女王の商人

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  古城と商人3-8  

「隠し通路……」
 床にあいた大きな穴。
 それは隠された地下に繋がる階段であり、ここを降りれば何かがあるのではないかと、予感させるものだった。
 シアは膝をつくと、ランタンで地下に繋がる階段を照らして、下がどんな場所かを確認しようとした。だが、その隠された階段は予想以上に深くて、のぞきこもうにも底が見えない。
 結局のところ、この階段の行き着くところを確認するには、危険を承知で降りるしかなさそうだった。
「どうする?何か嫌な予感しかしないけど、階段を降りてみる?」
 シアは苦い顔をして、アレクシスに尋ねた。
 この不気味な城といい、先ほどの血痕といい、この隠し通路も何となく不気味な雰囲気だ。
 そもそも、わざわざ隠し通路などという大がかりな仕掛けを作ったからには、それなりの理由があったはず。
 この階段を降りた先には、いったい何があるのだろうか?
「とりあえず、降りるしかないだろう。地下に何があるのかわからないが、隠すだけのものではあるんだろうな」
 アレクシスの言葉に、シアは確かに、と相づちを打った。
「たしかに……わざわざ地下室なんてもんを作るなんて、見つかったらマズいもんでも、この下に隠してるのかもね」
「ああ。とにかく降りてみる必要がありそうだな……っ!」
 地下に続く階段をのぞきこんでいたアレクシスが、ふいに弾かれたように顔を上げた。
 その唐突な行動に、シアは眉を寄せる。
「どうかした?アレクシス」
「いや……何でもない」
 アレクシスはじっと柱の陰のあたりを睨んでいたが、やがて気のせいだったという風に、首を横に振った。
「……よし」
 シアは深呼吸をすると、覚悟を決めて地下へと続く階段を降り始めた。
 どこまで続くのか、先が見えない真っ暗な階段。長い長いそれは、もしかしたら終わりなどなく永遠に階段が続くのでないかなどと、そんな幻想すら抱かせる。
 シアとアレクシスは、ランタンの灯りだけを頼りにして、ゆっくりとゆっくりと慎重に階段を降りた。
 長い長い地下に続く階段。
 その永遠に続くかのようなそれも、永遠ではない証拠に、いつかは終わる。真っ暗な闇の中、ひどく神経を使った階段を降り終えて、平たい地面に足をつけたシアはホッと安堵の息を吐いた。
「は―、やっと階段が終わった……ここどこ?」
 シアは慣れない暗闇に瞳を瞬かせながら、ランタンの光で周囲を照らし出す。
 地下へと繋がる階段。
 人の目から隠されていた秘密の通路。
 その先にあったのは、小さな地下室だった。
 一体なんのための部屋だ?
 シアは首をひねりつつ、ランタンを手に持ちときおり転びそうになりながら、その地下室の中を歩き回った。地下なので、暗い。ランタンの灯りがなければ、お互いの顔さえ見ることが出来ないだろう。
 暗闇の中を恐る恐る歩いていたシアの靴に、コツンッと何かが当たった。
「……ん?」
 何かを踏んだ感触に、シアはランタンのオレンジ色の灯りを下げて、足元を照らした。
 そこにあったのは、白い……しゃれこうべ……しゃれこうべ?……骸骨うううううっ!
「うわっ!骸骨う?」
 シアが思わず後ずさりながら、悲鳴を上げる。
 石畳の上に置かれていたのは、人間の頭蓋骨だった。
 混乱しつつも、周囲をよく見回せば、あちらこちらに白い骨のようなものも散らばっているようだった。
 おそらくはあの骨も、獣ではなく人間のもの。よく見れば、石造りの壁にも血痕のような赤茶けた汚れがある……。ランタンで周囲を照らすうちに、床の頭蓋骨と目が合ったような気がして、シアは「ひっ……」と怯えた声をもらす。
 先ほどの血痕といい、この隠し通路といい、地面に散らばる人骨といいこの古城は何か変だ。シアはそう確信する。
 ロゼリアの悪魔公の伝承、亡霊が出るという噂。どれも不気味なものではあったが半面、どれもただの噂に過ぎないのではないかと、タカをくくっていた。
 しかし、この隠された地下室と、床に散らばる人骨は彼女に恐怖を抱かせるのに十分なものだった。これは、この場所は何なんだ……。
 ランタンを持つ手をかすかに震えさせながら、シアは呻く。
「何よ……何なのよ……この部屋はっ!」
 そんなシアの必死な叫びに、アレクシスは手に持ったランタンで一点を照らし出すと、静かな声で答えた。
「――おそらく、元は地下牢だっただろうな。罪人を閉じこめておくための……あれを見てみろ」
 そう言いながら、アレクシスは地下室の壁の方を指差した。
「鉄格子……ここは地下牢だったのか」
 ランタンの灯りで、鉄格子を確認したシアは、ひっ!と息を飲む。
 地下の牢屋。
 シアも目にするのは初めてだが、商人仲間から教えられて、その存在自体は知っていた。
 古くからある城の中には、罪人を閉じこめておくための牢屋が存在するのだと。
 そこでは兵士の手による拷問やら、場合によっては死ぬまで牢屋に閉じこめられた実例もあったらしい。特に地下牢の場合は、湿気と日光の不足でお世辞にも衛生的とは言えず、病やら拷問の傷やらで死ぬ罪人も珍しくなかったという。床に散らばっている人骨も、その一人なのかもしれなかった。
「ああ、元はな……だが、それだけではなさそうだ。この床は」
 アレクシスはうなづくと、険しい顔をしつつ、灯りで己の足元を照らした。
「床?……うわっ……何これえ!」
 シアは首をかしげて、アレクシスの足元を見る。
 同時に、「うわあっ!」と悲鳴をあげた。
 アレクシスの足元の辺り、床一面にびっしりと描かれた文字や模様。
 魔法陣というやつだろうか?
 書物の中でしか見たことのないようなそれが、その場に実在していた。
 シアは顔をしかめながらも、恐る恐る地面に膝をつき、魔法陣を凝視した。よく見れば、部屋の半分くらいまで広がった文字と模様。どうやら複雑な法則をもっているらしい魔法陣は、知識のないシアでは残念なことに、意味を理解することは叶わない。
 ただ不気味だった。
「何かわかったか?シア」
「無理。全く意味がわかんない」
 アレクシスの問いに、シアは頭を抱えて首を横に振る。
「そうか……隅の方に、こんな書物が転がっていたんだが。シア、読めるか?」
 そう言ってアレクシスは、数冊の書物をシアへと手渡す。
 羊皮紙で書かれたそれらの書物は、かなり古いものらしく、黄ばんで痛んでいるようだった。
「何の本だろう……うっ……これは、この本は……」
 最初は何気なくページをめくっていたシアだったが、読み進めるにつれて顔色を変えていく。
「どうした?その本がどうかしたのか?」
 彼女の狼狽ぶりに嫌な予感を感じつつも、アレクシスはそう尋ねた。
「イル・デ・カラートの写本……異端審問の最盛期に、全てが焚書にされたはずなのに、こんな場所にあるなんて……」
 信じられないと、シアが呆然とした様子で呟く。
「イル・デ・カラートの写本?何だ?それは。俺の目には普通の本に見えるが……」
 アレクシスが首をかしげた。
 イル・デ・カラートの写本?
 異端審問。
 焚書にされたはずの本と言われても、アレクシスの目には、いたって普通の古い本にしか見えない。何がそれほど驚きなのか。
 シアはしげしげと本を見つめ、落ち着こうという風にハァと息を吐くと、その理由を語り出した。
「――イル・デ・カラートの写本。通称・悪魔の書とも呼ばれる。隣国リュシリアで発祥したという、悪魔信仰よ……何でも、人間の血や肉、生贄と引き換えに悪魔を召還して、願いを叶えてもらうらしいわ」
「そんな馬鹿な……」
 アレクシスが不愉快そうに、顔を歪めた。
 他人を犠牲にしてまで願いを叶えたいとは、なんたる強欲なんたる外道、反吐が出そうだ。
「ま、あたしもそう思うけど、そう思わない奴もいたらしいわね。頭に蛆虫のわいた権力者とか、腐った奴はどの時代にもいるもの……とにかく、三百年くらい前に隣国リュシリアで、異端審問が行われた結果、その残酷さゆえに邪教と呼ばれたイル・デ・カラートの写本は全て焚書……数十冊の本は燃やし尽くしたっていうけど」
 まさか、最後の一冊がこんなところに残っていたとは。
 そのイル・デ・カラートの写本を抱えながら、いまだ信じられないといった口調で、シアは呟いた。
 全てが焚書で燃やされた今、おそらく世の中に実在する最後の一冊。幻の本。マニアならば、喉から手か出るほど欲しいものに違いない。
 (ああ、欲しい!持って帰りたいなぁ。きっと、良い値段で売れるのにぃ!)
 その金額を想像して、シアはじゅるり、とヨダレをたらしそうになった。
 白骨の散らばる地下牢にいながら、脳内でちゃりんちゃりんと金貨やら銀貨を数えられるあたり、なんと言うか救いようのない商人バカである。
「なるほど。イル・デ・カラートの写本か……それで、あとの数冊は何なんだ?」
 アレクシスの質問に、シアは残りの書物にも目を向けた。
 どれも同じ時代のかなり古いものらしく、容易に読むことが出来ない。
 黄ばんだりシミになったり紙の状態が良くないだけでなく、中にはかなり悪筆なものもあり解読は難しそうだ。
 シアは次々とアレクシスから本を受け取るが、その大半が読むことが出来ないものだった。
 だが、やがて一冊の書物に目をとめる。
「んー。この本は読めない。これも駄目……これは、本じゃなくて日記みたい」
「日記?誰のだ?」
「……ロゼリアの領主のだね」
「ロゼリアの領主っ!悪魔公のかっ!」
「あんまり読めないけど、多分そう……」
 黄ばんだ羊皮紙の日記をめくりながら、シアはうなづく。
 パラパラと流し読みしていたシアだが、あるページで手が止まった。
「うぎゃっ!」
「どうした?」
「血っ!このページ、真っ赤なんだけど……」
 日記の最後のページを指差して、シアは震えながら言う。
 そのページは半分以上が、べったりと血に染まっていた。
 長い年月が流れ、血は乾いているとはいえ不気味さには代わりがない。
「……」
 ページを見つめ黙りこむシアに、アレクシスが提案する。
「――いったん外に出るか?あんまり遅くなると、宿の主人にも心配をかけるかもしれん」
 そんなアレクシスの提案に、シアは待ってましたと飛びついた。
 こんな気味の悪い場所に、いつまでも居たいわけがない。
「そ、そうね。ずいぶん長く居たから、ラルクスも心配してるかもしれないもんね!」
 この古城の入り口まで案内してくれた宿屋の主人――ラルクス。
 熊のような立派な図体のわりに、亡霊の噂に怯えていた彼だ。きっと、シアたちの身を案じてくれていることだろう。
「では、戻るか」
 アレクシスは石畳の上に置いていたランタンを持ち上げると、地上に繋がる階段を、さっきとは逆に上りだした。
 長い。長い階段。
 それでも、ようやく終わりが見えてきた――その瞬間。
 アレクシスがいきなり体を強ばらせて、さっと剣を抜き放つと、シアに向かって叫んだ。
「――伏せろ!シアっ!」
 叫ぶと同時に、彼女の頭を押さえつける。
 その瞬間、ヒュンッ、とシアの頭上を風が走った。
 呆然とする彼女の瞳に、刃物の銀色の鋭い軌跡が映った。
 斧だ、とシアの口から、間の抜けた声がもれる。
 その瞬間にアレクシスに向かって、凄まじい速度で斧が振り降ろされた!
 キィィィン、と金属が交わる鈍い音。
 アレクシスは斧を剣で受け流すと、暗闇に向かって鋭く叫んだ。
「――何者だ!名を名乗れ!」
 アレクシスの問いかけに答えたわけでもなかろうが、隠し通路から飛び出した彼らの前に、ソイツらは姿を表した。
「……」
 無言で現れたのは、一、二、三……四人。
 顔を不気味な白い仮面でおおっており、黒い魔術師のローブのようなもの身につけている。暗闇に黒尽くめの服装の中で、仮面の白だけが鮮やかだった。
 ソイツらの手には、それぞれ斧やら剣やら武器が握られている。
 男なのか女なのか、それすらもハッキリしないが、生きて悪魔公の城から出さないという殺意を感じた。
「名乗らないか……それも、よかろう」
 アレクシスは狼狽も見せず、静かな口調で言った。
 敵が四人。
 しかも、仲間であるシアは武器すら持っていないという状況にも、アレクシスは臆した様子はない。
 かつて、王と共に戦場を駆けたご先祖のように、堂々と剣を構える。
「――王剣ハイライン。その名が飾りでないことを、教えてやろう」
 それが、戦いの合図だった
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