女王の商人

モドル | ススム | モクジ

  薬草と商人5−7    

 暗い倉庫のような場所で、両手両足をロープで縛られて監禁され、昏々と眠り続けるシアは、そんな状態で、過去の夢を見ていた。
 今より十年ほど前、彼女がまだ幼い子供だった頃、母さまが生きていた頃の夢……
 幼かったシアが、大好きな母を亡くした悲しみから、記憶の奥底に封印してしまった、忘れてしまっていた、そんな過去の記憶……

「……シア」
 優しくて、どこか儚げな声。
 自分の名を呼ぶ母の声に、幼い子供――シアは犬やウサギのぬいぐるみを客にして商人ごっこをしていた手を止めて、「ん―?」と顔をあげた。
 そして、シアは立ち上がると、ウサギのぬいぐるみを腕に抱えたまま、とてとてと幼い足取りで、母の方へと歩み寄る。
「……なぁに?母さま」
 小さく首をかしげながら、シアはそう母に尋ねた。
 シアの瞳に映る母の姿は、年齢の差こそあれど、鏡に写したように己とそっくりだった。
 白銀の髪も、繊細で儚げな美しい顔立ちも、白磁のような肌も母娘はよく似ていた。
 あと十数年もして、シアが大人になれば、生き写しと呼ばれることが容易に想像できるほどに、彼女たち母娘はそっくりだった。
 唯一、違うのは、その瞳の色だ。薄紫……スミレ色の瞳の母とは異なり、娘であるシアの瞳は、明るい青である。
 シアはきょとんとした顔で、何も言おうとしない母の、自分とは違うスミレ色の瞳を見つめる。
「……母さま?」
 そんな一人娘の問いかけに、シアの母――エステルはふわりっと花開くように、優しげに微笑むと、同時に今までシアが聞いたことがないような、ひどく真剣な声で言った。
「シア……」
「なぁに?母さま」
「シア……貴女に大事な、とっても大切な話があるの。聞いてくれるかしら?」
 母の言葉に、大事な話とは何だろうかと、シアは目を丸くした。
 彼女は再び小さく首をかしげると、腕にウサギのぬいぐるみを抱いたまま、まじまじと母の顔を見つめる。
 シア……貴女に大事な話があるの、とそう言った母の表情は、いつもと同じように優しく儚げで、だが、娘であるシアでさえ今まで見たこともないほど真剣なものだった。
 そんな母のどこか緊張した張りつめたような雰囲気を、シアは幼いながらも敏感に感じ取り、大事な話だから母さまの言葉を真剣に聞かなければならないのだと、子供心に悟った。だから、シアは抱いていたウサギのぬいぐるみを机の上に置くと、姿勢を正し、「聞いてくれる?」という母の問いかけに、「うん!」うなずいた。
「うん!ちゃんと聞くよ。大事なお話って、何?母さま」
「ありがとう。良い子ね。シア」
 そう言って、母――エステルは小さく微笑すると、素直にうなずいたシアの頭を、優しく撫でながる。
 母の柔らかな手が、さらさらと髪を撫でる感触が心地よく、シアは幸せそうに笑った。
 そんなシアに、母は言葉を続ける。
「大事な話というのはね……貴女に、お願いしたいことがあるの。シア。母さまのお願いを、叶えてくれる?」
「……母さまのお願い?あたしに?」
 不思議そうな顔をするシアに、母は首を縦に振る。
 その表情は真剣でありながら、本当にそれで良いのかと、どこか迷っている風でもあった。
「そう。実は……貴女に預けたいものがあるの。シア」
 貴女に預けたいものがあるの、という母の言葉に、シアはますます不思議そうな表情を浮かべる。
 父のクラフトでもなく、祖父のエドワードでもなく、母さまが子供の自分に頼みたいことがあるというのが、シアは不思議で仕方がなかった。
 なぜ大人の父さんや祖父さんではなくて、母さまは子供のあたしに頼むのだろう?
 しかし、母の表情も声音も、決して子供相手に冗談を言っている風ではなく、真面目なものだった。
 そもそも、父さん……クラフトとは違い、エステル母さまは真面目な人だと、シアは思う。
 誰かが冗談を言っても、ふふっと穏やかに微笑むくらいで、自分からふざけたり冗談を口にすることは、ほぼ皆無だと言っていい。
 明るい冗談を言って、商会の皆を笑わせるのが父親のクラフトならば、そんな彼の隣で、穏やかで優しい微笑みを浮かべているのが、母親のエステルである。それが、シアのよく知る両親の姿だった。
 そんな風に、真面目な母親の性格を知っているシアとしては、母の言葉は真剣なものであると思うしかない。
 預けたいものがあるの、と母はシアに言った。預けたいものとは、何なのだろう――?
「預けたいもの……あたしに?なぁに?母さま」
「そうよ。シア。預けたいものはね……これなの」
 預けたいものって、なぁに?という娘の質問に答えるように、母親のエステルはレースのついた白い絹のハンカチを取り出すと、そっと、壊れものを扱うような繊細な仕草で、たたまれた絹のハンカチを開く。
 その瞬間、絹のハンカチの上に置かれた銀の輝きに、シアは「わぁ!きらきらしてる!綺麗……」と感嘆の声をあげた。
「わぁ!きらきらしてる!綺麗……銀の指輪っ!」
 母の手の上、開かれた絹のハンカチの上に置かれていたのは、銀の……一角獣《ユニコーン》の紋章が刻まれた見事な指輪だった。
 決して大きなものではないのだが、中心となる一角獣の紋章は今にも駆け出しそうな躍動感がありながら精緻であり、その周りには一角獣の紋章を囲むように、小さな蒼い宝石が幾つもうめこまれ、さながら星のような煌めきを放っている。
 美しく、一目で高い価値があるとわかる、銀の指輪。
 幼いシアは、きらきらして綺麗な指輪だとしか思わなかったが、現在の十六歳になったシアが見れば、その指輪の高い美術的な価値をも、正確に理解したはずだ。とはいえ、その時の幼いシアにとっては、その美しい指輪の価値など関係なく、ただ綺麗な指輪だと、無邪気に目を輝かせた。
 無邪気に喜ぶシアとは対照的に、母親であるエステルは、いささか複雑な表情で、娘のシアと己の手の上にある一角獣の紋章の指輪を交互に見て、ふぅと深くため息をついた。
 その指輪は彼女にとって、決して幸福な記憶のあるものではなかったから……。
 エステルは小さく首を横に振り、辛い過去の記憶を振り払うと、かすかな憂いを帯びた表情で、娘のシアに尋ねた。
「……綺麗な指輪でしょう?シア」
「うん!この指輪は、母さまのなの?」
「この指輪はね……私のものではなかったの。でも、ある愚かな恋の過ちの果てに、私の元に来てしまったの」
 シアの問いかけに母は、はいともいいえとも答えず、ただ曖昧な、ひどく意味深な答えを返した。
 意味深な母の言葉に、シアは首をひねる。
 難しい話で、正直、意味がよくわからなかった。
 この一角獣の紋章の指輪が、母さまのものでないのなら、この指輪の持ち主は一体、誰……?
 そんなシアの真っ当な疑問に、母は何も答えず、その代わりというように続けた。
「シア……貴女に預かってほしいものはね、この指輪なの」
「え……?」
 驚きの声をあげるシアに、母は冗談ではないという風に「この指輪を、シア……貴女に預けたいの。私の娘である貴女に」と続ける。
「この指輪を、シア……貴女に預けたいの。私の娘である貴女に……この指輪は宝石箱に入れて、その宝石箱の鍵は、あの人……クラフトに預けておくわ。今から何年後か、貴女が大人になって、この指輪の意味を知る日まで」
 そう言うと、母はハンカチの上に置いていた指輪を、机の上にあった宝石箱――母亡き後、シアのものとなる宝石箱の中にしまった。 
 同時に、カチャリ、と音をさせて、宝石箱が閉じられる。
 その宝石箱を閉じた、銀色の鍵は、クラフトに渡されることになるのだろう。
 母の白い手が、宝石箱のふたを閉めるのを、シアはきょとんとした顔で見ていた。
「……あたしが大人になったら、この宝石箱を開けるの?」
 娘の問いに、母のエステルは、「ええ」と静かな声で答える。
「ええ、貴女が大人になったらね。シア……でも、もし、大人になる前に、この指輪のことを忘れてしまったら、その時は……そのままでいいわ。もしかすると、その方が貴女の為には、良いかもしれないから」
 そう言った母の――エステルの表情は、迷いと憂いと不安と、そして心配が入り混じっているようだった。
 母の、決して晴れやかとは言えない憂い顔に、事情がわからないシアも、不安な気持ちになる。
 胸にうずまく不安を、何とかしようとするように、シアは母に手を伸ばした。
 そんな顔しないで……母さま……あたしが……
「……母さま」
 伸ばされたシアの小さな手を握り、もう片方の手であやすように娘の頭を撫でながら、母のエステルは淡く微笑んだ。
 シア……私によく似た、愛しくて、可愛い私のたった一人の娘……何よりも大切な宝物……どうか幸せに、私や私の母とは、同じ道を歩まずにすみますように……
「強く生きてね。シア……私や私の母の存在が、あの高貴な御方の心を傷つけて、あんな悲劇を起こしてしまった……でも、シア、貴女まで同じ道を歩む必要はないの。貴女まで、血筋に囚われることはない」
 病弱な自分は、そう長くは……おそらくシアが成人になるまでは、生きられないことだろう。
 幼い娘の将来を思うと心配で心配で仕方がないが、そんな予感がしているからこそ、エステルは幼いシアには難しすぎることと知りながら、そのことを伝えようとした。
 たとえ、自分が居なくなっても、シアが……娘が強く明るく、しっかりと前を向いて生きていけるようにと、そう願って。
「……母さま?」
 母の言葉の意味が半分もわからず、シアは不思議そうな顔で、首をかしげた。
 そんな愛娘の反応を、当然のことだと受け止めつつも、母はシアの目線に合わせて膝を折ると、そのふくふくとした幼い頬に手をあてながら、穏やかな声で語りかけた。
「心の強い人になってね。シア……強くて、優しい人になって」
「……強くて、優しい人?」
「そう……」
 母はうなずくと、自分とは異なる、娘の明るい青の瞳を見つめながら続けた。
「――身分や血筋に囚われず、誰かを心から信じて、誰かに心から信じてもらえる……そんな強い人になってね。シア」
「……」
 幼いシアには、母の言葉は難しかった。
 ただ、大切なことを言われているような、そんな気がした。
 そんな娘に向かって、エステルは励ますように、優しく微笑みかける。
「大丈夫よ。シア。貴女なら、いつか、きっとなれるわ。クラフト……あの人の娘ですもの」
 そう言う母の声は、明るく、未来への希望が感じられた。
 ……それが、今よりも十年以上も前のこと。
 幼くして、最愛の母を亡くした悲しみから、シアが心の奥底に沈め、忘却してしまった記憶だった。
 あの一角獣の紋章の指輪のことも、母の形見である宝石箱の中身も、あの時の母の言葉も、十年以上もの短くはない歳月の中で、幼かったシアが忘れてしまったものだ。
 思い出した。
 ああ、思い出した。
 ――それが、一つのきっかけであったように、シアの意識は夢から現実へと戻る。

「ん……うぅぅ……」
 長い夢から覚めた瞬間、ズキズキとした後頭部の痛みと、なぜか自由にならない手足に、シアは苦しげな呻き声をあげた。
 両手両足をロープで縛られている状態では、体の自由が利かないのは当然のことなのだが、起きたばかりの彼女は、縛られていることに気づかない。
 ただ、思うように動かない体に、何かが変だと感じる。
「うぅ……痛ぁ……」
 一向に治まらない激しい頭痛に、ひどく辛そうに顔を歪めながら、シアはのろのろと閉じていた瞼をあげる。
 ここは……?
 そうした彼女の青い瞳に飛び込んできたのは、薄ぼんやりとした灯りだった。
 ……暗い、とシアは思う。
 その場所は、ひどく暗かった。
 決して真っ暗闇というわけではないのだが、かろうじて灯りと呼ぶことができるロウソクで照らされた薄暗い室内は、何とも心もとない。とはいえ、それも仕方のないことだろう。
 普段、頻繁に人が出入りしていない証拠に、近くの柱には幾つも蜘蛛の巣が張っており、シアのすぐ横に置かれた木製の箱の表面には放っておかれた年月を示すように、灰色の埃が積もりに積もっている。
 ――ここは、どこかの倉庫か何かだろうと、シアは推測した。
 彼女の推測は半分はアタリで、もう半分はハズレだった。
 シアのいる場所は、数年前まではある店が、商品を保管する倉庫として使用していた場所だったが、その店が潰れた時から倉庫としての役割を失って、人の出入りもないまま、一年近くも放置されていた……はずの場所だった。
 実際には、ある組織の隠れ家の一つとして、頻繁に使われていたのだが、そんなことをシアが知る由もない。
 ……ああ、頭が、頭が割れるように痛い……ガンガンする……何でだろう?
 いまだハッキリしない意識と、なかなか治まらない頭痛に悩まされながらも、ようやく暗闇に目が慣れてきたシアは、その時、遅まきながら、手足の違和感に気がついた。
 なぜか自由に動かない手足……その原因を目にした途端、シアは顔色が変えて、悲鳴のように叫んだ。
「……っ!何っ!これ?」
 己の両手首をきつく、容赦なく縛る太いロープの存在を目にして、シアは何これ?と半ば悲鳴のように叫びながら、呆然とした表情を浮かべる。
 腕の自由が利かないのは、当たり前のことだ。手首を、ロープで縛られているのだから。
 きつく縛られていたせいか、手首のあたりは、鬱血したように赤く染まっている。
 内心では暴れて叫びたいほど混乱しながらも、シアは冷静になれ、と己に言い聞かせた。
 商人が冷静な判断力を失ったらおしめぇだ、という祖父エドワードの言葉を、さながら呪文か何かのように、心の中で繰り返す。
 それに、仮に暴れたり叫んだりしたところで、この腕をしめつけるロープが、どうにかなるものでもない。
 まずは、今の自分置かれた現状を、きちんと把握しなければ……。
 シアはごくっと唾を飲み込むと、恐る恐る、下を向いた。
 予想した通りと言うべきか、予想した以上に最悪と言うべきか、シアの両足首もロープでしっかりと縛られており、自分の意志では、立つことも歩くことも出来ない状態だ。
 ……まぁ、両手首を縛られていた以上、このぐらいは予想の範囲内だ。
 むしろ、口に猿ぐつわをされていなかったことが、不幸中の幸いかもしれないと、シアは思う。
 そうであったなら、下手をすれば、今ごろ窒息してしまっていたかもしれない。とはいえ、それを素直に喜ぶような心境には、とてもなれそうもなかったが。
「誰が……誰が、あたしをこんな場所に、閉じこめたの?」
 己から自由を奪った、手首を縛るロープを忌々しげに睨みつけながら、シアは呟いた。
 暗い倉庫のような場所に、たった一人で閉じこめられた恐怖や、両手足を縛られた怒りや、これから先どうなるのかという不安はあるが、まず気になるのはそれだった。
 一体、どこの誰が、ご丁寧に両手足をロープで縛ってまで、あたしをこんな場所に監禁してくれたのだろうか?
 怒りと不安を抱えながら、シアは考えた。
 シア本人か、あるいはリーブル商会に、恨みを持つ者の犯行だろうか?
 そう考えると、シアは少しばかり暗い気持ちになった。
 女王陛下の商人としても、またリーブル商会の跡継ぎ娘としても、人に恥じるような商売はしてこなかったという自信と自覚が、シアにはある。
 まだまだ次代の商会の長としては、修行中の身ではあるが、今まで人の恨みを買うような商売は、してこなかったつもりだ。
 しかし、それはシアの思い込みに過ぎなかったのかもしれないし、あるいは逆恨みの場合もあるだろう。
 一体、誰が……?
「……っ!痛……」
 考えるたびに、ズキズキと頭が痛む。
 縛られた腕が動かないから確認のしようもないが、この感じだと、殴られたあたりに大きなコブが出来ているかも……
「あ……」
 殴られた。
 それを思い出した瞬間、シアの脳裏に、気絶した時の記憶が鮮明によみがえった。
 ……そうだ。
 あたしは、後ろから、いきなり殴られたんだ。ジャンに……同じ商会の仲間であるはずのジャンにっ!
「……すみませんね。シアお嬢さん」
 ああ、そうだ。
「……すみませんね。シアお嬢さん。貴女を差し出せば、青薔薇の旦那から報酬が出るんですよ……貴女に恨みはありませんから、悪く思わないで下さい」
 ジャンはあの時、何て――
 その時、こちらに近づいてくる足音によって、シアの思考は中断された。
「……おや?お目覚めですか?商人のお嬢さん」
 足音が止まると同時に、シアにかけられたのは、甘さをふくんだような男の、通りの良い美声。
 しかし、その声の裏にひそむゾッとするほど冷ややかなものを感じ取った彼女は、二の腕に鳥肌が立つのを感じた。
 もし叶うのならば、二度と聞きたくなかった声だ。
「何で……」
 シアは顔を歪めると、絞り出すような声で、眼前に立つ男に向かって叫んだ。
「何で……何で、アンタがここにいるのよっ!青薔薇の首領がっ!」
 そこに立っていたのは、シアにとっては、二度と顔も見たくない男だった。
 アシュレイ=ロア=イクス。
 犯罪組織・青薔薇の首領にして、薬師の村であるカノッサの地で、シアやアレクシスと敵対し、刃を交えた男だ。
 そして、かつて反乱を起こしたイクス公爵家の血を引くものであり、貴族より平民を選んだ国を増悪し、青薔薇を率いることで、国や王家への復讐を企てる男でもある。
 金髪に淡い青の瞳と、優しげに整った顔立ち。
 外見こそ、とても犯罪組織の頭とは思えないほどに、貴公子のように優雅な青年ではあるが、その中身がどんなに冷酷で残酷であるか、人を使い捨ての駒のようにしか思っていないか、あの薬師の村での一件で、シアは嫌と言うほど思い知らされた。
 そんな事情から、二度と会いたくなかった男が、今、目の前にいる。
「ふふっ……自分の置かれた状況が、よくわかっていないようですね。商人のお嬢さん……いや、それとも、シア=リーブルと呼ぶべきかな?」
 何でアンタがっ!と叫んだシアを、嘲るように笑いながら、青薔薇の首領――アシュレイは言った。
 その男の、冷ややかで残酷な嘲笑に、シアは己の置かれた状況を察した。
 この男が、アシュレイが、自分をここに閉じこめたのであろうと!
「アンタが……あたしを、ここに閉じこめたの?」
 強い視線でアシュレイを睨みつけながら、その答えを半ば確信しつつ、シアは尋ねた。
 案の定というべきか、青薔薇の首領である男は「そうですよ」と首を縦に振り、肯定する。
「そうですよ。この…セノワの町で商売をしていたら、貴女がこの町にやってくると聞いたので、こうしてロープで縛って、隠れ家に監禁したというわけです。何せ……」
 アシュレイはそこで一度、言葉を切ると、薄青の瞳にゾッと怖じ気づきそうになるほど冷ややかな色を宿して、両手足をロープで縛られ座りこんだシアを見下ろした。
 そして、冷笑を浮かべたまま、男は片足をあげると、シアに向かって情け容赦なく足を振り下ろし、彼女の腹をぐりぐりと踏みつけた。
「うっ……あああぁっ!」
 靴で踏まれた腹の痛みと、精神的な屈辱感に、シアは涙目で呻き声をあげる。
 痛い辛いといった感情は勿論だが、それ以上に、体の自由を奪われて、こんな男にいいようにされている己の姿が、我慢し難いほどに、ひどく屈辱的だった。
 踏みつけられた腹の痛みに涙目になりながら、それでも、シアは精一杯の反抗とばかりに、耐えるように唇を噛みしめ、嘲るような笑みを浮かべるアシュレイを睨んだ。
 しかし、そんなシアの精一杯の抵抗すらも、彼女を踏みつける男にとっては余興のひとつでしかないようで、整った顔に冷笑を浮かべながら、アシュレイは言った。
「あの薬師の村では、ずいぶんと邪魔をしてくれましたから……そのお礼をしないとね」
 どこか愉しげに言われたそれに、シアはサーッと全身から血の気が引くような感覚を味わった。
 しかし、そんな怯えた態度を相手にさらすことは、プライドが許さなかったので、シアはあえて強い口調で問う。
「何で……アンタに、あたしの行動がわかったのよ?」
 気になるのは、それだった。
 シアの名前や立場を、アシュレイが知っていたのは、別段、驚くようなことではない。シアの首から下げた銀貨を見れば、彼女が商人であるということは容易に知れるし、シアぐらいの年齢の少女で銀貨の商人というのは、まず他にいない。
 加えて、シア自身はまだまだ駆け出しであるものの、伝説とまで呼ばれる商人を祖父に持つ少女として、その世界では、それなりに名の知れた存在だ。であるから、青薔薇の連中に、自分の素性を知られるかもしれないことは、シアも覚悟はしていた。
 しかし、まだ疑問はある。
 シアが今日、このセノワの町に来ていることは、リーブル商会の人間しか知らないはずだ。
 それなのに、どうして――
「ああ、簡単なことですよ」
 シアの疑問にアシュレイは、口角をつり上げながら答えた。
「リーブル商会の中にね、報酬欲しさに、貴女を青薔薇に売った人間がいたんです……ジャン!」
 アシュレイの呼びかけに応じて、部屋の隅からのそりと、男が歩み寄ってきた。
 その男の顔を見て、シアはひくっと顔をひきつらせる。
 黒っぽい茶髪に、同色の瞳――どこか東洋的な顔立ち。
 その男は、二ールじいさんが新しいリーブル商会の仲間として、紹介してくれた……はずのジャンだった。
 同じ商会の仲間であるはずの彼が、自分を青薔薇に――アシュレイに売った。
 その事実を、ひどく苦いものとして受け止めながら、シアはジャンを正面から見つめると、静かな声で尋ねた。
「ジャン……あたしを売ったの?」
 シアの問いかけに対し、ジャンは何も答えず、ただ気まずそうに彼女から視線を逸らした。
 それが、何よりの答えだった。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2010 Mimori Asaha All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-