女王の商人

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  古城と商人3-2  

「はぁ……ただいま」
 シアは王城から、どんよりと重苦しい空気をまとって帰宅する。
「あら、お帰りなさいませ。シアお嬢さま」
 そんな彼女を、リーブル商会の門の前で、せっせと掃き掃除をしていた若いメイドが出迎えた。
 黒髪のどことなく異国風の顔立ちをした娘――リタだ。
 リーブル商会には、他にも二人のメイドがいて、名をニーナとベリンダという。
 三人ともシアとそう年の変わらない若い娘たちであり、いつも三人が一緒に行動していることから、合わせてメイド三人娘と呼ばれるのが常だった。別にエルトたち三つ子のように、家族や親戚でも何でもない赤の他人なのだが、まぁウマが合うというやつなのだろう。
「リタ……」
 そのメイド三人娘の中でも、リーブル商会で働いている年数はリタがもっとも長く、シアにとっても使用人というよりも気心の知れた仲である。
 そんなリタだから、シアの複雑な心境に気づいたのかも知れない。
 いや、シアの背負った暗い空気を見れば、誰だって一目瞭然だったのかもしれないが。
 リタは軽く首をかしげると、お先まっ暗という表情をしたシアに問いかけた。
「どうかしたんですか?シアお嬢さま。顔色が悪いですけど?」
 シアお嬢さまが、こんなに落ちこんでいるのは珍しい。
 そんな風に思いつつ、リタは尋ねる。
 最初は体調が悪いのかとも思ったが、朝に会った時は何ともなかったのだから、出かけた先で何か嫌なことがあったと考えた方が妥当だろう。心配半分、興味半分の気持ちで、リタはシアの返事を待つ。
「……まぁ、色々とあって。別に体調が悪いわけじゃないから、心配しないで。リタ」
 歯切れ悪く、シアはうなずいた。
「じゃあ、お城で何か嫌なことでも?」
 リタがさらに問いつめると、シアはうっと呻いて、気まずそうに視線をそらす……正直な人だ。
「うっ……別に。なにもなかったよ」
 シアの性格上、意地でもロゼリアの悪魔公の城へ行くのが怖いなどと、素直に言えるはずもなかった。
 ここで弱音を吐くぐらいだったら、何で王城で女王陛下とアレクシスの前であんなに意地を張ったのか、その理由がなくなってしまう。
 幽霊も悪魔も大の苦手ではあるが、それを告白することはシアのプライドにかかわる。たとえ下らない見栄だとしても、いまさら本当のことを言う気にはなれない。
 不自然に言葉をにごすシアに、リタは「ははぁ……」と何かに納得したような口振りで言うと、シアがのけぞるような推測を告げた。
「ははぁ……あの素敵な騎士さまと喧嘩でもしましたか?シアお嬢さま」
 リタの言葉にシアは一瞬きょとんと目を丸くして、
「素敵な騎士さま……?って、アレクシスのこと?えええええっ!」
と、叫んだ。
「え?違うんですか?私はてっきり、それでシアお嬢さまの機嫌が悪いのかと……」
 本心からそう思っているらしいリタに、シアは冗談じゃない!という風に、ぶんぶんと首を横に振る。
「違うよ!別に、アレクシスと喧嘩したって落ちこまないし……素敵な騎士さま?アレクシスがぁ?」
 シアが否定的な声を上げる。
 リタがアレクシスのことを褒めたのが、納得いかないらしい。
 そんな彼女の反応に、リタはあら?と首をかしげると、不思議そうな顔をした。
「あら?シアお嬢さまは、そう思われないんですか?美形で凛々しくて、なおかつ剣の腕も立つなんて素敵な殿方じゃないですか……それに、いまどき騎士道を重んじる方なんて、貴重だと思いますわ!」
うっとりと夢見るように語るリタに、シアは理解できないという風に、うーむと唸る。いや、理解できないというよりも、理解したくないというのが本音だ。
「アレクシスの顔が良いのは認めるし、王剣ハイラインの嫡子なら、きっと剣の腕も立つんだろうと思うけどさ……リタの買い被りじゃないの?いまどき騎士道を重んじているって言えば聞こえが良いけど、単に頑固なだけじゃない?しかも、けっこう天然だし」
 出会ってから今までのことを思い出して言うシアに、リタは「そんなとこが良いんですわ!」と力強く断言する。
 シアには認め難いことながら、どうやら本気で言っているらしい。
「アレクシスがねぇ……」
 なおも納得いかないシアに、リタはさらに追い討ちをかける。
「ええ、シアお嬢さまは知らないでしょうけど、メイド仲間の間でもアレクシスさまは人気があるんですよ。私は、てっきりシアお嬢さまもそうなのかと……」
「違―――――うっ!大体、今の会話のどこに好意があったのよ?リタ」
「それは……ほら、嫌よ嫌よも好きのうちというか。ねぇ?シアお嬢さまも、そう思いませんか?」
「思わないわあああっ!なに?その期待に満ちた視線は!言っとくけど、今までもこれからも何もないからねっ!リタ」
「ほほほ……あっ」
 その時、リタのエプロンから、何か紙切れのようなものが落ちる。
 リタがかかんで紙を拾おうとするより先に、シアがそれを拾い上げた。
 それは親切心から出た行動だったのだが、その紙切れの端に書かれた自分の名前に、シアの目は釘付けになる。
 何だ。これは?
 首をかしげて、その紙切れを読もうとするシアに、リタの顔色が変わる。
「何これ?」
「あっ!それは……」
 リタの悲鳴にも関わらず、シアはその紙切れの内容を読み上げた。
「――えっと、シアお嬢さまに今年こそは恋人が出来るに……50レアンんん?」
 紙切れの中身を読み上げたシアは、無言かつ無表情でリタを見つめた。
「……」
「……」
「……リタ」
 シアに低い低い声で名を呼ばれたリタは一瞬びくっと身を震わせると、ひゅるるーと口笛を吹きつつ、わざとらしく掃き掃除をする真似をしながら、その場からそそくさと立ち去ろうとする。
「さっ、さあ!早く掃除を終わらせないと!まだまだ仕事が残ってるわ!ほほほ……」
 芝居がかった笑い声をあげつつ、逃げようとするリタの肩を、シアはぐわしっと掴んで引き留めた。
「逃がすかあああっ!よくも人を賭けのネタにしたわねええっ!っていうか、他の相手ならともかく、アレクシスだけは有り得ないわよっ!あたしの貴族嫌いはよく知ってるでしょ?リタ!」
「そこはそれ、恋のための障害は多い方が盛り上がるかと……私が」
「アホかあああっ!しかもしかも、賭けってことは……こんなんが複数いるってことなの?くっ!ニーナ、ベリンダ!隠れてないで、隠れてないで出てきなさいいいっ!」
 シアは形の良い眉を吊り上げると、ギラギラと瞳に危ない光を宿しながら「ニーナ!ベリンダ!」と、メイド三人娘の残り二人の名を呼んだ。
 賭けは一人では成り立たない。
 最低でも、二人は必要だ。最悪の場合、もっと大勢いることも考えられる。いや、リーブル商会の人間は皆、お祭り好きなのだ。こんなイベント事が、広まっていないことなど有り得ない。みんな跡取り娘を賭けのネタにすることなど、何とも思わないのだ。
 というよりも、リーブル商会という場所は、こーゆー悪ふざけほど良く流行る。
 むしろ、長であるクラフトと先代であるエドワードが率先して流行らせる……。
(くっ!絶対、父さんかじーさんが一口かんでるうううっ!)
 こんな悪ふざけに、じーさんや父さんが絡まないはずかない。
 それを想像して、ギリギリと歯ぎしりするシアの前に、メイド三人娘の残り二人が姿を表した。
「お呼びですか?シアお嬢さま」
 そうシアに尋ねたのは、ふわふわの金髪が可愛らしい若いメイド――ニーナだ。
 可愛らしい見た目とは裏腹に、実は食えない性格をしていることを、シアはよく知っている。
「あー、それバレちゃいましたか。シアお嬢さま」
 シアがぐしゃと握りつぶした紙切れを見て、そう呟いたのは亜麻色の髪をした優しげな若いメイド――ベリンダだ。
 優しそうな顔をして、実はそう甘くないことを、シアはよく知っている。
「ふふふ。今なら正直に答えれば、特別に許してあげる……この賭けの主催者はだぁれ?」
 はらわたが煮えくり返りそうな怒りを抑えて、シアはふふふと乾いた声で笑うと、メイド三人娘を問いつめた。
 リタ、ニーナ、ベリンダの三人は顔を見合わせると、ゆるゆると首を横に振る。
 やがて、三人を代表したようにリタが口を開いた。
「えー、主催者は明かせない決まりなんです。ただ……」
「ただ?」
「――最もたくさん賭けられたのは、旦那さまです」
 最もたくさん賭けられたのは、旦那さま。
 つまり、シアの父クラフト……。
 ぶちっとシアは自分の堪忍袋が、音を立てて切れた気がした。
「ふふふ……父さんめええええっ!」
 シアは拳をぶるぶると震わせて、絶叫する。
 その瞬間だった。
 今にも暴れ出しそうな彼女の背後から、穏やかな声が響いたのは。
「やぁ!いつ来ても、ここは賑やかだなぁ」
 振り向いたシアの目に映ったのは、穏やかに微笑んだ男性だった。
 黒髪に、青みがかった灰色の瞳をした優しそうな人だ。
 年齢はシアの父と大体、同じくらいだろう。
「あっ!」
 シアは驚いたような声を上げると、その男の顔を確認した途端、ぱああっと花のような笑顔を見せる。
「オスカーおじさまっ!」
 そうして、彼女は笑顔でその男――オスカーに、駆け寄ったのである。
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