女王の商人

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  美酒と商人2-7  

 ロセルの町の名物ロズベリー酒。
 他にはこれといった名物もない、平凡な田舎町であるものの、このロズベリー酒だけは幻の美酒として知る人ぞ知る存在だった。その透き通るような淡い薄紅色をした美酒は、飲む者を例外なく夢見心地にさせるほど美味であるという。
 この幻とも言われる美酒を支えてきたのは、ロセルの町に住む二つの家だった。
 ロズベリー酒を造るのは、この町で唯一の酒造コーラル家。
 その造った酒を売るのは、この町で最大の商会ローエン家。
 どちらも、このロセルにおいては名家と呼ばれる存在であり、その当主といえば町の人々から厚く信頼されてきた。そもそもロズベリー酒とは、長年の親友同士であった四代前のコーラル酒造とローエン商会の長同士が、このロセルの町が誇れる名物をと、共同で作り上げたものなのである。
 小さな町の名物であるがゆえに、量産することこそ叶わないが、それでもロセルの町にとってはロズベリー酒は大事な誇りだった。
 それ以来、代々のコーラル酒造の長とローエン商会の長は協力し、ロズベリー酒を広めてきたのである。そうすることで、町の権力者であるコーラル家とローエン家という二つの家の結束は堅くなり、それがひいてはロセルの町の安定にも繋がっていたのだ。そう、二十年前までは。
 コーラル酒造の長ヨザックとローエン商会の長フランクが、憎しみ合うようになるまでは。
「憎しみ合う?コーラル酒造とローエン商会の長同士が?」
「ああ、そうさ……どうして、そうなったのかねぇ。昔は、いつも一緒にいる親友だったっていうのにさあ」
 アガタはため息をつきながら、過ぎた過去を懐かしむような目をした。ヨザックとフランクといえば、かつては誰もが認める町一番の親友同士だったというのに。二十年前の喧嘩が、全てを変えてしまった。
『アガタ!こっちにおいでよ!』
『ロズべリ―を採りに行こうぜ!アガタ!』
 子供の時は、いつも三人で一緒だったというのに……。
「その二人の喧嘩が、ロズベリー酒が手に入らないことと何か関係があるの?女将さん」
 焦れたように、シアが問う。初仕事から失敗して、女王陛下を失望させるわけにはいかないので、彼女も必死だ。
「大ありさ。ロズベリー酒を造るコーラル家と、売る方のローエン商会の仲が悪いせいで、ロズべリ―酒はなかなか市場に出回らない。幻の美酒なんて呼ばれてるのは、そのせいもあるんだよ」
 この二十年を思い出して、アガタは憂い顔になる。
 コーラル酒造とローエン商会。
 かつては夫婦のようだと例えられた二つの家。彼らの対立は、ロズべリ―酒の販売に暗い影を落とした。昔は、王都ベルカルンでも良い評判を得ていた時代もあったのだが、今では近隣の村にほそぼそと売るくらいが関の山である。両方の長であるヨザックとフランクの対立が、そのままコーラル酒造とローエン商会の対立になっており、両者が手を組みたがらないからだ。
 伝統であるから、ロズベリー酒の販売だけは続けていたものの、それも近年は嫌々ながら続けているという風だった。
「なるほどな。だが、一つ疑問があるんだが……どうして、今年に限ってロズべリ―酒が買えないんだ?酒造と商会の仲が険悪にしても、今までは商売だけは続けてきたんだろう。なぜ、今年に限って?」
 腕組みをしたアレクシスが、疑問の声を上げる。
 その疑問も、当然といえば当然のことだ。二十年もの間、対立を続けてきたコーラル酒造とローエン商会。それでも、ロズベリー酒が王都の市場に出回り続けたということは、この町の名物に限ってだけは、嫌々ながらも手を組み続けてきたのだろう。それなのに、二十年もの長きに渡り我慢し続けてきたことを、いきなり止める理由とは?
 その理由が、アレクシスには想像もつかなかった。
「ああ、理由はね……」
 そこで、アガタはちょっと言い淀んで、その理由を告げた。
「――恋なんだよ」
 アガタの言葉に、シアはきょとんとした顔で、首をかしげる。コイ?鯉?恋だってええ?
「はああ?恋って、誰と誰が?」
 目を白黒させるシアに、アガタがため息まじりに答える。
「コーラル酒造と一人娘のエリーと、ローエン商会の跡取り息子のジークさ……よりにもよって、犬猿の仲の二つの家の子供たちが、どんな運命の悪戯か恋人同士になっちまったんだよ」
 恋。コーラル酒造の娘とローエン商会の息子が。
「「はあ?」」
 意外な展開に、シアたちは顔を見合せて気の抜けた声を上げた。
「陳腐な言い方だけど、運命とでも言うのかね……」
 アガタは苦笑しつつ、事の成り行きを説明した。
 何でも恋のハジマリは、たちの悪い酔っ払いにからまれていたコーラル酒造の娘――エリーを、近くにいたローエン商会の息子――ジークが助けたことらしい。箱入りのお嬢さんだったエリーは、助けてくれたジークに白馬の王子様の如く一目惚れし、それはジークも同様であったらしい。若い二人は意気投合、とんとん拍子に恋人同士になったわけだ。
 そこまではいい。問題はそれからだった。
 犬猿の仲と言われる、コーラル酒造とローエン商会。
 エリーはコーラル酒造の長ヨザックの一人娘で、ジークはローエン商会の長の跡取り息子だ。どちらも、大事な大事な後継ぎである。この二人が恋人になるなど、誰がどう考えても許されるわけもない。
 エリーもジークも、お互いの家の事情はよくわかっていて、それでも恋を諦めることが出来なかった。なので、人目を隠れるようにして、ひっそりと交際を続けていたのだという。だが、そんな秘密がいつまでも持つわけもない。案の定、エリーに結婚の話が持ち上がったことで、二人は両親に打ち明けざるおえなくなった。
 二人の恋を知って、激怒したのは双方の父親だ。
 エリーの父は――
「お前はローエン商会のバカ息子に騙されてるんだ!エリー!フランクの奴めえええっ!」
 ジークの父は――
「お前はコーラル酒造のアホ娘にたぶらかされてるだけだ!ジーク!ヨザックの奴ううう!」
という風で、全く会話にならない。
 極めつけは、エリーが父親の決めた相手と無理やりに結婚させられそうになったことで、恋人たちも思い切った反撃に出た。即ち、駆け落ちをすると言い張って、二人でこの町を出て行こうとしたのである。だが――
「――結局は失敗してね。この有様さ」
 はああ、とアガタは疲れた顔で息を吐く。
 双方の父親を出し抜くには、エリーとジークは余りにも若く、世間知らずでもあった。駆け落ちをしてすぐに、二人はローエン商会の人間に捕まえられて、それぞれの家へと連れ戻された。しかし、若い恋人たちは恋は盲目ゆえかもしれないが、根性は人一倍あった。二人の結婚を認めてくれるまでという条件で、家出と脱走を繰り返しているのだ。何度も何度も。
 そして、今日もそういうことらしい。
 広場でアレクシスに掴みかかったヨザックや、そのヨザックを怒鳴っていたフランクが探していたのは、家出した娘や息子だったのだ。後ろにいた屈強な男たちは、コーラル酒造の身内や、ローエン商会の用心棒たちだろう。だから、あんなに殺気立っていたというわけだ。
「はああ……はた迷惑な話だなあ。ようするに、それが原因でコーラル酒造とローエン商会が協力しないから、ロズべリ―酒が市場に出回らないってわけ?馬鹿みたい」
 シアが呆れたように言う。
 どこの町でも、有力者が二人いれば争いになるのは良くあることなのだが、それに旅人まで巻き込むのは止めて欲しいものである。そのせいでゴミ箱にまで隠れることになったかと思うと、悪態の一つもつきたくなった。争うのは勝手だが、勘違いで屈強な男たちに追いかけまわされるのは、たまったものではない。
「確かに。困ったものだな。この騒動が落ち着くまで、ロズベリー酒は手に入らないということか……」
 アレクシスはそう言うと、落胆したように肩を落とす。
 落胆したのは、シアも同じだった。たかだか町の名物である酒を買うために、ここまで苦労するとは夢に思っていなかったのだ。
 ロズベリー酒を買ったら、さっさと王都に戻る予定だったのに、その計画はあっけなく崩れた。だからといって、まさかロセルまで来て手ぶらで帰ることも出来ない。そんなことでは、騎士であるアレクシスはもちろん、商人であるシアも女王陛下で顔向けできないではないか。何が何でも、ロズベリー酒を買って王都に帰るのだ!それしかない!
「まあまあ。アンタたち、とりあえず今日はウチに泊っていったらどうだい?この騒ぎじゃ、うかつに外にも出れないだろう」
 二人の落ちこみようを見かねたのか、アガタが慰めるように言う。
「有難いけど、リーブル商会の馬車を待たせてるし……」
 シアが遠慮がちに言う。
 正直、泊って行けというアガタの申し出は有難かったが、コーラル酒造の男たちからかくまってもらったうえに、そこまで世話になるのは気が引けた。だが、シアたちが外に出にくいのも事実だ。なにせ、ローエン商会の手下だと誤解されているのだ。コーラル酒造の連中に見つかったら、きっとタダではすまないだろう。
 そんなシアの心配を、アガタは豪快に笑い飛ばした。
「あははっ、子供が遠慮するもんじゃないよ。どうせ、この騒ぎじゃ外に出れないだろう?その馬車の御者さんには、あたしが伝えに言ってあげるよ。何だったら、この宿まで連れてくればいいよ」
「良いの?ありがとう!女将さん。このお礼は必ず!」
「お礼なんて良いさ。これは、ただの……」
 満面の笑みで礼を言うシアとは対照的に、アガタは寂しげな微笑みを浮かべた。失った過去を懐かしむように。
「――ただの罪滅ぼしだからね」
 呟くような声は、シアの耳には届かなかった。
『アガタ!フランクが遊びに行こうって!』
『ヨザックが野苺を採りに行こうって!アガタ!』 
 幼い頃、明るい笑顔でそう言った少年たちがいた。今はもう、遠い記憶だけれど……。
「じゃあ、客室の方に案内するよ。王都の住人には退屈な所だと思うけど、出来るだけのことはするつもりだから、くつろいどくれ」
 過去の懐かしい記憶を振り払って、アガタは出来るだけ明るい声で言った。
 どれほど懐かしく思おうとも、失った過去は戻らない。そのことは、この二十年で嫌というほど思い知らされてきた。
「そういえば……その二人はどうなったんだろうな?」
 二階の客室へ続く階段を上がりながら、アレクシスがふと思い出したように言う。
「その二人?誰のこと?」
「親たちから逃げているという……エリーとジークだったか?お互いの身内から追いかけまわされているのだろう。気の毒だな」
 首をかしげるシアに、アレクシスが同情のこもった口調で言う。
「まあね。でも、そのエリーの父親ってのも馬鹿だと思うけど。娘を無理やり結婚させようとするなんて、親のすることじゃないでしょ?」
 他人事ながら憤慨するシアに、アレクシスは否定するように首を横に振った。
「そう言うな。何か事情があったのかもしれない」
「だけどさあ……」
 なおも納得いかなそうに、シアはぶつぶつと呟く。そんな彼女に、アレクシスは過去の自分を重ねずにはいられない。
 (……まだ子供だな。だが、幸せなことだ)
 この世の中には、愛のない結婚など五万とある。貴族の結婚など昔から、本人たちの気持よりも、家の格や財産の方が遥かに意味がある。むしろ、一時の恋愛感情などに身を任せれば、社交界で物笑いの種にされるだけだろう。誇りを重んじる貴族たちは、何よりもそれを恐れる。それを乗り越えて、真実の愛を貫ける者など、この世の中ではそれほど多くはない。
 貴族が衰退した今では、もっと酷いこともいくらでもある。
 平民が政治の中心となって以来、多くの貴族は力を失い、没落の一途を辿った。中には商才を発揮し、貴族の出身であることを利用し、財を蓄える者もいたが、大半の貴族はそこまで有能ではなかった。没落した貴族たちは、さまざまな物を売ることで生活の糧を得た。美術品や土地や……自分の娘たちを。
 成り上がった平民。ありあまる富を手に入れた彼らが、次に欲したのは地位や名誉だった。だが、貴族の地位というのは、そう簡単に手に入るものではない。手っ取り早い手段が、婚姻だった。貴族の娘を妻とすることで、彼らは地位と名誉を手に入れることが出来る。
 それは、残酷な交換だった。新しき富と、古き血の。
「……」
 アレクシスの周りでも、そんな話は数えきれなかった。
 彼とそう年の変わらない貴族の令嬢たちが、多くの金と引き替えに売られていく。そう、まさに売られていったのだ。
 自分よりも、四十も年上の老人に嫁いだ者もいたという。生家の繁栄と引き換えに、愛する恋人と引き裂かれた娘もいるという。それが、現実なのだ。
 だが、アレクシスはそれをシアに教えたいとは思わない。現実を知らないというのは、ひどく不幸な反面、幸せなことでもあるからだ。かつての自分のように。
「――ええっと、この部屋と、その隣の部屋は自由に使っておくれ」
 二階にあがったシアたちに、客室とその隣の客室を指差して、アガタが言う。
「ありがとう。女将さん……え?」
 にこやかに礼を言うと、シアは客室の扉を開ける。そして、部屋の中をのぞいた瞬間、彼女の動きは止まった。同時に、部屋の中から聞き覚えのある悲鳴が上がる。
「きゃあっ!」
 その悲鳴に驚いたアガタとアレクシスが、部屋の中をのぞきこみ、驚きのあまり絶句した。
「どうしたんだ……」
 客室の中央では、抱き合うようにして震える、二人の男女。
 亜麻色の髪をした少女と、金髪の青年が怯えた顔でアガタたちを見つめ返した。
 その男女の顔に、アレクシスには見覚えがあった。忘れようと努力したって、容易に忘れられるものではない。先ほど、シアたちの目の前で悲鳴を上げて逃げ出した二人ではないか。名前は確か……。彼らの会話を思い出そうとしたアレクシスは、そこで違和感に気づいた。ああ、そうか。バラバラだったパズルのピースがはまるように、アレクシスは彼らの素性を悟った。
 シアたちが何か言おうとする前に、アガタが震える二人に声をかける。
「……どうして、こんなとこにいるんだい?エリー、ジーク?」
 責めるような声ではなかった。ただ驚いているような純粋な問いに、少女と青年はワッと泣き出す。
「かくまってくださいいいいっ!女将さああああんっ!」
「ちょっ、泣くんじゃないよ。二人とも」
 号泣する二人を、アガタは困惑顔で慰める。そんな三人の様子に、厄介事の気配をヒシヒシと感じて、シアとアレクシスは深いため息をついた。
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