラと冷や汗を流しながら、シアは痩せ我慢をつらぬいた。
 (いまさら幽霊が苦手だなんて、言えるはずがないっ!)
 シアはそう心の中で絶叫する。
 負けず嫌いで強気で、一見すると怖いものなしなシアだが、ただ一つ幽霊の類だけは駄目なのだ。
 生きている人間ならば、どのような相手であれ商談なり交渉なりをする自信があるが、死んでいる人間では交渉も何もあったもんじゃない。そんな考えのせいか、シアが苦手とする唯一のものが、怪談つまり幽霊の話なのだった。そういう事情で、先ほどから挙動不審なのである。
 (特にコイツ――アレクシスの前で、そんな弱音をはけるかっ!)
 アレクシスからすれば理不尽なことこの上ないが、それがシアが痩せ我慢を続ける理由だった。
 ここで幽霊が苦手だ怖いだと、正直に女王陛下に訴えれば、なんだかんだ言ってもお優しい女王陛下のことだ。きっと、シアに無理に仕事をさせることはしないだろう。だけど、それはシアのプライドが許さないというか、ここまでくると意地だった。
 初対面の時に比べればマシになったとはいえ、シアの貴族への嫌悪感は消えたわけではない。十数年にわたるそれが、そう簡単に消えるわけもない。
 もっとも、それはアレクシスへというよりは、貴族という地位に向けたものであったのだが。
「わかったわ。シアがそう言うなら……」
 エミーリアがそう口にしたことで、シアは己が自ら最後の退路を絶ったことを悟った。
「――では、女王の商人と王剣の騎士よ、ロゼリアの古城の様子を見て来てくれるかしら?」
 心で泣きながら、任務を受けたシアは思う。
 ああ、天国のお母さま……。
 つまらない意地は張るもんじゃないですね、と。
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