女王の商人
賢者と商人4−10
「大変だ―――っ!エドガー兄ちゃん!」
そう大声で叫びながら、青い顔で村長の家に飛びこんできた少年に、中にいたシアとアレクシス……そして、エドガーの三人は驚いて、少年が飛びこんできた扉の方を見る。
一体、何事だという目で。
三人の視線にその十歳ほどの少年は、ぜぇぜぇと息を切らせながら「大変だよっ!エドガー兄ちゃん」と同じ言葉を繰り返した。
少年の必死な様子に、ただならぬ空気を感じ取ったエドガーは椅子から立ち上がると、何が大変なのかと少年に尋ねる。
「どうしたんだ?ニック?そんなに慌てて……」
ニック――鍛冶屋の息子はエドガーの問いかけに、うっと顔を歪めると、泣きそうな声で叫んだ。
「マリーベル姉ちゃんが……マリーベル姉ちゃんが、変な奴に脅されて、何処かに連れて行かれたっ!」
「な……何だってぇ?もう一度、言ってくれ。ニック」
少年――ニックの言葉に、エドガーは顔色を変えた。
妹が……マリーベルが脅されて、何処かに連れて行かれた?
まさか、アイツが――
「そんな……マリーベルさんが?」
「……っ!変な奴に連れて行かれた?」
その言葉に顔色を変えたのは、兄のエドガーだけではなかった。
シアやアレクシスも驚きの声をあげ、ニックへと駆け寄る。
少年は青い顔のままで、
「――だからっ!マリーベル姉ちゃんが、変な奴に連れて行かれたんだって!よくわかんないけど……なんか刃物みたいのを突きつけられて、脅されているみたいだった」
と、先ほど目撃した光景を、エドガーに説明する。
焦りと恐怖からか、その声はわずかに震えていた。
平穏な田舎の村であるカノッサでは、ここ十年ほど事件らしい事件など起きたことはない。マリーベルが連れて行かれるのを目にして、大慌てで村長の家に飛び込んできた少年も、どうしたら良いのかわからない様子だった。
大変なことが起こったのは、十歳の子供であるニックにもわかる。
だけど……どうすればいい?
「マリーベルが連れ去られた……?」
しかし、混乱しているのは兄のエドガーも一緒だった。
――早く、早く!マリーベルを助けなければ!
そう気持ちばかりは焦るのに、混乱して考えがまとまらない。
カノッサの村長である父が不在の今、その息子である自分が、マリーベルを助けなればならないのに……。
妹が連れ去られたというショックと、奪われた賢者の書のことに加えて、もしかするとマリーベルを連れ去った犯人はアシュレイ――妹の恋人ではないかという考えが、エドガーの頭を混乱させる。
そうだとしたら、妹の……マリーベルの身が危険だ。
賢者の書を手にした今、あのアシュレイとかいう男にとって妹は、すでに利用価値のない存在だ。いや、むしろ邪魔でしかないと言っていい。最悪の場合、口封じに殺され――その先を考えることを、エドガーは拒んだ。
「……」
その重い沈黙を崩すように、口火を切ったのはアレクシスだった。
彼はニックに「……少年」と呼びかけると、
「マリーベルさんを連れて行ったのは、どんな奴だった?」
と、落ち着いた声で、尋ねる。
「エドガー兄ちゃん……この人は?」
いきなり見知らぬ黒髪の青年に話しかけられたニックは、ちょっと戸惑ったような顔で、話しても良いのか?と許可を求めるように、村長の息子であるエドガーの方を見る。
エドガーが「……大丈夫だ」と答えると、少年は「うん」と安心したようにうなずいて、「――マリーベル姉ちゃんを連れて行ったのは、金髪碧眼の若い男だったよ」と言った。
「金髪碧眼の若い男……たぶんアイツ……アシュレイね」
ニックの言葉に、アレクシスより先に反応したのはシアだった。
その青い瞳に不快そうな色を宿すと、彼女は昨夜、目にした光景を思い出す。
マリーベルの言動を不審に思ったシアとアレクシスが、家を抜け出した少女のあとをつけて、そこで見たものは――
月明かりの下で、うっとりと夢見るような表情で恋人に抱きしめられていたマリーベルと、彼女を優しく抱きしめていた金髪碧眼の美しい青年――アシュレイ。
月光に照らされて、そんな恋人たちの姿はまるで一枚の絵画のようですらあった。
表面だけ見ていれば、仲睦まじい恋人同士に見えたかもしれない。だが、シアは忘れてはいない。賢者の書をめぐる二人のやり取りを。
賢者の書を渡す少女と、それを受け取る青年――。
それは対等な関係には、とても見えなかった。
そして、恋人のマリーベルを見るアシュレイの目が、全く笑っていなかったことも、シアにはどうしても引っかかる。普通の男は、あんな風に恋人を見るものなのだろうか?
あんな愚か者を見下すような目で――
(それに……あのアシュレイとかいう男の言葉は……)
昨夜のアシュレイの言葉を思い出して、シアは再び不快そうにぎゅっと眉を寄せた。
夜明け前にマリーベルと別れた後に、あの見た目だけは美しい男が浮かべた冷ややかな笑みを、シアは忘れられない。
人を見下すような、どこまでも冷ややかな笑い。
金髪碧眼の貴公子のような男はあの時、顔にはりつけていた優しげな仮面を脱ぎ捨てて、少女の一途な恋心を愚かだと嘲笑ったのだ――
『馬鹿な小娘だ』
と。
とろけるような甘い言葉と、優雅な物腰の裏に隠された、残酷な心。
その恐ろしさに、シアはゾクッと鳥肌が立つのを感じた。
一見して、そうは見えない悪意ほど恐ろしいものはない。
彼女はふと、幼いころに祖父のエドワードに言われた言葉を思い出す。
(……昔、爺さんが言ってた。本物の悪党っていうのは、一見そうは見えないもんだって)
常日頃は冗談ばかり言っている祖父が、その時ばかりは妙に真剣な顔をして、幼いシアに言い聞かせたのだった。
――良いか?シアよ。甘い言葉ばっかりの人間は、そう簡単に信用するな。必ず、何か裏があると思え。本物の悪党っていうのはな、一見そうは見えねぇもんだ……お前も将来、商人を目指すつもりなら、よぉく肝に命じておけよ。
それは貧しい家に生まれながら、王国一と謳われる大商人に成り上がるまで様々な人間を見てきた祖父だからこそ、言えた台詞かもしれない。
幼いころはよく意味がわからなかったが、今ならばシアにも、祖父の伝えたかったことが少しは理解できる。もし、そうだとしたら本物の悪党というのは、意外と優しそうに見えるのかもしれない。
甘い言葉と優雅な物腰で、悪意を隠しているのかもしれない。マリーベルさんを脅して、連れ去った男――あのアシュレイのように。
「アシュレイ……あの男か……」
アレクシスも、シアと同じことを思ったのだろう。
苦い顔で唇を噛む。
アシュレイのことを危険な男だと思っているのは、彼も同じだった。いや、アレクシスはひょっとするとシア以上に、アシュレイに対して言いようのない嫌悪感を抱いている。
マリーベルの恋心を利用して、賢者の書を騙し取っている――というだけが、その理由ではない。
それだけでも、嫌う理由としては十分過ぎるほどではあるが、それよりもあのアシュレイとかいう男からは、もっと深い狂気のようなものが感じられた。
あの男は危険だと、本能がささやく。
しかし、尻込みしている場合ではない。そんな男に、マリーベルは囚われているのだ。
「ニック……」
そんな彼らの心境を知ってか知らずか、ようやく少し落ち着いてきたエドガーが、少年の名を呼ぶ。
妹――マリーベルのことが心配で、居ても立ってもいられない。
アシュレイは、いくら賢者の書を手にいれるためだったとはいえ、恋人だったはずの妹を刃物で脅して、何処かに連れ去るような男なのだ。
早く妹を助けなければ、大変なことになると、エドガーは思った。
そして、彼は震える声で、ニックにマリーベルの行方を尋ねる。
「――それで、マリーベルは何処に連れて行かれたんだ?教えてくれ。ニック。早く……早く助けに行かないと……」
その問いかけに、ニックは眉を寄せて、さっき木の陰から耳にした会話を必死に思い出そうとする。
マリーベル姉ちゃんを脅して、連れ去った金髪碧眼の若い男は、何と言っていた?
ニックと彼らの間は少し距離があったので、はっきり聞こえたわけではないが、たしかあの男は……
遠かったからはっきりとは聞こえたわけじゃないけど、と前置きして、少年は言葉を続けた。
「うん。遠かったから、はっきり聞こえたわけじゃないけど……マリーベル姉ちゃんを脅してた男は、アジトだか隠れ家だかに、姉ちゃんを連れて行く……って、そう言ってたよ。その先はわかんない」
「そうか……」
ニックの返事に、エドガーは落胆を隠しきれない様子で、肩を落とす。
「隠れ家ね……どこか心当たりはありませんか?エドガーさん」
少年の話を聞いて、そう問いかけたシアに、エドガーは「そういえば……」と思い出したように言った。
「そういえば……村の外れの方に、数年前から誰も住んでいない廃屋があるんです。ただ無人のはずの廃屋に最近、人が出入りしているらしいという噂があって……もしかしたら……」
その時は、ただの噂だと気にも留めていなかったのだが、もしかすると……
村の外れにある廃屋の辺りは、普段は特別な用事がない限り、誰も近寄らない。あの廃屋ならば、気づかないうちに人が住み着いていたとしても、不思議ではない。
そんなエドガーの説明に、シアは「ううん」と唸って、考えこむように小首をかしげる。
「村の外れの廃屋かぁ……怪しいわね」
「ああ」
シアの言葉に、アレクシスもうなずいた。
アシュレイの隠れ家かもしれない場所――その廃屋とやらに、マリーベルが連れて行かれた可能性は十分にある。
「マリーベル……」
そう妹の名を呼んで、エドガーは悲痛な表情を浮かべた。
――妹は無事だろうか?恋人だったはずの男に裏切られて、連れ去られた哀れな妹は……。
マリーベルとエドガーは年の近い兄妹だったから、子供の時から人並みに喧嘩もした。
今度の『賢者の書』のことでは意見の食い違いから、お互いに傷つけあった。だけど、それでもエドガーにとって、マリーベルはたった一人の可愛い妹だ。
大事な大事な妹なのだ。だから、アシュレイの手で、マリーベルが傷つけられるなんてことは――絶対に許せない。
「……ニック。マリーベルを助けに行ってくる」
決意したように、エドガーが凛とした声で言う。
大事な妹をアシュレイの魔の手から、何とか救い出さなければ。それはマリーベルの兄である自分の義務だ。
そう言って、妹を助けるべく外に出ようとするエドガーの背中に、シアが声をかけた。
「――待って。エドガーさん!一人じゃ無茶ですよ。あたしたちも手伝います!」
そんなシアの言葉に、エドガーが驚いたような顔で振り返る。
しかし、シアの方を向いた彼は、ゆるゆると首を横に振った。
「シアさん……有り難いですが、お客さんにそんな迷惑はかけられません」
これはウチの家族の……そしてカノッサ村の問題だから、と断るエドガーにシアは「そんな遠慮してる場合じゃないですよ!」と反論した。「そんなことを言ってる場合じゃないですよ!エドガーさん!早くマリーベルさんを助けに行かないと!」
ほとんど勢いだけの言葉だったが、シアに後悔はなかった。
ここで、危険な目に合ってるかもしれないマリーベルを見捨てるなんて、薄情な真似は彼女には出来ない。商人のモットーとして、ただ働きはしない――そう誓っているシアだが、人命がからめば話は別だ。
「シアさん……手を貸してくださるんですか?」
不安そうなエドガーにシアは「はい」と力強くうなずいて、
「商人とか関係なしに、こんなの放っておけないですよ!それに商人は義理堅いんです!泊めてもらった恩は返します……アレクシスは?」
と、アレクシスに尋ねる。
問われた騎士の青年は、「……問われるまでもない」と静かな声で言う。
「――問われるまでもない。民を守ることこそが、騎士の努め。力を貸すのは当然のことだ」
アレクシスの返事に、エドガーは少し考えて、「……よろしくお願いします」と言い深々と頭を下げる。
この人たちを信じてみようと、エドガーは思った。
シアやアレクシスがどんな人たちなのか、知り合ったばかりの彼は何も知らない。ただ知り合ったばかりの妹のために、こんなに真っ直ぐに力を貸そうと言ってくれる――それは、感謝するべきことだ。
エドガーは伏せていた顔をあげると、少年の方を向いて、「ニック!」と呼びかけた。
「ニック!村の大人たちに、事情を知らせてきてくれ!頼む」
エドガーの頼みに、マリーベルが連れ去られたのを目撃した少年は「わかった!」とうなずいて、村の大人たちに助けを求めるために、扉をあけて外へと走っていく。
「頼んだぞ。ニック!」
「うん!」
駆けていくニックの背を見送って、エドガーはシアとアレクシスの方へ向き直った。
「――まずは、さっき話した廃屋に行ってみましょう。もしかしたら、マリーベルはそこに居るかもしれない」
そう言う兄の瞳には、自分が妹を助けるのだという強い決意が宿っていた。
それから十数分後――
「アレが……マリーベルさんが連れていかれたかもしれない廃屋?」
無人のためか、蜘蛛の巣がかかったような汚い小屋を指さしながら、シアは尋ねる。
その村の外れにある小屋は、前の住人が出て行って以来、二年近くも人が住んでいないということだった。そんなエドガーの説明を裏付けるように、小屋全体が荒れ果てている。赤茶色の煉瓦の壁を緑の蔦が覆っており、かつて畑だったはずの場所は雑草が延び放題で、窓はといえばホコリまみれで中も見えない。廃屋という言葉でも、なまぬるい。
はっきり言って、いつ崩れてもおかしくはないような老朽化した小屋だ。
どう見ても、誰か人が出入りしているようには見えない。だが、だからこそ――
(人を閉じ込めておくには、良い隠れ場所……っていうことね)
認めたくはないが、そうかもしれないとシアは思う。
こんな廃屋に、人は好んでは近寄らないだろう。何か悪事をするには、最適な場所なのかもしれない。
アシュレイも連れ去られたマリーベルさんも、もしかすると、あの廃屋の中に居るのだろうか――?
「ええ。あの小屋です」
シアの問いかけに、エドガーがうなずく。
そんな彼の後ろには、村の男たちが二十人ばかり、それぞれ手に農具のクワやら棍棒やらの武器を持って並んでいた。
男たちは、エドガーに頼まれたニックが村の大人たちに事情を知らせて回ったことで、連れ去られたマリーベルを助けるために、集まった者たちである。
カノッサは村人全員が家族のような小さな村であるから、このような非常事態に、皆が協力するのは当然のことだった。
村人たちは皆、連れ去られたマリーベルの身を案じて、自主的に集まってきたのである。
そんな男たちの後ろには、村の女たちが集まって、マリーベルが閉じこめられているかもしれない廃屋を、心配そうに見つめていた。
「あの小屋が……でも、あそこの扉も窓もホコリだらけだし、おまけに蜘蛛の巣もかかってるし……どう見ても、人の出入りがあるようには見えないんだけど?」
じっと廃屋を見つめていたシアが、いささか自信なさげに言う。
アシュレイの隠れ家だかアジトだか知らないが、本当にあんな荒れ果てた廃屋に、人が出入りしているのだろうか?
「いや……」
疑るようなシアの言葉に、アレクシスは首を横に振ると、廃屋の扉の方を指差す。
「もう一度、扉のあたりを見てみろ。シア……他の場所と比べると、ホコリが積もっていない……廃屋であるはずの小屋に、人の出入りがある証拠だ」
それを聞いたエドガーは扉の方を見て「たしかに……」と納得すると、廃屋を睨んだ。
もし、本当にそうであるなら、あの小屋の中に妹と……妹を連れ去ったアシュレイがいるのかもしれない。
「……怪しいな。あの小屋の中に本当に、マリーベルさんがアシュレイがいるのかどうか、俺が確認してくる」
そう言って、アレクシスは村人の輪からスッと抜け出すと、廃屋に向かって歩き始めた。
改めて語るまでもなく、最初に廃屋に入る者は危険だ。
あの場所にアシュレイがいるならば――最悪の場合、扉を開けた瞬間、いきなり斬りつけられる可能性すらある。だが、騎士の足取りからは、迷いも恐怖も感じられない。
余りにもあっさりと、最も危険な役割を引き受けたアレクシスを、エドガーは慌てて引き留める。
「待って!待って下さい!アレクシスさん。危険ですよ。私が行き――」
自分が行くと、エドガーは声を張り上げた。
いくらアレクシスが帯剣しているといっても、危険なことには変わりない。
何より、妹のことで村人ですらない客人を、そんな危険な目に合わせるわけにはいかないと思う。
エドガーの声にアレクシスは一瞬だけ立ち止まると、
「心配ない」
と短く答えて、再び歩を進めた。
「しかし……っ!」
「アレクシスに、任せておいた方が良いですよ。エドガーさん。ああ見えて、かなりの頑固者ですから一度、口にしたことを撤回なんかしませんって……それに……」
納得いかなそうなエドガーを、安心させるようにシアは言う。
最初から、こうなることはわかっていた。
薬師の村というだけあって、カノッサの村人たちの中には、騎士や傭兵などという戦い慣れた者たちは一人もいなかった。そんな村人たちとアレクシスの性格を考えれば、最も危険な役割を引き受けるであろうことは、容易に予想できた。
まったく……責任感が強いというか、ドがつくお人好しというか、とシアは呆れる。だが、それは決して、不快な感情ではなかったのだ。
口元に小さな笑みを浮かべて、シアはエドガーに言った。
「――それに、アイツは……アレクシスは本当に強いんですよ。エドガーさん。あたしは、よく知ってます」
だから大丈夫です、とシアは続けた。
それは、貴族嫌いの彼女が初めて口にした、偽りのない本音であったのかもしれない。
「……シアさん」
「大丈夫。きっと、マリーベルさんは無事です」
シアの励ましに、エドガーは黙ってうなずくと、廃屋に向かうアレクシスを見つめ続けた。
村人たちが見守る中で、アレクシスが廃屋の扉に手をかけ、その中へと足を踏み入れる。
「――っ!」
廃屋の扉を開けた瞬間、ただならぬ殺気を感じて、アレクシスは剣を抜く。
――廃屋のはずの小屋の中には、何人もの男たちがいた。
その小屋の内には、一……二……三……全部で七人の体格の良い男たちが床に座っており、アレクシスと目があった彼らは「――誰だっ!お前はっ!」と大声で叫ぶと、立ち上がって剣を抜いた。
貴様らは誰だと、問いたいのはこっちの方だ。そう心中で思いつつも、アレクシスは冷静に男たちを観察する。
剣や短刀を手にして、血走った目をした男たちは、どう贔屓目に見たとしても善良な村人には見えない――アシュレイの仲間だろうか?
アレクシスがそう考えていると、その男たちの一人が「うおおおおおおっ!」と獣じみた雄叫びを上げながら、彼に向かって切りかかってきた。
己に向かって、振り下ろされた刃を、アレクシスはひょいと苦もなく避ける。悪い攻撃ではなかったが、王剣ハイラインの騎士に対するには、その男の技量は余りにも未熟だった。
(……遅い)
アレクシスは漆黒の瞳をスッと細めると、逆に剣を振りかざした男の脇にもぐりこんで、その利き手を斬りつける。
男の腕から真っ赤な鮮血が吹き出して、「うがああああっ!腕が!腕がぁ!」と獣の唸りのような悲鳴と共に男は剣を手放し、痛みで床を転げ回った。
そんな仲間の姿を目にした他の六人の男たちは、サッと顔色を変えて、ギラギラした目でアレクシスを睨みつける。
「てめぇ……」
その恐怖と増悪が入り交じった視線を、アレクシスは涼しい顔で受け止めると、めずらしく敵を挑発するかのように、不敵な笑みを浮かべて言う。
「――どうした?仲間の敵討ちに来ないのか?それとも……俺が怖いのか?」
安っぽい挑発は、だが、アレクシスが見込んだ以上の効果を発揮した。
彼の言葉に、逆上したらしい男が二人……ほぼ同時に襲いかかって来る。
(……甘い、な)
安易に敵の挑発に乗るようでは、先は見えている。
アレクシスは素早く後ろに下がると、足場を求めるように扉の外に出た。
そうして、己を追いかけてきた男の一人にサッと足払いをかけ、まるで赤子の手を捻るように地面へと転がす。
後から出てきたもう一人の男の方は、仲間が倒れて動揺したところを、アレクシスがあごに拳を叩きこんだ。
――まさに、一瞬の早業。
ほんの一瞬の間に、己は傷一つ負わずに、アレクシスは三人の男を倒した。王剣ハイラインの名は、伊達ではないと言ったところか。
廃屋の外で彼の様子を見守っていた村人たちは、ホッと安堵の息を吐くと、アレクシスに駆け寄る。
真っ先に、彼に声をかけたのはシアだった。
「アレクシス!無事?」
「……ああ。見ての通りだ」
アレクシスの返事に、シアはホッと安堵の息を吐く。
エドガーにはああ言ったものの、信頼していることと、心配しないことは別だ。アレクシスが怪我をしたり、傷ついたりするのを、シアはもう見たくなかった。
騎士だから、剣士だからと言っても、そう簡単に傷ついてほしくない。
たとえ本人が、それを当然のように受け止めていても、シアが嫌なのだ――
「……良かった」
しかし、和やかな空気が流れたのも、束の間のことだった。
「――これはこれは……ずいぶんと派手にやってくれたね」
その声に、シアとアレクシスは弾かれたように顔をあげて、廃屋の方を向いた。
……聞き覚えのある声だ。
その時、廃屋の中から二人の人間が出てくる。
先を歩かされるのは、口に猿ぐつわをはめられた蜂蜜色の髪の少女だ。首筋に短刀を突きつけられた彼女は、青ざめた顔でぶるぶると震えながら、後ろの男に支えられるようにして、外へと出てくる。
少女の姿を見た瞬間、エドガーが叫んだ。
「――マリーベルっ!」
エドガーの声に、蜂蜜色の髪の少女――マリーベルは顔を上げるが、猿ぐつわをされている口からは、もごもごと意味のない音しか出ない。
「全く……使えない部下を持つと、苦労するな」
金髪に淡い青の瞳と、甘く整った顔立ち。
人質だとマリーベルの首筋に短刀を突きつけた男は、アレクシスに倒された男たちを見て、冷ややかな声で言う。
男の言葉からは、仲間に対する憐憫の情は、みじんも感じられない。
そのことに背筋が寒くなるような思いを感じながら、シアは男の名を呼んだ。
「アンタは……アシュレイ……」
その男が、犯罪組織・青薔薇の首領であると事実を、彼女はまだ知らない。
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