女王の商人

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  美酒と商人2−3  

「ううう……あの狸親父めぇ……」
 無理やりに乗せられた馬車の中で、そんな呪詛の言葉を吐き続けていたシアだが、それで状況が好転するわけもない。帰りたいと切に願う彼女の気持ちとは裏腹に、馬車は王城に向かって一直線に走っていった。
 結局、シアが何の覚悟も出来ないうちに、馬車は王城の前へと到着した。
「着きましたよ。お嬢さん」
 御者のロベルトの言葉に、シアはいやいやと首を横に振る。
「うー。出たくないいい……」
「人生は諦めが肝心ですよ」
 ロベルトはにっこりと笑うと、馬車から出たがらないシアを、強引に地面へと降ろした。
「――では、ご武運を!お嬢さん」
 そうして、御者は爽やかな台詞を吐くと、さっさと馬車を走らせ去っていく。
「……どうしてウチの商会は、こう食えない奴ばっかりなんだろう?」
父や祖父だけでなく、メイド三人娘や三つ子というリーブル商会で働く者たちの顔を思い浮かべ、シアはハアと大きなため息をつく。
「あ……」
 その瞬間、後ろからした声に、シアは振り返った。
「ん?」
 振り返った彼女の目に映ったのは、長身の青年だった。
 漆黒の髪と、精悍な顔立ち。
 腰に差した長剣といい、シアを真っ直ぐに見つめる漆黒の瞳といい、シアの知り合いに間違いなかった。だが、単なる知り合いであって、決して友人でないところがミソだ。いや、もし叶うならば、知り合いでも何でもない赤の他人でいたかったものだが。しかし、まあ、それはきっと相手も同じ思いだろう。
「……久しぶりだな。シア=リーブル」
 そう声をかけてきた青年に、シアはにっこりと天使のような微笑みを浮かべると、さっと身をひるがえした。
「こんにちは!それと、さようなら!」
「……待て」
 そうやって、脱兎の如く去ろうとするシアの腕を、青年――アレクシスは掴んで引き止めた。大して強く掴んでいるわけでもないのだが、体格の差かあるいは鍛錬の差か、その腕は容易に外れない。うううと悔しげに呻いて、バタバタと手足を振り回すシアの抵抗も、アレクシスにとっては子供が暴れているのと大差がないのだ。
「ううう。離せー!離せー!」
「全く……挨拶はきちんとしろと、父上や母上から教わらなかったのか?シア」
「うるさい!余計なお世話よ!それより、何でアンタが王城にいるのよ?アレクシス=ロア=ハイライン」
 そう怒鳴ると、シアは青い瞳で、自分より頭二つ分は高い青年の顔を睨みつける。
「何で、と問われても……お前と同じ理由だと思うが」
 淡々と答えるアレクシスに、シアはその理由を悟った。
「女王陛下のお茶会!アンタも出るの?」
「そうだ」
 うなずいたアレクシスに、シアは思いっきり顔をしかめた。
 あの最悪の出会いから、十日。
 女王陛下からは何の連絡もなかったし、上手くすれば二度と会わなくて済むかと思ったが、世の中そんなに甘くはないらしい。あれから十日も経つのだが、彼らの関係は全く改善されていなかった。
 シアは元来が短気なうえに、祖父のことから貴族嫌いだったし、アレクシスも決して饒舌なたちではないうえに、人の機嫌を取れるほど器用な性格ではなかったからだ。そういうわけで、彼らの険悪さは改善されるどころか、悪化の一途を辿っていた。そんな状況だったので、シアは不機嫌さを隠そうともせずに、くるりっと踵を返す。
「さようなら。もう会いませんように」
「……どこに行くんだ?」
 王城と反対の方向に行こうとするシアを、アレクシスは呼び止めた。
「帰るのよ!女王陛下だけならともかく、アンタと一緒に茶を飲む理由はないからね!」
「……待て」
 去ろうとするシアの襟首を、アレクシスは掴んだ。
「……ふぎゃ!何するのよ?」
「そんな馬鹿馬鹿しい理由で、女王陛下をお待たせする気か?シア。王剣ハイラインの騎士としても、アルゼンタール王国の貴族としても、見過ごせん」
 そう断言すると、アレクシスはシアの襟首を掴んだまま、ずるずると猫の子を引きずるように王城へと歩き出す。
「離せー!離せー!この鬼畜!この変態めっ!」
「……俺は、変態じゃない」
 シアの八つ当たり気味の暴言にも、アレクシスは眉ひとつ動かさない。
 (……不思議だな。この娘のことを、昔から知っている気がする)
 ぶつぶつと文句を言うシアを見て、アレクシスはふと首をかしげた。
 それは、あり得ないことだ。この娘と会ったのは、たった十日前のことであるし、領地で暮らしていたアレクシスがシアに会う機会はなかったのだから。しかし、なぜか初対面な気がしないうえに、暴言を吐かれてもさほど気にならない。その理由が不思議だった。しかし、女性として好意を持っているとか、そういうことは全くない。
 (ああ、そうか)
 渋面のシアを見て、アレクシスは納得した。
 (よく似ているからか、パールに)
 パールというのは、人の名前ではない。
 アレクシスの母が飼っている白猫の名だ。
 白銀のため息が出るほど美しい毛並みと、透き通るような青い瞳の美猫なのだが、どうしてもアレクシスに懐かない。飼い主である母以外には決して懐かずに、無理に抱き上げようとすれば、その鋭い爪で引っかかれることは日常茶飯事であった。白銀の髪といい、青い瞳といい、シア=リーブルとパールはよく似ている。
 じゃじゃ馬なところと、自分に懐かないところが特に。
「――腹が立っても、嫌いきれないはずだな」
 苦笑しながら、そう呟いたアレクシスに、シアは何のことかと怪訝な表情を浮かべていた。

「……お待ちしておりました。シア=リーブルさま。アレクシス=ロア=ハイラインさま」
 王城に入ったシアたちを出迎えたのは、女王陛下付きの女官ルノア=オルゼットだった。
「女王陛下が庭園でお待ちです。こちらへ」
 そう言って案内されたのは、薔薇の咲き誇る美しい庭園だった。
 赤薔薇。黄薔薇。白薔薇。
 他にも色あざやかな薔薇たちが、かぐわしい香りと共に咲き誇っている。まるで、一枚の絵画のような美しい光景に、シアは言葉を失った。アルゼンタールの国花である薔薇は、彼女にとっても馴染みの深い花ではあるが、これほど見事なものは見たことがない。
「薔薇は好き?シア」
 花に見惚れていたシアに、そう声がかけられる。
「エミーリア女王陛下……」
 横を向いたシアの目に映ったのは、女王陛下その人だった。
「よく来てくれたわね。二人共」
 庭園にもうけられた東屋。
 涼しい風が吹くそこで、シアとアレクシスとエミーリア女王は、向かい合って座っていた。彼らの腰かけた白いテーブルの上には、女官ルノアの手によって、お茶の用意が美しく整えられている。
 中央には、薔薇の花瓶。
 紅茶はもちろんのこと、トレイの上にはサンドイッチやパイが惜しげもなく並び、その横には美味しそうなケーキもあるのだ。王宮料理人が腕を振るった、まるで宝石のようなお菓子の数々に、シアは緊張も忘れて目を輝かせた。
 そんなシアの気持ちを悟ってか、エミーリアはふふと楽しそうに微笑んだ。
「どうぞ。召し上がれ。お茶を飲みながらの方が、話もはずむわ」
 エミーリアの言葉と同時に、女官がカップに紅茶を注いだ。
「――貴女たちを呼んだのは、初仕事を頼みたかったからなの」
 シアたちが一杯目の紅茶を飲みほした頃に、若き女王はそう話を切り出した。
「初仕事?」
 首をかしげたシアに、エミーリアはええと言葉を続ける。
「ええ。貴女たち二人の初仕事よ。女王の商人としてのね」
「はい」
 シアは、やや緊張した面持ちでうなずいた。
 女王の商人。
 リーブル商会の後継ぎとして、それに相応しい商人になるべく努力してきたつもりだが、やはり女王陛下の仕事となれば、緊張せずにはいられない。これからは女王の商人として、恥ずかしくない仕事をしなければならないと、シアは決意を新たにした。
 その胸元では、商人の証である銀貨が揺れている。
「シア。アレクシス。貴女たちは、ロズベリー酒を知っているかしら?」
 エミーリアの問いに、アレクシスは首を横に振った。
「浅学なもので、聞いた覚えがありません」
 シアは記憶の奥底を探って、自信なさそうに言った。
「ええっと、ロズベリー酒は……確か、ロズベリーの果実から作る果実酒だったと思います。綺麗なピンク色と、爽やかな後味が特徴で、ほとんど市場に出回らないことから幻の酒と呼ばれているとか。アルゼンタール国内では、ロセルという町でしか作られていないはず……これで、よろしいでしょうか?女王陛下」
 シアの言葉に、エミーリアは満足そうにうなずいた。
「その通りよ。シア。アレクシスが知らないのも、無理のないことだわ。ロズベリー酒は幻の酒と呼ばれていて、ロセルの街の近辺でしか手に入らないから……ここまで言えば、後はわかるわよね?シア」
 普段の威厳あふれる姿からはうって変わり、女王は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「……つまり、私たちの初仕事は、そのロズベリー酒を手に入れることですか?」
「その通りよ。幻と呼ばれるほど、珍しいお酒なんて素敵でしょう。ふふふ」
「はあ」
 うっとりと、夢見るように言うエミーリアに、シアは曖昧な微笑を浮かべる。
 女王陛下が無類の珍品コレクターなのは知ってはいたが、それが食べ物にも当てはまるのは、今日、初めて知った。
「それと、もう一つ……」
 夢見る乙女のような顔をしていたエミーリアは、女王の顔に戻って真剣な口調で言う。
「――貴方たち二人に、ロズベリー酒の産地である、ロセルの町の様子を見てきて欲しいの」
 真剣な口調のそれに、アレクシスの顔も引き締まる。
「ロセルの町の様子を?」
 アレクシスの問いに、女王は心配そうな表情で答えた。
「そう。このロズベリー酒、幻と言われる酒とはいえ、毎年、何本かは市場に出回るの。それが、数本しかないのが幻と呼ばれる理由なのだけど……でも、今年は一本も王都に流れてこない。ここ十年、そんなことは一度もなかったのに」
「それは……確かに。少し気になるかもしれません」
「そうでしょう?もしかしたら、ロセルの町に、何か起こっているのかもしれないと気になって……」
 やや不安そうに言うと、エミーリアは憂い顔を崩さない。
 その気持ちが、シアには理解できるような気がした。どのような小さな変化だとしても、普段と違うことが起こっているというのは、普通は不安になるものだ。商売もまた然りである。ましてや、一介の商人であるシアとは違って、女王ともなれば責任の重さは計り知れないのだから。
 その民を想うがゆえの女王の不安を考えると、シアの胸も痛んだ。
 五十年も前に、政治の実権は王から議会へ移ったとはいえ、アルゼンタールの民の王家への忠誠は変わらない。それだけでなく、シアはこの美しく聡明で、ちょっと茶目っけのある女王が好きだった。
 だから、エミーリアの不安を少しでも軽くしてあげたいために、シアは笑顔で胸を叩く。
「お任せください!女王陛下。ロセルの町に行って、ロズベリー酒を買う時に町の様子も、きちんと確認して後でご報告いたします!」
 溌剌としたシアの言葉に、エミーリアも笑みを浮かべた。
「ありがとう。期待しているわ。シア。アレクシス……」
 エミーリアは澄んだオリーブ色の瞳で、シアとアレクシスの顔を真っ直ぐに見て、彼らの初仕事を命じた。
「――女王の商人と、王剣の騎士よ。私のために、幻の美酒を手に入れてきてくれるかしら?」
 こうして、商人と騎士の幻の美酒を巡る騒動が幕を開けたのである。
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