女王の商人

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  賢者と商人4−6  

 カノッサは薬師たちの村である――商人たちが口を揃えていうそれに、どうやら嘘はないらしいとシアが悟ったのは、蜂蜜色の髪をした薬師の兄妹エドガーとマリーベルの家で、ひねった足の治療を受けた後だった。
「嘘みたい……痛みが引いた」
 薬師の兄・エドガーの手で、ひねった足に包帯を巻かれながら、シアは驚いたように言う。
 あの後、シアとアレクシスの二人は薬師の兄妹の家を訪れて、馬車が揺れた際にひねった足の治療をしてもらっていた。
 薬師の兄妹――エドガーとマリーベルの家はカノッサ村の中心にあり、家の中には薬師の村らしくさまざまな薬や薬草が保管されている。その中には市場に出回っていない貴重なものもありそうで、シアは商人としての好奇心から、瓶で保管されている薬や乾燥した薬草などを熱心に見つめた。
 そのわずかな時間に、薬師のエドガーとマリーベルはテキパキと手当ての支度をし、シアの足に薬をぬり、血のにじんだ箇所には包帯を巻きつける。
 そうして、治療を終えた途端、さっきはあれほど痛みを感じた足から痛みが引いていることに、シアは「嘘みたい……」と驚きの声をあげた。もちろん、足の痛みが完全に消えたわけではないが、先ほどよりマシになっているのがハッキリとわかる。
 妹のマリーベルが兄のエドガーのことを、カノッサ村で一番の薬師と評していたが、腕のいい薬師であることは間違えなさそうだと、シアも思う。
 喜び半分、驚き半分で、シアは恐る恐るひねった足を動かした。多少、鈍い痛みはあるものの、ゆっくりならば歩くことぐらいは出来そうだ。
「……うん。大丈夫そう」
 シアがそろそろと足を動かすと、アレクシスがホッと安心した顔をする。
「骨は痛めていないみたいだな?シア」
「平気!平気!」
 シアの明るい声に、薬師の妹――マリーベルが安堵したように笑う。笑うと歯が見えて、ちょっと幼く見えた。
「そうですか?……良かったぁ」
 先ほどまで、怪我をさせた申し訳なさのためか、笑顔を見せようとしなかったマリーベルの笑みに、シアもつられて笑顔になる。
「もう平気です。手当てをしてくれて、ありがとうございます」
 そうシアが治療の礼を言うと、薬師の兄――エドガーは「いいえ」と首を横に振った。
「いいえ……私たちのせいで怪我をさせてしまったのですから、これは当然のことです。本当に申し訳ないことを……何のお詫びもできませんが、もし私たちに何か出来ることがあったら、何でもおっしゃって下さい」
 心から真摯に謝るエドガーに、シアとアレクシスは「えーっと……」と顔を見合わせる。本当にそこまでの怪我ではないのだが、と思い遠慮するシアに「それならば……」と、アレクシスが助け舟を出した。
「それならば、私たち二人はカノッサ村の村長殿にお会いしに来たのだが……叶うなら、村長殿の家までの案内を頼みたい。お願いできるだろうか?」
 カノッサ村の村長の家まで案内を。
 そうアレクシスは頼む。
 賢者エセルバートが薬草について記したという『賢者の書』――カノッサ村で大切に大切に保管されているというそれは、きっとこの薬師の村の宝であることだろう。
 おそらくはカノッサ村の代表として、それを管理しているのは村長であろうし、仮に違ったとしても村長の話を通しておくのが筋というものだ。何せ、カノッサ村の最も大切なものを借りようというのだから、慎重に頼まねばならない。
 アレクシスの提案に、シアも「うんうん」とうなずく。
 言うまでもないが、こういった交渉事は間に知り合いがいた方が、信頼されて楽に話が進められる。シアとアレクシスの二人だけで、いきなり村長に会いに行くよりも、カノッサ村の住人と一緒に行く方が望ましい。
 幸いにも、薬師の兄妹――マリーベルとエドガーは、こちらに友好的だし、頼めるなら村長の家に案内して欲しかった。
 アレクシスの提案に、薬師の兄妹は揃って首をかしげて、マリーベルが戸惑ったような声で答える。
「あの……村長は私たち兄妹の父ですが、父に何か御用でしょうか?」
「え?お二人は村長さんのご家族なの?」
 シアの問いかけに、マリーベルは「はい。父です」と首を縦に振る。
 マリーベルの説明によると、彼ら兄妹の父はカノッサ村の村長であり、同時に薬師でもあるのだという。そして、彼らの家は賢者エセルバートの子孫でもあり、親子代々に渡りカノッサの村の村長を勤めてきた家柄なのだと彼女は語った。
 村長の父に何か御用ですか。
 その問いにシアがうなずくと、マリーベルが残念そうに顔を曇らせる。その先の言葉は、兄であるエドガーが引き継いだ。
「そうですか……残念ですが今、父は――村長は親戚の用事で、隣の村に出かけているんです。せっかく訪ねてきていただいたのに、申し訳ないのですが……どんな御用ですか?私たちに出来ることでしたら」
「村長殿はご留守ですか……」
 親切なエドガーの申し出だったが、アレクシスの顔は晴れない。
 せっかくカノッサ村の村長の家にたどり着けたというのに、村長自身が留守とは残念だ。
 村長の息子であるエドガーや娘のマリーベルと知り合いになれたのは幸運だったが、まさか村の宝であろう『賢者の書』を借り受けようというのに、村長に無断でなど許されるわけもない。
 ここは、時間がかかっても改めて、村長が居る日に出直すしかなさそうだ。
 女王陛下をお待たせするのは心苦しいが――仕方ないだろう。
 アレクシスはそう判断し、隣のシアに「出直すか?」と問いかけた。
 シアはわずかに落胆した様子で、「そうだね」とうなずいたものの、せめて用件だけでも伝えておこうと、商人の証である胸につるした銀貨を手で示して、エドガーとマリーベルの兄妹に事情を語る。
「あたしはリーブル商会に所属する商人で……ある御方の代理で、このカノッサ村であるものを貸していただけないかと思って、王都ベルカルンからやって来たのですけど……村長さんがいらっしゃらないのならば、また日を改めてお願いしにきます」
 そうシアが言うと、少女の胸に揺れる商人の証――銀貨を見たマリーベルが、感心したように言う。
「シアさんは商人なんですか?私とそう年が変わらないのにすごいですね!私なんて、この村から外に出たことがほとんどないのに」
 最近は昔と比べて、女の商人の数も増えてきたといっても、やはりシアのような年頃の少女が商人をしているのは少ない。
 都会ならばまだしも、カノッサのような農村では女の商人を目にすること自体が、極めて稀だろう。
 多分に憧れを含んだようなキラキラした視線を、マリーベルから向けられて、シアはちょっと照れたように笑う。
「そんなことは……ウチの仕事を手伝っているだけですから。それで、エドガーさん。村長さんはいつ頃、カノッサに戻って来られますか?」
 シアの問いかけに、エドガーは「ええ……」とうなずきながらも、ちょっと不思議そうな顔をした。
「ええ。父は明日の夜にはカノッサに戻ると思いますが……一体、何を借りに、この村までいらしたのですか?」
「それは……」
 次のシアの一言で、その場が凍りついた。
「――賢者の書です」
 賢者エセルバートの記した書です――というシアの言葉に、薬師の兄妹・エドガーとマリーベルの顔色が、サッと傍目にわかるほど明らかに変わる。
 それまでの和やかな空気が嘘だったように、エドガーは不快そうに眉をひそめて、シアたちを警戒するような表情になった。
「そんな……賢者の書を……」
 一方、妹のマリーベルはもっと露骨だった。ひどく狼狽したように「そんな……」と呟くと、サーッと顔を青ざめさせて、動揺の余りか手にしていた薬の瓶を床に落とした。
 ガシャーン!という音と共に落下した瓶は、幸い割れることこそなかったものの、マリーベルは慌てたように瓶を拾い上げた。
 その顔は相変わらず青ざめていて、瓶を拾う手はぶるぶると小刻みに震えている。その焦げ茶の瞳はどこか虚ろで、マリーベルの動揺の強さを表しているようだった。
 そんな風に尋常ではない妹の様子に、兄のエドガーが心配そうな顔で声をかける。
「……大丈夫か?マリーベル」
「あ……平気よ。エドガー兄さん。ちょっと驚いただけだから」
 どこか弱々しい声で、マリーベルは答える。
「そうか?まぁ、いい」
 そんな妹に心配そうな視線を向けた後、エドガーは「ハァ」と息を吐き、シアたちの方へと向き直った。
「父が……村長が帰ってこないと正式な返答が出来かねますが、おそらく『賢者の書』をお貸しすることは、カノッサ村として出来ません。ご迷惑をかけたのに、申し訳ないのですが……」
「なぜですか?」
 それは半ば予想していた返答ではあったが、シアは一応そう尋ねる。
 いくら頼みこもうとも、カノッサ村の最大の宝であり、薬師の魂とも言える『賢者の書』を簡単には貸してくれないだろうと、シアだって覚悟はしていた。
 しかし、それにしても、ここまで頑なに対応されるとは……。
 こちらを睨みつけんばかりのエドガーの視線に、シアは今回の仕事は厄介なものになりそうだと、いささかウンザリした気分になる。
「お貸し出来ない理由は簡単です。『賢者の書』は使い方を誤れば、とても危険なものだからですよ」
 なぜ『賢者の書』を貸してもらえないのか、その理由はというシアの問いかけに、エドガーはあっさりと答えた。
 兄の返答に、妹のマリーベルが焦ったように「エドガー兄さんっ!」と呼びかけるが、エドガーは良いのだと首を横に振る。
 賢者の書は使い方を誤れば、危険なものだから貸せない。
 その言葉の意味を図りかねて、アレクシスは首をひねった。
 偉大な賢者エセルバートが、故郷のカノッサ村の薬師たちのために、薬草や薬についての研究を記したという――『賢者の書』。
 それは人を救うための書のはずだ。
 それなのに、どうして兄のエドガーは『賢者の書』を危険なものだと評し、妹のマリーベルもそれを否定しないのだろうか。なぜ……?
「危険とは?」
 アレクシスが尋ねると、エドガーはゆるゆると首を横に振る。
 そうして、真剣な表情で説明した。
「誤解しないでください。賢者の書は私たち……カノッサ村の薬師にとって、魂とも呼べる大切なものです。この書があるからこそ、多くの人を救うことが出来た。ただ……」
 そこまで言うと、エドガーはちょっと言いにくそうに言葉を止める。妹のマリーベルは、その先の言葉をわかっているのか、そっと焦げ茶の瞳を伏せた。
 一瞬の間の後、エドガーは静かな声で告げる。
「――薬と毒とは表裏一体なのです。どれほど優れた薬でも、もし使い方を誤れば、たちまち毒と成り果てる。賢者の書の内容は使い方によっては、人を生かすことも、あるいは殺すことも出来る……そのようなものを、簡単に貸し出すわけにはいきません」
 きっぱりとしたエドガーの言葉に、シアは言葉を失う。
 追い打ちをかけるように、薬師には薬師の掟がございます。商人である貴女なら、おわかりでしょう?――と続けられては、反論の余地すら見いだせない。
 職業につく者には、多かれ少なかれ、責任というものが存在する。
 商人であることを自分の誇りにし、今まで生きてきたシアにとって、エドガーの言葉の重みは十分に理解できた。
「……」
 だからこそ、何も言えずに黙りこむ。
 そんなシアの代わりに、アレクシスがエドガーに話しかける。
「そちらの事情も考えずに、失礼なことを頼んだようで、すまなかった……ただ、こちら側にも諦められない事情はある。一度だけでも、村長殿にお会い出来ないか」
 どうか頼む。
 そう真摯に頼みこんだアレクシスに、気難しい顔で腕組みをしていたエドガーも折れて、妹の名を呼んだ。
「わかりました。マリーベル!」
「はい。エドガー兄さん」
「お二人が泊まるための支度を、手伝ってくれ。父が、村長が帰るまでウチに滞在していただこう。それで良いですか?」
 エドガーにそう尋ねられ、思わぬ親切にシアは目を丸くして、「良いんですか?」と遠慮がちに言う。
「お気になさらず。貴女に怪我をさせてしまったのは、ウチの責任ですし、そのぐらいはさせてください。な?マリーベル」
 明るい声で言うエドガーとは対照的に、うなずくマリーベルの顔はどこか暗かった。
「……はい」
 その表情が気にかからなかったといえば嘘になるが、提案を断る理由も見えず、シアとアレクシスは薬師の兄妹の家に泊めてもらうことにし、「ありがとうございます」と礼を言ったのだった。

 それから、マリーベルが作った夕食をご馳走になった後、シアは案内された客室で一人で過ごしていた――
「ハァ……一体、どうしたものかなぁ?」
 寝台の上でゴロゴロしながら、シアは困ったなぁと呟いた。
 ちなみに、もう一人の客人であるアレクシスは、隣の部屋にいる。
 シアはため息をつきながら、一体どうしたら賢者の書を借りることが出来るのかと、ずっと頭を悩ませていた。
(うーん。強引に借りるのは、女王陛下の意に反するしなぁ……一体、どうしたもんか)
 弱った弱ったと、シアは愚痴る。
 エミーリア女王陛下の命令だと、強引に書を借りることも出来なくはないが、それは避けたかった。
 権力にモノを言わせるようなやり口は、女王陛下の意志にも反するし、何よりシアの商人としての誇りに反する。
 あくまでも、信頼の上で貸してもらうのが理想だ。そうなると手段は正攻法しかないが、先ほどのエドガーの態度を見る限りでは、彼の父である村長の説得も、容易ではなさそうである。
「うーむ」
 明日からのことを考えて、シアは唸る。
 ただ、それとは別に、シアには気になることがあった――
(あの妹さん……マリーベルさんの様子が、何か変だった気がする。そう、賢者の書の名前を出した時から……)
 ただの杞憂かもしれないが、シアが賢者の書の話題を出した瞬間、青ざめてぶるぶると震えていたマリーベルの姿が、どうしても不自然に思える。
 兄のエドガーのように、図々しいと不快に思うのは理解できるとしても、マリーベルのアレは少し違う感情に思われた。
 アレは、あの目は……
(まるで、怯えているみたいだった。何かを恐れているような……)
 賢者の書を借りたいと、シアが口した瞬間から、マリーベルの顔色が一瞬にして変わった。
 まだ幼さの残る少女の顔から、サーッと血の気が引く。
 あの時のマリーベルの表情を思い出し、わけもない不安を感じて、シアがぎゅっと枕を抱きしめる。何が不安かと聞かれたら、上手く説明が出来ないのだが、何となく胸騒ぎがした。
「なんか気になるなぁ……」
 そう呟きながら、シアが寝台の上で寝返りを打った瞬間、ぼそぼそと窓の外から話し声がした。
 シアはうん?と首をかしげつつ、立ち上がって窓に歩み寄り、こんな夜更けに何かと耳をすませた。
 ぼそぼそとした話し声は聞きづらくて、窓をへだてると尚更だったが、耳の良いシアは何とか声の断片を聞き取る。
「……ああ、マリーベル。会いたかったよ……」
「待たせて、ごめんなさい……アシュレイ……」
「良いんだ。アレは持ってきてくれたかい?」
「あの……ここで出すのは危険だわ……今日はウチにお客さんがいるの。アシュレイ」
 話の内容に不可解なものを感じて、シアは再び首をかしげた。
 窓が邪魔をして、外で会話をする人の姿を見ることは叶わず、声だけしか聞こえない。会話をする二人のうち一人は声からして、この家のマリーベルだろうが、もう一人は男の声だ――アシュレイ?誰だろう?
 こんな夜更けに二人で外で会うならば、普通は恋人か、それに近い関係だろうが。
(ううーん。恋人同士っていうには、なんか会話が変じゃない?アレを持ってきたか、とか持ってきてないとか……)
 マリーベルと謎の男――アシュレイの会話に、何やら危険な匂いを感じて、シアはカーテンの陰に隠れて、窓の外をそっと見た。
 これがただの恋人同士の逢瀬だというならば、こんな風に隠れて見るのは、とんでもなく野暮なことだろう。
 しかし、シアは自分の直感を信じた。
「そうだね。マリーベル。ああ……そんな泣きそうな顔をしないで。僕の可愛い恋人……大丈夫さ。僕が君に嘘をついたことなんて、今まで一度もないだろう?さぁ……ソレを渡しておくれ」
 闇夜にふわっと蜂蜜色の髪が踊って、それっきり二人は窓から離れたのか、声は聞こえなくなった。
「……追いかけなきゃ。なんか危ない気がする!」
 その会話の裏に危険なものを感じて、シアは寝台から降りると、少し痛めた足を引きずりながら、必死にアレクシスの部屋に向かったのである。
 どうか杞憂であって欲しい――そう祈りながら。
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