女王の商人

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  薬草と商人5−3  

「ううん。どうしたもんか……」
 うろうろとアレクシスの屋敷の周りを歩き回りながら、シアは「ううん……」と唸っていた。
 アレクシスの屋敷をちらりと見ては、うんうんとうなって、再び屋敷を見ては頭を抱える。
 そんなことを十分以上も続けているのだから、はっきり言って、傍目にはかなり怪しい。何かあれば、警備隊を呼ばれても仕方ないところである。犬のぬいぐるみを抱いた幼い女の子が「お母さん。あのお姉ちゃん、何してるの?」とシアを指さし、若い母親が「しっ!見るんじゃありません」と叱るなどという、お約束な会話されるほどに怪しかった。
 シアは見た目だけは、ちょっとやそっとじゃ見つからないほどに美少女なので、良くも悪くも目立つ。
 先ほどから「うんうん」と唸って、ハイライン伯爵家の屋敷の前にうろうろする変な美少女に、近所の人々の視線は集中しているのだが、本人にその自覚はないようだった。
 ――この前のことを、アレクシスにちゃんと謝ろう。
 三つ子にはっぱをかけられた以上、今さら後には引けないし、また引く気もない。アレクシスにちゃんと謝ろうと、決意してリーブル商会を出てきたものの、どうやって謝ったものか、シアは悩んでいた。
 やはり、ここは素直に「ごめん」と頭を下げるのが良いか、それでダメならば、アレクシスに一発くらいなら殴られても良いか。
 一発くらいなら殴られてやっても良いし、それで話が丸く収まるなら、むしろ安い気もする……などとシアは、いささかズレたことを考えていた。
「よしっ!それでいこう!女は度胸だ!」
 名案だ、とシアは思った。これなら、アレクシスも納得するだろうと。
 実際は名案でも何でもなく、アレクシスがシアに手を上げることなど、仮に天地がひっくり返ったとしてもありえなさそうだが、その時のシアは冷静な判断力を欠いていた。
 アレクシスには何の許可も取らず、勝手にそう決めると、シアはアレクシスの屋敷の呼び鈴を鳴らす。
 呼び鈴を鳴らしてから、扉の前でシアがしばらく待っていると、扉が開けられて、中から眼鏡をかけた金髪の青年が顔を出した。
 アレクシスの従僕のセドリックだ。
 主君バカと言われるほどに忠義心の厚い従僕であり、シアとは犬猿の仲の青年である。
 はっきり言えば、顔を合わせれば怒鳴りあいになるような関係だ。
 彼はシアを見た瞬間、露骨に顔をしかめて言う。
「門の前をうろうろとしている不審者が居るから、誰かと思えば……よりにもよって貴女ですか。じゃじゃ馬娘」
 そんなセドリックの言葉に、シアは「がるる……」と、獣のように唸りながら言い返す。
「誰が、じゃじゃ馬娘よっ!あたしには、シア=リーブルっていう、ちゃんとした名前があるの!大体、仮にも家に来た客に対して、その態度は何なのよっ!……まぁ、いいわ。今日は、アンタと喧嘩するために来たわけじゃないし、アレクシスは居る?」
 思わず、売り言葉に買い言葉を返そうとしたシアだったが、当初の目的を思い出して、セドリックにアレクシスの居場所を尋ねる。
 セドリックはふぅ、と息を吐いて、首を横に振った。
「いいえ。若様なら、先ほど外に出られたばかりですよ」
「そうなの?すぐに戻ってくる?」
「さぁ。ただ、さっき出られたばかりですから、当分は戻っていらっしゃらないと思いますけど」
 アレクシスは出かけているというセドリックの返事に、シアはがっかりして肩を落とした。
 ちゃんと謝ろうと思って屋敷まで来たのに、どうやらタイミングが悪かったらしい。
 ようやく気持ちの整理がついて会いに来たのに、また出直すしかないのか……。
「何か若様に伝言があるなら、お伝えしておきますが……」
 いくら犬猿の仲といっても、シアの落胆ぶりを見るに見かねたのか、セドリックがそう助け舟を出す。
「……気持ちは有難いけど、謝るのは直接じゃないと意味がないから」
 有難い申し出だったが、シアはそう言って断った。
 本気で謝る気なら、ちゃんと相手の目を見て謝って、それで許してもらわねば意味がない。
「そうですか」
 シアの返事に、セドリックはうなずく。
「……セドリック?お客様がいらしたの?」
 その時、屋敷の中、セドリックの後ろから、そう女性の声がした。
「奥方様」
 セドリックは振り返ると、後ろに向かって、そう呼びかけた。
「……奥方様?」
 その言葉に、シアは不思議そうに首をかしげる。
 アレクシスは従僕のセドリックと、この屋敷に二人で暮らしているはずだが……奥方様?
 シアが首をかしげていると、屋敷の扉を開けて、中から一人の女性が外へと出てきた。
 淡い金髪に、灰色の瞳の四十歳くらいの女性だ。
 その腕には、白銀の毛並みの猫を抱いている。
 美しく理知的な顔立ちと、すらりとした長身に、上品な雰囲気を持つその人に、シアは見惚れる。綺麗な人だと、そう思った。そして、誰かに似ているとも。
 その女性はシアの方に歩み寄ってくると、
「貴女はもしかして……女王陛下の商人の方かしら?」
と、シアに尋ねる。
「え?あ、はい。そうです」
 いきなり見知らぬ女性に話しかけられたことに驚きつつも、シアはうなずいた。
 (……この女の人は誰だろう?アレクシスの身内かな?)
 シアの困惑を察したのか、その女性は「初めまして」と言って名乗った。
「初めまして。私はルイーズ=ロア=ハイラインと申します。アレクシスの母親ですわ」
 女性――ルイーズの言葉に、シアは目を丸くした。
 ……この綺麗な女の人が、アレクシスの母親?
 髪の色も目の色も全く違うから、母親だと名乗られるまでシアは気がつかなかったが、そう言われれば眉の形や口元のあたりが、息子のアレクシスとよく似ている。前にアレクシスは自分は父親似だと語っていたが、彼の姿勢の良さや凛とした雰囲気は、どうやら母親譲りのもののようだ。
 そんなことを考えていたシアだったが、まだ自分が名乗っていないことを思い出し、慌てて挨拶する。
「……あっ、初めまして。あたしはシア=リーブル。女王陛下の商人です」
 シアが名乗ると、アレクシスの母親――ルイーズは、知っていたというにうなずいた。
「お名前は、存じ上げておりますわ。シアさん……息子の、アレクシスの手紙に、貴女のことが書いてありましたから。お若いのに、とても優秀な商人でいらっしゃるとか」
「いえ。そんな……」
 ルイーズの言葉に、シアは照れたように首を振る。商会の跡継ぎとして、自分に出来る精一杯の努力はしているつもりだが、こんな風に面と向かって褒められるのは、いささか気恥ずかしい。
 しかし、そんな和やかな空気は、長くは続かなかった。
「シアさん」
 名を呼ばれて、ルイーズの方を向いたシアは、その灰色の瞳の冷ややかさに息を呑む。
 シアを睨みながら、アレクシスの母親は言葉を続けた。
「その若さで、女王陛下に認められていらっしゃるなんて、ご立派なことですわ。シアさん。ただ……」
 賞賛のようにも取れる、ルイーズの言葉。だが、その言葉の裏にある感情を、シアは悟った。
 冷ややかな声の裏に隠された感情――それは、怒りだ。
「――貴女に聞きたいのですけれど、息子に……アレクシスに怪我ばかりさせている原因は、どこのどなたなのかしら?ねぇ?シアさん」
 その問いかけに、シアは答えることが出来なかった。
「……」
 婉曲な表現を使っていても、ルイーズの言いたいことは明らかだ。
 このところアレクシスは女王陛下の仕事の度に、いつも怪我をしている。その原因は、シアにあると――アレクシスの母親であるルイーズは、そう言っているのだ。
「……」
 ルイーズの言葉に、シアは押し黙る。
 確かに、ルイーズの――アレクシスの母の言い分にも一理ある。
 女王陛下の商人として仕事をこなす中で、アレクシスが怪我を負った回数は、決して少なくはない。その怪我の中には、彼がシアを庇ったゆえに負った傷も含まれているのだ。いくらアレクシス本人が、騎士の務めだから気にするなと言っていても、母親からすれば見過ごせまい。怒るのも、無理もないことだ。
 それがシアのせいだと言われたら、シアはそれを否定できない。
 ……悔しかった。だが、反論できる材料を、シアは持ち合わせていない。
 それでも、下を向いたままでいるのは我慢ならなくて、シアは顔を上げると青い瞳でルイーズを見つめて、凛とした声で尋ねた。
「アレクシスが……あたしのせいだと、そう言っていたんですか?」
 シアの問いかけに、ルイーズは「いいえ」と首を横に振る。
「いいえ。アレクシスは貴女のせいだなんて、一度も口にしたことはありませんよ。あの子がその類のことで、愚痴や不満を口にするような人間かどうか、貴女だってご存知でしょう?シアさん……あの子は昔から、自分より弱い人間を守ろうとする。そのせいで、自分が怪我をしたとしても、何も言わない。だからこそ、私が代わりに言うのです」
 母である人から、そこまで言われて、何か反論することが出来るだろうか?……答えは、否だ。
 ルイーズの灰色の瞳に睨まれて、シアは何か言い返すどころか、目を逸らさないようにするのが精一杯だった。
 自身が幼いころに病気で母を亡くしているせいか、シアは母親という存在に弱い。それに、アレクシスの怪我にはシア自身が、深い負い目を感じていたこともあり、余計に何も言えなかった。
 商人という立場には誇りを持っているが、戦う力がないから守られているのが当然などと、シアだって思ってはいないのだ。でも、だからといって、どうすればいい?
 アレクシスに何度、助けられたところで、シアは彼に何も返すことは出来ないのだ。守ることも助けることも、何も。シアは無力だ。そして、それがこの上もなく悔しかった。
「とにかく……」
 落ち込むシアに、更なる追い討ちをかけるように、ルイーズの声が冷ややかに響く。
「――セドリックも言ったでしょうが、息子は……アレクシスは出かけていますから今日のところは、どうかお引き取りください」
 その方がお互いのためでしょうと、その灰色の瞳が語っていた。
 帰った方がいいというルイーズの言葉を、シアは受け入れるしかなかった。胸に釈然としないものを抱えつつも、彼女はハイライン伯爵家の屋敷の前から、すごすごと退散するしかなかったのである。

「……ただいま」
 憂鬱な気分のまま、シアがハイライン伯爵家の屋敷からリーブル商会に戻ってくると、椅子に座っていた祖父のエドワードが振り返り、「おう。おかえり」と言った。
「おう。おかえり……どーした?なんか、辛気くせぇつうか、シケた面してんなぁ。シア。博打で派手に負けたか?それとも飲み屋のオネエちゃんにフラれたか?それとも、その両方か?」
 片手に琥珀色の酒瓶を抱えながら、そう問いかけてくる祖父に、シアは一瞬、自分が落ち込んでいることも忘れて、「ふざけるなあああっ!」と怒鳴った。酔っ払いに、あれこれ言われたくない!
「ふざけるなあああっ!色ボケじいさんや父さんじゃあるまいし、そんな理由で、落ち込んだりしないわよっ!っていうか、人の顔を見るなり、シケた面って失礼でしょーがっ!」
 シアが真っ赤な顔で怒鳴っても、エドワードは酒瓶を抱えたまま、「がははっ!」と豪快に笑うだけだ。
「がははっ!あんまりシアがシケた面をしてやがるから、ちょっとばかし心配になったが、そんだけ怒鳴る元気がありゃあ大丈夫そうだな……それはそうと、今はヒマか?シア。もし手があいてたら、ちょっくら用事を頼みたいんだが」
「……ヒマって言うほどヒマじゃないけど、用事って何よ?じいさん」
 用事を頼みたいという祖父の言葉に、シアはそう返事をする。
 祖父の用事だから、仕事絡みだろうか。
 色々とあったが、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。しっかりしなくては駄目だ。シアは銀貨の商人であり、このリーブル商会の未来の長なのだから。
「ああ。手紙と品物を、セノワの町まで届けてほしいんだが、引き受けてくれるか?」
「わかった。セノワの町ね。手紙って、誰に?」
 祖父の頼みを、シアは承諾した。
 どうせ急ぎの仕事はないし、断る理由もない。
 誰に手紙を届ければいいの?というシアの質問に、エドワードは「ああ」とうなずく。
「ああ。二ールだよ。セノワの町で、リーブル商会の支部をやってる、ニール=ブラウン。シアも知ってるだろう?俺の古い友達で、ほら、お前のオシメを替えてくれた……」
「じいさん。それ以上は、恥ずかしいから言わないで……ニールじいさんのところに、手紙を届ければ良いのね。わかった」
 祖父の古くからの友人であるニールのことを、シアはもちろん知っていた。
 経験の豊かな商人であり、リーブル商会の一員として、長年に渡り祖父・エドワードの片腕であった人物だ。
 シアも子供の頃から、何度か会っていて、会うたびに実の孫のように可愛がってもらっていた。だからこそ、血の繋がりは全くないが、シアは親しみをこめて「ニールじいさん」と、そう呼んでいる。ここ三年ほどは、忙しくて会えていないが、シアにとっては父の友人であるオスカーと同じように大切な存在だ。
 元々は祖父の片腕として、リーブル商会の中枢にいたニールだが、現在は高齢のために一線を退き、セノワの町にあるリーブル商会の支部で、若い商人たちを育成しているということだった。
 セノワの街で暮らすニールに、手紙と品物を届けて欲しいという祖父の頼みを、シアは引き受けた。
 久しぶりに、ニールじいさんに会いたい気持ちもあったし、何か仕事をすることで、このモヤモヤとした気持ちを振り払いという気持ちもあった。
 じっとしていると、余計なことばかり考えてしまいそうだ。
「手間をかけて、悪ぃな。シア。んじゃ、この手紙と……品物の方は、馬車に積んであるから、セノワの町のニールんとこまで届けてくれるか?」
 エドワードの手から手紙を受け取って、シアは「うん」とうなずいた。
「うん。セノワの町なら近いし、支度をして、今日中には出発するよ」
 王都ベルカルンから、セノワの町までの距離は、馬車でおよそ数時間といったところだ。
 今から出発すれば、遅くとも、今日の夜までには帰って来れるだろう。
「頼むな」
「いいよ。あたしも久しぶりに、ニールじいさんに会いたいし、今は急ぎの仕事もないしね」
 そう明るく言って、シアは任せといて、と胸を叩いた。
 結局、アレクシスには、まだ謝れてないな――そんな考えが、チラリと彼女の胸をよぎったが、その胸の痛みに気づかないフリをした。
 悔しいが、アレクシスの母が言っていたことは、ある意味で正しいとシアは思う。
 シアと知り合ってからというもの、アレクシスは傷ついてばかりだ。心も体も。シアを庇って、しなくても良い傷を負わせただけでなく、彼が貴族であるというだけで、『だって、さっき言っていたじゃないっ!同じ貴族だって!貴族の誇りだか何だか知らないけど、貴族がそんなに偉いわけぇ?……あたしが間違ってるなら、否定してよ!』などと、八つ当たりのような言葉をぶつけた。
 それを謝りたいと思った気持ちには、嘘はない。だけど、今のままでは、また同じことを繰り返すかもしれないと、シアは思う。
 ……シアが心の底で貴族を憎み続ける限り、彼女が変わらない限り、彼らの距離が縮まることは永遠にないのだ。
 それがわかっていてもなお、どうにもならない。
「――じゃあ、セノワの町に行ってくるね!私の留守中、じいさんは酒を飲みすぎないように!」
 胸のモヤモヤを振り払おうと、わざと明るく笑うと、シアはセノワの街に向かう支度をするべく、祖父に背を向けて歩き出した。

 そうして、シアはセノワの町へと向かう。その町で、何が自分を待ち受けているのかを知らぬまま――
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