女王の商人

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  美酒と商人2−6  

「貴様あああっ!ウチの娘を何処に隠したあああっ!このローエン商会の回し者があああっ!」
 鬼のような形相の中年男はそう絶叫すると、アレクシスの胸倉を掴んで、ガクガクと乱暴に揺すった。
「……は?ウチの娘?何のことだ?」
 アレクシスは困惑した顔で首をひねるが、亜麻色の髪の中年男は人の話を聞いていないようで、がああっと獣のように吠えた。
「とぼけるなあああっ!貴様んとこの息子が、ウチのエリーをたぶらかしたのは裏が取れてんだよおおっ!ローエン商会の奴らめ、どこまでウチを馬鹿にすれば、気がすむんだあああっ!」
 怒り狂った様子で、ぶんぶんと拳を振り回す中年男に、アレクシスは戸惑いを隠せない。
 何かに怒っていることだけは理解できるが、「ウチの娘をどこに隠したあああっ!」「ローエン商会の回し者があああっ!」とか怒鳴られても、身に全く覚えのないことは、言い訳をすることさえ出来ない。おまけに酷く興奮した様子で、胸倉を掴み上げられていれば、尚更だ。
 ひとまず、身に覚えのない濡れ衣を解こうと、アレクシスは首を横に振った。
「すまないが、意味が全くわかない。人違いじゃないだろうか?」
「エリーいいいっ!戻って来いいいいっ!お前はローエン商会のバカ息子に騙されてるだけなんだあああっ!」
「だから、俺はそのローエン商会とやらとは、何の関係もないが……」
「エリーいいいっ!父さんの何がいけなかったんだあああっ!教えてくれえええっ!」
「……駄目だ。話が通じない」
 アレクシスが、諦めたように息を吐く。
 鬼のような顔で怒鳴っていた中年男は、やがて「エリーいいい!戻ってきてくれえええっ!」などと、娘の名を呼びながら、わんわんと泣き出した。
 自分よりも体格の良い中年男にすがりつかれ、アレクシスはゲッソリとした顔をする。服の胸元には、べったりと涙と鼻水。泣きたいのはこっちの方だと、彼は思った。妙齢の乙女ならともかく、自分の父と同世代の男にすがりつかれたところで、嬉しくもなんともない。むしろ、迷惑というものである。だが、不器用でお人好しな性格のアレクシスは突き放すこともできず、彼は途方に暮れた。
 その瞬間だった。
 いままで黙っていたシアが、ぐいっと中年男とアレクシスの間に割りこんで、無理やりに引き離す。
「逃げるよっ!」
 そう叫んで駆け出したシアを、逃がさんと屈強な男たちが取り囲む。
 シアは悔しげに唇を噛むと、じりっと後ろに下がり、苛立ったように舌打ちした。
「ちっ……」
 そんなシアを捕まえようと、男たちが手を伸ばしてきた。
「逃がさんっ!」
 それと同時に、アレクシスも焦った顔でシアへと手を伸ばした。
「シアっ!」
 彼ら二人の手が、シアに触れようとした瞬間だった。
「ヨザックううううっ!ウチの息子をどこに隠したあああっ!さっさと吐けえええ!」
 そう怒鳴りながら、眉間に皺を寄せ、憤怒の表情をした金髪の中年男がズカズカと広場へと踏み込んできた。
 その男の後ろには、体格の良い男たちが十人ばかり続いている。
 呆気にとられるシアたちをよそに、鬼のような顔をした金髪の中年男は、アレクシスの横にいた亜麻色の髪の中年男に近づき、その胸倉を掴みあげた。そして、地を這うような低い声で、「ヨザックううう……」と亜麻色の髪の男の名を呼ぶ。
「ヨザックううう……てめぇ、ウチの息子を何処に隠しやがったっ!さっさと出しやがれえええっ!」
 罵られたヨザックの方も、黙っていない。こちらも鬼のような形相で、金髪の中年男の胸倉を掴み返すと、耳元で怒鳴り返した。
「それは、こっちの台詞だあああっ!一刻も早く、ウチの娘を返しやがれえええっ!フランクううう!」
 金髪の中年男――フランクとヨザックは、まるで親の敵を見るかのような憤怒の表情で、睨み合った。
「……逃げるか」
 事の成り行きに呆然としていたアレクシスが、はっと我に返り、シアに耳打ちする。
「……今のうちに、逃げよう」
 シアはうなずくと、そーっと足音を立てないように、後ろ向きに歩く。幸いなことに、シアを取り囲んでいた男たちの視線は、睨み合うヨザックとフランクに釘付けだ。逃げるならば、チャンスは今しかない。
「待てっ!逃げるなっ!」
 だが、ヨザックの横にいた男の一人が、逃げようとするシアに目を留めた。
 同時に、周囲にいた男たちがいっせいにシアたちの方を向く。
 いくつも殺気立った目と目が合って、シアの顔からサーっと血の気が引いた。
「やば……」
 青ざめるシアの手を引いて、アレクシスが駆け出す。
「走るぞっ!」
 わき目もふらず駆け出した二人を、ヨザックのそばにいた男たちが追いかけてくる。
「待ちやがれえええっ!」
 シアは振り返ると、追いかけてくる男たちに向かって、べーと可愛くない顔で舌を出した。
「待てと言われて待った奴なんて、誰もいないわよっ!」
 けけけ、と笑うシアにアレクシスは頭を抱える。
「遊んでないで、早く走れ!余計に相手を怒らせてどうする!」
「はいはい。走れば良いんでしょ。走れば」
 そんな会話をかわしながら、男たちから逃げるために、彼らは広場を抜けて街中へと駆けていった。
 
「くそっ!あの二人組み、どこに消えやがった?」
「あいつらが、エリーお嬢さんを隠してるらしいぞ!早く見つけて、親方に報告しないと!」
「逃げ足の速い奴らだ。あっちはもう探したか?まだ近くに隠れてるはずだ!」
 ロセルの町の北側。
 多くの大衆食堂や宿屋が立ち並ぶそこで、若い三人の男たちが、殺気立った雰囲気で言葉を交わしていた。先ほど広場から逃げた青年と少女を探して、路地裏や人ごみに目を光らせている。うろうろと辺りを歩き回っていた彼らだが、やがて近くにはいなそうだと見切りをつけたのか、その場から歩き去った。
 それから、どれくらいたっただろうか。
 男たちが去った後、近くにあった大きなゴミ箱が、ガタガタと勝手に動いた。
「げー」
 気の抜けるような声と共に、ゴミ箱のフタが持ち上がり、銀髪の頭が顔を出す。
「最悪。生ゴミ臭い」
 そう吐き捨てるように言うと、シアはぶんぶんと頭を左右に振り、頭に張りついた林檎の皮を振り落とした。
 いくら他の手段がなかったとはいえ、ゴミ箱の中に隠れるなんて、もう二度とやりたくない。
 服にこびりついたプーンとただよってくる生ゴミの異臭に、シアは思いっきり顔をしかめる。女王陛下のお仕事だからと、せっかくお気に入りの一張羅を着てきたというのに、これでは台無しも良いところである。はああ、とため息をついたシアの横では、アレクシスもゴミ箱から這い出して、同じようにため息をついていた。
「行ったようだな……」
 どこか遠い目をして、アレクシスは言う。表情こそいつも通りだが、その目は死んだ魚のようだった。
「ちょ……大丈夫?」
 シアの問いかけに、アレクシスは首を縦に振る。
「ああ。問題ない。これが王剣の騎士のやることだと思うと、少し情けなくなっただけだ……」
「はあ……オーバーだなあ。面倒な性格だって言われたことない?」
「ああ。たしかに、よく言われるな」
「……本当に、言われてんのかい」
 シアが力なく言った瞬間だった。
「アンタたち、大丈夫かい?」
 近くの宿屋の扉が開き、人の良さそうな中年の女性が、そこから顔を出した。
「災難だったねぇ。まあ、そんな恰好じゃなんだ……着替えくらい貸してあげるから、こっちにおいで」
 女性は同情した顔をすると、宿屋の中にシアたちを手招きした。
 見知らぬ女性の親切に彼らは顔を見合わせたが、服からただよう生ゴミの異臭は耐え難く、言葉に甘えることにした。礼を言って宿屋の中に足を踏み入れたシアに、女性は二人分の着替えを手渡すと、近くの客室を指差す。
「まずは、着替えておいで。話はそれからだよ」
 鼻をつまみながら言う女性の言葉に、シアとアレクシスはうなづくしかなかった。
「――あたしの名前は、アガタ。この宿屋の女将だよ」
 着替えを終えた二人に、女性はロセルの町の名物だという薬草茶を振る舞いながら、そう名乗った。
 宿屋の女将――アガタの年齢は、シアの父よりも少し上くらいだろう。だが、燃えるような炎のような見事な赤髪と、キラキラした緑の瞳が彼女を魅力的に見せていた。若い頃は、さぞ人目を惹く美女だったに違いないと思わせるような容姿だ。
「シア=リーブル。王都の商人です」
 そう名乗ったシアに、アガタは目を丸くする。
「おや、まあ。王都の商人さん?若いのに、銀貨とは立派だねぇ」
 田舎町であるロセルには、王都から商人が来ることも珍しいに違いない。少女であるシアの胸で揺れるのが、見習いの銅貨ではなく銀貨であることも、アガタにとっては驚きであるようだ。
「アレクシス=ロア=ハイライン。危ういところを助けていただき、感謝する」
 アレクシスがそう名乗ったことは、アガタにとって更に驚きであったようだ。
「ロア=ハイライン……ってことは、貴族かい?貴族の若様がなんでまた、こんな田舎町に?」
 貴族を表すロアに、アガタは驚きを隠そうともしない。この町を貴族が訪れることなど、王都からの距離を考えても殆ど無いだろうから、それも無理からぬことだ。
「ある御方に頼まれて、この町の名物であるロズベリー酒を買うために」
 問われたアレクシスは、女王陛下の名前を出さずに答える。
「そうかい……ロズべリー酒を買いにねぇ。残念だけど、今は無理だと思うよ」
「ええっ!どうして?女将さん」
 アガタの言葉に、シアは顔色を変える。
 王都から七時間以上も馬車に揺られて、妙な男たちに追いかけられたうえに、生ゴミまみれになったのも、全てロズベリー酒のためだ。なのに、それなのに、ロズべリー酒が買えないとはどういうことだ!ありえない!
「アンタたちだけじゃない。たとえ誰であろうが、今この町でロズべリー酒を買うことは無理なのさ……ローエン商会とコーラル酒造が対立している今はね」
「ローエン商会とコーラル酒造?」
 どこかで聞いたような言葉に、シアは首をかしげる。ローエン商会?つい最近、どこかで耳にしたような……。むむむ、と唸った彼女は、やがて思い出したようにポンっと手を打った。ああ、そうか。あの広場でアレクシスの胸倉を掴み上げた親父が怒鳴っていたんだ。「ローエン商会の回し者があああっ!」って。
「ああ、そうさ。全く、何でこうなったかねぇ……」
 ふーと深いため息をつくアガタに、アレクシスが話しかける。
「もし良ければ、その買えない理由とやらを教えていただけないだろうか?女将。このまま手ぶらで帰ったのでは、騎士の名折れだ」
「そうさねぇ……ちょっと長い話になるよ。良いかい?」
「かまわない」
「そもそもの原因は、ローエン商会の長であるフランクとコーラル酒造の長であるヨザックにあるのさ……」
 アレクシスの真剣な頼みに、アガタはわずかに迷うような素振りを見せた後、ゆっくりと語り出した。ロセルの町がこうなった理由を。
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