女王の商人

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  賢者と商人4−3  

 シアがメイド三人娘の魔の手につかまってから、三十分後――
「その黄色いドレスには、この白いリボンが合うんじゃないですか?シアお嬢さま」
「ううん……それも良いけど、この間の水色のドレスもシアお嬢さまに似合ってたわよ。どっちにする?リタ」
「この赤いのはどう?この夏の新作よ」
 きゃっきゃっ!と楽しげなメイドたちとは裏腹に、シアはぐったりと疲れた表情で、虚ろに呟いた。
「……もう、どれでもいい」
 先ほどから、ドレスやら靴やら化粧やら、あーでもないこーでもないと好き勝手に着せ替え人形にさせられて、元からないシアの忍耐も限界だった。商売柄、シアは流行にはそれなりに通じている。ファッションも然り。だが、シアはきらびやかな宝石よりも金貨を好むし、ひらひらのドレスよりも帳簿の方が大事だ。
 彼女にとってお洒落とは、商売を有利にするための手段であって、趣味ではない。自分の服装についてだって、必要がなければ無頓着だ。このあたりが商会の皆から、まだまだ色気のないお子様と言われる所以だろう。
 そんなシアであるので、この状況にはいささか疲れていた。
 きゃびきゃぴと年頃の乙女らしく騒ぐメイドたちに、いじられまくって、もう三十分――正直、メイドたちのノリについていけてない……。
 もう、どれでも良いじゃない!と叫びたいのを、シアは必死に耐えていた。
 だが、リーブル家の使用人たちは、そんなお嬢さまの投げやりな態度を許してくれるほど、甘くも優しくもないのである。
 メイドたちの辞書に、容赦という言葉はない。
「何をいっているんですかっ!これも全てシアお嬢さまのためなんですよ。決して、給料を上げてもらうのが、目的なんかじゃないですからねっ!」
 メイドのべリンダがそう言って拳を振り上げれば、
「そうですよ!シアお嬢さまは性格は……アレですけど、見た目だけはかなり良いんですから、飾らない手はないですよ!」
と、二ーナも同調する。
 極めつけとばかりにリタが、
「そうですよ!目的はもちろんお金ではなく……シアお嬢さまに対する愛情なんですから!性格はちょっと凶暴ですけど、私たちの腕とお嬢さまの容姿があれば、見た目だけは誤魔化せますわっ!」
そう断言したことで、シアは怒りのあまり眉をピクピクと動かし、うがーっ!と獣みたいに吠えた。
「うが―――!人をおもちゃにするなあああっ!大体、性格がアレって何よ?ちょっと凶暴って、あたしは猛獣か何かかあああっ!」
 そんな風にシアが怒っても、お嬢さまの性格を知りぬいているメイドたちは、一向にへこたれない。
 跡取り娘である彼女にとって不運なことに、リーブル商会の使用人たちは皆、一癖も二癖もある曲者揃いなのである。
 それどころか、メイドたちが口々にお嬢さまのケチー!やら、そんな短気だと嫁のもらい手がありませんよー!お嬢さまなどと、シアの神経を逆なでするような反論をしたものだから、燃え盛る火に油をそそぐようなものだった。
 シアは怒りのあまり、ぷるぷると握り拳を震わせて、
「ふふふ。リタ、二ーナ、べリンダあああ……」
と地の底を這うような声で、メイドたちの名を呼ぶ。
「いい加減にし――」
ろー!とシアが叫ぼうとした瞬間、「よぉ」という声と共に、部屋の扉が開けられた。
「よぉ。相変わらず、ウチのかしまし娘どもは、にぎやかだなぁ」
 ニヤッと愉快そうに笑いながら、そう言ったのは、シアの祖父――エドワードだった。
 ロマンスグレーの髪に、ちょっと垂れ目がちな緑の瞳。甘い優男風の顔立ちは、老いた今でも女にモテるらしい。まぁ、無類の酒好きかつ女好きで、孫娘のシア曰く、どーしようもない不良ジジィではあるが、こう見えても若き日に天才商人と讃えられたリーブル商会の創業者である。
 ……日頃のくだけた言動を目にしていると、信じがたい気もするが。
 その実績から、商人たちの間では伝説的な存在なのだ。今や息子であるクラフトに、リーブル商会の長の地位を譲り、表だって商談の場に出ることこそないものの、未だに商人の組合の中では重要な存在として、公の場に引っ張り出されることも少なくない。
 エドワードが部屋に入ってきたことで、メイドたちが声を上げた。
「大旦那さま」
 祖父が外出用の服を着ているのを見て、シアが尋ねる。
「爺さん……どこか出かけるの?」
 シアの問いに、エドワードは「おお」とうなずいた。
「おお。ちょっくら、出かけてくるわ。娼館のキレイなお姉ちゃんたちに会いに」
 悪びれずに言うエドワードに、シアは「ふふふ」と妖しげに笑うと、拳を振り上げて怒鳴った。
「ふふふ……それが、孫娘に聞かせる台詞か――っ!この色ボケ爺があああっ!」
 怒声と共に、振り上げられた孫娘の拳を、エドワードは何とか避ける。
「冗談だよ!冗談!……組合の奴らに呼び出されてな。面倒だけど、今から行ってくるわ」
「組合って……商人組合のこと?」
「そっ。全く……こっちは引退した身だっつーのに、組合の奴ら世話をかけやがる」
 そう言いながらも、エドワードはまんざらでもなさそうな表情をしていた。
 普段は、やれ娼館だ、やれ酒場だとふらふらと遊び歩いているような祖父であるが、本当にただの遊び人だったとしたら、今日のリーブル商会は存在しないだろう。なんだかんだで、仕事は嫌いではない男なのだ。
 アルゼンタール商人組合――ギルドとも呼ばれるそれは、商人たちが安全かつ安定した利益を上げるために、己の手で作り上げた組織である。
 商会の長の地位を息子に譲り、商人としての第一線を退いたとはいえ、アルゼンタール一の商人と呼ばれた祖父の影響力は、かなり大きい。国内のみならず、他国にも顔が利くエドワードは、何かと組合に頼られることも多いようだった。
 そんな事情を知っているシアは、なるほどと首を縦に振る。
「へぇ。組合の会議かぁ……なら、あたしもついでに一緒の馬車に乗せてもらってもいい?女王陛下のお仕事で、王城に行かなきゃいけないの。どうせ通り道でしょ。爺さん」
 いい加減に着せ替え人形の役にも飽きていたシアは、まるで天の助けとばかりに、鞄を持ってエドワードに歩み寄る。……給料の値上げを目当てに、化粧道具やらドレスやらを片手に迫るメイドたち。その魔の手から逃げるならば、今しかない!
「そりゃあ、俺はかまわねぇが……支度は、もういいのか?」
 エドワードはシアにそう尋ねながら、手に櫛やら化粧道具を抱えたメイドたちを見るが、シアはぶんぶんと首を縦に振ると、部屋の外へと飛び出す。
「いーの。いーの。じゃあ、行ってきまーす!」
 バタンと部屋の扉が閉められた後、取り残れたメイドたちは、不満そうに叫んだ。
「――ちょっと、シアお嬢さまぁ!お支度がまだ済んでいませんよおお!」
 そんなメイドたちの悲痛な叫びは、脱兎の如く逃げ出したシアの耳に、当然ながら届かなかったのである……。

「ねぇ、爺さん。組合に呼び出されたって、何かあったの?」
 王城に向かう馬車の中。
 シアは隣に座るエドワードに、そう尋ねた。
 エドワードは「ああ……」とうなずくと、
「――青薔薇っていう組織の名を、耳にしたことがあるか?」
とシアに尋ね返した。
 青薔薇?
 耳慣れない言葉に、シアはきょとんとした顔をする。
「青薔薇?組織?何のことよ?爺さん」
「シアは知らねぇか。最近、あちこちを荒らしまわってる犯罪組織――それが、青薔薇ーつうんだよ。何でも、盗みやら詐欺やら偽金作りやら……金になるなら人殺しだってするって噂だぜ。性質の悪い連中だ」
 青薔薇のことを語るエドワードの口調は、吐き捨てんばかりの嫌悪感に満ちていた。
「ふぅん。青薔薇ね……そんで、その青薔薇と爺さんが組み合いに呼び出されたってことは、何か関係があるの?」
 ないはずかないと思いつつ、シアは祖父に問う。
 商人たる者、無駄な行為をするべからず。
 そう商人としての心得を、シアに教えたのは父のクラフトだが、最初に父にそれを教えたのは祖父エドワードなのである。
 青薔薇――その犯罪組織が、商人組合と何か関係があるのだろうか?
 その問いかけに、エドワードは「ハァ」と息を吐いて、苦い顔で答えた。
「関係があるなんてもんじゃねぇよ。青薔薇――あいつらが全ての元凶だ。数ヶ月前から、行商人が襲われて金や商品を奪われる事件が続いてるんだが、それが青薔薇の連中の仕業なんだ」
「行商人が?警備隊は何をしてるの?」
 アルゼンタール国内の平和を守っている警備隊。
 犯罪を取り締まるはずの彼らが、行商人が襲われているというのに、何もしないとは考えられないのだが。
 シアの言葉に、エドワードはますます苦い顔になる。
「もちろん警備隊だって、青薔薇の奴らを捕まえようと、躍起になってるさ。ただ、組織の上の連中が狡猾らしくてな……警備隊に捕まるのは下っ端ばかりで、青薔薇の頭を捕まえられねぇらしい」
「なるほど。それで、商人組合を通じて商人たちに、青薔薇に襲われないように注意を促すつもり?その対策のために、爺さんが呼ばれたってこと?」
 ようやく事の全貌が見えて、シアは納得した。
 それならば、先代のリーブル商会の長であるエドワードが、組合に呼び出された理由もわかる。
 祖父が現役のリーブル商会の長だった頃は、国内のみならず国外にまで、広い情報網を持っていた。商売をする者にとって、情報とは最も重要な武器だ。
 商人組合の者たちも、商人たちが青薔薇の被害に遭わないようにするために、祖父の情報網を必要としているのだろう。
 シアの言葉に、エドワードはその通りだとうなずく。
「まぁ、そういうこった。全く……青薔薇だか何だか知らねぇけれどよ、厄介な連中だぜ。妙な噂もあるしよ」
「妙な噂?」
「ああ。何でも青薔薇の頭がなぁ……」
 あくまでも噂だが、と前置きして、エドワードは言葉を続ける。
「――あのイクスの反乱の生き残りらしい」
 イクスの反乱。
 その響きに、シアは息をのんだ。
 歴史の書物や教科書にも、イクスの反乱と称されるそれは、克明に記されている。
 今から五十年ほど前――
 時代の流れと国王の決断により、アルゼンタール王国の政治は貴族の手から離れて、民によって選ばれた議会によって支えられることになった。
 そんな国王の決断は、多くの名も無き民にとって歓迎されるものであったが、それを不満に思う勢力も存在したのである。それは主に貴族階級――生まれながらに権力を持っていた彼らは、それを奪われることを、何よりも深く恐れたのだ。
 その代表とされたのが、イクスの反乱の首謀者とされる――イクス公爵家の者たちであった。
 王家とも浅からぬ縁を持ち、アルゼンタールを代表する貴族であった彼らは、平民を政治に関わらせることに強く強く反発した。彼ら曰く、尊い身分も教養も持たぬ平民を、国政に関わらせるなど許せない――という傲慢な主張によって、国王に議会の廃止を訴えた。
 だが、そんな一部の貴族たちの身勝手な理由で、回り始めた歯車が止まるわけもない。
 国王がその身勝手な要求を突っぱねて、イクス公爵家の面々を叱責すると、追いつめられた彼らは、いよいよ愚かな行動に出た。同じ思想を持っていた貴族たちと共に、騎士や傭兵たちを雇って、武力による王家への反乱を起こしたのである。
 反乱を起こした貴族たちには、奢りがあったのかもしれない。尊い身分であることと、名誉ある家名に対する歪んだ誇り。それが、あのような悲劇を生んだのだろうか……。
 しかし、その反乱は長続きしなかった。
 アルゼンタールの国王の軍隊によって、半年ともたずに鎮圧され、反乱の首謀者たちは罪人として捕らえられた。国王に対する許されざる反逆として、その罪人たちの多くは投獄か処刑という道を辿ることになった。イクスの反乱とまで呼ばれたイクス公爵家の者たちは、当主と長男が処刑の憂き目に合って、一族の他の者たちは国内や国外に散り散りになったという――これが、イクスの反乱と呼ばれるものの全てだ。
 この事件を皮切りに、アルゼンタールの貴族の多くが、没落への道を辿ることになったという。
 その青薔薇について流れる噂を信じるならば、青薔薇の頭として多くの罪を重ねているのは、イクス公爵家の血を引く者ということだ。
 シアは半信半疑の顔で、ううんと唸る。
「イクスの反乱ねぇ……あくまでも噂でしょ。爺さん」
「まぁな。だけど奴らが青薔薇と名乗っているなら、あのイクスの反乱と――イクス公爵家と何か縁があるのかもしれねぇな」
「青薔薇かぁ……」
 エドワードの言葉に、シアは書物で読んだイクスの反乱ついて思い出す。
 青薔薇――高貴な血筋を示すことと、白薔薇を掲げる王家への反逆。イクスの反乱の旗印であったというそれ。
 ただの偶然とは思えない。
「爺さんの考え過ぎじゃない。ただの噂かもしれないし……それに、イクスの反乱なんて過去の亡霊みたいなもんでしょ」
 一瞬、暗くなった空気を払拭するように、シアが明るく言う。
「まぁ、シアの言う通りだろうな。だけど、覚えておけよ……」
 エドワードうなづきながら、いつものくだけた口調で、だが意外にも真面目な顔で忠告した。
「――過去の亡霊よりも、生きている人間の方が、ずっと恐ろしいぞ」
 それから数日で、そんな祖父の言葉を痛感することになるとは、この時のシアは想像すらしていなかったのである。
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