女王の商人

モドル | ススム | モクジ

  薬草と商人5−10  

 早朝。
 空が夜の闇から、薄い青に淡い紫がまじったような、何とも言えず美しい、夜明けの色に染まる頃。
 まだ、ようやく夜が明けたばかりのセノワの町を、一人の青年が駆けていた。
 混じりけのない、漆黒の髪に、同じ色の瞳。
 腰の剣から、青年の身分は騎士か、あるいは軍人か、それに準ずるものであると容易に知れる。
 その端正な顔立ちは、常ならば凛々しいと称されるものであっただろうが、今、きつく唇を引き結び、まだ明るくなりきらない夜明けの町を駆ける彼の――アレクシスの表情は、焦りの色が濃い。
 アレクシスは休みなく、セノワの町を駆け回りながら、何かを探しているようだった。
 大通りはもちろん、路地裏、あるいは建物の陰に至るまで、ひどく真剣な表情で、アレクシスはひとつひとつ見て回り、そこに誰かがいないか探しているようだ。
 そうして、探し回る間にも彼の唇からは「シア!どこにいる?無事か?」とか「俺の声が聞こえたら、何でもいいから、返事をしてくれ!シア!」という、不安と心配がまじりあったような、必死な声が上がっていた。
 その呼びかけに、彼女の返事がないことに深く落ちこみながら、心配で心配で今にも叫びだしたいような気持ちを、拳を握りしめて必死に耐え、アレクシスは休む間もなく走り続け、決して諦めることなく、彼女の――シアの姿を探し続ける。
 返事がないことに、胸が苦しいほどの強い不安を抱えながら、何度も何度も何度も、彼女の、シアの名を呼ぶ。
「――シア!聞こえるか?シア!」
 返事がかえらないことに絶望し、何か危険な目にあっているのではないかと不安にかられ、次こそは返事がかえるのではないかと淡い希望を抱き、また絶望する。
 幾度も幾度も、それを繰り返す。
 昨夜から一睡もしていないため、アレクシスは肉体的にも……それに何より、絶えることのない不安と心配で、精神的にかなり疲労していたが、それでも彼は絶対に、シアを探すことを休もうとはしなかった。
 自分が、こうしている間にも、シアが何か危険な目に合っているかもしれない。
 もしかしたら、どこかに閉じこめられているのかもしれない。
 どこか怪我をしてしまって、その場から動けないのかもしれない。
 あるいは、不安で泣いて……は、あまり想像できないが、たった一人で、今、この瞬間にも苦しんでいるかもしれない。
 そんな悪い想像ばかりが、ぐるぐると頭の中を回って、アレクシスはとてもではないが、休む気になどなれなかった。
 何もしていないと、シアへの心配と、もしかしたら何かあったのではないかという不安で、おかしくなりそうだ。
 もし、何もしないでじっとしてろと命じられたなら、最悪、気が狂うかもしれない。
 たとえ、体力の限界まで疲れ果てたとしても、シアを探している方が、気分的には遙かにマシだった。
「シア―――!頼む。無事なら、返事をしろ―――!」
 アレクシスが幾度、そう呼びかけても、一度として返事はかえってこない。
 昨日の夜のことだ。
 リタ、ニーナ、ベリンダ……リーブル家の三人のメイドが、ハイライン伯爵家の別邸に、アレクシスを訪ねてやって来たのは。
 途方に暮れた表情で、シアお嬢さんが大旦那様の使いで出かけたセノワの町で、行方知れずになってしまったのだと、今にも泣き出しそうな声で言ったメイドたちに、アレクシスは「力を貸す」と、そう約束した。
 親しい人間に、何かあったのかもしれないのだ。力を貸すのは当然のことだし、もし、そんな状況で何もしなかったら、アレクシスは決して己を許せないだろう。
 過去の様々な事情から、商人のことを快く思っていなかった、母のルイーズにさえ「どんな状況であれ、女性の危機を見過ごすような男に、貴方を育てた覚えはありません……そのシアという商人の女の子に、何かあったのかもしれないのでしょう?ならば、早く行きなさい」という言葉と共に、さっさと行きなさいと背中を押されて、彼はシアを探すために、セノワの町へとやって来たのである。
 それからというもの、アレクシスは一睡もせず、わずかな休息すら取らないまま、セノワの町中を駆け回って、リーブル商会の者たちと一緒に、必死にいなくなったシアを探しているというわけだった。
「シア―――!」
「アレクシスさ―――んっ!」
 ようやく返事があったものの、それは若い男の声でシアのものではありえず、アレクシスはそのことに落胆しながら、その声の方を向く。
 声の方からは、リーブル商会の見習い三つ子の一人……
 全く同じ顔であるため、アレクシスは見分けるのが困難だが、エルトかアルトか、あるいはカルトの誰かである、彼と同い年くらいの青年が、「アレクシスさ―――んっ」と声を上げながら、こちらに駆け寄ってくる。
 彼、三つ子の誰かアレクシスには判断がつかないが、彼もまたシアを探しに、セノワの町にやって来た一人だった。
 お嬢さんの危機に、将来の長であるシアの危機に、リーブル商会の面々が、ただ黙っているわけがない。
 アレクシス以外にも、たまたま手のあいていたリーブル商会の人間は皆、自分の意志で、姿を消したシアを探すために、このセノワの町に来ている。
 それも全て、シアお嬢さんのことが心配だと、彼女の身を心から案じればこそだ。
 シアは本当の意味で心配してくれる、良い仲間を持っているな、とアレクシスは思う。
「ここにいたんですか……アレクシスさん」
 駆け寄ってきた青年、エルト、アルト、カルトの三つ子のうちの誰かは、そうアレクシスに話しかけた。
 アレクシスと同じように、彼もシアを探して走り回っていたのだろう。普段の飄々とした笑顔とは違い、その顔には疲れが見える。
 しかし、彼がアレクシスに向ける目は、疲れよりも心配の色が濃かった。
 アレクシスは少し首をかしげ、三つ子の誰かである男に向かって、「ああ……」と言葉をかえす。
「ああ……すまない。俺を探したか?……アル……いや、カルト?」
 カルト――というアレクシスの言葉に、青年は小さく苦笑を浮かべて、首を横に振った。
「いえいえ……アルトでもカルトでもなくて、エルトです」
 軽い声で、アルトでもカルトでもなくてエルトです、と名乗った三つ子の一人――エルトにアレクシスは「あ……」と言って、名前を間違えたことに、申し訳なさそうな顔をする。
「あ……すまない」
 真面目な顔で、すまないと謝るアレクシスに、エルトは気にしないでくださいという風に、ひらひらと片手を振る。
 顔はもちろん、何もかもそっくりな三つ子であるから、こんな風に名前を間違えられることは、めずらしくもないのかもしれない。
 気を悪くした風でもなく、エルトは「いやいや、そんな気にしないでくださいよ」と言う。
「いやいや、そんな気にしないでくださいよ。アレクシスさん……俺たち三つ子をちゃんと見分けて、それぞれの名前を間違えずに呼ぶなんて、血の繋がった親兄弟だって簡単じゃないんですから。リーブル商会の中でも、それが出来るのは……そうだなぁ、シアお嬢さんくらいのもんじゃないですか」
 張りつめた糸のような、緊迫した空気を和らげようとするように、エルトが言う。
 エルトの口から、意識した風でもなく、ポロッと出たシアの名前……。
 その自然な口調こそが、逆に彼ら三つ子とシアの間にある、深い信頼関係を思わせた。
 知り合ってからの時間は、そう長いわけではないが、普段の様子を見ていれば、それぐらいはアレクシスにもわかる。
「シアだけ?……何か理由でもあるのか?」
 三つ子をシアはちゃんと見分けられるのだと、そう言ったエルトに、アレクシスは感心したように言い、「何か理由でもあるのか?」と尋ねる。
 エルトはさぁ、と首をかしげて、「さぁ……シアお嬢さん曰く、野生の勘らしいですけど」と言う。
「……野生の勘?」
「はぁ。シアお嬢さんが言うには、そうらしいです」
「……」
 シアお嬢さんはそう言ってましたという、エルトの言葉に、アレクシスはしばし沈黙し、その後、小さく、本当に小さく、どこか愛おしげに微笑む。
 そうして、彼は穏やかな声で「……シアらしいな」と言った。
「……シアらしいな」
「ええ。まぁ……シアお嬢さんは、ああいう人ですから……俺たちのこと、本当は家族みたいに思ってくれてるのに、照れ屋なんです」
 エルトは、しょうがないとでも言いたげな顔で、ええ、とうなずく。
「……きっと、そうなんだろうな」
 アレクシスはそう言うと、再び、真剣な、張りつめたような空気をまとって、エルトに「シアがどこにいそうか……何かわかったことはあるか?」と、尋ねた。
「シアがどこにいそうか……何か、わかったことはあるか?エルト」
 アレクシスの問いかけに、問われたエルトは、憂い顔で「いえ……」と首を横に振る。
「いえ……今のところは、まだ……ニール支部長も、商会の人脈を使って、地元の人たちから色々と情報を集めてくれてはいるんですが……シアお嬢さんが、自分から姿を消すとは、俺には考えられません。もしかしたら、あんま考えたくないですけど、何か事件に巻きこまれたのかも……」
 言葉に出すと、さらに不安が増すからだろう。エルトは心配そうな表情で、シアの居場所を探すように、遠くに視線を向ける。
 その気持ちは、アレクシスも同じであったから、彼もまた不安や心配で仕方ない胸の内を静めるように、拳を握りしめる。
 そうして、冷静になれ、と己に言い聞かせた。
 仕事の仲間であるアレクシスですら、これだけシアのことが、心配なのだ。
 ましてや、常に家族同然だと彼女が言っていたリーブル商会の人々の不安や心配は、言われずとも察せられる。――シアのためにも、シアを心配しているリーブル商会の者たちのためにも、早くシアを見つけてやりたかった。
 ……それに、自分自身のためにも。
「そうか……また別の場所を、探してくる。悪いが、何か情報が入ったら、教えてくれるか?エルト」
 アレクシスはそう言って、エルトに背を向けると、またシアを探すために、疲れた様子を見せることもなく、さっさと駆けていく。
 その迷いのない、騎士の広い背中に、エルトは「あ、アレクシスさん……」と呼びかける。
 呼びかけに、アレクシスは足を止めて、首だけ半分、エルトの方を振り返った。
「……何だ?」
 エルトは一瞬、それを言おうか言うまいか、迷うような素振りを見せたものの、結局、アレクシスの目を正面から見て、真剣な表情で「……どうしてですか?」と問う。
「……どうしてですか?俺たちリーブル商会の人間は当然としても、シアお嬢さんのために、アレクシスさんは何で、そんなに必死になってくれるんですか?……家族でも恋人でもなくて、ただ一緒に女王陛下の仕事をしているっていう、それだけの女の子のために」
 どうしてですか?と、エルトは再度、同じ言葉を繰り返した。
 そんなエルトの言葉に、そんなことを聞かれるとは想像もしていなかったのか、アレクシスはひどく戸惑ったような顔をする。
 普段、あまり動揺を顔に出さない青年にしてはめずらしく、驚いたような、困惑したような、どう答えていいのかわからないといった表情だった。
「それは……」
 それは、今、答えなければならないのか――?とアレクシスは言いかけて、真剣な目をしたエルトと目が合い、いや、と首を横に振った。
 その問いが、エルトにとって、どんな意味を持つのかはわからない。
 しかし、それが彼にとっては重要なものである証拠に、エルトの表情は真剣で、その瞳からは、はぐらかすことを許さないような強い意志が感じられた。
 心からの言葉には、同じだけの誠実さをもって、返事をしなければならない。
 そう考えたアレクシスは、迷いながらも「それは……」と唇を開く。
「……わからない」
「……は?わからない……ですか?」
 わからない、とアレクシスが答えたことで、エルトは「……は?」と、いささか拍子抜けしたような顔をする。
「ああ……」
 アレクシスはうなずいて、言葉を続けた。
「ああ……わからないというか、その、上手く説明できる気がしないんだ。あえていうなら、そうだな……俺はきっと、騎士のくせに女々しいというか、臆病なんだろう」
「臆病……?そうは思えませんけど……」
 アレクシスの口から出た、臆病という言葉に、とてもそうは思えないと、エルトは首をかしげた。
 臆病なんて、この騎士の青年には、最も似つかわしくない言葉だ。
 むしろ、何かを守るためならば、自ら進んで危険の中に飛びこんでいきそうなタイプに見える。
 彼が臆病だというならば、世の中の大半の男は、臆病者と罵られるこになるだろう。
 そうは思えないと言ったエルトに、アレクシスはいや……と否定の言葉を吐き、小さく息を吐いて、やや自嘲気味に続けた。
「いや……気持ちは有り難いが、俺は臆病なんだ。その証拠に、大切な人間がどこかにいってしまうと思うと、怖くて怖くて、いてもたってもいられない……自分の手の届かないところで、大切な人が傷つくことは、自分が傷つくことよりも、耐えきれないほど辛い」
「アレクシスさん……」
「笑ってくれていい。自分でも、自覚している。俺のは、優しさなんかじゃない。ただ臆病なだけだ……大切な人間が傷つくことに、俺が耐えきれないだけなんだから」
 少しづつ吐露されるアレクシスの気持ちを、エルトは余計な口を挟まず、黙って受け止める。
 シアとは異なり、アレクシスとエルトの接点は、そう多くはない。だから、こんな風に一対一で向き合って、きちんと話すのは初めてだった。
「……そんな場合じゃなかったのに、つまらないことを喋りすぎて、悪かったな。エルト。忘れてくれ」
 喋りすぎたことを後悔するように、早口でそう言い、再び背を向けたアレクシスに、エルトは気になっていた言葉を投げかける。
「アレクシスさん!……そう言うなら、貴方にとって、シアお嬢さんは大切な人なんですか?」
 エルトの声に、アレクシスはもう一度、後ろを振り返って、「ああ」とうなずいた。
「ああ。俺にとってシアは、大切な仲間で、もし彼女が許してくれるなら、大切な友でありたいと思う」
 そ、そうなのか……?と一瞬、納得しかけたエルトだったが、その後、アレクシスが続けた言葉に、彼は思わず言葉を失う。
「シアは、大切な仲間だ。何があっても、命をかけてでも、守りたいぐらいに」
 鈍感というか、呆れるほど鈍いというか、この上なく鈍いというか、エルトの意図など微塵も察しない、また察せられないアレクシスは、真面目な表情でそう言うと、再び前に向き直り、シアを探すために駆けていく。
 エルトは余りの鈍さに何も言えず、ただただ呆然と立ち尽くして、遠ざかっていく、その騎士の背中を見送るしかなかった。
 結局、言えなかったものの、エルトがアレクシスに言ってやりたいことは山ほどある。
 何があっても、命をかけても守りたいなんて、好きな女にしか言えない台詞だろ! 
 ただの仲間に、そんなことは思わないだろう! 
 まさか、無自覚か! 
 ……等々、言ってやりたいことは、沢山あった。
 喉元まででかかったそれを、ギリギリ言わずにすんだのは、運が良かったのか悪かったのか。
 鈍い。鈍い。鈍すぎる!
 正直、もどかしくてしょうがないが、こういうものは本人が気づくもので、他人があれこれ言うものでもないから仕方ないか、とエルトは呆れ気味に思う。
 アレクシスの背中が遠ざかって小さくなり、それが見えなくなったのを見届け、エルトは「はぁぁ」と大きくため息をついて、ぼそっと呟いた。
「あれだけ言ってて、全く無自覚かぁ……シアお嬢さんも、ちょっと鈍感なところがあるけど、アレクシスさんはそれ以上だな……苦労するよ、あれは」
 やれやれと肩をすくめるエルトの背に、後ろから「お――い!三つ子の!」という声がかけられた。
「お――い!三つ子の!」
 三つ子の、と呼ばれたエルトは「はい!」と後ろを向いて、自分の方に走ってきた老人の名を呼ぶ。
「はい!何でしょう?ニール支部長」
 ニール支部長――と、エルトは自分のそばに駆けてきた、温厚な学者のような風貌をした老人の名を呼ぶ。
 いかにも好々爺といった人の良さそうなニールは、先代の長であるエドワードを長年、支えてきた有能な商人であり、見習いのエルトにとっては商人としての大先輩にあたる、尊敬すべき存在だ。
 本来ならば、若い見習い商人のように、あちらこちらを駆け回ったりしなくて良いような立場であり、また年齢でもあるのだが、今は、このセノワの町でシアが行方知れずになってしまったということで、自ら率先して動いていた。
「何か……シアのことでわかったことはあるかの?三つ子の」
 そう尋ねるニールの声は、不安そうだった。
 孫娘のように可愛がっていたシアの身に、何かあったかもしれないと思うと、心配でしょうがないのだろう。
 シアの身を案じる気持ちは同じだったので、エルトは「いえ……」と悔しそうに首を横に振る。
「いえ……残念ですけど、まだです。ニール支部長」
「そうか……シアが心配じゃな。なんとか無事でおるといいが、いや、無事であってくれねば困るの」
 エルトの返事に、ニールは無事であってくれ、と祈るように言う。
 シアがこのセノワの町で行方知れずになったことで、リーブル商会の人間として、また支部長として責任を感じているというのはあるのだろうが、決してそれだけではない。
 まだ青年だった頃から、シアの祖父エドワードの片腕兼親友として、数十年にも渡り、リーブル商会を支えてきたニールにとっては、シアは孫娘のような存在である。
 どうか無事であって欲しいという声は、たとえ血の繋がりはなくとも、孫娘も心配する祖父のそれだった。
 そんなニールの心情を、痛いほどに感じたエルトは「大丈夫ですよ。ニール支部長」と、励ます。
「大丈夫ですよ。ニール支部長!……俺たち兄弟にはわかります。シアお嬢さんは絶対に絶対に、無事に帰ってくるって!」
 そう力強く断言するエルトは、ただ気休めを言っている風ではなかった。
 もちろん、不安がないわけではないのだろうが、絶対に!と断言するエルトの声からは、揺るぎない信頼のようなものが感じられる。
「三つ子の……」
 少し驚いた風に言うニールに、エルトは心配ないという風にニッ、と豪快に笑いかける。
 そうして、重苦しい空気を変えようとするように、明るい声で言った。
「シアお嬢さんは……短気で、じゃじゃ馬で、おまけに喧嘩っぱやくて……なんて言うか、全然、女の子らしくなくて、むしろ男の夢を全力で壊すような人ですけれど、俺たちの信頼を裏切ったことは、今まで一度もないんですよ。そう、ただの一度も。だから、シアお嬢さんは大丈夫です。絶対に……無事に戻ってきます」
 ニールはもう一度、「三つ子の……」と言うと、そうじゃな、と息を吐く。
「……そうじゃな。あの子の祖父も、エドワードの奴も、酒好きで女好きでしょうもない男なんじゃが、昔から仲間の信頼だけは裏切らん男じゃった……その孫娘なんじゃから、ワシらが信じとる限り、必ず無事に帰ってくるじゃろ」
 リーブル商会の仲間であり、長年の親友でもあるエドワードの顔を思い浮かべて、ニールはうなずいた。――酒好き女好きの遊び人だが、昔から仲間の信頼は、絶対に裏切らなかったエドワード。
 シアは、あの男のたった一人の孫娘であり、天才と呼ばれた商人の血を引いているのだ。だから、きっと大丈夫なはずだ。そう信じるしかない。
「ええ、そうですよ。俺たちは、シアお嬢さんを信じて、探しましょう」
 そう言ったエルトに、ニールは「そうじゃの……」とうなずいて、ふいに思い出したように言った。
「そういえば……どこかで、ジャンの奴を見かけなかったかの?三つ子の」
「……ジャン?誰のことですか?」
 エルトたち三つ子は、今回、初めてセノワの町に足を踏み入れたばかりで、知っている顔よりも知らない顔の方が多い。 
 ニール支部長すら、昔から名前は聞いていたものの、こうして会うのは初めてだった。
 首をかしげるエルトに、ニールは「ほれ、あの……」と続ける。
「ほれ、あの……最初に紹介した、背の高い男じゃ」
「ああ、ジャンさんって、あの人ですか……あの人なら、さっきから一度も、姿を見てません」
 さっきから一度も、ジャンの姿は見ていない。エルトがそう言うと、ニールはハァとため息をついて、渋い顔をする。
「この大変な時に、どこをふらふらしとるんじゃ、ジャンは……困った奴じゃの」
 どこをふらふらしとるんじゃ、ジャンは……痛む額を押さえて、ニールはボヤく。
 こんな大変な時に、上司に無断で姿を消すなど、本来であれば見つけ出して、長々と説教してやるところだが、残念ながら、今はそんな場合ではない。
 もし、万が一、シアが何かの事件に巻きこまれて、危険な目に合っているのだとしたら、早く助けてやらねば……。
 軽く首を振ると、ニールは「三つ子の……」とエルトに呼びかけた。
「三つ子の。ワシはもう一度、町の住人たちに、どこかでシアを見かけなかったか聞いてこようと思うんじゃが……手伝ってくれるか?」
「はい!……ニール支部長」
 そんなニールの頼みを、エルトが断るはずも無く「はい!」と素直に答えると、その後、「ニール支部長」と前を歩く背中に呼びかけた。
「……何じゃ?三つ子の」
「もしも、シアお嬢さんが誰かにさらわれて、危険な目にあってたとしたら……どうしますか?」
 振り返ったニールは、エルトの問いかけに、決まっているという風に答える。
「――そんなの決まっているじゃろ。シアをさらった阿呆に、リーブル商会をナメた愚か者に、商人を甘く見たらどうなるか、思い知らせてやるんじゃよ。なぁ?」
 何の迷いもなく、そう言い切って不敵に笑うニールに、エルトも「当然です」と力強い声で応じる。
 そうして、彼らはシアを探すために、並んで歩きだした。
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