女王の商人

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  古城と商人3-9  

「――王剣ハイライン。その名が飾りでないことを、教えてやろう」
 それが、敵味方双方にとって戦いの合図であったように、ガキィィィン、と剣戟の音が響き渡る。
 顔を不気味な白い仮面でおおった四人の敵は、それぞれ斧や剣やらを振り上げ、アレクシスに襲いかかった!
「……っ!」
 振りおろされた斧を避け、剣を受け止めたアレクシスの顔が、苦痛に歪む。
 敵が四人。
 多勢に無勢。
 いかにアレクシスが王剣と呼ばれる騎士であろうとも、決して楽な戦いではない。だが、アレクシスの表情には、追いつめられた者の悲壮感はなかった。
 再び、斧がアレクシスの頭上めがけて、凄まじい速度で振りおろされる!
 とっさに左に飛んで避けたアレクシスの耳元に、ヒュンッ、と風を切る音。銀色の刃。
 もし、今、一瞬でも判断が遅れたならば、アレクシスの頭は無惨にかち割られていたことだろう。
「――はあっ!」
 しかし、アレクシスは怯むことなく、気合いの声を上げると仮面の敵に切りかかった。
 キィィン! 鋼が交わり、火花が散る。
 アレクシスは仮面の敵の一人と剣を合わせると、二度、三度、と打ち合う。
 キィィィン!アレクシスは 激しく切りかかると、相手の剣を弾き飛ばして、仮面の敵に膝をつかせた。
 (……まずは、一人)
 倒れた敵には目もくれず、アレクシスはその隣の剣を構えた敵に、疾風の如く切りかかった。
 仮面の敵はいささか怯んだ様子で、それでも何とか、アレクシスと剣を合わせる。
 キィィン!キィィン!銀の刃が踊り、鋼の軌跡を描く。
 その戦いは、二度、刃が交わった瞬間に呆気なく決着がついた。
 アレクシスの剣が、仮面をかぶった敵の右肩を浅く切り裂き、真っ赤な血が噴き出す。肩を切られた仮面の敵は、「……うがぁ!」と苦痛の叫びを上げて、手にしていた剣を床に落とした。
「ぐおおおっ!」
 獣のような呻き。
 苦痛の叫びを上げながら、切られた仮面の敵は肩を押さえて、のたうち回る。だらだらと流れる赤い血が、灰色の石畳を汚した。
 真っ赤な鮮血。
 獣の呻き。
 悲痛な泣き声。
 (……二人は倒した。あと二人か)
 アレクシスはそれを横目で見ると、前方に立ちふさがる大きな影に向かって、スッと剣を構える。
「――次はお前だ。覚悟はいいか?」
 アレクシスがそう言って剣を向けたのは、虚ろな白い仮面をつけて、斧を構えた敵だった。
 がっしりとした体躯。
 その巨体に見合わぬ素早い動きで、先ほどから斧を振り回している。
 (こいつが一番の強敵だな)
 アレクシスとシアを襲った謎の四人組。
 不気味な白い仮面をかぶり、魔術師のような黒いローブをまとった連中。
 それぞれに剣やら斧やら武器を持っていたが、中でもコイツが一番の強敵だろうと、アレクシスは斧を持った敵を睨みつける。
 四人の敵の中では、もっとも体格が良く騎士か傭兵のようだ。
 その立派な体格が見かけ倒しでないことは、斧を振るう姿を見れば、すぐに知れた。アレクシスの目から見て、この場で戦士と言える格に達しているのは、自分と斧を構えたコイツだけ。重い斧を軽々と、己の体の一部のように使いこなす腕前は、他の三人とは違い何年もの修練を積んだものだ。アレクシスと同じように。
 ――剣を合わせれば、相手の力量がわかる。
 幼い頃アレクシスにそう教えたのは、彼の父・カーティスだったが、彼は今その言葉の正しさを実感していた。
 相手は強い。
 だが、王剣ハイラインが怯むわけにはいない。王剣ハイライン。聖剣オルバートの主。それは、騎士の中の騎士なのだから。
「――来ないのか?ならば、こちらから行かせてもらうぞ」
 その言葉と共に、アレクシスが踏みこもうとした瞬間だった。彼の耳に高い悲鳴が響いたのは。
「離せ!離せっ!離せ――っ!」
 反射的に振り返ったアレクシスの目に映ったのは、仮面をかぶった連中の一人に、羽交い締めにされるシアの姿だった。
「シアっ!」
 動揺したアレクシスが、シアの名を呼ぶ。
 迂闊だった。
 羽交い締めにされて、首筋に剣を突きつけられたシアの姿に、彼はギリッと唇を噛みしめる。
 迂闊だった。自分の戦いにかまけていて、人質をとられるなんて。シアは少女で商人なのだ。まともに戦えるわけがない。騎士である自分が、この少女を守らなければいけなかったのに。
 アレクシスが後悔した瞬間。
 仮面の敵に羽交い締めにされついたシアが、顔色を変えて、アレクシスの後ろを指差して叫ぶ。
「アレクシス――っ!後ろっ!後ろっ!」
 シアが絶叫したのと、アレクシスに向かって敵の斧が振りおろされたのは、ほぼ同時だった。
「……くっ!」
 アレクシスは迫り来る斧に、とっさに体をひねって避ける。
 致命傷は回避したものの、振りおろされた斧はアレクシスの右腕をかすり、薄皮を切り裂いた。
 かすっただけとはいえ、服の袖は裂けて、じわりと血が滲んだ。
「アレクシス――っ!」
 自分が羽交い締めにされて、喉に剣を突きつけられていることも一瞬だけ忘れて、シアは叫ぶ。
「……平気だ。大した傷じゃない」
 痛みに顔を歪めつつも、アレクシスは毅然と答えた。
 騎士たる自分は、痛みには慣れている。
 それよりも、人質にされて喉に剣を突きつけられたシアの身が、アレクシスは心配だった。
「――黙れ。静かにしろ」
 シアを羽交い締めにして、その細い首筋に剣を突きつけた敵は、仮面の奥からくぐもった声で言う。その脅迫に、シアの眉がつり上がった。
「黙れぇ?人質をとるなんて卑怯な真似してて、よく人に命令できるもんね!笑わせないでよ。あたしは剣なんか、全く怖くないわ!あたしが、怖いのは幽霊ぐらいのもんよ。だから……」
 剣を突きつける仮面の敵に、シアは怯えの欠片も見せず言い切ると、にっこりと花のように微笑んだ。そして、
「――商人を、甘くみるな!」
そう叫ぶなり、己を羽交い締めにしていた敵の腕に、がぶりっ、と噛みついた。思いっきり、歯を立てて。
「ぐぉぉ!」
 敵が悲鳴を上げて、羽交い締めにしていた腕が緩んだ瞬間を見逃さずに、シアは敵の腕の中から逃げ出す。
 同時に、石畳に落ちていたランタンを拾い上げると、アレクシスに向かって斧を振りあげる仮面の敵に投げつける。
「――刃物が怖くて、商人が出来るかぁ!」
 シアがそう叫んだのと、敵が避けたランタンが石畳に落下して、ガシャアアアン、と鈍い音をさせて割れたのは同時だった。
「いったん退くぞ!シア!」
 仮面の敵たちが怯んだ一瞬を見逃さず、アレクシスは床に置かれた敵のランタンを奪うと、シアの手をひいて全力で駆けだす。
「わかった!」
 アレクシスの右腕をつたう血に、シアも堅い表情をしつつ、彼の後に続いて駆けだしたのだった。

「ハァ……ハァ……何とか逃げ切ったぁ」
 悪魔公の城から飛び出して、シアは荒い息を吐く。
 命からがら悪魔公の城から脱出したシアとアレクシスは、いったんロゼリアの村へと戻り、木の陰で休んでいた。
 ハァハァと荒い息を吐くシアの横では、アレクシスが厳しい顔つきで、切られた腕の手当てをしていた。ハイライン伯爵家に伝わる傷薬を塗って、包帯を巻く。
 そんなアレクシスに、シアは心配そうな顔をして、おずおずと尋ねた。
「腕は痛い?アレクシス」
 シアの問いかけに、アレクシスは首を横に振った。
「別に。軽くかすっだけだ。怪我というほどじゃない」
 それは、彼の本心だった。
 騎士の家系に生まれたからには、この程度の傷は日常茶飯事だ。ハイライン伯爵家の先祖には、戦場で片腕を失っても、王と共に戦い続けた騎士もいたという。それを考えれば、この程度は怪我のうちに入らない。
「ごめんなさい。あたしのせいだ……あたしが人質なんかになったから、アレクシスが怪我をした……」
 シアが青い瞳に涙を浮かべて、アレクシスに謝る。
 (……悔しい)
 シアは悔しかった。
 己が商人であることを恥じたことはないし、むしろ揺るぎない誇りすら抱いている。
 でも、戦う力がないからといって、こんな風に守られているのは嫌だった。自分のせいで、誰かが傷を負うなんて、シアには耐えられない。
「……シア?」
 いきなりのシアの謝罪に、アレクシスは目を見開く。
「――戦えなくて、ごめん。それから、守ってくれてありがとう」
 おそらく、シアのような足手まといがいないか、一緒に戦える人間がいれば、アレクシスが怪我をすることなどなかったはずだ。王剣ハイラインの名は、伊達ではないのだから。
 さっきだって、あの仮面をかぶった奴に人質にされたシアを気にしなければ、逃げ出すこともなく勝てていたかもしれない。
 アレクシスの腕に巻かれた包帯を見つめて、シアは目を潤ませた。
 白い包帯に、赤い血が滲む。
 どれほど痛いのだろうか?切られた経験のないシアにはわからない。ただ、きっと、とても痛いだろう……。
「泣くな。泣かないでくれ。シア」
 アレクシスは困ったような顔で、シアに絹のハンカチを手渡した。
「泣いてない!こんなことで泣くもんか!」
「……なら良いが。その、女性に泣かれるのは苦手なんだ。勘弁してくれ」
「だから、泣いてないって言ってるでしょーが!」
「わかっている。泣かないでくれるならいい……昔、女性を泣かせては駄目だと、大事な人から教わったからな」
 幼き日に、アレクシスにそう教えてくれたのは、従姉のシルヴィアだった。
『――アレクシス。男の子は女の子を泣かせては駄目よ。その代わり、笑わせてあげなさい。誰よりも誰よりも、幸せそうにね』
 男というのは、女性を泣かせないで、幸せに微笑ませてあげるものだと。
 幼い日のアレクシスに、シルヴィアはよくそう言い聞かせたものだ。
 優しい人だった。誰よりも綺麗で優しくて、芯の強い人だった。彼女は剣も何も持たなかったけれども、その心はアレクシスよりも、ずっと強かったのだ。
「ふーん。そうなんだ。それより、このハンカチ使ってもいい?」
 過去を懐かしむアレクシスに、シアは「ふーん」と興味なさそうに、適当な相づちを打つ。
「ああ、どうぞ……って、涙じゃなくて、鼻をかもうとするな!シア!」
「うるさいわね!男がそんな細かいことを、気にしないでよ!」
「気にするだろう!そこは。さっきまでの、しおらしさは何処にいったんだ?」
「忘れたわ!いっかい言ったら、チャラよ。チャラ!」
 ぎゃーぎゃーと言い争いそうになる二人だったが、どちらともなく今はそんな場合じゃないと、我に返った。
「やめよう。不毛だ」
「……そうね」
 シアとアレクシスはうなずき合うと、揃って悪魔公の城の方角へと、視線を向けた。
 ロゼリアの悪魔公。
 狂気の伝承が残る呪われた城は、想像以上の恐怖を彼らにもたらした。
 至る所に残る血痕。
 地下室への隠し通路。
 床に散らばる頭蓋骨や、白い骨。
 それだけではない。地下室にあった不気味な魔法陣に加えて、その横にあったのは、教会に禁じられた悪魔崇拝の書――イル・デ・カラートの写本。
 これから導き出される結論は、一つしかない。最低で最悪の、狂気の結論。
 (もしかして、もしかしたら……)
 自分の推測が恐ろしくなり、シアは青ざめた顔で、己の肩を抱いた。
 ロゼリアの悪魔公。
 悪魔を崇拝し、何の罪も無い領民たちを、富と引き替えに生け贄に捧げたという残虐な領主。
 彼が生きていたのは、三百年以上も前。
 ちょうど、隣国リュシリアとの百合戦争と重なる。教会から忌むべき異端の書とされて、焚書にされたという――悪魔崇拝の儀式の書イル・デ・カラートの写本。百合戦争のゴタゴタに乗じて、悪魔崇拝とイル・デ・カラートの写本。それに、生け贄の儀式が、隣国であるアルゼンタールに流れてきたのだとしても、何の不思議もない。
 もっとも、全ては三百年以上も昔のことだ。真実を確かめることは難しいだろうし、また確かめる必要もない。そう、悪魔崇拝が生け贄の儀式が、本当に過去の、忌むべき過去のものであるなら問題はない。
 だが、あの地下室に転がっていた頭蓋骨や血痕は、本当に昔のものだけだろうか?もしかしたら……。
 (まさか!まさか!ありえない!)
 シアは、おぞましい想像を振り払うように、ぶんぶんと首を横に振った。
 ありえない。あってはいけない。
 悪魔崇拝と生け贄の儀式が、いまだ続けられているなんて!絶対にあってはならない!
 だが、そう思いつつも、シアの脳裏からは地下室にあった頭蓋骨と血痕が消えること無い。
「でも、あの不気味な仮面をつけてた連中は……もしかしたら……」
 信じられないとは思いつつも、シアは先ほどの隠された地下室でのことを、思い返した。
 不気味な白い仮面に、黒い魔術師のようなローブを身につけた怪しげな四人組。
 あいつらは、それぞれ剣やら斧やらを武器に持ち、シアとアレクシスを殺そうとしたのだ。あれは本気だった。本気で殺意を持って、シアとアレクシスを殺そうとしていた。
 彼らが、あそこまでしなければいけなかった理由とは、一体なんなのだろう?そもそも、彼らはどうして、シアとアレクシスがあそこに居るとわかったのだろうか……。
「おーい!シアさん。アレクシスさん」
 シアがそう考えこんでいた時だった。大きな声と共に、遠くから人影が駆けてきたのは。
「あれは……ラルクスさん?」
 シアが首をかしげる。
「ハァ……ハァ……無事で良かった。悪魔公の城に行ってから、全く戻って来ないから、心配してたんですよ」
 そう言って、息を切らせながら駆け寄ってきたのは、宿屋の主人――ラルクスだ。
 シアたちが泊まっている宿屋の主は、まるで熊のような体格と顔つきに、人の良さそうな笑みを浮かべて、ニコニコとシアに歩み寄ってくる。
「無事で良かったですよ。本当に」
 優しい言葉。
 人の良さそうな微笑み。
 どちらも安心できるものにも関わらず、シアは無意識に後ずさる。
 宿屋の主人――ラルクス。心配してくれた彼に感謝こそすれ、怖がる理由は無いはずなのに、ああ何で……こんなに怖いんだろう?
「……ご主人」
 アレクシスが眉をひそめる。
 何となく嫌な予感がした。
 ラルクスの熊のような体格に、何か違和感を感じる。先ほど地下で戦った仮面に黒いローブを身につけた連中。あの中でも、ひときわ手強かったのは、斧を構えていた大柄な……。
「……まさか」
 アレクシスは弾かれたように顔を上げる。ラルクスはシアのすぐ前まで来ていた。
「――ソイツから離れろっ!シア!」
 アレクシスがそう叫んだのと、ラルクスが隠し持っていた斧を振り上げたのは、ほぼ同時だった。
「……え?ラルクスさん?」
 とっさに後ずさったシアは、信じられないという顔を、ラルクスに向ける。
 ラルクスは困ったように微笑んで、シアに言った。
「すみませんね。お客さんに恨みはないんですけど、私たちが悪魔崇拝の書……イル・デ・カラートの写本で儀式を行うには、お客さんたちの血が必要なんですよ。だから、大人しく生け贄になってください……銀髪の美しいお嬢さん。貴女ならば、良い生け贄になるでしょう」
 陶酔しきったような口調で言うと、ラルクスはシアに向かって、斧を振り下ろした。

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