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女王の商人
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賢者と商人4-7
客室から出たシアは、隣の――アレクシスがいる部屋の扉をコツコツと叩きながら、中に向かって呼びかけた。
「ねぇ……まだ起きてる?アレクシス」
ほどなくして扉が開けられて、いささか怪訝な顔をしながらも、アレクシスが部屋の中から出てくる。
「どうしたんだ?シア?こんな夜更けに……少し、顔色が悪いな。具合でも悪いのか?」
水を持ってこようか、とアレクシスは続ける。
焦りから硬い表情をしたシアに、彼は具合が悪いのかと、心配そうに問う。シアが足を痛めていることを考えると、そう思うのも無理もない。だが、のんびり事情を説明している余裕のないシアは、「違う!違う!そんな場合じゃないんだって!」と激しく首を横に振る。
「俺には、事情がよくわからないんだが……どういうことだ?」
「それが……」
まだ事情が飲みこめずに首をひねるアレクシスに、シアはかくかくしかじかと、簡潔に先ほどのマリーベルと謎の男――アシュレイのやりとりを早口で説明した。
あの妹さん……マリーベルさん。勘だけど、何か厄介事に巻き込まれてる気がするんだ。もし、危ないことになりそうなら、追いかけないといけないとシアは切羽詰まったように言う。
――なにか様子がおかしい。
見るからに焦ってはいるものの、凛とした揺るぎない口調で、そう断言するシアに、アレクシスは「ふぅむ……」と唸り、考えるように腕組みした。
たしかに気にはなる。
しかし、仮にマリーベルの様子が変だとしても、何か危ないというのはシアの憶測で、証拠は何もないのだ。はっきり言えば、シアの直感に過ぎない。だが――
「シアは何かあると思うんだな?」
アレクシスに問われて、シアは彼の瞳を真っ直ぐに見つめ返すと、迷いなくうなずいた。
「……うん。ただの勘かもしれないけれど、追いかけないと後悔する気がする」
真っ直ぐに見つめてくる青い瞳に、アレクシスは静かな声で「わかった」と言う。
「その勘を信じる。マリーベルさんを追いかけよう……シアは歩けるのか?辛かったら、言え」
シアを信じよう。
数ヶ月前、彼女と組んで初仕事をした時に、シアは自分の判断を信じてくれたのだ。
今度は自分が、彼女のことを信じなければなるまい。そうでなければ仲間とは言えないと、アレクシスは思う。
「行こう」
そう言うと、アレクシスは素早く上着を羽織って、外に向かって歩きだした。
マリーベルと謎の男――アシュレイが、どこに行ったかわからないが、まだそう遠くには行っていないはずだ。そう信じて。
「……」
シアは黙って、先を歩く騎士の青年の背を、自分よりは一回りは大きな背中を見つめる。
その背中は大きくて、どこか遠く見えた――
(信じる、か。自分は信じるに値するのかな。だって、私は貴族のことを……)
その言葉の重さを感じて、シアはぎゅっと唇を噛む。そうして、アレクシスが振り返る前に、無言で彼の背中を追いかけた。どこか苦い思いを、その胸の奥に抱えながら。
シアたちが会話をしている間に、マリーベルと謎の男――アシュレイはどこか遠くに行ってしまったかと彼らは危惧したが、意外にもその姿はすぐに見つかった。彼らが泊まっている村長の家から少し離れた場所で、マリーベルとその男は木の陰に隠れて、人目を避けるように会話を交わしている。
シアとアレクシスはそっと息を殺すと、手にしたランタンを置いて、木の陰に隠れながら、マリーベルたちの会話に聞き耳を立てた。
あまり趣味の良いこととはお世辞にも言えないが、非常事態だから、仕方ない。そう自分に言い聞かせながら、シアはその会話の内容を理解しようと、耳をそばだてる。
ぼそぼそと小声で交わされる会話は、時折、聞き取れない箇所もあったものの、アレクシスは何とか話の断片を拾おうとした。
「……これぐらい家から離れれば、大丈夫だと思うわ。アシュレイ」
ちらちらと辺りを気にしながら、マリーベルが言う。
アシュレイ――と呼びかけられた若い男は、そうだねと優しい声で言って、うなずいた。
「そうだね。もう良いんじゃないかな。マリーベル」
その声を聞きながら、シアとアレクシスは何とか男の顔を見ようとするが、月に雲がかかっているせいで顔がよく見えない。
「さぁ……」
アシュレイと呼ばれた男が、マリーベルを優しい仕草で抱き寄せながら、少女の耳にささやく。
その瞬間、月にかかっていた雲が動いて、その男の顔が月光に照らされる――
「……」
シアは目を見開いて、その男……アシュレイの顔を凝視した。
美しい男だった。
年はアレクシスよりも、少し上といったところだろうか。綺麗な色合いの金髪に青い瞳……人によって好みはあるだろうが、その甘く整った顔立ちは美形と評するには十分だ。
御伽噺の王子さま。陳腐な表現かもしれないが、シアはそんな言葉を思い浮かべる。
その美しいが、どこか軟弱そうな外見はシアの好みからは外れていたが、それでも同じ年頃の少女たちが、こういう容姿の男を好むのはよくわかっていた。そう、いわゆる王子さま的な。それは、その青年――アシュレイに抱き寄せられたマリーベルが、うっとりと夢見るような顔をしていることからもわかる。
そして、アシュレイは抱き寄せた少女の蜂蜜色の髪を片手で優しい仕草で梳くと、スッとマリーベルの耳に顔を寄せて、穏やかな声で尋ねた。
「――さぁ、そろそろ賢者の書を渡してくれるかな?マリーベル」
その言葉に動揺してか、青年の腕の中にいた少女はビクッ!と身を震わせた。
「あ……はい……」
しかし、そのアシュレイの言葉に動揺したのは、マリーベルだけではなかった。
むしろ、何の事情も知らないシアとアレクシスの方が、動揺はより大きい。
賢者の書を渡して――そのアシュレイの一言に、シアは木の陰に隠れている己の状況をすっかり忘れて、思わず「ええっ!貸しちゃうの!」と叫びそうになる。
先ほど、シアたちが同じように『賢者の書』を貸して欲しいと頼んだ時は、村長の息子であり薬師でもあるエドガーの口から「賢者の書は使い方を誤れば、危険なものだから貸せない」とキッパリと断られたばかりなのだ。
そして今、アシュレイの腕の中にいるマリーベルは、そう言って『賢者の書』を貸すのを断ったエドガーの妹である。なのに、それなのに、恋人であるというだけで彼にアシュレイに貸してしまうのか……?
(む。何か納得いかないなぁ……)
何となく不公平なものを感じて、シアは渋面になる。
賢者の書の貸し出しを、けんもほろろに断られても、シアはエドガーのことを恨んではいなかった。
もちろん、貸して欲しい気持ちはあるのだが、それでもエドガーの薬師としての……そして、カノッサの村長の息子としての彼の立場を考えれば、先ほどの返答は十分に理解できる。
人の命を救う薬師として、使い方を誤れば危険な書を、部外者に貸せない――それも、当然といえば当然のことだからだ。だからこそ、マリーベルの行動に不可解なものを感じた。
ここで、アシュレイとやらに簡単に貸してしまうのなら、先ほどの会話は何だったのか。
マリーベルの恋人らしき青年――アシュレイがどういう立場の人間がわからないが、こんな夜中にこっそりと会いにくるぐらいだから、表沙汰に出来る関係では無いだろうに。彼女の兄は……エドガーは……このことを知っているのだろうか。
そんなことを心配しつつ、ハラハラしながら事の成り行きを見守っていたシアだが、マリーベルが懐からなにやら書の切れ端のようなものを取り出したことで、サッと顔色が変わる。
話の流れから察するに、彼女の持っている書物のページのようなアレは――おそらく、賢者の書の一部だ。
アシュレイが微笑みながら、その紙切れに手を伸ばしたことで、シアは焦った。
このままでは、賢者の書を借りて女王陛下にお渡しする前に、別人の……アシュレイの手に渡ってしまう!
(え!渡しちゃうの?ちょっと待ってよ!)
シアが一歩、前に踏み出し、「ちょっと、待って……」と声を上げようとした瞬間に、アレクシスがシアの口元に己の手をあてて、それを制した。
「ちょっと、待っ……あぐぐっ!」
声を出そうとしたところで、何の前振りもなく口を手でふさがれて、シアは青い瞳でアレクシスを睨んだ。
声が出せない分、自由になる両手をぶんぶんと動かし、彼に抗議する。
「むぐぐ……」
睨まれたアレクシスの方は、やれやれと思いながら、シアの耳に小声でささやく。
「静かに。今、ここに隠れているのがバレたら、今までのことは水の泡だぞ」
「むがむが……」
アレクシスの説得に、ようやく我に返ったのか、暴れていたシアも黙る。
たしかに、騒いでいる場合ではない。
シアはすぅと息を吐くと、マリーベルたちの会話の内容を掴もうと再び、アレクシスと共に耳をすませた。彼らが居るとも知らず、マリーベルとアシュレイの会話は続く。
「あの……アシュレイ。実は……貴方にどうしても、聞いておきたいことがあるの……」
「いきなり何だい?マリーベル」
書の紙切れ――賢者の書の一部を、アシュレイに手渡しながら、マリーベルは顔を上げると、すがるような目で彼を見つめた。
そして、意を決したように、アシュレイに問う。
どうか否定して欲しい。そう願いながら。
「――貴方は……アシュレイは賢者の書を、悪用なんかしないわよね?」
どうか違うと言って欲しいと心の中で祈りながら、マリーベルは尋ねる。
――エドガー兄さんが、心配しているようなことにはならないわよね?
好きな人のことを、アシュレイのことを信じたい。
そう思っているのに、なぜか不安で問わずにはいられない。
半年前、王都からカノッサ村へやって来たというアシュレイと、マリーベルはカノッサ村の祭りの日に出会った。
貴族の次男坊で、学者の卵――そう名乗ったアシュレイに、出会ってすぐにマリーベルは夢中になった。きっと初恋だったのだと思う。
金髪碧眼の女性みたいに綺麗な顔立ちに、優雅で洗練された物腰、優しくて穏やかな話し方。
カノッサ村のどの男の人とも違う魅力が、アシュレイにはあった。
貴族の生まれなのだと彼が名乗った時、さもありなんとマリーベルは納得したものだ。
彼女はこの薬師の村カノッサから外へ出たことは殆どないが、それでも近くも村も含めて、アシュレイのように優雅で気品のある青年には会ったことがないと断言できる。
彼は特別なのだ。それとも、王都のお貴族様たちは皆、アシュレイのように優雅な人たちなのだろうか……?
そんなアシュレイに、貴族の一員である彼に、マリーベルは心の底から憧れた。
だから、村の祭りが終わってからも、アシュレイに会いたいと言われれば喜んで会いに行った。彼に誘われれば、ただの一度として拒まなかった。たとえ自分には手の届かない人だと知ってはいても、アシュレイと話せるだけで、マリーベルは幸せだった。
そんな風であったから、アシュレイがマリーベルの恋人になって数ヶ月が過ぎた今でも、彼女は己の幸運に信じられない思いでいる。
憧れていた人が、手の届かない人だと思っていたアシュレイが、自分の恋人になってくれるなど夢のようだ。いや、むしろ夢でも文句は言えまい。
学者の卵だというアシュレイは忙しくて、たまにしかカノッサ村には来れなかったが、それでもマリーベルは幸福だった――だからこそ、アシュレイから頼み事をされた時、マリーベルは素直にうなずいた。
『賢者の書を貸してくれないか?マリーベル』
『賢者の書を?何に使うの?アシュレイ』
『研究に必要なんだ。終わったら、すぐに返すから……お願いだ。マリーベル』
『少しだけなら……』
そうして、マリーベルは父や兄の目を盗んで書庫に出入りし、賢者の書のページを切り取っては、アシュレイに渡すようになった。
父や兄のエドガーに相談すれば、反対されるのはわかっているから、無断で持ち出した。カノッサ村の宝である『賢者の書』を他人に見せるなど、厳格な父や兄が了承するはずもなかったから。
必ず、返すから――というアシュレイの言葉をだけを信じて、マリーベルは書を持ち出し続けたのである。
彼に好かれたかった。
アシュレイの役に立ちたかった。
少しでも、彼に釣り合う人間でありたかった。
嫌われたくなかった。
だから、アシュレイの頼みを拒めなかった……それが、大事な家族を父や兄を悲しませることだと、カノッサ村のみんなを裏切ることだと知ってはいたけど……。
それでも、アシュレイの頼みを拒んで、彼に嫌われるのは、どうしても耐え辛かった。だから、マリーベルは賢者の書を渡し続けた。この数ヶ月、ずっと――
それでも、賢者の書を悪用しないかとアシュレイに尋ねたのは、急に怖くなったからだ。
今日、王都から来た商人の女の子……シアから賢者の書の名が出されて、エドガーの言葉を聞いた瞬間から、マリーベルは言いようもない恐怖心に支配されている。
賢者の書は使い方を誤れば、危険なモノ。もし、悪用されたなら……。
あのエドガー兄さんの言葉が、耳から離れない。
自分はもしかしたら、とんでもない過ちを犯しているのではないか?
そう思いつつも、それを認める勇気もなくて、マリーベルは焦げ茶の瞳ですがるようにアシュレイを見ると、同じ問いを繰り返す。
「――アシュレイは賢者の書を、悪用なんかしないわよね?」
すがるような視線を向けられたアシュレイは、ふっと微笑むとマリーベルの蜂蜜色の髪を梳いて、額に接吻を落とした。
その気障とも言える行為に、マリーベルの白い頬が、林檎のような赤に染まる。
「ふふ……どうして、そんなことを聞くんだい?マリーベル。君が、そんなことを心配しなくて良いんだよ。可愛い恋人を傷つけるなんて真似を、僕がするはずないだろう?」
それとも、僕のことは信じられない?と続けるアシュレイに、マリーベルは「そんな……!」と叫んで、慌てたように首を横に振った。
「そんな……!そんなことないわ!ひどいことを言って、ごめんなさい。ごめんなさい。アシュレイ……」
必死に謝るマリーベルに、アシュレイも悲しげに伏せていた面を上げる。
「良いんだよ。マリーベル」
アシュレイは優しげな微笑みを浮かべて、そう言った後、「心配しなくても、もうすぐ終わるから」と小声で付け加えた。しかし、その声は小さ過ぎて、マリーベルの耳には届かない。何か言ったかと首をかしげるマリーベルに、アシュレイは何でもないと、再び少女の額に接吻を落とす。
「何でもないさ。それよりも、そろそろ夜明けの時刻だよ。マリーベル。家族に気づかれないうちに、家に戻らなきゃいけないんだろう?」
アシュレイにそう言われて、マリーベルはコクンッと首を縦に振り、ふらふらとした頼りない夢見るような足取りで、自宅への道を歩いていった。接吻だけで、全ての疑問を誤魔化されてしまったらしい。
マリーベルが去って、アシュレイだけがその場に残る。
「……」
一方、恋人たちの会話の一部始終を聞いていたシアとアレクシスは――
「ねぇ……アレクシス?」
隣にいるアレクシスに、シアは声をひそめて話しかけた。
「……何だ?」
「何か……どう見ても、怪しくない?あのアシュレイとかいう男は」
そう言いながら、シアは指の先でちょいちょいと、アシュレイを指し示した。
とても怪しく思える。というか、ハッキリ言ってマリーベルさんの恋心を利用して、騙しているようにしか見えん。
「たしかにな……ただの恋人同士というわけではないようだ。特に、あのアシュレイとかいう男の方は」
アレクシスも同意して、漆黒の瞳でアシュレイの方を睨んだ。
金髪碧眼の優男風の青年――普通ならば好感を持たれそうな外見なのに、彼を見ていると、何となく胡散臭いものを感じてしまう。
その理由は一体なんなのだろうと、アレクシスはしばし考えて、その答えに気がついた。
(ああ。そうか……あのアシュレイとかいう男、笑っていても目が笑っていないからだ)
考えた末に、アレクシスはその不自然さに気づく。
先ほどマリーベルと会話をしている間、アシュレイは幾度も微笑んだり、優しい声で語りかけたりしていた。だが、ただの一度として、本気で笑ってはいなかったのである――その青い瞳は、ずっと冷たいままだった。怖いほどに。
(あの男は……シアが心配する以上に、危険かもしれん)
そう危惧しながら、アレクシスは気づかれないように細心の注意を払いつつも、アシュレイを睨み続けた。わけもない嫌な予感に、突き動かされて。
「……な小娘だ」
その時、マリーベルにもらった賢者の書のページを、懐に仕舞ったアシュレイが何かを呟く。
「……え?今、あの男が何か言った?アレクシス」
しかし、その呟きが聞き取れなかったシアは、横を向いてアレクシスに尋ねた。
「――馬鹿な小娘だ、と」
アレクシスがそう、アシュレイの呟きを伝えると、シアが「なっ……!」と怒気を露わにした。
馬鹿な小娘というのは、マリーベルさんのことだろうか。もし、そうだとしたなら……『賢者の書』が、最悪な男の手に渡ったものだ。
「……厄介なことになったね」
二人分の心境を代弁し、シアはそう呟きながら、ぎゅっと目をつぶる。
夜明けの光が、妙に目に眩しかったのである。
その朝日が、商人と騎士の悲惨な一日の始まりになろうとは、この時は誰も予想しえないものであった。
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