女王の商人

モドル | ススム | モクジ

  賢者と商人4−9  

「実は、妹の……マリーベルの様子がおかしくなったのは、半年ほど前からなんです……妙な男と付き合うようになって、いつからか家族に隠れて、家から『賢者の書』を持ち出すように……」
 そうやってエドガーが、シアとアレクシスに事情を説明している頃――
「はっ!……はぁ!……」
 思いっきり兄のエドガーを怒鳴って、ただ勢いだけで家を飛び出したマリーベルは、あてもなく村の中を走っていた。
 目的なんか何もない。
 ただ家から、エドガー兄さんの前から……逃げたかった。少女の心の中は、兄に対する悲しみと怒りと焦りでグチャグチャで、おかしくなりそうだった。
 ――本当にお前のことを愛している男なら、家族に黙って『賢者の書』を持ち出せなんて、言うはずないだろう。マリーベル。
 たとえ自分を心配してのことだと理解していても、あまりに容赦のない言葉をぶつけてきた兄に、マリーベルは怒らずにいられない。
 たしかに、自分は村の宝『賢者の書』を持ち出して、許されないことをした。
 だけど、恋人のアシュレイのことまで、あんな風に言うことはないではないか!
 (ひどい……ひどい……エドガー兄さんは、アシュレイと話したこともないじゃない!)
 悔しさに唇を噛みしめながら、マリーベルは誰も歩いていない道を、ただ一人で走り続ける。こうして走り続けて、どこに行くかなんて、全く決まっていない。だけど、走り続けていないと、言いようのない不安に押しつぶされそうになる。
 ――お前はあの男に、騙されているんだよ。マリーベル。
 エドガーの情け容赦ない言葉は、まるで鋭い刃のように、マリーベルの心を切り裂いた。
 あの男は、お前に好意があるわけじゃない。ただ利用しているだけなんだという、兄の言葉。そんな恋人のアシュレイを侮辱するようなエドガーの言葉に、マリーベルが反論もせずに逃げ出したのは、彼女も心の奥底ではそれが真実ではないかと疑っていたからだ。
 違うっ!違うっ!あの人は……アシュレイはそんな人じゃないっ!
 いくら否定しても、心の奥底では彼のことを疑っている自分に、マリーベルは愕然とした。
 アシュレイを愛していたからこそ、そして彼も自分のことを想ってくれているのだと信じたからこそ、家族やカノッサ村のみんなに罪の意識を感じながらも、家から『賢者の書』を持ち出したのだ。
 彼のことを信じていると、たとえ兄さんが何を言ったとしても、それは揺るがないと思っていたのに……。
 だけど、そうだとしたら、この胸の痛みは何なのだろう。
 アシュレイのことを心から信じているなら、こんな風に胸が痛むことなど、ないはずなのに。
 ――私は自分の恋人を……アシュレイのことを疑っているの?
 自分の想いは、こんなに簡単に揺らいでしまうようなものだったのかと、マリーベルはショックを受けた。落胆のあまり、全身から力が抜ける。
 「ああ……」
 少女は走っていた足を止めて、その場に立ちつくすと、両手で顔をおおった。
 大きな焦げ茶の瞳に、じわりと涙がにじむ。
 涙がこぼれ落ちそうなのを、マリーベルは必死にこらえた。
 自分に泣く資格なんかないのは、わかっていた。
 私は最低だと、マリーベルは思う。
 自分を心配してくれたエドガー兄さんに八つ当たりをして、喧嘩みたいにして家を飛び出したのに、恋人のアシュレイのことも信じきれてない。本当に最低だ。落ち着いてくると、彼女の胸に残るのは、深い後悔ばかりだった。いつだって優しくて、マリーベルのことを好きだと言ってくれたアシュレイ――初めて好きになった人で、誰よりも好きな人なのに、なぜ自分は彼を心から信じきれないのだろうか。
 彼は『賢者の書』を悪用なんかしないと、誓ってくれたのに。それなのに、どうして好きな人を疑ってしまうのだろう。
 ごめんなさい。アシュレイ……私は……私は……
「……アシュレイ」
 恋人の名を呼んで、蜂蜜色の髪の少女は疲れ果てた様子で、地面に座りこむ。
 もし、周囲に村人がいれば、心配してくれたかもしれないが、この場には誰もいない。
 座りこんだまま、マリーベルは青白い顔で、疲れはてたように目を閉じる。ぐったりとした少女の様子からは、生気が感じられなかった。
「……」
 体も心も、言いようがないほど疲れていた。マリーベルはもう、走ることはおろか、歩くことさえ出来そうにない。
 兄を振り切って家を飛び出してから、ただ感情のままに走り続けた結果、彼女は気がつくとカノッサ村の端の辺りまで来ていた。
 村の中心からは遠くて、家も店も何もない場所である。
 彼女の他には今、誰もいない寂しい場所だ。だが、今のマリーベルには、その人気のなさが有り難かった。身勝手だと思うけど、今は誰にも会いたくない。エドガー兄さんにも、村の人たちにも誰にも――
 そう思って、少女が顔を伏せた時、後ろから若い男の声がした。
「――マリーベル?」
 その声にマリーベルは弾かれたように顔を上げ、後ろを振り向いて、そこに立つ青年の名を呼んだ。
「アシュレイっ!何でここに……」
 顔を上げた少女の目に映ったのは、金髪に青い瞳の美しい青年――恋人のアシュレイだった。
 アシュレイは優しく微笑むと、
「もちろん君に会いに来たんだよ。さっき君が道を走っているのが見えたから、そのあとを追いかけたんだ……それより、大丈夫かい?マリーベル。少し顔色が悪いよ」
と心配気に言って、座りこんだマリーベルに向かって、その手を差し伸べた。
「ううん。大丈夫よ……アシュレイ」
 マリーベルはその手を取って立ち上がると、驚いた顔をして、焦げ茶の瞳でアシュレイを見つめた。
 何の連絡もなしに、いきなり現れた恋人に、少女は驚きを隠せない。
 もちろん会えて嬉しい気持ちはあったが、エドガー兄さんの言っていたことを考えると、素直に喜んで良いものか考えてしまう。お前はあの男に騙されているんだよと、兄は心配そうに言っていた。
 その言葉が、妹を心から心配してのものだということは、マリーベルにだってわかる。
 エドガー兄さんは責任感の強い人だ。
 村長の息子としての責任感と、カノッサの薬師としての誇りを持つ、真面目な人。
 そんな兄さんだからこそ、『賢者の書』を恋人に渡したマリーベルの行為を、許せなかったのだろう。
 ――お前は『賢者の書』を手に入れるために、あの男に利用されているだけだ。マリーベル。
 兄の言葉を忘れたわけではない。
 だけど、それでも恋人の――アシュレイの優しげな微笑みを見ると、先ほどまでの疑いは何処かに消えてしまう。
 (やっぱりエドガー兄さんの勘違いよ。こんなに優しい人が、そんなことをするはずないわ)
 この綺麗で優しい恋人が、ただ『賢者の書』を手にいれるためだけに、自分の恋心を利用しているなど、マリーベルにはどうしても信じられない。いや、信じたくなかった。何があったとしても、初めて本当に好きになった人を疑いたくない。それが、どんなに愚かなことだとしても……。
 アシュレイを信じよう。
 さんざん悩んだ末に、マリーベルはそう決意した。
 大丈夫。
 この優しい人が、エドガー兄さんが心配しているような『賢者の書』を利用しての悪事なんて、絶対にするはずない。
 もう彼のために『賢者の書』を持ってこれないと告げても、アシュレイの態度は変わったりしないはずだ。
 マリーベルは顔を上げると、アシュレイの綺麗な青い瞳を見つめて、真剣な声で呼びかけた。
「……あの、アシュレイ」
「うん?何だい?マリーベル」
 相変わらず、優雅な微笑みを浮かべたままのアシュレイに、マリーベルは勇気をふりしぼって告げる。
 エドガー兄さんが、ああ言っていた以上、これから『賢者の書』を持ち出すことは絶対に出来ない。エドガーが今度のことを、村長である父に告げれば、マリーベルも罰を受けるだろう。
 父は普段は優しいが、村の掟には厳しい人だ。たとえ実の娘であれ、何らかの罰が与えられるはずだ。どんな理由があっても、薬師の村の掟を破り『賢者の書』を持ち出した以上、それは仕方ないし、マリーベルも覚悟している。
 ただ、これを告げることで、アシュレイに嫌われるのではないか、そんなことはないはずだと思いつつも、それだけが怖い――
「あのね、貴方に『賢者の書』を渡していたことが、エドガー兄さんに知られてしまったの。だから……」
 ごめんなさいと謝りながら、マリーベルは言う。
 彼の反応が怖くて、アシュレイの顔をまともに見れなかった。
「――だから、もう『賢者の書』を持ち出すことは出来ないの。アシュレイ」
 マリーベルの言葉に、アシュレイは笑みを崩さなかった。
 意外にも穏やかな声で、「そう」とうなずく。
「そう。家族にバレたんだ。いずれそうなるだろうと思ってたから、別に気にしなくて良いよ。マリーベル……君には、元から大した期待はしていなかったから」
 気にしなくていいというアシュレイの言葉に、マリーベルは一瞬、安心したものの、続く言葉に耳を疑った。
 ――今、アシュレイは何と言った?
 君には、元から大した期待はしていなかったから。
 そう穏やかな声で言って、何事もなかったかのように微笑むアシュレイを、マリーベルは信じられないものを見るような目で見る。
 どうでも良いと言いたげな恋人の言葉に、少女は焦げ茶の瞳を見開いた。いつも優しいアシュレイが、そんなことを言うなんて!
「ア……アシュレイ……?怒っているの?」
「いや、怒ってなんかいないよ。マリーベル。言っただろう?君には最初から、期待なんかしていなかったって」
 マリーベルが困惑したように名を呼んでも、アシュレイは優雅に微笑んだままだ。
 そんな彼の態度に、マリーベルはなぜか薄ら寒いものさえ感じたのだった。優しげな微笑みを浮かべたアシュレイ――だが、何なのだろう?この違和感は。
 その時、マリーベルはようやく気づいた。いつも優しげに微笑んでいた彼の瞳が、全く笑っていないことに……。
「アシュレイ……嘘でしょう?」
 彼の言葉を信じたくなくて、蜂蜜色の髪の少女は震える声で言う。
 どうか、嘘や冗談だと言って欲しいと、祈るような気持ちだった。だが、祈りは届かない。
 マリーベルの言葉に、アシュレイは冷ややかに笑う。少女の愚かさを、嘲笑うように。
「はははっ……本当に馬鹿だね。マリーベル。まだ利用されていただけだってことに、気がつかないのかい?……騙すには都合が良かったけど、余りに愚かなのは興ざめだ」
 そう言って、笑うアシュレイを、マリーベルは呆然と見つめた。
 いつも優しげに微笑んでいた青年のあまり豹変ぶりに、彼女は頭が真っ白になる。
 何も考えられない。
 彼は今、何と言った?
 ――まだ利用されていただけだってことに、気がつかないの?
 マリーベルは震える声で、
「……私のことを利用していたの?アシュレイ……『賢者の書』を手に入れるために……」
と恋人に問う。
 それに対して、彼の言葉は残酷なものだった。
 金髪に青い瞳の青年は、優しげな微笑みすら浮かべて言う――
「当然じゃないか。それ以外に、君と付き合う理由なんてないだろう?マリーベル。君に近寄ったのも、恋人になったのも全て、『賢者の書』を手に入れるためだ」
「そ……んな……」
 アシュレイに告げられた真実に、マリーベルの顔は蒼白になる。騙されていたのだというショックで、手や足がガクガクと震えた。
 彼女が今まで信じていたものは、全てが偽りだった……。
 アシュレイの言葉も行動も全てが、マリーベルを欺いて、彼女から『賢者の書』を手に入れるためのものだったのだ。
 恋人のフリをしたのも、ただ少女の信頼を得るための手段に過ぎない。そうして、村長の娘であるマリーベルのを利用して、アシュレイは易々と『賢者の書』を手にしたのだ。
 そこには当然のことながら、恋人の少女に対する愛情など、欠片もない。最初から、騙すつもりで近づいたのだから……。
「ひどい……あんまりだわ!アシュレイ!」
 悲鳴のようなマリーベルの叫びにも、アシュレイは無反応だった。
 にこにこと優しげな微笑みを浮かべてたまま、彼女の方に歩み寄ってくると、恋人のフリをしていた時と同じように甘い声で、マリーベルの耳にささやいた。
「ねぇ。マリーベル……」
「な……何?」
 本能的な恐怖を感じて、マリーベルは後ずさろうとするが、アシュレイが優雅な外見に似合わず強い力で、彼女の腕を掴んでいるので、マリーベルは身動きすら出来ない。
 腕にくいんだ爪の痛みに、少女は呻いた。
 だが、それでも腕の力は一向に緩まない。怯えるマリーベルのことなど、どうでも良いかのように、アシュレイは淡々と言葉を続けた。
「そういえば、君には教えてなかったね。マリーベル。僕の本当の名は……」
 彼の唇から出たのは、この国では忌むべき名だった。
「――アシュレイ=ロア=イクスって、いうんだよ。イクス公爵家の生まれさ。いくら愚かな君でも、その意味ぐらいはわかるだろう?」
 アシュレイの言葉に、マリーベルは凍りついた。
 ――イクスの反乱。
 王都から遠く離れたカノッサの地の娘でも、イクス公爵家の名ぐらいは知っていた。
 名門貴族でありながら、国王に刃向かって反乱軍を組織し、裏切りによって敗れた者たち――その中心となったのが、イクス公爵家だ。
 反乱軍の主立った者は処刑され、生き残った女や子供たちも散り散りになったというが、アシュレイがイクス公爵家の……?
「イクス公爵家……?貴方が……」
 マリーベルの問いに、アシュレイはうなずいた。
「そうさ。イクス公爵だった僕の祖父は、イクスの反乱で軍を率いて、国王に処刑された……仲間だった僕の父は、何とか生き延びたけど、その後の生活は惨めなものだったよ。なに不自由ない生活を送れる身分だったのに、一転して逃亡生活さ。貧しさ飢え……平民に見下される生活……僕の一族は皆、そんなものさ。悲惨だったよ」
 淡々とした口調で、悲惨な過去を語るアシュレイに、マリーベルは口を挟めない。
 カノッサという薬師の村で、平穏に暮らしてきた彼女には、名を隠し身分を隠して生活するということを、想像することさえ出来なかった。イクスの反乱から数十年の時が流れた今でも、彼らは安心して生きていくことが、叶わなかったのだろうか。
 少女の腕に爪をくいこませたまま、アシュレイはなおも言葉を続ける。
 その綺麗な顔には、はっきりした憎しみが宿っていた――
「ねぇ。君は想像できるかい?マリーベル。名を奪われ、身分を奪われ、財産を奪われ生きていくということが、どれほど辛いことか……死んだ方がマシだと思わないか。貴族だった僕らが、そんな惨めな生活を送っているのに、この国では貴族の富を吸い上げた平民が、のうのうと暮らしている……」
「そんな……アシュレイ……」
 アシュレイの言わんとすることが、マリーベルには理解できなかった。
 この国では時代の流れと共に、多くの貴族が力を失って没落し、彼らの持っていた地位も名誉も財産も、富める商人や成金たちに奪われた。
 それを諦めと共に、受け入れた者もいた。金と引き換えに家名を売り渡した貴族もいた。だが、時代の変化を受け入れられない者たちもいた。それが、あのイクスの反乱に繋がったのだ。
 貴族から富を吸い上げて、のうのうと暮らす者たちが許せない――そんな彼の気持ちを、彼女が理解することは決してない。わからないだろう。地位も名誉も財産も、生まれながらに全てを得るはずだった者が、それら全てを奪われる気持ちなど。
「おかしいと思わないかい?マリーベル。僕の姉さんは、貧しさで薬も買えずに死んだ。母さんは飢えで、医者にも診てもらえずに死んだ……おかしいだろう?反乱を起こしたからって、貴族である僕らが、何でこんな目に合わなきゃいけない?だから……」
 そこまで語ると、右手でマリーベルの腕をつかんでいたアシュレイは、左手で懐をさぐると――銀色に輝く短刀を取り出す。
 ひっ!と怯えた声を上げるマリーベルの細い首に、慣れた風に短刀を突きつけて、アシュレイは告げた。
「――だから、僕は貴族を虐げて、のうのうと生活する平民たちに復讐することにしたんだ。青薔薇の首領としてね」
 青薔薇――犯罪組織の名を口にした青年に、マリーベルは恐怖で震え上がった。その名は彼女も知っている。
 強盗やら人身売買やら殺人やら、金のためなら何でもやると噂の犯罪組織――青薔薇。
 アシュレイが……その首領?
 とても信じられなかった。
 今まで田舎の村で、平和に育ってきたマリーベルにとって、反乱や犯罪組織というのは余りにも遠い存在だ。だが、アシュレイが嘘を言っている風にも見えない。まさか本当なのか……。
 マリーベルは心の底から怯えた。
 逃げたい。逃げたい。逃げたい!
 だが、首に短刀を突きつけられた恐怖で、少女は指一本すら動かすことが出来ない。ただ、ぶるぶると震えることしか。首にあてられた刃の冷たい感触に震えながら、マリーベルは己の行いを悔いた。
 ――お前は騙されているんだ。
 自分のことを心配して、そう忠告してくれたエドガー兄さん。
 そんな兄の忠告に、自分は耳を貸さなかった。
 兄さんの言っていたことは、全て正しかったのに、マリーベルは八つ当たりをして家を飛び出したのだ。
 そして、薬師の父さんや兄さんが誇りを持って守っていた『賢者の書』を、アシュレイの手に――青薔薇の手に渡してしまった。その罪は重い。きっと、どんなに謝っても許してはもらえないだろう。こんな愚かな妹のことなど、見捨てても当然だ。ごめんなさい。エドガー兄さん……今更、謝っても遅すぎるけれど……
「ごめんなさい……エドガー兄さん……父さん……」
 もはや泣くことも出来ず、マリーベルここにはいない家族の名を呼んで、後悔しながら謝った。
 ここまで話をしたからには、アシュレイには自分を生かしておく気はないのだろうと、彼女は思う。
 犯罪組織・青薔薇の首領であるということまで、マリーベルに語ったのだ。もはや、彼女を生きて家族の元に返す気など、サラサラないに違いない。首に突きつけられた短刀が、自分の命を奪うのだろうと思った。
 しかし、予想に反して、アシュレイはマリーベルを殺さなかった。
 その代わり、首に短刀を突きつけたままで、少女に歩け、と命じたのである。
「……さぁ、青薔薇のアジトに行こうか?マリーベル。ここまで話したからには、生かして家に帰すわけにはいかないんだ。心配しなくても良いよ……暴れなければ、殺しはしない。君にはまだ、利用価値があるからね」
 そんなアシュレイの言葉に、マリーベルは青ざめた顔で、従うより他なかった。
 もし拒んで暴れたら、この場で躊躇なく殺されるであろうことは、容易に想像がつく。彼女に選択肢はない。
 そうして、マリーベルはアシュレイに脅されて、どこかにある青薔薇のアジトへと連れていかれた――だが、不幸中の幸いというべきか、それを遠くで見ていた子供がいた。
「た、大変だっ!マリーベル姉ちゃんが、変な奴に連れて行かれた……」
 木の陰から、偶然その光景を見ていた十歳ほどの少年――鍛冶屋の息子のニックだ。
 少年は驚いて立ちすくんでいたが、やがて我に返ると慌てて、助けを求めに村長の家へと走る。
「――エドガー兄ちゃんっ!マリーベル姉ちゃんが、変な奴に連れて行かれたっ!」
 そう大声で叫びながら、少年――ニックが村長の家に駆け込んだのは、それからすぐのことだった。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2009 Mimori Asaha All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-