女王の商人

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  古城と商人3-6  

「あー、やっと着いた……ここが、ロゼリアかぁ」
 馬車から降りたシアが、んーと腕を伸ばしながら言う。
 オスカーと別れた翌朝、リーブル商会の馬車はロゼリアに到着した。
 片道だけでも二十日もかかった長い長い馬車の旅に、シアは「ハァ。疲れた―」とうめき声をあげながら、ぐるぐると凝った肩を回す。商人として、同じ年頃の少女達よりは旅に慣れているシアだが、やはり疲労は隠せない。
 帰りも同じ状況だと思うと、ちょっとウンザリする……。
 一方、アレクシスの方はといえば疲れも見せず、涼しい顔だ。
 別に、旅に慣れているというわけでもないが、ハイライン家の領地から王都ベルカルンにやってきた時は、これよりも長い旅だった。
 何より、普段から剣の鍛錬を怠らない騎士と、帳簿や契約書に埋もれている商人では体力が違う。
 そんなわけで、グッタリしているシアとは対照的に、アレクシスは周囲の風景を見回す余裕さえあった。……鈍いのか何なのか、シアの恨めしげな視線には、彼は全く気づいていないようだ。
「ここが、ロゼリアか……思ったより小さな村だな」
 アレクシスが、やや意外そうに呟く。
 ちょっと拍子抜け、と言った感じだ。
 そう、彼の目に映ったロゼリアは実に平和そうな雰囲気の、牧歌的な村だった。
 豊かな緑に、小川のせせらぎ。
 木の上では、ピチュンピチュンと小鳥が愛らしくさえずり、農家からはモーモーという牛の鳴き声が聞こえる。
 その横ではキャベツやらニンジンやらの植えられた畑に、やわらかな木漏れ日が差していて、まるで絵に描いたような平和な風景だった。いかにも自然が豊かな田舎の農村といった感じだ。
 その穏やかな風景を見ていると、巨万の富と引き替えに、何の罪もない村人たちを、悪魔の生贄に捧げたというロゼリアの領主の忌まわしい伝承など、根も葉もない嘘などではないかと思えてくる。その思いはアレクシスだけでなく、シアも同様のようだった。
「平和そうな村だね……昔、ここで戦争があったっていうのが、信じられないくらい」
 シアも拍子抜けといった顔つきで、アレクシスの言葉を認める。
 平和そうな農村。
 ロゼリアの地の印象を一言で表せば、まさにそれだ。
 かつて、アルゼンタール王国と隣国リュシリアとの間に起こった三十年もの長き戦争――通称・百合戦争とも呼ばれるそれ。
 その戦争の際には、このロゼリアの地も戦場となっており、この大地も騎士や兵隊たちの血で赤く染まったのだという。
 アレクシスのご先祖――何代か前のハイライン伯爵も騎士団長として参戦したという百合戦争は、血を血で洗うというほど凄惨なものであったと記録にあったが、今のロゼリアを見ていると全てが夢のようだ。
 その平和を絵に描いたような風景からは、ロゼリアの悪魔公の話も、かつての戦場という事実もシアには遠いことのように思える。
「確かに……女王陛下からお聞きしたロゼリアの印象とは、ずいぶんと違うな。ロゼリアの悪魔公か……まぁ、伝承や怪談の類は大げさに誇張されているものだとは思うが、古城がどうなのか気になるな」
 アレクシスが腕組みしながら、淡々と言う。
 金銀財宝。あまたの富と引き替えに、村人の命を次々と悪魔に捧げたという、ロゼリアの領主の伝承。
 ――無邪気な少女の命を捧げ、大粒の真珠を手に入れた。
 働き者の農夫の血と引き替えに、一生かかっても使い切れないほどの黄金を。
 生まれたばかりの赤子と引き替えに――
 己の身勝手な欲望ゆえに、残虐の限りを尽くしたというロゼリアの悪魔公。
 だが、その忌まわしい伝承のことを、アレクシスは余り本気にしてはいなかった。
 確かに、かつてロゼリアの地を治めていたという領主は酷く残虐な男だったかもしれないが、それが悪魔の契約だからというのは彼には信じ難い。領主の残虐さを憂いだロゼリアの民達が、もっともらしい作り話を広めたという方が、よっぽど有り得そうな話だ。
 そう考えると、ロゼリアの古城というのは悪魔やら亡霊の住処でも何でもなく、ただの廃墟に過ぎないのでは?
 仕事の相棒であるシアにも相談をしようと、アレクシス顔を上げて呼びかけた。
「俺は思うんだが、シア……聞いているのか?」
 先ほどから虚ろな目をしているシアに、アレクシスは怪訝な顔をする。
「き、き、き、聞いてるわっ!ロゼリアの悪魔公がどうしたってぇ?」
 裏返った声で言うシアの顔は、心なしか青ざめていて、青い瞳は生気がなく虚ろだ。
 そんな彼女の様子に、アレクシスはまさかと思いつつ尋ねる。
「……まさか悪魔公の城に行くのが、そんなに怖いのか?シア」
 アレクシスは意外そうに言う。
 ロゼリアの悪魔公。
 残虐でおぞましい伝承の残る古城には、怪物に成り果てた領主や、彼に殺された領民たちの亡霊がいるという噂さえある。
 そのような不気味な場所に、シアのような年頃の娘が近づきたがらないのは、普通に考えて無理もないことだ。騎士として修練を積んだアレクシスでさえ、決して好んで行きたい場所ではないのだから、若い娘なら尚更そうだろう。
 だが、それにしても、シアの怯え様は露骨だった。どうやら、よっぽど幽霊や怪奇の類が苦手らしい。
「そ、そんなわけないでしょーがっ!悪魔公だか亡霊だか何だか知らないけど、まったく怖くないわっ!……って、その目は何よ?アレクシス!信じてないわね?」
 シアはわざと胸を張ると、精一杯の虚勢で、怖くない!と断言した。
 自分でも不自然だとは思うが、意地っ張りと評される性格が災いして、素直に弱音を吐くことなど出来ない。
 ましてや、天敵とも言える貴族――アレクシスの前では、意地でも怖いなどとは言いたくなかった。だが、いかにアレクシスが無骨というか察しの悪い性格だとしても、さすがに誤魔化されてはくれない。ハァとため息まじりに、呆れたような視線を彼から向けられて、シアは「うぐっ……」と気まずそうに呻く。
「別に幽霊が怖いと言っても、馬鹿にしたりはしないぞ」
 呆れ半分、同情半分の眼差しを向けてくるアレクシスに、シアは地団駄を踏む。
 別に馬鹿にされているとは思わないが、これは自分のプライドの問題で、同情されたいわけではない。
「うぎー、哀れまないでよっ!余計ミジメになるでしょーがっ!怖くないからね、ホントっ!」
「まぁ、そういうことにしたいなら、俺は構わないが……」
「違うううう!何?その子供のワガママに付き合ってやるか的な大人な態度はっ!」
「……そのままだが」
「うぐ……とにかく、銀貨の商人が幽霊なんか怖がらないからねっ!……それより、さっさと古城に行くわよ!」
 シアは話題を逸らそうとするように、アレクシスに背を向けると、さっさと村の方へと歩き出す。
 アレクシスはやれやれと肩をすくめつつも、遠ざかる彼女の背を追いかけようと一歩、足を踏み出した――その瞬間。
『あははははははは!』
 どこからか、狂ったような笑い声が聞こえた気がして、アレクシスは歩みを止めた。
 酷く耳障りで、不吉な笑い声が。
『血を、富を、生贄を――』
 それがわけもなく恐怖をかきたて、アレクシスは顔を険しくする。
 頬を撫でる生暖かい風までもが、いささか不快なものに思えた。なんとなく嫌な雰囲気だ。
『――ロゼリアの土地には、気をつけろ』
 オスカーが去り際に残した言葉が頭をよぎり、アレクシスは急に灰色に曇り始めた空を仰いだ。
 嫌な予感を振り払おうとするように、腰に差した剣に触れる。
 ――王剣ハイラインの騎士として、必要な時にこそ剣を抜くことを覚えよ。
 アレクシスは幼い時に、父からそう教えられた。
 誇り高くあれ、礼節を重んじろ、と美麗字句を並べたところで、騎士と本来の性質である戦士の性を消すことなど出来はしない。
 戦場を駆け、敵を亡き者とする――それも、また騎士の本質だ。
 かつて、このロゼリアの地で隣国の兵と戦った先祖のように、アレクシスも必要とあらば剣を抜くことをためらわないだろう。ただ、平和な時代に生まれたアレクシスに、平穏を望む想いがあるのも事実だ。
『――戦場にて、王の為に戦え。それこそ、聖剣オルバートの主、王剣ハイラインの運命なり』
 父の教えを忘れたわけではない。ただ――
「……何も起こらなければ良いが」
 危険なことがなければいい、と。
 早足で前を歩く銀髪の少女の背を見つめ、アレクシスはそう呟いたのだった。

 村に入ったシアとアレクシスがまずしたことは、今晩、泊まる宿屋を探すことだった。
 ロゼリアの古城の様子を見に行くという、女王陛下の任務。
 それを早く行うことはもちろん大事だが、まずは今晩の宿を確保しておかねば、安心して古城に向かうことも出来ない。それに、宿屋で悪魔公の古城の様子を聞いておきたいという希望もあった。
 それはシアもアレクシスも同じ思いだったので、彼らは村の中で、清潔そうな一軒の宿屋を選ぶ。
「こんにちは!」
 シアが声をかけながら扉を開けて宿屋に入ると、奥の方から体格の良い中年の男性が出てきて、シアとアレクシスを出迎えた。
「いらっしゃいませ!お泊まりのお客さんですかな?こんな田舎まで、ようこそいらっしゃいました」
 そう朗らかに挨拶をして、シアたちを出迎えたのは、まるで熊のような体格の大男だった。
 長身のアレクシスよりも、さらに頭一つ分は高い身長と、がっしりと鍛えられた体格。
 宿屋の経営者というよりは、諸国を回る傭兵といった方が、よほど相応しい外見の持ち主だ。
 その厳つい体躯と、黒いヒゲで覆われた顔の組み合わせは、気の弱い者なら怯えるかもしれない。だが、さすが商売人らしく、にこにことした目元や唇からは熊のような体格に似合わぬ愛嬌を感じる。
 見た目はともかく、この男性が宿屋の主人だろうと思ったシアは、うなずいて前に出た。
「ええ。今晩、泊まりたいんですが……部屋は、二つ!別々で!あ、もし出来れば今、昼食もお願いしたいんですけど」
 昼食がまだだったことを思い出して、シアは付け加える。
「はい。お部屋は二つですね。昼食は簡単なものなら、今すぐに……あ、私はこの宿を経営しております、ラルクスと申します」
 ラルクス。
 そう名乗った宿屋の主は、真面目そうで仕事にもソツがなく、良い宿屋を選んだとシアは満足した。
「いただきまーす!」
 それが正しかったことは、宿屋の主人――ラルクスが昼食を出してきた時に、証明された。
「美味しいっ!」
 ホカホカと湯気の立つスープを、スプーンで一口。
 シアは幸せそうに笑う。
 とろりとしたスープの中には、ニンジンやジャガイモなどがたっぷりと入っていて、まろやかで美味しい。一緒に出てきた蜂蜜が入ったパンも絶品だ。
「ありがとうございます。よろしければ、名物の薬草茶をどうぞ。サービスです……ところで、お客さんたちは商人ですよね。どちらから、いらっしゃったんですか?」
 薬草茶を出したラルクスが、シアの胸で揺れる銀貨に目をとめて尋ねた。
「王都ベルカルンから……あっ」
 シアは答えながら、薬草茶のカップに手を伸ばそうとする。
 だが、その寸前でカップはアレクシスにかすめ取られる。
 彼の奇妙な行動に、シアは眉をひそめたが、怒るのも大人げないかと黙っていた。
「……ご主人」
 アレクシスの呼びかけに、ラルクスが振り返った。
「はい。何でしょうか?」
「少し教えていただきたいことがあるのだが……」
「はぁ。私でわかることでしたら」
 アレクシスの真剣な口調に戸惑いつつも、ラルクスはうなずく。
「――悪魔公の城は何処にある?」
 ロゼリアの領主の城はどこ。
 アレクシスの問いに、ラルクスは顔をひきつらせた。
「……ま、まさかお客さんたち、悪魔公の城に行かれるつもりですか?悪いことは言わないから、やめたほうがいい!あの古城は亡霊が出ると噂で、地元の人間ですら近寄らないような場所ですよ!」
 ラルクスは怯えたように身を震わせつつ、悲鳴のような声を上げる。
「危険は承知のうえだ。それでも、どうしても悪魔公の城に、行かねばならない理由がある。それと……」
 そう言ってアレクシスは首を横に振ると、
「――出来るならば、悪魔公の城の近くまで、道案内をお願いしたいのだが。ご主人?」
と、ラルクスに頼んだ。
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